【留年】麻生太郎研究第44弾【外務大臣】

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283日出づる処の名無し
>>226産経が手元にあったので打ち込んでみた
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逆転したANA構想・安倍氏、苦渋の決断−幹事長人事

「政治家に大切なのは理念だ。でも政治は現実だ」−。自民党の安倍晋三総裁はかねて繰り返してきた。
その言葉通り、安倍氏は党役員人事で最初の苦渋に満ちた決断を迫られた。
安倍氏は何を見据えて、この布陣を固めたのか。

「政権を取れば、麻生太郎外相、中川昭一農水相とのトライアングル(三角形)が生命線になる。
これをいかに維持していくか・・・」
福田康夫下官房長官が出馬を見送る直前の7月初旬、安倍氏は周囲にこう漏らした。
3人の頭文字をとって「ANA」。
国家間、歴史観の似通った2人といかに強固な三角形を構築していくか。これが安倍氏の人事構想の根底にあった。
安倍氏は、中川昭一氏とは拉致問題などで旧知の間柄だが、麻生氏とは縁が薄く、昨年10月末の内閣改造まで膝を
交えて話をしたこともなかった。だが、官房長官と外相という両氏の立場からその機械は増え、7月の北朝鮮による
弾道ミサイル発射への対応では、絶妙の連係プレーを見せた。
「政権を取っても麻生氏の助力は必要だ」。総裁選の中で安倍氏はその思いを強めた。
靖国神社参拝や対中外交、歴史認識をめぐる論戦で、安倍氏を援護射撃したのは対抗馬の麻生氏だった。
安倍氏はまず、麻生氏の幹事長起用を考えた。人情に厚く演説がうまい麻生氏は、参院選に向けた党内融和と
地方組織の建て直しにうってつけと考えたのだ。中川昭一氏は重要閣僚として閣内で支援を求める考えだった。
しかし、森派を中心にした安倍氏支援グループの反発は強かった。安倍氏は5月中旬、森は幹部に幹事長適任者を問われ、
中川秀直氏の名を口にしたことがある。この一言が次第に広まり、規定路線となりつつあったからだ。
「総裁選の対抗馬を幹事長に据えれば、『総裁選は出来レースだった』と批判される」との声もあった。
また、安倍氏も中川秀直氏に並々ならぬ恩義を感じていた。初当選以来の頼れる先輩で、官房副長官抜擢を陰で
推したのも中川秀直氏だった。家族ぐるみの付き合いを続け、昨年正月には一緒にハワイに行き、総裁選出馬を促された。
いったんは中川秀直氏を重要閣僚に起用することも考えたが、中川秀直氏は「それならば無役でいい」と固辞。
構想の見直しを迫られた安倍氏は22日夜から川口湖畔の別荘にこもった。
結論は中川秀直氏が幹事長、中川昭一氏は政調会長となり、麻生氏は入閣。もともとのANA構想は逆さまになった。
ただ、この布陣に保守派から異論は少なくない。中川秀直氏は人権擁護法案や皇室典範改正、対中外交など
安倍氏のプリンシプル(原則)にかかわる政策で相違点が多いからだ。
安倍−中川秀直体制にANAの三角形をいかに重ね、「闘う政治家」を貫くか。厳しい船出となった。(9/26産経2面)