【姜尚中】 横田夫婦がこの場にいても言える。『朝鮮人強制連行・徴用のことはどうして考えないのか』
526 :
密入国ソース:
●『在日・強制連行の神話』( 鄭大均著 文春新書)より
「在日の多くは海峡を自らの意志で越えたのだ。 在日は強制連行されてきた人々とその末裔だと
する主張がある。 が、一世の証言に丹念にあたれば、それが虚構にすぎないことが分る」
●正論2003年6月号掲載 評論家 黄 文雄
「誇り高き台湾少年工と「強制連行」どころか勝手に日本に殺到した朝鮮人の落差」
●朝鮮人によるマスコミへの卑劣な圧力が無かった頃は、朝日新聞も大量の密入国者がいる事実を報道してました。
『朝日新聞 1959年6月16日付』(「世界」 2000年10月号 戦後日本「在日外国人」の虚像と実像 原尻英樹)より
「密入出国をしたまま登録をしていない朝鮮人がかなりいると見られている」
●1974年の法務省編「在留外国人統計」によれば、在日韓国・朝鮮人の日本上陸は昭和16~19年の間は1万4514人。
「国民徴用令」による徴集は19年の9月以降の僅か4ヵ月間であるから、単純に計算しても、この期間に徴用された者は
16~19年間の1万4514人の12分の1、つまり1210人ほどにすぎない。昭和20年9月1日以前は679名であり、
それを加えた概算1889人ほどが、真に徴用の名に値する在日朝鮮人だという事になる。仮に「官あっせん」を
徴用の概念の中に入れ、官あっせんが行われていた昭和17年2月~19年8月の来日者の推計数を全部加えても
約1万1300人ほどである。従って、在日全体の僅か0.5%未満にすぎない事になる。
527 :
密入国ソース:2006/12/24(日) 02:42:03 ID:ltFqUnq3
「これでは困る韓国」呉善花、崔吉城 1997 より
呉「在日の人たちにしても、植民地時代も自分の意志で積極的にきた人のほうが
ずっと多いんじゃないですか。強制連行で連れてこられた人たちはほとんど帰っ
てしまったわけですから。」
崔「そこはいいポイントです。事実はまさしくその通りなんです。ところが、
そうであるにもかかわらず、意識としてはそうじゃなくなっているんです。
自分も植民地のときに強制的につれてこられたのだと、これはアイデンティティ
としてそうなってしまっているんです。」
呉「なるほど、意識と実際は違うということですね。」
崔「実際は強制されてきたのではなくても、我々は強制されてきたんだという、
そういう物語をつくってそれを自分の意識としてもつんです。
ここが在日韓国・朝鮮人を考える場合のかなり大きなポイントです。
(中略)それで一世たちはそういう物語を二世、三世に懸命に教えるんです。」
呉「なんのために教えるんですか」
崔「民族意識を守り、それを子孫に伝えるためです。」
528 :
密入国ソース:2006/12/24(日) 02:43:10 ID:ltFqUnq3
【在日】「私は徴兵で日本に来たんだよ」と嘘をつく母と、
「その時代に徴兵なんかないの」と嘘を暴く息子
「私は徴兵で日本に来たんだよ」と主張する母親と、「嘘を言うな」と
たしなめる息子。ずーっと探していた動画なんですが、YouTubeで
見つかったのでリンクを貼っておきます。
http://www.youtube.com/watch?v=lCbB1BAcN3w&search=korea これはインターネットが普及する前に放送されたもので、確かフジ系列の
「NONFIX」という深夜番組だったと思います(違ったら訂正よろしく)。
最後に「うちの息子は思想がないの」といわゆる強制連行説が嘘であることを認めます。
強制連行なんか存在しない事がわかる貴重な資料です。
529 :
密入国ソース:2006/12/24(日) 02:47:33 ID:KmFPl6fj
530 :
密入国ソース:2006/12/24(日) 02:48:21 ID:KmFPl6fj
★在日の徴用者はたった245人!終戦後75%が帰国!(朝日新聞)
■1959年7月13日 朝日新聞
http://img2.echoo.jp/photo/blog_b/52019453ce69cd3536fa41c3fe15ee29.jpeg http://img2.echoo.jp/photo/blog_b/b32f2c397cc34ee74db55b228aef5be0.jpeg ■記事内容と補足「在日朝鮮人の徴用者は245人」
・終戦直前、日本には200万人の朝鮮人がいた。
・その内、140万人は終戦直後に朝鮮に帰った。
・更に北朝鮮帰還事業などで10万人が朝鮮に帰った。
・つまり200万人のうち、150万人…つまり75%が帰国した。
・国民徴用令は1939年7月から施行された。(日本人と台湾人)
・しかし朝鮮人には1944年9月まで適用されなかった。(つまり優遇されていた)
・1945年3月には日韓フェリーが停止されたので、徴用が可能だった時期はたったの7ヶ月。
・1959年の調査では在日における「徴用者」の人数は…たった245人だった。
・現在、日本に残留している朝鮮人は「自由意志」による残留である。(犯罪者を除く)
■まとめ
「徴用」や「徴兵」で日本に来た人は元々、僅かです。
「徴用」や「徴兵」によって「朝鮮の家族や友人や恋人から引き離された人」が、どうして日本に残るのですか?
