【世界の】「南京大虐殺」は嘘【常識】39次資料

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1日出づる処の名無し
南京問題初心者の方。惑わされてはいけません。
前スレまでレス38000にいたるも下記の根拠は覆されませんでした。
大虐殺肯定派が嘘・誤魔化し・論点ずらしなどあらゆる卑劣な手段を使っているのが
わかるでしょう。

【最近はここのテンプレに反論できないので テンプレを省略した重複スレを立てる人がいます。
それはテンプレを無かったことにしようとする宣伝工作の一環ですので放置して笑ってあげましょう】

南京大虐殺はウソです。実在しません。

<根拠>
・骨も死体も銃も刀も書類も全く見つかっていない。
・というよりそもそも証言以外の証拠は無い。
・裁判で証拠として提出された写真はその全てが無関係または合成であることが発覚。
・そもそも裁判の時、南京大虐殺を「見た」と答えた人は2人しかいなかった。
・30万人殺されたとはいうが、そもそも南京には当時30万人もいなかった。
・30万人も殺したはずなのに、なぜか虐殺後の人口はむしろ虐殺前より増えている。

基本リンク
http://203.141.130.66/~nanking/
*ルール1:反論を大量スルーしておきながら質問を発してはいけません。
*ルール2:矛盾を指摘されたままの資料を再び根拠として使用してはいけません。
*ルール3:スレを読まずに論を主張してはいけません。
*以下、テンプレ>>2-13ぐらい

前スレ
【世界の】「南京大虐殺」は嘘【常識】38次資料
http://tmp6.2ch.net/test/read.cgi/asia/1143994553/
2日出づる処の名無し:2006/05/01(月) 17:04:26 ID:dMrZoMZS
【南京大虐殺が事実であるなら証拠の捏造は必要ない】Ver0.01
以下に記すのは伝聞などによる不確かな情報をのぞく、意図的な捏造がはっきりしているものです。
これが何を意味するのか、常識的な人間ならわかるでしょう。

東史郎
曽根一夫
田所耕三
秦賢介
中山重夫
船橋照吉
洞富雄
笠原十九司
本多勝一
中帰連
アイリス・チャン
ティンパーリ
崇善堂埋葬記録
朝日新聞「宇和田日記」報道

中国の対日政治工作 70年代から本格化 CIA文書公開
影響力阻止狙う「策略」
 【ワシントン=古森義久】中国が1970年ごろから日本のアジアでの影響力拡大を防ぐために、あえて日本の内政
に干渉し、日本の軍国主義や帝国主義の復活を宣伝するプロパガンダ(政治宣伝)工作を本格的に開始したことが
、このほど解禁された米国中央情報局(CIA)の秘密文書から21日、明らかとなった。
(産経新聞) - 10月22日2時48分更新

国民党国際宣伝処対敵宣伝課のスローガン
「宣伝は作戦に優先する」
郭沫若(抗日戦回想録)p191

*追加訂正よろしくおねがいします。
3日出づる処の名無し:2006/05/01(月) 17:04:57 ID:dMrZoMZS
「東京裁判を受諾したから南京虐殺を国家が認めている」とは間違いであり、全く根拠の無いことです。

日本がサンフランシスコ講和条約11条により東京裁判ほか極東国際軍事裁判そのものを受諾したというのも嘘です。

サンフランシスコ講和条約の原文は英語であり、原文の意味することが正しい解釈になります。
(以下引用)
日本文で「裁判を受諾する」となっている箇所は、英文では accepts the judgments です。
英語の judgments は法律用語として使われる場合、日本語の「判決」の意味に用いられるのが普通であり、「裁判」を通常意味する
trial,proceedings とは区別されるべきことは、例えば権威ある法律辞典 Black´s Law Dictionary の説明からも明白です。
 要するに、十一条の規定は、日本政府による「刑の執行の停止」を阻止することを狙ったものに過ぎず、それ以上の何ものでもなかったのです。
日本政府は十一条の故に講和成立後も、東京裁判の「判決」中の「判決理由」の部分に示されたいわゆる東京裁判史観(日本悪玉史観)
の正当性を認め続けるべき義務があるという一部の人々の主張には、まったく根拠がありません。(引用終わり)
「日本は東京裁判史観により拘束されない」
http://www.nipponkaigi.org/reidai01/Opinion3(J)/history/sato.htm

