【極東】北朝鮮総合スレ(旧北朝鮮実況)part947

このエントリーをはてなブックマークに追加
204日出づる処の名無し
>>81-83
独裁者の秘密を徹底検証 ドキュメンタリー金正日 第16回   BNN 02/15 00:00
ttp://www.bnn-s.com/bnn/bnnMain?news_genre=17&news_cd=H20021023036
 金貞淑が愛用したといわれる拳銃(『朝鮮の母、金正淑』より)。1997年に平壌で
 発行された『朝鮮の母、金正淑』のなかで紹介されている「金正淑女史が抗日武装
 闘争期に使用した拳銃」(上)と、「金正淑女史が大沙河戦闘で使用したモーゼル拳銃」
文: 惠谷 治
 第1部 金正日の出生の秘密を暴く
 第1章 抗日パルチザン時代の金正日の母親の活躍
 炊事隊員としての本領を発揮
 金貞淑たちはスパイ団事件から解放された後、青峰密営を離れ、金日成の部隊に
復帰した。1939年3月末、金日成部隊は、長白縣北大頂子の台地上に至った。
 「春の陽ざしが日一日とあたたかさをます四月初旬の白頭の山なみをながめる時
、勝利の確信が胸にみちあふれてくるのであった。金日成同志は各地に人を派遣し
、第7連隊、第8連隊、裁縫隊など、第2方面軍の全部隊を北大頂子に集結させた。
われわれはたとえようのない感激と喜びで戦友たちと抱き合った」(全文燮・崔仁
徳「苦難の行軍の先頭に立ち」『朝鮮人民の自由と解放』302頁)
 春の訪れとともに「苦難の行軍」は終了した。
 冬季行軍を終えたとき、第2方面軍には塩がまったく残っていなかった。
 「遊撃隊の生活には4大必需品難というのがありましたが、それは食糧難、履き
物難、マッチ難、食塩難でした。抗日革命闘士にこの4つの困難のうちでいちばん
たえがたいのはなんであったかと聞けば、たぶん大多数の人は食塩難であったと答
えるでしょう」(『世紀とともに』第7巻・平壌版196頁) (つづく
205日出づる処の名無し:2006/02/15(水) 12:26:40 ID:Hecu/94S
>>204
 塩は満洲国では専売制であり、塩の入手が困難なため抗日パルチザンたちは欠乏
に苦しんでいた、と金日成は書いている。「苦難の行軍」を終え、金日成は金鳳禄
という新入隊員に食塩の調達を命じた。金鳳禄は父親の協力を得て、大量の塩を入
手することに成功し、食塩難は解決するかにみえた。
 「金正淑は司令部の安全をはかって、いつも酢を携帯していました。司令部の炊
事は彼女が担当していたのです。彼女は司令部の分としてもらってきた塩に酢をか
けてみて、毒が入っているようだと言いました。食べ物に酢をかければ、毒が入っ
ているかどうかがすぐわかります。酢は毒にすぐ反応します。〈略〉焚き火に塩を
ほりこんでみると、案の定、青い炎が立ち上がりました。塩に毒が入っていると青
い炎が立つものです」(『世紀とともに』第7巻・平壌版202頁)
 酢が毒薬判定の試薬になるのかどうかは不明だが、金日成は「心身を徐々に麻痺
させる毒薬」が塩に混入されていることを発見したのは、金貞淑だったと書いてい
る。金貞淑の機転によって、部隊は命拾いしたという。
 これまでにも幾度も紹介してきたが、金正日の母親は炊事隊員として、野戦にお
いて隊員の腹具合を気遣って、部隊を支えていた。
 「いつだったか、部隊に食糧が切れてジャガイモだけで食いつないでいたときが
ありました。ジャガイモも何食か食べつづけると、飽き飽きして食べられなくなる
ものです。金正淑は戦友たちに幾日もジャガイモだけの食事をさせるのが心苦しく
てなりませんでした。それで、彼らの食欲をそそる方法はないものかと、あれこれ
考えました。そしてジャガイモをつぶしてチジム(お好み焼き)をつくったり、い
ためた山菜のあんを入れて餅をつくったりして出したのですが、それ以来、隊員た
ちはジャガイモ料理を嫌わずに食べるようになりました」(『世紀とともに』第8
巻・平壌版166頁) (つづく
206日出づる処の名無し:2006/02/15(水) 12:34:41 ID:Hecu/94S
>>205 さいご
 金貞淑が炊事隊員として活躍したエピソードを、もうひとつ紹介しよう。
 「ある日、かの女がぐらぐら煮えたぎっているおかゆに、きのこを小さくちぎっ
て入れている時、敵の『討伐隊』が不意打ちをかけてきた。この危急な瞬間にあっ
ても、そのおかゆがなければ、戦友たちにひもじい思いをさせるようになると考え
た金貞淑同志は、どんなことがあっても、おかゆのはいった釜をそのまま持って行
こうと決心した。
 そこでかの女は、急いで木の枝を折り釜うけになるものをこしらえて頭にあて、
熱くなった釜をそのうえにのせて、弾丸が雨のようにふりそそぐ雪のなかをかきわ
け、戦友たちのいる高地に登っていった。そしてかの女は、自分の頭が半分以上も
やけどでふくれあがっているのもかえりみず、さっそく戦友たちにおかゆをよそっ
てすすめたということである」(金明花「金貞淑同志を回想して」『朝鮮人民の自
由と解放』363頁)(つづく)