703 :
日出づる処の名無し:
中篇
中国の歴史は極端に振れます。1842年、清がアヘン戦争に負け西洋の威圧的に力に屈服したとき、振り子は片方の端に振れました。
1949年、毛沢東が大躍進と文化大革命を先導したことで、本土はもう片方の端に振れました――両者とも現在は誤った政策とみなされています。
つい最近まで、中国の人々は「自分が何であるか」と「自分が何者でありたいか」、すなわち理想と現実のバランスをとる余裕がありませんでした。
重要なことは、中国は日本の失敗から学ぶことができるということです――私たちは「そこにいて、それをやってしまった」と言うべきものを持っています。
日本は前世紀に2回極端なナショナリズムを経験しました。解説すると、1964年、東京オリンピックの始まる直前、日本の青年がライシャワー駐日米国大使(当時)を刺した事件です。
その当時、アメリカの力と影響に対する日本の国民感情はまだ昂ぶっていました。北京の指導者の皆さんは、前述のような日本の経験から、自国で昂ぶりつつあるナショナリズムをよりよく処理する方法について学ぶ点があるでしょう。
日本が1960-70年代に経験した環境破壊についても、中国が日本の失敗から学べる分野だと思いますし、われわれとしては日本がそれを克服したことに勇気をもって欲しいのです。
軍事的存在感に関していえば、日本はアジアの自然な安定装置です。日米間には世界でも最長のパートナーシップがあります。それは透明であり、民主主義国家間の関係です。
もしどちらかの国が単独で行動すれば、眉をひそめる人もあるかもしれません。しかし両国が協調して行動すれば、もはや誤解される余地はありません。
中国を含めアジアのすべての国が、日米のもたらす自動安定化装置に頼ることができ、その公益は北京も利用可能です。
したがって、北京が現在不透明な軍事費――北京筋も認めた通り、ここ10年で3倍増した――を完全に開示することを、私は要望します。
704 :
日出づる処の名無し:2006/03/15(水) 00:35:21 ID:kIEKOPEa
最後
日本の戦後の記録の最終的結論として、日本は極少数の例外をのぞき近隣諸国とオープンで対等な付き合いをするよう自省してきたと、私は自信を持って言うことができます。
自称「オタク」といたしましては、日本が近隣諸国との関係で見せてきた態度は「P2P」ないしpeer-to-peerであると申し上げます。
私としては、多くの人、特に中国の市民の皆さんに、私の意見に共鳴していただきたいと願います。私は日本外務省の同僚に、私の中国将来展望同様まったくポジティブな長期交換留学制度を作るよう打診しました。
私は、日本の若者に是非中国を暖かく見て欲しいと思います。中国の成長はだれの利益のためをも妨げてはいけません。
私たちの新プログラムは何千人もの日本の、そして、中国人の高校生の交換留学を容易にし、これら若き大使たちが互いの国のありふれた家に滞在し、相互理解の種子を植えることを可能にするでしょう。
今後20年間私たちのプログラムがうまくいけば、中国に関する生の知識をもっている日本の男女は、中国の人を友人としてみるでしょう。そして、より多くの中国人が日本に関して同じことを感じるでしょう。