4日出づる処の名無し:2006/05/01(月) 17:05:21 ID:chvU6prz
そのとおり
5日出づる処の名無し:2006/05/01(月) 17:05:34 ID:dMrZoMZS
また、極東国際軍事裁判は偽証罪がなく、証言・証拠の検証も行われませんでした。
このような裁判の証拠・証言が何を立証できるのでしょう。
さらに同裁判はいわゆる事後立法によって裁定を下し、近代法の原則である罪刑法定主義を採っていません。
これについては連合国側からも相当な非難が出ています。
東京裁判「歴史の真実」
http://www1.toptower.ne.jp/~katumata/sub514.html

 戦後日本において同裁判は不当裁判であるという主旨の国会決議がなされ、サンフランシスコ講和条約11条
に基づき戦犯赦免要求を行いました。
連合国はこの要求に同意し、昭和33年までに戦犯のすべてが赦免されました。
「戦争受刑者の即時釈放要請に関する決議」国会議事録
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/022/0512/02207190512043c.html

戦犯赦免に同意したことは極東国際軍事裁判の不当性を連合国が認めたことになります。
重ねて述べますが「東京裁判を受諾したから南京虐殺を国家が認めている」とは間違いであり、全く根拠の無いことです。

6日出づる処の名無し:2006/05/01(月) 17:06:20 ID:dMrZoMZS
これまで本名で証言をした人は例外なくすべて嘘であったことが確認されています。
http://www.jiyuu-shikan.org/faq/A06.html

東史郎…一番有名な捏造者。原本が存在しない創作をバラまいた。中国じゃ未だに真実扱い

中山重夫…段列兵の立場で虐殺目撃談を語ったがそもそも現場に居合わせるのは不可能だったことが判明。

富永博道…当時は学生だったのに自分は南京戦に参加し虐殺したと証言。経歴照会であっさり嘘判明

舟橋照吉…東の懺悔屋成功に載せられて日記捏造。輜重兵の自分が1人で敵陣突撃し勇戦するというカッコつけかました仮想戦記な内容であっさり×

曾根一夫…野砲連隊の二等兵だったのに、歩兵で下士官だと経歴と日記を捏造。やっぱり経歴を調べられて嘘と判明。懺悔屋の代表格で、あの秦教授も騙された

田所耕三…強姦と虐殺を証言していたが、所属部隊が当該日時南京を離れていた事が判明。後に「普通の話だと記者が興味を示さないから…」と捏造を白状

太田壽男…死体大量埋葬を供述書に書く。が、梶谷日記(捏造物の数々と違って原本確認できる)により当時証言場所にいなかった事がバレる。撫順収容所での洗脳後に書いた捏造だった

富沢孝夫…海軍の暗号兵で、「南京発の松井軍司令官の虐殺を戒(いまし)める暗号を傍受・解読した」と証言(だから逆説的に虐殺があったという主張)。だが陸軍の暗号を海軍の知識しかない彼が解読するのは不可能で、おまけに証言日時には松井司令官は蘇州で入院していた

上羽武一郎…「上官の命令で強姦虐殺放火をした」と証言。しかし彼は「(後方で担架運びの)衛生兵」でしかもそんな命令が出たという史料は一切無し

このように偽証言・偽手記・偽もしくは改竄記録が出回っているので注意
これらは検証を受けるまでは堂々と真実として喧伝されていた

偽記録等の特徴
・原本が確認できない(あるいはあると主張するが実物を見せることはない)
・なぜか南京戦前後だけ詳細に記録している
・南京戦前後だけ異常に矛盾点や他の一次史料との乖離が多い
・記録者証言者本人の経歴が実際と違う
・「日本や日本軍は懺悔しろ」というが、自分が私財を投じて賠償するなどの行動は無く、むしろ出版や講演で金儲けをしている

7日出づる処の名無し:2006/05/01(月) 17:06:54 ID:dMrZoMZS
【名言】5次資料>>693氏抜粋

>先史研究では資料の要素が少ないがゆえの苦労がありますが、
>ここで話題の南京は70年程前のことですよ。
>文字資料の残存は豊富で、証拠と成り得るモノが消滅した割合も少ないでしょう。
>「証拠を示せ」と言われ、その証拠に疑問が提示されれば、堂々と反論なさればよい。
>根拠のない推論ではなく、他の資料との組み合わせで。
>できないならば、通常、自論に疑問が生じるはずです。
>
>自論の証明とは客観性を獲得することです。
>資料の解釈を1つの方向に揃えてしまえばいいわけではありません。
>読み取れる事実1つ1つの組み合わせから構成されるものが論ですから、
>論者のみに自明の論では、無意味というよりもはや滑稽、
>客観性を獲得する為には守らなければならない姿勢があるのです。


