ネットウヨクの戦略的失敗3

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976日出づる処の名無し
>972
要は、
「まともな主張者は、それが他者一般に対しても意味がある“つもり”で発言する」
ってことだろう。
だから、自分にしか通用しない公理(前提)で正しいと言ってるなら、
それはソイツが間違ってる(まともじゃない)ということになる。
で、問題は、「それが他者一般に対しても意味があるつもり」。
これ。
これはいったい何だ?
このように思う論者が一般的であるなら、なにがしかの「共通の公理」があるということでしょ?
少なくとも、論者にとってはそう仮定されている。
それが実は無かったのなら、オッパイ星人の話になるわけだが、
通常は実際にある。国籍剥奪のような件では、それは憲法(およびそれに準ずるもの)にあたる。
つまり、「憲法その他、共通了解されている公理において、かの事例は国籍剥奪であり、間違っている(違憲である)」
こういってるわけだ。これなら、「他者一般に対しても意味がある」だろ?

それと、物質的な実在に関係するものは、どんな論証(正当化)でも暫定的なものでしかないよ。
(純抽象的な数学とかは違う)。
科学だってそうだし、南京大虐殺があったかについてもそう。
しかし、このような不可知論によって相対主義に逃げ込んだり、
「どうせ完全な真理は得られないのだから、独断とか多数決でいいじゃん」
なんて言うのは間違ってる。それは上で言ったように、倫理的な意味で間違ってる。
不可知だとしても、それに近づくことは大いに出来るわけで(近づいているという保証がないとしても)、
それを諦めたら、真実を追究するようなまともな議論はできなくなる。