【光の戦士】民主党研究第41弾【バックレた】

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643日出づる処の名無し
前原哲隗(まえはら てっかい)1962-2006  政治:57 戦闘:22 智謀:82 魅力:51 技能 「流言(ミンス党固有技能)」 家宝 武羽目乱(ぶうめらん) 戦闘:+5 技能「自爆」追加

・武将列伝
本名不詳。哲隗は号。山城の出身。生涯に数十回の改名をしたとされるため、記録により本名が「盛時」「清次」などまちまちで現在も
定説はない。また、姓も前張(まえばり)・前薗(まえぞの)とする書物もあり不詳。
これは最大の弱点である真名が不明な事からして、優秀な情報管理能力を誇っていた証拠といえよう。
国人衆の一つミンス党(ミンス一揆)の旗頭。先代・汚唐(おから)が郵政ヶ原の合戦で「日本を、あきらめない」
と怒号しながら討ち死にしたため、急遽旗頭の座に就く。この時有力国人の菅阿彌(かんあみ)と争い、僅差で競り勝ったという。
頽勢の家を建て直さんと孤軍奮闘するが、家中の実力者である汚沢陸奥守(おざわ むつのかみ)一族や、
横路蝦夷介(よこじ えぞのすけ)ら労組衆との軋轢に苦しみ、存在感は非常に希薄。 某青い蛙型宇宙人から忍術を学んだとも言われる。
家督相続後は小泉家への雪辱を期して四箇所から進撃し一時優勢となるも、配下の永田織部が功をあせって、
偽手紙による流言で小泉家宿老武部の陣に攻め入り惨敗する。苦戦までして元主君の仇討ちをするあたり義理堅さが窺われよう。
それに対し撤退を勧められるも永田を救出するため自らも突撃を敢行し、腹心野田皮座(のだ ぴざ)が討ち死にするなど大打撃を受ける。
老将、渡辺会津の「偽痴呆の計」により、一時虎口を脱したかに見えるも、あくまで突撃を続ける永田の巻き添えになり、結局非業の最期を遂げる。
彼の名は現在でも危機管理の大事さを伝える教訓として伝わっている。最後まで運命を共にする部下思いだったことによるのだろう。
なお十人にものを聞かれて、瞬時に全員に「報告はうかがっています」と返したというその智謀の名高さを伝える逸話が残されている。
また決戦を前に圧倒的不利な状況にもかかわらず、「楽しみにしていただきたい」と言い放つ豪胆さは注目に値すると言えよう。

民明書房刊『タイゾー立志伝完全攻略』第3章「武将列伝 代わりに表に晒される人々」より抜粋