【名言】4次資料>>947氏

>疑問を取り除いたとは、自論に資料の解釈を近づけることですか?
>論は、資料の解釈から形成されるものです。逆なのです。
>根拠とする資料を提示しない姿勢を度々非難されています。
>また、提示した資料について矛盾などを指摘され、
>その矛盾点を解消しないままに再び根拠として提示するなど、
>意図的でなければ通常起こり得ない、恥ずべき論立てを行っています。

8日出づる処の名無し:2006/05/01(月) 17:08:05 ID:UYMroDXy
戦時中、中国国民党の国際宣伝処長を務めていた曾虚白という人物がいるのですが、
彼は自伝の中で、対日戦争における情宣工作についていくつかの手口を明かしています。
具体的には、中国の兵士を鼓舞する英雄物語を数多く創作することと、

日本軍の残虐行為を国際社会に宣伝することでした。そのような工作をしているまさにその時、
毎日新聞が「百人斬り競争」の記事を書いた。この時の印象について曾虚白は
「物事は信じがたいほどうまくいくものだ。われわれが敵の材料を探していた時に、
敵の方からそれを提示してくれた」という主旨のことを書き遺しています。
彼はすぐにティンパーリーというオーストラリア国籍の新聞記者と、
金陵大学の社会学の教授であったスマイスというアメリカ人にカネを渡し、
日本軍の暴虐行為を本にさせたとも書いています。のちに北村稔・立命館大学教授の
調査(『南京事件の探求』文春新書)により、ティンパーリーは国民党国際宣伝処に雇われた
人物だったことが当時の文献から明らかになっています。
 
 そして日本軍の南京入城が1937年12月13日です。日本軍の占領は38年2月末まで続きますが、
その同じ年の11月には英国でティンパーリーの『What War Means』が出版された。じつに手際よく
、国民党から発信された情報が英訳されて国際社会に喧伝されたのです。曾虚白は、
これは非常にうまくいった例であると回想しています。のちにこの本が南京大虐殺を確定する
証拠資料として東京裁判に提出され、A級戦犯も裁かれたわけですね。
9日出づる処の名無し:2006/05/01(月) 17:08:35 ID:UYMroDXy
黄文雄 拓植大学客員教授 諸君8月号 平成16年

 ・中国では長年にわたり、王朝が変わるたびに、北京、西安、開封、揚州と大虐殺を繰返してきました。
南京では、東晋の時代に王敦という武将が行っている。それ以降も大虐殺を繰り返し、近代最大のものは、
曾国藩の弟で、曾国茎という武将によるものです。3ヶ月くらい略奪したり、火をつけたりしている。
非常に詳しい記録が残っているのですが、それが「南京大逆説」における今の政府の発表とそっくりなのです。
つまり、中国の伝統に則っている。
 中国の戦争には古来、「屠城」という伝統があります。普通軍隊は給料を払わないから、
虐殺と略奪によってまかなうやり方が伝統としてある。だから、以前大学で教鞭を執っていた南京出身の学者に聞いたら、
「日本軍の大虐殺なんて嘘ですよ」とはっきりいっていました。

10日出づる処の名無し:2006/05/01(月) 17:09:33 ID:UYMroDXy
深田匠著 「日本人の知らない『二つのアメリカ」の世界戦略」高木書房より

