チャンネル「桜」メディア界・激震 Part14

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492日出づる処の名無し

中国の周辺国侵略は結局つまるところは 「中国の民主化」 テーマの一環で、
すべて

   >>422-426>>428-429>>431>>432

の流れに繋がるものだと思う。

東アジアは中国の覇権の理由がなくなればすべて自然に統合への条件が整って
しまうほどだろう。朝鮮も自然な流れの中で根本の問題は解消していくはずだ。

したがってやはり、基本の底流概念は 「価値観の共有可能性」 だろう。

宗教弾圧などの思想や言論の統制があることを前提にする価値観か、それとも
そうでない価値観かは文明の根本を変えるものであり、まさに共有を許すかどうか
分水嶺となる。

それが 「侵略」 になるのか、「自発的な統合への潮流」 になるのかの、
「決定的な違い」 でもある。我々は後者を志向し、いかなる時も前者を肯定しない
価値観に立つに過ぎない。しかしこれが決定的な相違にならざるを得ないのだ。
493日出づる処の名無し:2007/05/18(金) 14:08:01 ID:S04PDNP6

コシミズらがユダヤに関わる論拠を立てて米中の対立から台湾からみから戦争に発展し
これが第三次世界大戦の端緒となるとの推論を提示しているのには、納得できるところは
あった。

しかしそのすべてが正しいという保証があるわけでもないだろう。

帰納された結論は真理たることを必ずしも保証しないからで、そこには誤謬があっても
材料が整わないう内はすべての仮説が成立することを許すだろう。

むしろここではその仮説論拠の中でも取り上げられている材料の内の、「中国の覇権と米国
の対立」 の原因を少しく検討し、戦争に発展する真の原因を発見してそれを除去することを
目論むことが我々にとって有効ではないだろうか?

我々の目的と意図は、基本的に日本列島と周辺の有事の回避であり、それが実現すれば
要求するべきことの根底は達成されるのであるから。我々は戦争を望まないし、それによる
一切の被害を許容しない文化を継続したいと常に望んでいる。

今、我々は 「誰のためにも死にに行くことは望んでいないし、誰かからも望まれてもいない」
と、「信じている」 はずであるから。
494日出づる処の名無し:2007/05/18(金) 14:20:49 ID:S04PDNP6

インドも人口の多い格差の激しい国の一つだったが、インドは必ずしも、いやほとんど
そこに覇権の意図を見出すことはできまい。わずかに隣国との領土問題があったに過ぎず、
明瞭な覇権的侵略の意思を表す事象は周辺を見渡しても何もないと見て差し支えあるまい。

インドはその宗教的特徴から、かならずしも完全な自由と民主主義の価値観を表している
とはいえないかもしれないものの、そこに 「覇権の意思」 がないことは有意義であった。

従って、人口が多く、国民を十分に食べさせられないので 「覇権によって国民の目を
他国への敵愾心や領土拡大への征服による民族的優越感などで政権への不満の解消策
としての覇権政策」 を取る必要がある、とは言えないということでもあった。
495日出づる処の名無し:2007/05/18(金) 14:29:06 ID:S04PDNP6

しかし、やはり人口が多くまた格差、特に地域格差が激しい中国では、これが中国共産党
政権の覇権主義の根底にある一つの問題であったが、そこに反日教育が一層必要となる
理由もまたあったのである。

台湾の奪還というテーマは、地政学的理由も大きな要因であったが、しかし中国が仮に
すっかり民主化して 「価値観を共有できる」 体制に移行してしまった暁には、そこには
周辺国との間で軋轢を生む要因はその大半が無くなることはほとんど必然である。

そうなれば、中国を含めた東アジアの経済・政治の統合への動きは加速するに違いない。
これが>>492の意味である。
496日出づる処の名無し:2007/05/18(金) 14:33:58 ID:S04PDNP6

我々は、おそらくはユダヤの陰謀を論じるまでもなく、東アジアの安定と平和を目的
にして意思を共有できるだろう。

そこで必要にして十分なだけの論理によって、中国が民主化することこそがそのため
の基礎であってそれこそが時代の真の方向であろうことに賛成する。

そこにはユダヤ云々は必ずしも必要ないだろう。我々はあくまで 「共有するための
価値観」 を云々するべきであった、そのための現実の課題をテーマとするべきでは
ないか。
497日出づる処の名無し:2007/05/18(金) 14:44:20 ID:S04PDNP6

東ヨーロッパではことごとく社会主義独裁政権の側の国が倒れて消えて行ったが、
この東アジアにおいてだけは、それが達成されておらず、ただ社会主義は完全に消え去り、
残ったものはその遺骸に等しい 「独裁」 の禍だけとなっている。これがすべての危機的
状況の根であることにいささかも疑念の余地はない。

この東アジアの反動的な状況が、この地球上で残されたいくつかのテーマの内の一つに
なっているということに過ぎなかっただろう。

現在、残されている大きな地上の危機は、中東でのイスラエルとイスラム原理主義の
闘争、もう一つはこの東アジアの反動的状況の克服ということだった。これらを、どのように
してどちらも平和的に解決することが可能になるのか、ということがメインテーマである。

仮にどちらかだけでもそうすることができればそれでも多大な成果だろう。

そしてそれは、もう一度訪れることになるかもしれない、世界大戦の危機を回避すること
でもあっただろう。ここが我々の知恵の必要な所以なのであったが。