>>66>>85>>89>>90>>93>>94-95>>96-97>>107>>127>>145 毎日社説:大韓民国民団 「白紙状態」の意味が問われる 6月27日 0:03
ttp://www.mainichi-msn.co.jp/eye/shasetsu/news/20060627k0000m070150000c.html 在日本大韓民国民団(民団)と在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の「歴史的な和解」はこ
の先どうなるのか。
「和解」への地方組織の反発を受けて開かれた民団の臨時中央委員会で、河丙オク団長は
共同声明について「白紙に戻したような状態になった」と語った。
共同声明に盛られた「6・15民族統一大祝典」には参加できず、「8・15記念祝祭」の共催も
見送られることになったのだから、確かに共同声明が「白紙状態」になったと言えないことはない。
だが、河団長は「白紙撤回」を明言してはいない。行事への共同参加や共催はできなくなっ
たとしても、「民族的団結」のために互いに力を合わせ、「協力」していく方針を民団として否定
もしていない。共同声明が霧消したわけではないと考えるのが自然だ。
共同声明を発表した際、私たちは「脱北者支援に背を向けるな」と主張した。長年、いがみ合
ってきた組織が「和解」すること自体はけっこうだが、和解を優先する民団が脱北者支援セン
ターの活動を休止したことに少なからぬ危惧(きぐ)を覚えたからだ。
日本に戻ってきた約100人にのぼる脱北者は、帰国運動で北朝鮮に渡った在日朝鮮人や
その配偶者の日本人だ。日本での生活も楽ではない。在日同胞の権益擁護を目指すというな
ら、人道支援休止は組織の存在意義を問われるのではと考えたのだ。
ただ、北朝鮮は脱北者を不法に出国した犯罪者だと決めつけ、彼らを支援する日本のNGO
(非政府組織)幹部4人を「公民を誘拐、拉致した」として日本政府に身柄の引き渡しを求めて
いる。
朝鮮総連はそのことをどう考えているのか。脱北者への人道支援を犯罪行為と見ているとし
たら、朝鮮総連との和解は困難ではないか。民団は脱北者支援を再開する意向のようだが、
朝鮮総連を通じて脱北者情報が北朝鮮に流れはしないかも心配である。
北朝鮮は拉致問題を「解決済みだ」と繰り返している。朝鮮総連も同じ考えなのかどうか。今
後も和解を進めるなら民団として朝鮮総連にきちんとただし、その答えを明らかにする必要が
ある。 (つづく
>>172 朝鮮総連の関連施設に対する固定資産税の減免措置を見直す自治体が増えている。総務
省はこの流れを後押しするかのように、都道府県に「厳格な判断」を求める通達を出した。
排外的な動きが広まるのは好ましいことではないが、多文化共生社会にともに生きる以上、
北朝鮮に追従する朝鮮総連には厳しいメッセージを送らざるをえない。
韓国の盧武鉉(ノムヒョン)政権が北朝鮮に対し融和政策を進めている。だが、北朝鮮はテ
ポドン2号の発射準備を進め、金大中(キムデジュン)前大統領の訪朝も延期された。民団は
そうした現実にも目を向けるべきだ。
在日1世の中には、「民族の和解」という言葉を聞くだけで胸を熱くする人がいるかもしれな
い。そうした人たちが失望するような和解であってはならない。
>>164 『ヘギョンさん同席』 あす家族と面会 東京朝刊 06月27日
ttp://www.tokyo-np.co.jp/00/kok/20060627/mng_____kok_____003.shtml (ry:"幕引きを一気に狙う可能性が高まった。 "まで
>>162下中日朝刊記事と同文
核心:首相 米など訪問 『蜜月5年』象徴の厚遇 東京朝刊 06月27日
ttp://www.tokyo-np.co.jp/00/kakushin/20060627/mng_____kakushin000.shtml 小泉純一郎首相は二十七日、カナダ、米国訪問に出発し、二十九日にはブッシュ米大統領と
の首脳会談を行う。九月退陣を表明している首相にとっては初の、そして最後の公式訪米。大
統領は晩さん会を主催するなど、テロとの戦いでの「戦友」に最大限のもてなしを準備している。
日米蜜月関係を象徴する今回の訪米の意義を探った。 (政治部・豊田洋一)
●初の公式訪米
首相が二〇〇一年四月の就任後、訪米して大統領と会談するのは七回目だが、今回は初の
公式訪問となる。
日本の首相の公式訪米は一九九九年四月の小渕恵三首相(当時)以来、七年ぶり。大統領は
今回、小泉首相をホワイトハウスでの公式晩さん会でもてなすほか、首相の宿泊には大統領迎
賓施設ブレアハウスを使用する。
首相は元首でないため「国賓」でなく、儀典上は公式訪問に分類されるが、晩さん会やブレアハ
ウスでのもてなしは国賓並み。国賓との違いは歓迎式典で鳴らされる礼砲の数が二発少ない十
九発という程度だという。 (つづく