在日は憲法上の日本国民なのだが###2

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798日出づる処の名無し
コピペ及び少し改変

国家概念とは国民(民族・地域的紐帯・歴史的経緯による紐帯によって一つに纏まった社会集団足る国民)
と”外国人”を分ける概念。

国家の三要素
領域(Staatsgebiet:領土、領水、領空)- 一定に区画されている。
人民(Staatsvolk:国民、住民)- 恒久的に属し、一時の好悪で脱したり復したりはしない。
権力(Staatsgewalt)ないし主権- 正統な物理的実力のことである。この実力は、対外的・対内的に
排他的に行使できなければ、つまり、主権的で(souveran)なければならない。

在日外国人は、外国の外交保護権下にあり、日本の権力が一部及ばない存在である。
(祖国の庇護を受ける権利を持つ。又は祖国は庇護を行う必要がある。)
これからして祖国の紐帯に縛られている在日が日本の参政権を持つということは内政干渉に他ならないということ
でもある。此処で最初の矛盾が生じる事が一つ。(船虫個人による、在日のメンタリティ「在日は殆ど日本人と一緒
のメンタリティの持ち主だなどの主張」云々はいい訳にもならない)

更に治者・被治者の同一性という民主主義理念で個人(外国人・国民関係なく万人としてみた場合)
と国家の関係性のみを表現し、それを論拠として定住外国人を国民と定義する場合、地域国家、国民国家としての
枠組みを無視した国民主権(この場合は日本国籍を持ち参政権をそもそも持つ人々)を蔑ろにして初めて、
在日国民説とやらが成立する。たとえ顔文字理論で憲法学上在日を国民認定(と看做す)したとしても、同様の問題に
よりただちに参政権を与える論拠にならないと一般には解釈されている。
船虫よ、何度もいうがこれに対してハッキリと答えてよね。