四国中央市が☆外国人参政権?!

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434船虫Jr ◆.Tg2yBtH66
【整理1】

整理するが、ここで焦点になってるのは、国民主権だろ?
反対者にしても、国民でない者に参政権を認めるのは国民主権に反するだろうと主張している。
http://www.nipponkaigi.org/reidai01/Opinion1(J)/sanseiken/QandA.htm
上を読んでみれば分かるように、この点が反対論の中心に位置している。
ここでハッキリ言うが、オレはこの反論を完璧に同意してる。

国民主権:国民でない者は主権者ではない。

対偶を取れば「主権者は国民である」。
そして通常言われているのは「国民は主権者である」だから、結局、
両者はイコールになる。

国民⇔主権者

ここまでは、百地のような反対派と共通了解が得られているはずだな?
おまえがこれに同意するのかどうか知らんが、百地のようなヤツは反対派の主流だから
(読売なんかも百地でやってる)、これを前提に話を進めるぞ。
問題は、国民あるいは主権者をどうやって認定するか?
イコールの関係だから、どちらかが確定すれば、自動的に他方も確定する。
そこで通常は(件の判例もそうだが)、ここで「国民」の方に目がいく。
憲法にも「主権(参政権)は国民の権利だ」と書いてある。
そして、「国民であることは、国籍によって確定する」と言う。
しかし、これが決定的な問題なのだ。
435船虫Jr ◆.Tg2yBtH66 :2006/07/30(日) 18:38:12 ID:XPK6Ba2W
【整理2】

言うまでもなく、この議論は憲法論議であり、“憲法理念としての国民”が論点になってる。
国籍法は憲法の下位法規で、国籍は>>378 にあるように、
法務省民事局長名義で動いてしまう。だから、

国籍→(憲法理念における)国民

とすると、憲法(それも主権者認定)が下位法規や役人の支配下におかれることになり、
憲法第10章(最高法規)に違反するし、前文や15条(固有の権利)とも矛盾する事態になる。
だからこの矢印はおかしい。正しくは、

国籍←(憲法理念における)国民

こうでなければならない。つまり、憲法が言う国民を国籍法が正しく指定すると。
憲法10条もこのように解釈するのが妥当だろう?
とはいえ、国籍がなんの意味も付与しないかというとそうではなく、
憲法10の目的がそうであるように、通常の行政手続きにおける「国民」や
それに伴う日常会話における「国民」は国籍に依存すればいい。つまり、

(日常会話における)国民←国籍

このようにしておかないと、誰が国民であるかの判断のために、いちいち憲法論議をしなければならないから、
非常に不便であるし、言葉というのは暫定的な(本質的というわけじゃない)定義で運用されるのが普通。
結局、

(日常会話における)国民←国籍←(憲法理念における)国民

こうなる。
一方方向の矢印だから、「(日常会話における)国民」と「(憲法理念における)国民」を
混同すると、ループになって無茶苦茶になる。
436船虫Jr ◆.Tg2yBtH66 :2006/07/30(日) 18:38:28 ID:XPK6Ba2W
【整理3】

ここまでをまとめると、

(日常会話における)国民←国籍←(憲法理念における)国民⇔主権者

ということになる。つまり、
・国民の側からは「国民⇔主権者」を確定できない。
そうであるなら、主権者の側から「国民⇔主権者」を確定するしかないわけだが、
不幸にも、憲法には主権者について固有の存在であることを言うだけで、
誰が主権者になるべきか、明白な記述がない。
この点で、オレがその役割を果たすおそらく唯一の理念だと指摘してるのが民主主義。
もちろん、民主主義という文言自体は憲法にはないが、「民主的な憲法」というように、
民主主義が憲法に謳われているとするのが、かなり一般的であるし、
日本政府が民主主義を国是と認定していることは間違いない。
それに、そもそも、主権者とは憲法制定権力のことであり、いわば前憲法的(前法規的)な存在である。
そのようなものを憲法に記載し、憲法の支配下におくというのもおかしな話だろう。
とはいえ、自民党の改正案では民主主義という文言が憲法に盛り込まれることになるで、
政府や裁判所が文言がないことがどうしても気に入らないというなら、改正を待てばいいだけ。

で、民主主義の理念である「治者被治者の自同性」を採用すれば、
・被治者であり、治者とみなしても「被治者じゃない治者」を作ることにならない者
 →治者とすべき者→国民とみなすべき者
ということになる。定住外国人は、国民とみなすべき。
そして、上で言ったように、ここで得た「国民」を直ちに「国籍」に反映させることは
国際的な関係における混乱や、国籍にまとわりついた民族意識などによって「踏み絵効果」をもたらす可能性が
高いから、参政権などの国民としての権利を規定する新法を制定するのが妥当。

オレの議論はこういうもの。