昨年9月17日に行なわれた日朝首脳会談。その場に於いて明かにされた、北
朝鮮国による日本人拉致という日本の国家主権の侵害。 そしてその後明らかに
成った核開発という事実は、我々日本人に改めて安全保障問題を考えさせること
に成りました。
私は、北朝鮮問題というのは、「戦後日本」にとって、大変大きな意味をもつ教訓
を示していると思っているんです。先ず第一に言えるのは、日本に於いて、「拉致
事件は存在しない…」と叫び続けていた人達の中心を形成していたのは、かつての
社会党。今の社民党や、民主党に移っていった左翼の人達であり、勿論マスコミの
可成りの数の人達ではなかったのか…という事です。
そしてこの左翼系の人達と同じように「拉致は存在しない」と言っていたのが「市民
派を自称する「国家より市民」が大事であるといった発想の人達でした。勿論「主権
より人権」が大事という「人権派」の人達もこの中に含まれます。
これらの左翼系の人達に共通するのは「護憲」という戦後憲法の護持であり、憲法
第九条の「死守」であったと思います。とにもかくにも、日本が外国と揉めるような事は、
何としても避けるべきで、その為には「少数の日本人の生命や財産、国家の主権が
少々侵略されてもいいんだ」といった思想、もしくは発想ではなかったでしょうか。
今回の日朝会談から学ばなければ成らない第二点は「太陽政策」より「北風政
策」の方が、効果が上がったという事で有ります。
思い出してみてください。 隣国の金大中大統領が北朝鮮に対して柔軟な対応
を取り続けてきましたが、その「太陽政策」によって、北朝鮮が「拉致」を認めると
いうことは一切無かったんじゃ有りませんか。 日本海に於ける不審船、日本人
拉致の話等々は、単なる挙動不審の船とか、誘拐事件の類と同一に考えるのは
間違っています。
話の本質は、北朝鮮という国家による、日本国家に対する「国家犯罪」であり、
それを当事者たる北朝鮮の最高指導者が、正式に認めたという事で有ります。
冒頭に、「戦後日本」に対して、大きな教訓を示していると申し上げたのが、この
点です。
戦後の日本で左翼とか左派といわれたり最近は市民派を自称しておられた人達
が云い続けておられた「反国家」とか「脱国家」とか言った話は、如何にいい加減
で、そして国民にとって危険かという事が今回の事件で証明されていると思われま
せんか?
北朝鮮が突如として拉致を認めるように成らざるを得なかった背景を考えてみて
下さい。
それはアメリカのブッシュ大統領による「悪の中枢国家」演説であったことは明ら
かでは有りませんか?イラン、イラク、北朝鮮をテロ国家と名指しし、その姿勢が
変更されないなら攻撃も辞さないと明言した事を思い出してください。この声明が
有ったからこそ、北朝鮮は態度を変えたんです。
この事実により、戦後日本で進歩文化人とかが認めようとしなかった「国際関係に
おける軍事力の有効性」を証明した点も、今回、是非認識しておかなければ成らない
事実です。
総じて戦後の日本人は「軍事力による外交は必要なく、経済力さえ有れば、国際
紛争も処理できる」と考えて来たところが有ると思われますが間違っています。
国家として国民の生命や財産を守る為には時と場合によっては軍事力によって相手
を抑止する事も重要な手段の一つで有る事が、今回立証されたと思います。
アメリカの軍事力を背景にした強い介入がなかったら、今回の日朝会談もお金を
取られるだけで終わっていた可能性は極めて大きかったと思います。
日本が、敗戦後の占領下から再び独立をし主権を取り戻して50年が経ちまし
た。そろそろ「戦後意識」から脱却しても良い時が来ているのではないかと、私は
考えているんです。日朝関係を考えると、どうも植民地支配をした国だからと言っ
た「贖罪意識」を持っている為か、北朝鮮の犯罪に対しては、見て見ぬふりをして
おこう…と言った風潮が戦後の日本人に根付いているのではないでしょうか。しか
し、今の北朝鮮の実情を垣間見る時、それ等の贖罪意識は、全く見当はずれで有
ると知っておくべきです。 少なくとも、日本統括時代に何百万を餓死させた事実は
無く、日本人はこの事にもっと、自信を持って良いと考えています。
http://www.aso-taro.jp/kamanosato/200302.html 太郎は考える(2003年2月号) 『日朝関係』