【極東】北朝鮮総合スレ(旧北朝鮮実況)part943

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297日出づる処の名無し
>>150-152
独裁者の秘密を徹底検証 ドキュメンタリー金正日 第9回   BNN 01/25 00:00
ttp://www.bnn-s.com/bnn/bnnMain?news_genre=17&news_cd=H20021023004
中共東北抗日連軍各路軍の活動地域<1936年7月―40年3月>(原図制作・惠
谷治、デザイン・鍵本博子)
文: 恵谷 治
 第1部 金正日の出生の秘密を暴く
 第1章 抗日パルチザン時代の金正日の母親の活躍

 射撃名手とされている金貞淑
 金貞淑たちは第3師第7連隊第4中隊に配属され、司令部付きの炊事隊員として、金日成
の傍に仕えるようになった(『炎の女性』46頁、『世紀とともに』第5巻27頁)。
 1936年7月、東北抗日連軍は「路軍制」に改編され、南満(満洲南部)に第1路軍、吉東(
東満)に第2路軍、北満に第3路軍を配置した。そして第1路軍第3師は第6師に改編されたが、
金日成が引き続き「師長」となった。金日成の名前は、この頃から中級ゲリラ指揮官として、
日本側に把握されるようになった。
 それから1か月後の8月17日午前2時、東北抗日連軍は大部隊で、関東軍の要衝のひとつ
である通化省の撫松縣城を攻撃した。北朝鮮の「正史」によれば、この「撫松縣城戦闘」で金
日成は大活躍したことになっている。
 しかし、実際には、金日成が率いる第6師は小南門から突入する予定だったが、手違いに
よって夜間奇襲は失敗し、日が昇ると日本軍守備隊が機関銃による反撃を開始したため、金
日成たちは敗走するしかなかった(権立「撫松縣城戦闘」『烽火』588ー590頁)。
 「敵は退却する部隊をやっきになって追跡してきた。われわれが東山に上りはじめたとき、
中心突出部の山ひだから一発の銃声が響いた。わたしは不安にかられて立ち止まった。そこ
には戦闘後の朝食の支度のために残してきた7、8名の女性隊員がいたのである。〈略〉女性
隊員たちが敵の大部隊と熾烈な銃撃戦を展開しているに違いなかった。〈略〉
 事実この日、指揮部は山ひだを英雄的に守り抜いた女性隊員たちによって救援されたという
べきであろう」(『世紀とともに』第5巻26頁) (つづく
298日出づる処の名無し:2006/01/25(水) 06:26:54 ID:9N1xQrLd
>>297
 金日成は「撫松縣城戦闘」の後方担当の女性隊員のなかに、金貞淑がいたことを記録して
いる。また、後には次のようにも回想している。
 「金正淑がわたしの部隊にきた後、撫松県城戦闘があったのですが、この戦闘で彼女は女
性闘士としての胆力と知略を十分に示しました。わたしがその戦闘で無事であったのも、彼女
のおかげだといえます。戦闘は熾烈をきわめました。金正淑は戦場からやや離れた山ひだで、
7、8人の女子隊員と一緒に朝食の支度をしていました。そこには、炊飯のできる家屋が一軒
あったのですが、煙がたってもよそからはよく見えませんでした。ところが、女子隊員しかいな
いその山ひだに突如敵が襲いかかってきたのです。そこを奪われば、部隊は前後から挾撃さ
れかねませんでした。状況が窮迫していることを知った金正淑はモーゼル拳銃をかざし、女子
隊員とともに猛烈な銃撃戦を展開しました。女子隊員たちの手強い反撃に遭遇した敵は、多
くの死体を残して退却しました。この戦闘があって以来、彼女はますます戦友の寵愛の的にな
ったのです」(『世紀とともに』第8巻・平壌版163頁)
 金貞淑がどの程度の射撃の腕前があったのかは不明だが、この撫松縣城戦闘で日満軍に
対してモーゼル拳銃で応戦したエピソードによって、金貞淑は射撃の名手ということになった
ようである。 (つづく
299日出づる処の名無し:2006/01/25(水) 06:28:01 ID:9N1xQrLd
>>298 さいご
 「金正淑女史が1937年の旧正月を紅頭山密営地で過ごした数日後、金日成将軍が到着した。
それを待っていたかのように、日本軍が密営地に攻撃を加えてきた。人民革命軍の兵力は親
衛隊員20余名ほどの少数であった。女史は将軍を護衛しながら山の稜線に登り、日本軍の
将校と下士官だけを狙い撃ちにした」(『炎の女性』47頁)
 伝記『炎の女性』には、1937年2月14日の「紅頭山戦闘」で、金貞淑が奮戦したことを紹介し
ているが、金日成回顧録の紅頭山戦闘の話のなかには、金貞淑は登場しない。また、金日成
部隊の信号兵だった韓益洙は、「紅頭山戦闘」の詳細を記録しているが(「司令部を守って」『
朝鮮人民の自由と解放』388頁)、そのなかでも金貞淑の活躍は見当たらない。これは金貞淑
が射撃の名手という話に、尾ひれが付いた典型的な例だろう。
 ちなみに、金正日も射撃の名手といわれているが、母親の血筋というだけの作り話かと思っ
ていたが、金正日の専属料理人だった藤本健二氏は、金正日と実際に射撃をしたことのあり、
射撃は上手かったと私に証言した。(つづく)