70年近くも前だと資料が残ってたり残ってなかったりするから、
推測で話したくなるのは判らなくはないが、それをやってしまうと
単なる流言蜚語の類のレベルまで議論が落ちるのでやめたほうがいいよ。
本当の法廷に出しても通用する資料が必要だね。中華人民共和国はなにやってるんだろう。
こうやって孤軍奮闘してる人間がいるのに何の支援もなしか、冷たい奴らだ。
866 :
恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/01/02(月) 01:23:54 ID:kSUZOxSN
>>846 >侵略者なら、当然、そうする、 と思うのが中国の常識。
常識を知ってるほどの中国通とも思えないけど。
どこでその常識を仕入れてきたんだい?
>>864 南京大虐殺はウソだHPに以前あった写真では
城外はただただ農村、荒野の風景(城内でも光華門だか付近の写真は農村風景)
アバウトに南京の人口で市内か城内かさして区別する必要はないと思うね
>>866 298 名前:恵也 ◆o4NEPA8feA 投稿日:2005/12/31(土) 16:24:01 ID:5aHx7ssY ID:5aHx7ssY
>>286 >東中野氏の人格じゃなくて、東中野氏の分析内容を批判してくれませんか。
知りたければ、自分で検索しなさい。いろんな方がHPに書いてるよ。
あなたはパソコンを持ってる、少なくとも大人なんだろ?
それとも検索の仕方が分からないと言うのかね。
869 :
日出づる処の名無し:2006/01/02(月) 01:35:15 ID:nNVoAiPb
あげ
870 :
戦車:2006/01/02(月) 01:36:54 ID:MWIAt61o
>>867 >>853の通りです。
しかしながら面積が相当違うので、時期的に日本が進出してない辺りとかありますしな。
871 :
日出づる処の名無し:2006/01/02(月) 01:40:31 ID:3to76VzG
中華民国からは、嘘でした、
って資料も出てきてるが。
872 :
戦車:2006/01/02(月) 01:45:36 ID:MWIAt61o
>>863 現代戦と比較するよりは、近代戦の第一次世界大戦の各地の戦いとかと比較した方が見えてくるものが多いと思うけど。
南京事件は本質的に住民虐殺なんぞ馬鹿げた話は含まれず、捕虜殺害に収束すると思うよ。
まぁお休み。
873 :
恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/01/02(月) 01:50:04 ID:kSUZOxSN
>>873 そんな瑣末なことはどうでもいいよ
それで
>>845氏のいうような十万単位の誤差が発生するというのかい?
875 :
日出づる処の名無し:2006/01/02(月) 02:00:42 ID:w2GRGrmb
876 :
日出づる処の名無し:2006/01/02(月) 03:28:18 ID:u0/eXjCH
>>787 す、すげぇぇぇ。どうやったら賄賂に行き着くのか、脳の構造を知りたい…。('A`|||)
877 :
恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/01/02(月) 04:30:25 ID:RVhS5npn
>>867 >アバウトに南京の人口で市内か城内かさして区別する必要はないと思うね
俺はその風景は見てないけど、日本の戦時中にも疎開という現象があった。
都会が危険だから田舎に引越しをするというもの。
南京でも同じような一時的疎開があったと考えても不思議じゃない。
>大空襲により人員・学童疎開が急速に進み,45年6月の時点で東京の人口
・は1年前のおよそ3分の1に激減した。
・しかし疎開者の少なくない人々が生活習慣の異なる農村になじめず,また
・農村民の厳しい目や,なれない農作業,食糧不足,戦局の極度の悪化による
・将来の見通しのない心理状況の中で,辛い毎日を送らざるを得なかった。
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/nittyuusennsou.htm
878 :
日出づる処の名無し:2006/01/02(月) 04:46:28 ID:nNVoAiPb
しかし夜になると毛とか恵也とか護憲とか基地外ばかりが跋扈するんだな。
毛とか護憲を見ていると恵也はまともに見えるのも工作の一環かよw
879 :
日出づる処の名無し:2006/01/02(月) 05:05:22 ID:LPu58FlG
_,,,,,,__ __,,,__
ィjj)))))))))!!!!!彡ヽ,
/ミ/ ,}彡ヘ
|ミ{ -‐ ‐ ‐ ‐- {三=|
El==; ゚ ''==. |ミミ,|
`レfォ、,〉 :rfォ.、, !iル┤
. { `¨ i ・、¨ ´ `{ゞ'}
. | '`!!^'ヽ .「´
! ,-ニ'¬-、 ,!|,_
. \´ ̄` / ∧ヘ、
__/〉`ー ' ´ / 〉 \
_, ィ´「∧ / / )¬ー- 、_
-‐ ´ / / ヽ、/ / iヾ ヽ
