いわゆる「日本国憲法」は憲法としては完全に無効だ!第七条

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教育勅語の中心的思考法、個人を超えて日本人が連続体であること、これらの思想が戦後抹殺されているから自称保守の人でも無
効論には理解が進まない。自分が失いつつあるモノを認識できないのです。困ったものです。生者のうちのどちらに主権があるのか、
天皇にあるのか国民にあるのかというような軽薄な観念にしばられてそれより上位のものが見えなくなる状態が続いています。
欽定ということは、結局、天皇と国民の共通の祖先、神々に対して「欽(つつしんで)定(さだめる)」ということです。
天皇が上から、下の国民にさしあたえたのが「欽定」なんていうのは、祭祀(神々)と憲法を切断した戦後の転向学者の保身理論です。
「欽定」の本当の意味を国民に知られると、船中八策が五箇條の御誓文にまで進化しその煥発方式が「欽定」として神々への誓文とし
て再出発したこと、それと同じく帝国憲法も欽定で、国の根幹にかかわることは日本の神々(祖先)に誓い報告するという確立された
この大原則(不文法)をふんでいない「日本国憲法」の有効性がよけいに否定されてしまうからなのです。
我が国の憲法の正統性は神々との関係で確定するわけです。その確定行為を国民を代表して日本の神々に欽定儀式を通じて報告す
るのが祭祀王・神々の直近におられる天皇の責務です。ゆえに、いくら生きている国民だけで天皇主権から国民主権に変わったなどと
たわごと言っていても遠い祖先やこれからの子孫との関係では・・・・・いいかえて日本の神々との関係では日本式には憲法として成立
していないことは明確なのです。被占領中の「日本国憲法」を昭和天皇が神々に報告(欽定)しているはずがないしそんなことが出来て
いるとしたら神々を冒涜しているというようなものです。なぜなら、生身をもつ人間には占領が可能ですが日本の神々までも占領できま
せんから。生身の人間がどう揺らごう(改正論など)とも確固とした動かない憲法の固定点(欽定点)が日本にもあることをみんなが思い
出せばいいのです。欽定憲法たる帝国憲法は神々への「76箇条の御誓文」なのです。