【極東】北朝鮮総合スレ(旧北朝鮮実況)part942

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116日出づる処の名無し
特集WORLD:闇から浮上した「辛光洙」の素顔 拉致実行犯が英雄に?
毎日新聞 2006年1月16日 東京夕刊
ttp://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20060116dde012040001000c.html
 闇の中から、あの男が浮上した。横田めぐみさん、地村保志さん夫妻を拉致したのは、
すでに旅券法違反容疑で国際手配されている元工作員、辛光洙(シンガンス)容疑者(
76)だというのである。平壌で英雄視される辛容疑者の素顔と、日朝の情報戦を追った。
【鈴木琢磨】
 「われわれは金の座布団に座わりました」。平壌で出版された写真集のタイトルである。
太陽政策によるミレニアム恩赦で韓国の獄から放たれ、北朝鮮に送還された63人の近
況を紹介している。<将軍さま(金正日(キムジョンイル)総書記)、もうご心配いりません。
幸せな白髪青年の姿をご覧ください>。ページを繰れば、いたるところ、あの辛容疑者が
いる。余裕の顔である。
 それにしても、日本で、そして韓国でずっと身を潜めていた人間にしては、ずいぶん目
立ちたがり屋に見える。胸には勲章。平壌の集会では獄中で完成させた金日成(キム
イルソン)主席の肖像画を掲げ、建設現場では声を限りに歌い、白頭山の革命史跡では
ノートを手に「学習」している。誰よりも熱心に! 労働新聞に手記まで発表している。
 ●海外留学のエリート
 そんな辛容疑者は1929年に静岡県で生まれた。幼いころ、兵庫県尼崎市から、富山
県高岡市に転居した。通名「立山富蔵」といった。語るのは国民学校の同級生だった西
田和夫さん(75)。「おとなしく、素直な感じだった。チャンバラごっこもしたけど、体が大き
くて相撲が強かった。高岡工芸学校に進んだものの、終戦の年に家族で帰国した。韓国
にいるものとばかり思っていたんだが……」 (つづく
117日出づる処の名無し:2006/01/17(火) 06:06:59 ID:spRmaybQ
>>116
 解放された祖国の土を踏んだのもつかの間、辛容疑者は朝鮮戦争がぼっ発するや、
北朝鮮の義勇軍に入る。そして戦後、ルーマニアのブカレスト工業大学に留学。千里馬
とたとえられた平壌再建に身を投じるため、科学院の研究士の職を得た。だが、南北朝
鮮はし烈な情報戦へと突入していく。日韓の事情に通じ、インテリだった辛容疑者は工作
員にうってつけだった。選抜されたのは71年である。
 工作員は最高のエリートなのである。平壌の招待所で工作員教育を受けた経験のある
在日商工人がこう証言する。「うれしかったですよ。やったぞって感じで。血が熱くなって、
燃えるんです。そんな充実した思い、味わったことないですから。辛光洙もそうだったでし
ょう。わかります」。この商工人はわけあって、平壌とたもとをわかつ。だが、辛容疑者は
日本に潜入し、拉致に手を染める。
 ●苦尽甘来
 辛容疑者については、80年に大阪・鶴橋の中華料理店で働いていた原敕晁(はらただ
あき)さんを宮崎県の海岸へ言葉巧みに連れ出し、拉致したことは判明している。自ら原
さんになりすますためである。拉致に至るまでにたっぷり時間をかけ、周到に準備した。
協力者も在日社会では知られた大物を引き込んだ。その際、帰国している息子からの手
紙を見せている。人質である。
 その協力者(故人)が書いた自伝を入手した。「苦尽甘来」。苦しめば、幸せが来るとい
う意味だろうか。全編、首領さま(金主席)への賛辞であふれ、愛国者としての自負に満
ちている。拉致へのかかわりなど触れているはずもないけれど、口絵の写真が語ってい
るように感じられた。平壌での豪勢な還暦の祝宴、息子家族とのスナップ、なぜか笑顔
がない。拉致への協力も苦しみだったということか。 (つづく
118日出づる処の名無し:2006/01/17(火) 06:07:59 ID:spRmaybQ
>>117 さいご
 ●単純すぎる構図
 さて、ここにきて明らかになった新情報には疑問点がある。めぐみさん拉致(77年11月)、
地村さん夫妻拉致(78年7月)の実行犯も辛容疑者だったというのである。韓国で逮捕さ
れ、死刑判決を受けたソウル地裁の判決文によれば、この時期、辛容疑者は平壌の招待
所で思想教育などを受けていたはずである。曽我ひとみさんやめぐみさんの教育係でもあ
ったころである。そもそも拉致の目的が違うし、手口にも綿密さがない。
 特定失踪(しっそう)者問題調査会の荒木和博代表が首をかしげる。「役者が少ない。な
にもかも辛光洙では単純な構図すぎる。国交正常化への道筋をつけるため、日朝間で落
としどころを探った結果の気がする」。ジャーナリストの川辺克朗さんも指摘する。「警察庁
は首相官邸の顔色をうかがっている。拉致に関しては日朝ともこれまでの失点をカバーす
るため、国内向けアピールを繰り返している。情報は精査してみなければならない」
 ●強壮剤
 日朝首脳会談で金総書記は拉致を認め、謝罪した。「70年代、80年代初めまで特殊機
関の一部が妄動主義、英雄主義に走って行ったと考えている」。関係者は処罰したとも述
べた。だが、冒頭の写真集には金総書記の「お言葉」が載っている。<非転向長期囚は
みな英雄です>。英雄主義をあおっているのは誰なのか。いよいよ平壌に帰還すると決ま
って、辛容疑者は将軍さまへのプレゼントを買った。強壮剤「紅参精」だった。
 ある集会で辛容疑者と同居していた在日の女性に会ったことがある。北朝鮮の非道を
訴えた。その彼女の手記を読むと、辛容疑者は平壌にいる妻は首領さまの親類だ、と口を
すべらせている。ホラである。どこかしら、こっけいで、哀れである。「金日成主義」に殉じた
のは信念だったのかどうか。いずれ拉致の真相ははっきりする。老いた革命家は「金の
座布団」の座り心地を味わう間もなく、広告塔として働かされ続けている。それだけは確か
である。(写真はいずれも写真集「われわれは金の座布団に座わりました」平壌出版社から)