 昭和41年9月に岸信介元首相の名代として5名の日本人台湾使節団が訪台し、蒋介石と面談している。
そして面談の最、その5名の中の一人である田中正明氏が松井大将の秘書であったことを思い出した蒋介石は、
田中氏の手を堅く握り締めて涙を流しながら
「南京に虐殺などなかった。松井閣下にはまことに申し訳ないことをした」
と告白している。この蒋介石の涙の謝罪は、日本人訪台団、通訳、蒋介石の側近らが全員耳にした歴然なる事実であり、
南京事件なるものは一切存在しなかったことを当事者が認めた貴重な証言である(72頁)。
11日出づる処の名無し:2006/05/01(月) 17:10:08 ID:UYMroDXy
したがって本官は、日本はジュネーブ条約の署名国であり、かつまたジュネーブ
条約は、第九十二条の意味の範囲内においてもまた効力を有するから、日本の
無批准によって日本の利益のためには効力をもたなかったけれども、日本を拘束
するものであるというこの検察側の主張を是認することはできない。
本官の意見では、本条約はその形のままにおいては、日本に対して有利にも、
また不利にも、いずれも効力を有するにいたらなかった。
検察側は、つぎに本条約は戦争に関する新たな法規、あるいは規定を定めたもの
ではなく、たんにすでに認められたところの戦争法規を制定したに過ぎないと
主張している。
本官は、この見解を認めるには困難を感ずるのである。
第九十一条ないし第九十六条は、この主張に反するものである。
第九十六条は、個々の締約国のために本条約を破棄する権利を留保しているのである。
締約国は条約の内容に関して協定しているのであるということおよびそれによって
条約の取り扱っている事項に関して、相互間に新たな法的関係を作っているので
あると了解していたようである。
(略)
検察側はハーグ条約は、日本によって批准されたと正しく主張している。
しかし同条約はその第二条において「規則……ノ規定ハ交戦国ガコトゴトク本条約
ノ当事者ナルトキニカギリ締約国間ニノミコレヲ適用ス」という規定がふくまれている。
イタリア、ブルガリアのいずれも1907年の条約を批准していない。
したがって本官の意見では、1907年のハーグ条約の規定も、1929年のジュネーブ
条約のそれも本件に適用するものでない。

「共同研究 パル判決書(下)」東京裁判研究会
12日出づる処の名無し:2006/05/01(月) 17:10:40 ID:UYMroDXy
安全区の外にほとんど人がいない根拠。

ラーベの日記 → 11/28日警察庁「長王固磐」は(南京には中国人が20万人いる)
         12/8「なぜ、金持ちを!約80万という恵まれた市民を逃がした」

国際委員会公文書 T−6 → 「13日の日本軍入場のさい、安全区には市民のほとんど全部が集まっており、その数20万」

南京市長の避難命令 → 馬超俊市長により全南京市民に安全区への避難命令。

中国軍による焦土作戦 → ニューヨーク7日発同盟 AP南京電
南京城外数百の村落は敗退する支那軍の手によって悉く焼き払われ焼き払われた各村落の住民は、着の身着のまま市内の避難所(安全区)へ、城内の危険区住民も雪崩を打って非難した。
日本軍ではなく中国軍及び中国国民による略奪破壊が報告されている。第一級資料である「ラーベの日記」にも、「ミニーボートリンの日記」にも、中国軍による組織的な焼き討ち「焦土作戦」の惨さは書いてある。

13日出づる処の名無し:2006/05/01(月) 17:11:42 ID:J4i5XwQg
ttp://blog.livedoor.jp/lancer1/archives/cat_441672.html
2005年10月14日
 町村信孝外相は十三日の参院外交防衛委員会で、外務省のホームページの
「歴史問題Q&A」と題したコーナーについて、
「事実でなかったことをあたかもあったかのような印象を与えるような
記述や、過大に妄想的な数字がなかったかどうか、よく検証したい」
と記述内容を見直す考えを示した。

山谷えり子氏(自民)への答弁。
 ホームページには
「首相の靖国神社参拝は過去の植民地支配と侵略を正当化するものではないか」
「南京大虐殺をどう考えているか」などの設問が並び、
平成七年の「村山談話」などを引用した回答が載っている。
 山谷氏は
「中国や韓国のホームページのような問題設定で、日本の立場を十分に
説明していない。あえて誤解を招くような書きぶりもある」と指摘。
「従軍慰安婦」など当時なかった呼称を使っていることなども「不適切」と批判した。

14日出づる処の名無し:2006/05/01(月) 17:12:25 ID:J4i5XwQg
南京事件 国民党極秘文書から読み解く
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/479421488X/

