皆様大変お待たせいたしました。
まずは、:wx310k ◆jiPZsRmz7o さん乙です。
および、暮れなずむ株屋の知人 ◆uc.NPGBgJ.さん、結婚おめでとうございます。
それでは、昨日の静岡新聞社説の方をうぷしたいと思います。
平成18年4月30日日曜日 静岡新聞『社説』 「格差」異聞
もう亡霊のようになってしまった
今や政治家が口を開けば飛び出してくるのは「小沢一郎」と「格差問題」である。
与党の自・公に小沢代表は何をされるか分からないという恐怖の対象であり、自分たち
のせいにされて亡霊のように悩まされているのが格差問題だ。
いずれも自信のなさがそうさせるのだろうが、本当の恐怖はすっかり過剰反応の世相に
なって、何かのはずみで国がとんでもない方向へ飛んでいってしまいそうなことである。
格差の話はずっと昔からある
格差問題が公式に飛び出したのは一昨年あたりからだ。社民党の福島瑞穂投手が国会質
問で貧富の差の拡大を取り上げて本格化したように記憶している。
社会保障政策の論戦で生活保護家庭の増加を取り上げ、わが国がじりじりと格差社会に
変わりつつあると指摘した。教科書を購入するお金にも困る家庭の子どもが増え、自治体
の補助金が増高しているという話が続いた。
だが、それよりずっと前、長期の景気低迷で企業倒産やリストラが増えだした頃、学校
に必要なお金を払えないために休学、退学する学生、生徒が急増しているという話がたく
さんあった。
そのことを本欄でも何回か取り上げたが、それが政治や行政の責任だと社会的な糾弾コ
ールになるようなことはなかった。
それがなぜ今、こんなに問題にされるのか。その背景には政治手法への不信感やそれを
政権の責任にしようという政治的意図が強く働いているようだ。
小泉政治は総じてそうだが、ダメなものはダメ!改革なくして再生なし!、やるべきはやる!
というように断行型の政治がずっと進められてきた。
国民の不満に火をつけるのか
それは耳を貸さない、ふり払うようなイメージだから弱い立場の人に疎外感を与えやす
い。「勝ち組」と「負け組」という意識が広がったのもそれだ。
離職者が増えたり、再就職の難しい雇用環境などの出現で、小泉政権や政府が格差社会
を放置してきたからだという非難の声になっている。
政治は格差のない社会の建築が仕事であり、その是正には真っ先に取り組まなければな
らないが、離職やドロップアウトには個人的な背景があり、昨今のように定職を持たない
自由さを尊ぶ風潮の中では数字だけで断定はできない。
人の幸せ観や満たされ観は金の多さや職場の大小なんかで決まるのではないから、それ
を政治的な攻撃の材料に利用することは慎まなければならない。政治は国民の不平不満に
火を付けるのが仕事ではないからだ。
文科省の新教育観に反する?
格差対策といえば、政府の取り組みで「オヤッ」と思わせるようなことがある。
文部科学省が経済的理由で塾に通えない児童のために放課後や土曜・日曜に無料で補習
を行う事業を始めるというのだ。「塾通いの有無で学力に差がつかないようにしたい」と文
科省は本気だ。
公平といえば公平だが、小坂文科相、ちょっと頭に血が上ってしまったのではないか。
教育の機会均等−は当然にしても、何で「塾通いの機会均等」なのか。
学校で分からないところをしっかり分かるように教える授業をどうしたら実現できかを
考えるのが先ではないか。
昔もそうだが、親の財力の差が子どもの教育機会の差になるのはある程度仕方がない。
それを乗り越え立派なサクセス・ストーリーを築いた人はいくらもいる。
国会議員の間で塾通いの格差を心配する声が出ているというが、心配すべきはほかにあ
るだろう。そんなことをすれば山奥やへき地の子ども達に一段と格差を押しつけることに
なるだろう。高偏差値大学出の議員が多くなって何かがおかしくなった。
テストの点数でなく生きる力、豊かな、たくましい子どもを育てる教育が文科相の新し
い教育観ではなかったか。
大量退職の団塊の世代を"先生"にするというあたり思いつきの臭いがする。
教育に思いつきは厳禁だ。《以上です》