>>732 ウリは、駿河タソの書き込みを「肯定」も「否定」もしない。
ただ、論理的でない考え方を「否定」したのだ。
駿河タソに今一度考えて欲しい。
「合理的なものが論理的であるとは限らない」という事を。
何故ウリが、こんな事を書いたのか?
それは、論理的である事が、実は「理性」だけの領域と錯覚している人間が多いからだ。
論理的である事に「感情」を排する要素は、いささかも見出せない。
ただ、「感情はヒートアップしやすく自らのロジックを破壊しやすい」だけなのだ。
ウリは以前、こう書いた事がある。
「論理的一貫性のない意見は、ただの妄想でしかない。
これは何も、形而上学的なことにとどまらない。
感情においてもそうなのである。
そうでなければ、一体どうして人と人の間に思考の共有関係が出来よう。
この事がわからない人間は、自分の意見がすべて正しいと思うばかりではない。
他人の意見は、すべておかしい、いや間違っていると錯覚するのである。」