●戦争プロパガンダの視点から再検証
 本書は、16年にわたって、さまざまな角度から南京事件の検証をつづけてきた
著者が、平成15年に台北の国民党党史館で発掘した党の極機密文書『中央宣
伝部国際宣伝処工作概要』に照らして、南京事件の根拠として多大な影響力を
発揮した二つの史料、(一)南京陥落直後に「南京大虐殺」を報じた『シカゴ・デイリー・ニューズ』
『ニューヨーク・タイムズ』紙の記事、(二)陥落から半年後の昭和13年に英米で出版された
書籍、H・ティンパーリ編『戦争とは何か』(英語版)に検証を加えたものです。
『中央宣伝部国際宣伝処工作概要』は、国民党の対敵宣伝戦を担って南京陥落
の直前から活動を始めた党中央宣伝部国際宣伝処が、昭和13年から昭和16年
までの三年半のあいだに、どのような工作を行ったかを総括した内部文書ですが、この
新史料を得たことで、戦争プロパガンダという新たな視点から南京事件に光をあてることができたのです。
15日出づる処の名無し:2006/05/01(月) 17:13:25 ID:J4i5XwQg
●新史料から何が判明したか
昭和48年に、南京の日本軍の暴行を目撃したという欧米人の匿名の記録を載せた
『戦争とは何か』が発掘されて、これが大虐殺の根拠として提示されることとなりました。
今回の検証での大きな発見の一つは、『戦争とは何か』が「対敵宣伝本」であると極秘
文書に明記されていることでした(19頁および第六章)。
「南京大虐殺」の第一報をアメリカに発信した前述の二つの記事については、第五章
で詳しく検証されていますが、極秘文書に照らしてみれば、中央宣伝部が取材に協力
した記者のなかに、これらの記事を書いたスティールとダーディン両記者の名前が何度
か出てくることが判明しました。また、記事中の「南京における大規模な虐殺と蛮行
により」等々の表現は、南京在住の欧米人が組織した国際委員会が、南京の日本軍
の不祥事を日本大使館に届けた「市民重大被害報告」の内容(陥落から三日間の全事件
のうち、目撃された殺人はゼロ)や、同じときに南京にいた欧米ジャーナリストの証言
とはかけ離れていることから虚報であると見て間違いないこと、記事の描写は右にあげた
ベイツ教授が、「12月15日に南京を離れようとしていた特派員に利用してもらおうと
準備して、新聞記者に渡した声明」の内容と酷似していることが突き止められました
16日出づる処の名無し:2006/05/01(月) 17:13:56 ID:J4i5XwQg
●真実の報道ではなく、宣伝工作の材料
 軍事面で劣勢だった蒋介石の国民党は、宣伝もまた勝敗を決する一つの要因で
あると考え、これを受けた中央宣伝部では「宣伝は作戦に優先する」を合言葉に、総力
をあげて宣伝戦を展開していました。極秘文書からは、それがいかに巧みなものであった
かがうかがえます(第一章~第三章)。特徴的なのは、宣伝工作にあたって、中央宣伝部
は黒子に徹し、各国新聞記者と連絡して、彼らを使って「わが抗戦宣伝と」していたことでした。
このような大方針のもと、「首都(南京)陥落後は、敵の暴行を暴」くことを工作活動の
主眼としていたことに鑑みれば、二つの史料が果たした役割が自ずと浮かび上がってきます。
すなわち日本軍の残虐さを世界に喧伝し、日本を貶めることを狙った戦争プロパガンダ
であったということです。『戦争とは何か』の内容説明を含めて、極秘文書のどこにも、「南京
において日本軍の虐殺や殺人があった」とは出てきません。それは国民党自身、虐殺は
なかったと認識していたことの証左であると著者は分析し、このことからも、二つの史料は
事実を伝えるものではなく、日本を貶めるためになされた宣伝工作の材料と見なさざるを
得ないと結論づぁています。地道な検証作業がもたらした画期的な研究成果であり、本書
によって、南京事件の真相解明の道筋はいっそうはっきりと見えてきたと言えましょう。
17日出づる処の名無し:2006/05/01(月) 17:17:05 ID:lU+Rpht6
歴史学で一等史料・二等史料・三等史料を無視することは、歴史
研究から大きく逸脱している。史料作成者の明らかでない四等史料
やいかなる基準で作成されえたのか分からない五等史料を、無批判
に引用し、それらを歴史叙述の根拠とすることは事実無根のプロパ
ガンダである。
「南京虐殺」は四等・五等史料によって成り立っている。南京で
「何人虐殺」と認定せる記録はひとつもないのである。ない限り、
「南京虐殺」はグローバルな共同幻想にとどまる」

 『南京虐殺の徹底検証』(東中野修道)