さて、「南京事件の便衣兵容疑者が文民条約の様な物」で保護されると言う主張は、文民
条約自体が事後法である為、1937年の時点で既に一般慣行と法的確信を持っていた根拠
を提示する義務が有る訳だが、今の所無いので唯の主観に過ぎない。
これを大前提において、ちょっと面白かったので1949年のジュネーブ条約の中でも特に第
四条約(文民条約)を元に考えてみたら、日本が「便衣兵に有利すぎる」として調印を拒否し
た1929年の「俘虜の待遇に関する条約」よりも更に「便衣兵に有利」となっているにもかか
わらず、ほとんど文民条約に則っている事が分るな。
自分は盛大にトリミングしておいて指摘されても悪びれ無いくせに、人にはトリミングなどと
言い掛かりを付けて来られるのも適わんので、一応文民条約の全文をおいておく。
http://www.jda.go.jp/j/library/treaty/geneva/geneva4.htm まず70条から、「占領前には例外を除いて裁判所を置く(司法活動を行う)意味が無い」事
が分り、言葉を変えると逆に「占領前に裁判所を置く必要を認めていない」と言える。
これは第六十六条〔裁判所〕及び関連第六十四条〔刑罰規定〕2項でも、必ず「占領地」と言
う制限が課せられている事を見ても正しい事が理解できる。
その例外が「戦争の法規及び慣例に違反した場合」であり、「占領前の実行も裁く事が出来
る」と言う事から、「国際法上の占領以前にも軍律審判を行っても良い」事が分る。
また第五条〔抵触行為〕を見ても、70条前半の適用外となる事が分る。
日本軍の規則である>714の「中支那方面軍軍律審判規則」の内、三条
>中支那方面軍司令官は前二項の規定に拘わらす特定の事件に付之を管轄すへき軍律会
>議を指定することを得
と言う項目から、>411で行われた便衣兵の抽出が例え文民条約に則ったとしても、「必要な
時期以前に可能となった時点で人道配慮から合法的に行われていた」事が分る。
今の所「軍律法廷を設置しなければならない時期」については「文民条約」ですら「占領地」
となってからで、それ以前でも良いと言う根拠は挙がっているが、定義された条約乃至は一
般慣行が提示できなければ、占領地となる「以前」で自主的に「可能と判断した時期」に設
置すれば良い事になるが、反論はあるかな?