〜脱亜論〜
日本の不幸は中国と朝鮮だ。
この二国の人々も日本人と同じく漢字文化圏に属し、同じ古典を共有しているが、
もともと人種的に異なるのか、教育に差があるのか、 日本との精神的隔たりはあまりにも大きい。
情報がこれほど早く行き来する時代にあって、近代文明や国際法について知りながら、
過去に拘り続ける中国・朝鮮の精神は千年前と違わない。
国際的な紛争の場面でも「悪いのはお前の方だ」と開き直って恥じることもない。
もはや、この二国が国際的な常識を身につけることを期待してはならない。
「東アジア共同体」の一員として その繁栄に与ってくれるなどという幻想は捨てるべきである。
日本は、大陸や半島との関係を絶ち、 欧米と共に進まなければならない。
ただ隣国だからという理由だけで特別な感情を持って接してはならない。
この二国に対しても、国際的な常識に従い、国際法に則って接すればよい。
悪友の悪事を見逃す者は、共に悪名を逃れ得ない。
私は気持ちにおいては「東アジア」の悪友と絶交するものである。
1885年3月16日「時事新報」社説
880 :
日出づる処の名無し:2006/01/02(月) 08:15:02 ID:z+pH9Iqa
えなりは共産党の工作員
歴史を自らの都合に良いように想像改ざん捏造し史実をねじ曲げ
日本の国益、日本人を貶めるために雇われた共産党の犬
自作自演ただそれだけ
こんな奴らがこの日本にウイルスのごとく取り憑いている現状は
日本の不幸だ
この悪性のウイルスに効くワクチンは今のところ存在しない様に思える
しかし我々一人一人が耐性を持ち日本人が日本人であり続けるならば
世界は日本の正当性を理解してくれると信じる
俺は人間の屑には負けない
つーかさ、なんでデーブはアメリカ人のくせしてあんなに必死に中国擁護してんだ?
なんか繋がりがあるとしか思えん
882 :
スサノオ:2006/01/02(月) 08:49:55 ID:Yw16Smf6
当時は米中露が主敵
南京問題もできたら日本叩きに利用したかったんだが
あまりに捏造に無理があったんで放かっといたというのが実情
883 :
日出づる処の名無し:2006/01/02(月) 09:01:04 ID:cZp5ji9A
安全区の外に5万人以上がいたのは確実。
日本軍の南京占領後1ヶ月くらいで、安全区の人口が20万人→25万人にかわっているから。
でも、10万単位でいたわけはないだろうが。
>876
脳の構造? やかんなんじゃない?
>878
えなりがマトモに見えるとは毒されすぎです、サーw
885 :
恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/01/02(月) 09:51:43 ID:RVhS5npn
>>880 >歴史を自らの都合に良いように想像改ざん捏造し史実をねじ曲げ
あんたね、どこが改ざんした場所なのかを、指摘してくれんと反論も出来ん。
それから俺は共産党じゃないからね。
共産主義は嫌いな方だ、
好きなのは、ガンジーの非暴力抵抗主義だ。
886 :
恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/01/02(月) 09:59:02 ID:RVhS5npn
887 :
ペペ:2006/01/02(月) 10:12:09 ID:Gcg8QgX3
888 :
日出づる処の名無:2006/01/02(月) 10:16:19 ID:T7uIo0Ai
889 :
ペペ:2006/01/02(月) 10:21:32 ID:Gcg8QgX3
バカなんでさっぱりワカランです。
>889
"DLKey:"の右にあるボックスに"taka"と入力して"DownLoad"をクリックすれ。
>886
もう黙ってろ"ウヨボウ"小僧。
891 :
ペペ:2006/01/02(月) 10:27:44 ID:Gcg8QgX3
ありがとうございます!
893 :
恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/01/02(月) 11:08:36 ID:RVhS5npn
>農民にはまもるべき土地と家があった。それについで大切な財産であった馬、牛、ラバ
・ロバなどの役畜、そして食料源でもあった豚、山羊、羊、鶏、アヒルなどの家畜も飼っていた。
・家を何日も空けるような遠くへの避難は、とてもできなかったのである。したがって、南京市
・内からやや離れた農村地帯では、多くの農民がそのまま生活していた。
・農村では、日本軍が来ると、家を守るために老人を留守番役でのこし、街道から奥の山野
・に逃げこんで、部隊の通過を待つというのが、一般的であった。
http://www.geocities.jp/yu77799/nousonbu.html
894 :
恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/01/02(月) 13:19:03 ID:/qMqZJa1
>>894のリンク先には電気会社のことは記載さていませんね。
あなたは何をしたいのですか?
