【麻の実会】麻生太郎研究第57弾【女性8000人】

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502日出づる処の名無し
おはようございます。
私はあの時教育の為、富士に着いたばかりの時でした。教官に是非返してくれと頼んだのですが、
もちろんそんな願いは叶うはずもなく、「お前の仕事は教育を受ける事だ」と言われ、同僚達が
不眠不休で働いている事に、内心忸怩足る事を感じながら教育を受け、教育終了と同時にとんぼ返りし
自分で自分の派遣命令を作成して、復興活動に参加しました。かなり遅れてからの参加だったので、
もっぱら給水・給食がメインでした。それでも小さいお子さんが20gの
ポリタンクを持ってきたので、持てないだろうと思い2/3ぐらいの水しか入れないでいると
「おじさんもっと入れて」と言われ、満タンにすると、「持てない〜」と言われ、一緒におうちまで
持っていった事。被災地で不審者を見張る為、木銃という銃剣道で使用する杖状のモノを同僚・
部下達と共に持って明け方まで歩き回った事を思い出します。