家族に会いたくないのでしょうか?
200万人の内、140万人が終戦直後に帰国しています。
僅かな徴用者、徴兵者は、その時、帰国していると考えるのが当然です。
つまり日本に残った人は「家族で日本に移住して来た人」です。
つまり「自由意志」で日本に来て、「自由意志」で日本に残ったのです。
それなのに「強制連行された!戦後は帰りたくても帰れなかった!嫌々ながら住んでやってるんだ!」と叫んでいるのです。
531 :
密入国ソース:2006/12/24(日) 02:50:03 ID:K5WGEPnA
大半、自由意思で居住
────────────
外務省、在日朝鮮人で発表
────────────
戦時徴用は245人
在日朝鮮人の北朝鮮帰還をめぐって韓国側などで「在日朝鮮人の大半は戦時中に日本政府が強制労働をさせるためにつれてきたもので、
いまでは不要になったため送還するのだ」との趣旨の中傷を行っているのに対し、外務省はこのほど「在日朝鮮人の引揚に関するいきさつ」について発表した。
これによれば在日朝鮮人の総数は約61万人だが、このうち戦時中に徴用労務者として日本に来た者は245人にすぎないとされている。主な内容は次の通り。
一、戦前(昭和14年に日本内地に住んでいた朝鮮人は約100万人で、終戦直前(昭和20年)には約200万人となった。
増加した100万人のうち、70万人は自分から進んで内地に職を求めてきた個別渡航者と、その間の出生によるものである。
残りの30万人は大部分、工鉱業、土木事業の募集に応じてきたもので、戦時中の国民徴用令による徴用労務者はごく少数である。
また、国民徴用令は日本内地では昭和14年7月に実施されたが、朝鮮への適用はさしひかえ、昭和19年9月に実施されており、朝鮮人徴用労務者が導入されたのは、翌年3月の下関-釜山間の運航が止るまでのわずか7ヶ月間だった。
一、終戦後、昭和20年8月から翌年3月まで、希望者が政府の配給、個別引揚げで合計140万人が帰還したほか、
北朝鮮へは昭和21年3月、連合国の指令に基づく北朝鮮引揚計画で350人が帰還するなど、終戦時までに在日していたもののうち75%が帰還している。
戦時中に来日した労務者、復員軍人、軍属などは日本内地になじみが薄いため終戦後、残留した者はごく少数である。
現在、登録されている在日朝鮮人は総計約61万人で、関係各省で来日の事情を調査した結果、戦時中に徴用労務者としてきた者は245人にすぎず、
現在、日本に居住している物は犯罪者を除き、自由意思によって在留したものである。(1959年7月13日 朝日新聞)
http://img2.echoo.jp/photo/blog_b/52019453ce69cd3536fa41c3fe15ee29.jpeg http://img2.echoo.jp/photo/blog_b/b32f2c397cc34ee74db55b228aef5be0.jpeg
532 :
密入国ソース:2006/12/24(日) 02:51:10 ID:K5WGEPnA
533 :
密入国ソース:2006/12/24(日) 02:52:13 ID:K5WGEPnA
534 :
密入国ソース:2006/12/24(日) 02:53:38 ID:0a2xSJ0t
535 :
密入国ソース:2006/12/24(日) 02:55:55 ID:0a2xSJ0t
536 :
密入国ソース:2006/12/24(日) 02:57:10 ID:3tQ+TCqX