いわゆる「日本国憲法」は憲法としては完全に無効だ!第五条
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あっち向いても、こっち向いても、憲法に対する言葉使いが実に変に聞こえるが・・・・。
●改正しろ。
●改正するな。
これは、護憲方法の意見の相違で争っているだけのマックファン。
●廃止しろ。
●破棄しろ。
って、言ったって、大半の耳には「日本国憲法」を憲法として有効と認識した上での意見としか聞こえない。そのとおり
だとすると、結局、実現するには「日本国憲法」の改正条項に従った手続を採ることになる。これらは内容をゼロにする
改正と考えられ、改正の一種。これもマックファン。これらは、似ているようで、このスレで言う無効論の「無効確認」と
は全く異なる手続である。中には、内心、無効と思考しているからこそ無効を原因として「破棄しろ!」と主張する人もい
るが、法律論的には正確さを欠く言葉使いといえる。それなら、はじめから「無効確認しろ!」と言うべきである。
●自主憲法制定しろ。
●新憲法制定しろ。
って、言ったって、それじゃあ、現在の「日本国憲法」をどうするの?という話になるでしょ。「日本国憲法」が憲法として
有効であるのなら上記の廃止や破棄をやってから、新憲法を樹立するという段取りになる。その新憲法に明治憲法改正
版を予定することも考えられるし、過去の憲法とは切り離して白紙の状態からの制定を考えることもできる。
しかし、結局、これら2つの主張には「日本国憲法」を有効と認める前提があるのだから、廃止や破棄をしないと、本命の
自主憲法も新憲法もありえない。ところが、大幅改正や自主改正のことを指して、新憲法、自主憲法といっていることもあ
り、言語明瞭意味不明な言葉である。
さらに、この言葉の変なのは、自主憲法や新憲法という言い方は、それこそ国民主権の死人にくちなし、自分があるじ、
生きている人間の「意思」で法を「つくる」という発想をもつもので、憲法とは祖法を「ひきつぐもの」であり「つくるもの」では
ない、と考えている私からすれば、とても過激な言葉づかいなのである。なが〜い歴史を有する自然国家が本当の自主
の立場を与えられ、その時の人々が正気ならばきっと祖法(正統憲法)を引き継ぐという手法を採るはずである。
なが〜い歴史を有する国家にとっての自主とは祖法を引き継ぐことでからである。
いいたいことは、よっぽど「国民主権カルト」に毒されなければ、本来、憲法に新憲法なんてありえないということがわか
るはずなのである。また、自主憲法とは自先祖憲法(おきて)の継承にしかないのだから、論理的にも、実現可能性の高
さからも「廃止」や「破棄」ではなく「無効確認」+「帝国憲法改正」であることも明白である。
「改正」も「自主憲法制定」も「新憲法制定」も、一番の近道「無効確認」という手続の存在を気づかせないためのマスク
イデオロギーとしてはたらいてしまっているのである。