897 :
戦車:2006/01/02(月) 15:20:39 ID:MWIAt61o
>>873 君はどうしようもないアホである。
私は南京市の人口が城内に集中したといってる。
君の提示したものは、城内の安全区外にいたという主張で、
私の主張を裏付けるものである。
安全区・城内・城外を脳みそ使って違いを考えてみましょう。
君の頭だと城内全てが安全区になってるようですね。
898 :
日出づる処の名無し:2006/01/02(月) 15:48:11 ID:+KO/UDl1
この板は一応デーブの名前がついてるから彼について言うとさ、
あいつはただウケを狙ってるだけでポリシーもなにもないんだよ。
で、なんか左っぽいこと言った方が出番が多いみたいだぞ・・
程度で発言し始めたら、案の定テレ朝やTBSの喰いつきがいい。
で、持ち前の芸人根性からそれをエスカレートさせてきたのさ。
影響力ゼロの不良外人ってポジションだから何でも言えるし。
あいつの計算違いはサヨ系思考が日本では主流でインテリに見えるらしいと
マジで勘違いしたことだな。
所詮あいつも昭和の遺物&異物だよ。
899 :
恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/01/02(月) 16:56:28 ID:CJna97tP
900 :
恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/01/02(月) 17:02:32 ID:CJna97tP
901 :
戦車:2006/01/02(月) 17:15:19 ID:MWIAt61o
>>900 君が張った
>>873のどこに埋葬メモがあるのでしょうか???
後から後から上塗りするのばかりですねぇ。
っで埋葬メモに城外があったからなんなのでしょう。
君の主張だと南京の市民が城内より城外に多くいた。
>城内よりは城外の方がはるかに多い。
より判断できますが、新説すぎてついていけません。
『南京事件を考える』 大月書店P100 井上久士
◎崇善堂が埋葬隊を組織し埋葬活動を行ったことは、おそらく確実であると思われる。
しかし崇善堂の埋葬記録を裏付けるような当時の資料を筆者は目にしていない。
◎中国の研究所の中には、日本側の要請もあって安全区国際委員会が、遺体の処理と
道路の清掃を紅卍字会と崇善堂に依頼することを決定したと述べているものがある。
しかし、はたして国際委員会がそのような決定を実際にしたのかどうか、またそのように
述べる根拠が何かを筆者は確認できない。
(同書P100 1行目〜4行目)
◎東京裁判に提出された埋葬記録が、当時のそれと同じ物であるかどうか、そして、
どのような資料と証言よって作成されたものであるのかは、残念ながら資料がない。
(同書P100 18行〜P101の最初)
◎紅卍字会の埋葬記録と比較して、崇善堂のそれは疑問の多いことは否定できない。
(同書 P102 最初)
「民国24年度(昭和10年度)南京市政府行政統計報告」によれば、 崇善堂は施材(衣料給与)、
保育などの仕事が主で、埋葬はやっていない 団体なのです。また、民国27年度南京市概況
(督弁南京市政公署秘書処編) にも、死体の埋葬をしている団体という記録がありません。
しかも、 この崇善堂の活動規模は「工作進行範囲狭小」とあり、紅卍字会と比較しても 全く
小さな団体で、埋葬事業はおろか、崇善同事態の活動規模さえ小さい 団体だったのです。
そのような団体が紅卍会を上回る11万もの死体を 片づけたのであれば、必ずその目撃者なり
記録なりが残っているのですが、 そのような記録は東京裁判にも出されませんでした。
また、ラーベの日記にも崇善堂の名前は一度も出てきません。 つまり崇善堂の埋葬活動など、
ないのです。これで30万はおろか、その半分の 15万人説も成り立たないことになります。
北村稔氏の『「南京事件」の探究』によると、紅卍会は1922年設立の新興宗教団体で日本の
大本教とも提携した慈善団体で満鉄特務班への紅卍会の報告では、埋葬数は南京城内で
1793体、城外で2万9998体だった。
しかし戦後、城外での数が3万5097人と報告され、5099人分増えていた。東京裁判に出廷した
紅卍会の許伝音は、「埋葬当時は日本軍の圧迫で公表できなかった」と証言したが、北村氏は
紅卍会と日本軍は「近しい関係」にあったと指摘し、当時の満鉄上海事務所南京特務班報告
などには、同会が自治委員会や日本側とも協力したと記されていることから「日本軍が紅卍会
に圧力をかけた事実はない」と判じている。つまり、紅卍会の報告は水増しされていたというのだ。
さらに驚いたのは、崇善堂である。崇善堂も慈善団体で1938年1月から3月までに7549体を、
4月にはその14倍の10万4718体を埋葬したと報告した。
北村氏は1月から3月までの合計が7千500余体であるのに、4月に10万4700余体に急増したのは
