先程以下の意見書を産経新聞に送りました。もし明日の朝刊で産経が同様の記事を書いていたら、
2ちゃんがマスコミを動かした事になります。みんな明日を楽しみにしていてくれ。
産経新聞様
「2ちゅんねる」で富田メモの3ページ目を解読した者がいます。テレビのキャプチャー画面から
3ページ目の裏に写った文字を反転と画像補正で鮮明にし読み取る事に成功しています。
http://sakuratan.ddo.jp/imgboard/img-box/img20060721082842.jpg 63.4.28 〔■〕 4.28 〔4〕
☆Pressの会見 前にあったね どうしたのだろう
[1] 昨年は 中曽根の靖国参拝もあったか
(1) 高松薨去間もないときで 藤尾(文相)の発言.
心も重かった =奧野は藤尾と違うと思うが
(2)メモで返答したのでつく バランス感覚のことと思う
していたと思う 単純な復古ではないとも.
(3) 4:29に吐瀉したが その前で
やはり体調が充分でなかった 私は 或る時に.A級が
それで長官に今年はの記者 合祀され その上松岡.白取
印象があったのであろう までもが、
=(2)については記者も申して 筑波は慎重に対処して
おりました くれたと聞いたが
○ 松平の子の今の宮司がどう考
[2] 戦争の感想を問われ 余そ えたのか 易々と
嫌な気持を表現したが り う 松平は平和に強い考が
それは後で云いたい 閣で あったと思うのに 親の心子知
そして戦後国民が努力して 僚す らずと思っている
平和の確立につとめてくれた もが だから 私あれ以来参拝
ことを云いたかった 知か していない.それが私の心だ
"嫌だ"と云ったのは 奥野国土庁長 ら多
の靖国発言中国への言及にひっかけて ずい ・ 関連質問 関係者もおり批判になるの意
云った積りである
続き
※3ページ目と4ページ目を続けて読むと次の事が判ります。
1.メモはプレスの会見を筆記したものである。
2.昭和63(1988)年4月28日の記述である。
3.質問に対るす答えは率直な感想を述べているように読み取れる。
発言内容を事前にチェックされる立場の人物ではない事が判る。
4.高松宮様に対して薨去という言葉を使っている事から宮家ではなく
仕える立場の人物の発言と読み取れる。
5.「(3) 4:29に吐瀉したが」のくだりは客観的な表現で自身の事ではない。
6.戦争の感想を問われた時「嫌な気持を表現」している人物である。
7.あまり閣僚を知らない人物である。
8.会見時の発言に「そうですか」が多かった。
9.靖国神社の松平永芳宮司を松平の子と呼ぶ事から近親者で年配者である事が判る。
以上の事から考えて、このメモの発言者として最も適当な人物は徳川侍従長である事は明白です。
理由は以下の通りです。
a.徳川侍従長のが勇退日は昭和63(1988)年4月末日。(会見の有無は確認できず)
b.徳川侍従長の以前からの発言と相似している。
c.前出の1〜9の指摘事項に全てあてはまる。
では昭和天皇陛下の発言とした場合、以下の矛盾点が生じます。
イ.この日に昭和天皇陛下の会見は報道されていない。翌29日の天皇誕生日での会見は記録に残っている。
ロ.記者が天皇陛下に対してこのような質問をするとは思えない。又、質問する機会もない。
ハ.発言者は自身を「私」と言っている。天皇陛下であれは公式な場は「朕」と言う筈である。
私がこの意見を貴社に送ったのは、他のマスコミが信じられないからです。日経は3ページ目をわざと隠しています。3ページ目を公表すると捏造がばれるからです。
しかし私達の仲間が3ページ目を解読することに成功しました。この新事実をネット掲示板だけに留めている訳にはいきません。
ぜひとも昭和63(1988)年4月28日に徳川侍従長の会見があったかどうか裏を取って下さい。そして会見内容を精査して下さい。もし同じ内容ならば徳川侍従長発言の裏付けになります。
他社には寄稿していません。又、この意見は私1人の意見ではありません。「2ちゃんねる」靖国肯定派の総意と思って頂いていいと思います。
※追加や補足がありましたら、産経新聞「記事に対するご意見、ご要望について」まで送って下さい。
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