【WGIP】日本人の洗脳は解けるのか?【継続中】7
(『「現人神」「国家神道」という幻想』(新田均 著)P.35〜P.37より引用)
憲法・教育勅語の思想
このような明治前半の体験的教訓を明確な言葉にしたのが、当初から宗教行政に深い感心を寄
せていた井上毅(こわし)だった。
彼は「教育勅語」の起草に際して首相の山県有朋に書き送った明治二十三年六月の意見書において、
「勅語ニハ敬天尊神等ノ語ヲ避ケザルベカラズ何トナレバ此等ノ語ハ忽(タチマ)チ宗旨上ノ
争端ヲ引起スノ種子トナルベシ」
「世ニアラユル各派ノ宗旨ノ一ヲ喜バシメテ他ヲ怒ラシムルノ語気アルベカラズ」
と述べている。
この文言から推測すると、「帝国憲法」起草の中心者であり、また「教育勅語」起草の中心者
でもあった井上毅が考えていたのは、“大多数の国民を満足させることができる天皇の位置づけ
とは何か”ということであったようだ。
その思索の果てにたどり着いた結論を、井上は「大日本帝国憲法発布の勅語」
(明治二十二年二月十一日)の中に盛り込んだ。
「惟フニ、我カ祖我カ宗ハ、我カ臣民祖先ノ協力輔翼ニ倚リ、我カ帝国ヲ肇造シ、以テ無窮ニ
垂レタリ。此レ我カ神聖ナル祖宗ノ威徳ト、並ニ臣民ノ忠実勇武ニシテ、国ヲ愛シ公ニ殉ヒ、以
テ此ノ光輝アル国史ノ成跡ヲ貽シタルナリ」
(つづく)
(つづき)
井上はここで、天皇の祖先は徳、臣民の祖先は忠義と、互いにその徳義を尽くして協力してき
た結果、すばらしい国史が残されてきたのだとの歴史認識 ――今日においては「物語」と言った
ほうが適切かもしれないが―― を、国家の根本をなす本質的な枠組みとして示してみせた。そし
て、それに続けて、天皇と国民とが、互いに先祖の業績を尊崇する気持ちに立って、これからも
この協力関係を維持発展させることによって国家の繁栄を目指していく、という国家の基本的骨
格を提起している。つまり、「天皇と国民の協働の歴史」という物語を互いの祖先に対する崇敬
心を媒介として継承しようというのである。
この枠組みを当時の国民の尊皇心の最大公約数として設定した井上の心中においては、おそら
く、この基礎の上に政治制度を組み立てたのが「帝国憲法」であり、その憲法を機能させるべき
立場にある国民に不可欠な徳目を提示したのが「教育勅語」である、という構造になっていたの
だろう。
だからこそ、「教育勅語」の冒頭においても、まず
「朕惟フニ、我カ皇祖皇宗、国ヲ肇ムルコト宏遠ニ、コヲ樹ツルコト深厚ナリ。我カ臣民、克ク
忠ニ克ク孝ニ、億兆心ヲ一ニシテ、世々厥ノ美ヲ済セルハ、此レ我カ国体ノ精華ニシテ、教育ノ
淵源、亦実ニ此ニ存ス」
と、憲法発布の勅語と同じ枠組みを「国体ノ精華」として確認し、それを教育の源として位置づ
けたのだろう。
(以上、『「現人神」「国家神道」という幻想』(新田均 著)P.35〜P.37より引用)