なぜかと考え、調べた。埋葬に従事したのは四部隊で変化はない。埋葬場所は「城根」(城壁の際)
「付近の荒れ地や菜園」などと記されすべて、地名が特定できないことも突きとめた。
崇善堂の主張は根拠を欠くのではという疑問が出され、中華人民共和国政府が対抗して出した
資料がある。資料は、崇善堂がクルマを一台所有していたこと、そのクルマは1924年製造の
古いクルマでバッテリー、ピストン肖(銷)子、クラッチが故障していたことを記している。
中国側が、崇善堂は実在し、しかも活動していたと示すために出した資料によって、皮肉にも
崇善堂の規模の零細さが浮彫りにされたのだ。古い故障車一台で、四グループの少人数で
38年4月のひと月間で10万を超える遺体を埋葬したとの報告の信憑性(しんぴょうせい)は
にわかに怪しくなった。
結論
南京大虐殺は存在しない
当時、上海派遣軍参謀で、かつ南京特務機関長だった大西一大尉は、阿羅氏の質問に対し、
紅卍字会については、知っている、遺体の埋葬をよくやっていた、と述べ、崇善堂については
こう述べている。
「当時、全然名前を聞いたことはなかったし、知らなかった。それが、戦後、東京裁判ですごい
活躍をしたと言っている。当時は全然知らない」
紅卍字会を遙かに凌ぐ埋葬活動をしたという組織を、全く知らないというのである。
上海派遣軍の大西氏は一九三七年十二月十三日に南京に入り、三八年二月からは特務
機関長として一年間、南京にとどまった。南京特務機関長は中国市民への日本側窓口にあたる。
大西氏は南京滞在の時期からも、その職責面からも、南京事件と南京市民の実態を最もよく
知り得る立場にあった。その大西氏が崇善堂について、全く知らないというのだ。
東京裁判「ベイツ博士の証言」
国際委員会は3万の兵士の亡骸を葬る為め労働者を雇ったのであります。これは我々の
労働救済対策として行ったものであります。揚子江に葬られた死体及び、他の方法によって
葬られた死体の数は数える事ができません。(林モニター 埋められた死体)
(日中戦史資料集8 東京裁判資料編P49)
この証言で問題なのは「その他の方法という部分です」。これは「埋められた死体」とモニターが
通訳している事から「国際委員会の知らない埋葬活動」であることが判明します。国際委員会の
認知している埋葬記録は紅卍字会の集計による約4万だけですから、「崇善堂11万埋葬」は
知らなかったという事になります。
908 :
日出づる処の名無し:2006/01/02(月) 20:05:40 ID:z+pH9Iqa
>>885,886
えなりサヨク否定必死だなw
おまえのどこが右翼や
藁わせんな
909 :
恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/01/03(火) 00:00:26 ID:9W7XRgMx
>>902 >『南京事件を考える』 大月書店P100 井上久士
あなたは不思議な記事をかかれる方だ。
井上久士氏はそんな本は執筆しておられない。
『南京事件を考える』 大月書店の作者は洞富雄・藤原彰・本多勝一 の
3人のお方だし内容があまりにも変????
「崇善堂の埋葬記録を裏付けるような当時の資料を筆者は目にしていない。」
なんていうほどの傲慢な方々じゃないはずなんだけどね。
著者が違うんじゃないの、阿羅健一氏とか田中正明氏とか言う方じゃないの?
910 :
日出づる処の名無し:2006/01/03(火) 00:05:14 ID:JjLKFD4D
>>909 恵也、おまえはなぜそこまでして捏造幇助するんだ?
意図は何だ?
見苦しい書き込みはもうよせ。
911 :
恵也 ◆o4NEPA8feA :2006/01/03(火) 00:14:18 ID:9W7XRgMx
912 :
戦車:2006/01/03(火) 00:22:17 ID:XdBUtBVj
>>910 彼の引用が間違ってる。
恵也の言うとおり引用するならば、
『南京事件を考える』 大月書店 洞富雄・藤原彰・本多勝一
が正しい。
南京事件調査研究会(いわゆる肯定派)の団体が出したもので、
『南京事件を考える』 大月書店 洞富雄 P100より
井上久士の見解として
>>902が使えば良かったのではないか。
しかしながら恵也のいうように
>3人のお方だし内容があまりにも変????
記載されてることなので変でもないし、
>なんていうほどの傲慢な方々じゃないはずなんだけどね。
傲慢な方だったようだ。
913 :
:2006/01/03(火) 00:33:51 ID:4QhcHZ3v
南京事件なんて無かったことがはっきりしてよかったよ。
これで米国の友人をたくさん説得できる。ありがとう。
914 :
戦車:
補填
また崇善堂についての記述が南京特務機関の報告など日本側文献や安全区国際委員会の文献に出てこないことも事実であり、
崇善堂埋葬隊が日本軍に認知されていたかどうかも今のところ不明と言うしかない。
『南京大虐殺否定論13のウソ』P136 南京事件調査研究会 / 柏書房
これも執筆部分は、井上久士だね。