で、愛国心教育に話を戻せば、社会を対象にした公共心では足りないと言っているわけだが、
その足りない部分というのは、この後者の概念を含む領域に他ならないだろう。
教師は日本の歴史を「自分達の歴史」と言い、「誇れ」とか「反省せよ」とか言う。
http://www.tsukurukai.com/02_about_us/01_opinion.html しかし、これは明らかに在日やデーブ・スペクターには的外れである。
また、日本人であっても、「秀吉の朝鮮出兵を謝罪せよ」と言われれば、
何か的外れな感じを受けるヤツもいる。ソイツと秀吉軍は関係ない(同化してない)わけだ。
しかし、その一方で秀吉の朝鮮出兵や聖徳太子の態度を誇らしげに思い、
まるで自分達が優れているかのように思うヤツもいる。
秀吉に関しては、自分が産まれてもいない時のことだから、同化したりしなかったりするのは
当たり前だと言うかもしれんが、少なくとも教育を受けるガキにとっては第二次大戦も同じこと。
いったい、何で反省したり謝罪したりしなきゃなんないわけ?
で、問題は、個人の思想として勝手に謝罪する(同化する)のはかまわないが、
それ(同化思想)を強制する根拠はどこにあるのか?
現状において、在日やデーブのガキも教育基本法の被治下にあるわけだが、
彼らにそれを求めるのはまったくお門違いじゃん。
日本国籍を持つ日本人にしても、秀吉政権の時代は別で、大戦時は同化なんて
個人が持ってるような思想の違いでしかなく、公的な規範(憲法)からは導かれない。
逆に、こんな任意的な思想の押しつけは憲法違反じゃないのか?