【世界の】「南京大虐殺」はウソ【常識】32次資料

このエントリーをはてなブックマークに追加
728恵也 ◆o4NEPA8feA
ーーーーー(引用開始)−−−−−
二○万人というのは難民区内に集まった難民の数でしょう。他にも市内には大勢の人が
残っていました。戸締まりをして、みな家に籠もっていました。私はわずか三日間しかい
なかったので、正確な情報は得られませんでしたが、車で市内を回った時、家の中から
中国人が出てくるのを見掛けましたし、通りを歩いている中国人も何人か見ました。
ですから、皆がみな安全区に入ったのではありません。

 もちろん、安全区の外は危険でしたが、中国人たちは、まさか虐殺が待ち構えていよう
とは考えていませんでした。何とかなるだろうと、家を出なかったのです。彼らは日本軍
の占領がどういうものか経験がありませんでしたし、日本軍はラジオを使って市民に、
家にいれば危害は加えない、なにも怖がることはない、と放送していました。
したがって虐殺なんて夢想だにしていなかったのでしょう。
http://www.geocities.jp/yu77799/anzentitaigai.html
729恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/02/19(日) 22:48:44 ID:d5BDYB7T
ーーーーー(引用開始)−−−−−
十一月二十三日、南京市政府が国民党軍事委員会兵站部に宛てた六文書は「調べによる
と、本市の人口は現在五十余万ある」と言っている。(原本は中国第二歴史文書保存館に
収蔵されている)。

このほか、上海、蕪湖、鎮江などから逃げてきた難民と前線から下がってきた負傷兵が
十数万人に達すると見られた。中国の南京衛戌司令長官唐生智の率いる約十四万の
軍隊は南京防衛にあたっていた。唐生智は「南京と存亡を共にする」と表明し、下関=浦口
間のフェリーを撤去するように命じ、部隊が揚子江を渡って北の方へ撤退するのを禁じ、
背水の陣を敷いた。
http://www.niccs.co.jp/jcc/bjr99-19.htm