>>268-269>>270-271>>272-273>>274-275>>276-277>>278-279 朝日社説:靖国参拝 負の遺産が残った
ttp://www.asahi.com/paper/editorial20051018.html 小泉首相はどんな気持ちで手を合わせたのだろう。信念は通したものの、自分に
課せられた重い役割にどれだけ思いをはせていたのか。
靖国神社に参拝する首相の姿を見ているうちに、そんな思いに包まれた。
中国や韓国の反発をはじめ、国際社会の厳しい視線。9月末に示されたばかりの
大阪高裁の違憲判断。割れる国内世論。すべてを押し切っての参拝だった。
首相は参拝後、記者団に「日中、日韓友好、アジア重視の姿勢は変わらない。よ
く説明していきたい」と語った。かねて「適切に判断する」と言い続けてきたが、
何をどう適切に判断したのか、意を尽くした説明はなかった。
首相なりに配慮はしたのだろう。礼服や紋付きはかまではなく、背広姿でさい銭
箱に歩み寄り、ポケットからお金を取り出して投げ入れた。本殿には上がらず、記
帳もしなかった。
「私的な参拝」を演出したのは、高裁の違憲判断を意識すると同時に、中韓の反
発を和らげる狙いがあったようだ。だが、これだけ行くか行かないかが国内外で注
目される事態になった以上、形式を変えたところで大きな違いはなかろう。
形式にこだわらないというなら、もう一歩進めて、日本外交の大きな視点から参
拝を見送るべきだった。
首相のたび重なる参拝の結果として、靖国神社の展示施設である遊就館に代表さ
れる歴史観は、海外にも紹介されるようになった。あの戦争を「自存自衛のための
戦い」とし、今もそうした過去を正当化している。
そんな歴史観を持ち、A級戦犯の分祀(ぶんし)を拒んでいる神社に、首相が反
対をものともせずに公然と参拝する。その映像はただちに世界に伝えられ、「歴史
を反省しない国」というイメージが再生産されていく。
首相は国を代表する存在だ。その行動が政治的な意味を持つ時、いくら私的と釈
明したところで通用しないだろう。
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まして国内では、司法の判断や世論が分かれている。戦没者をどう弔うかという
、国家にとって重要な課題で対立があるなら、一方の立場をとるのではなく、より
多くの人が納得できるあり方を模索するのが政治指導者の役割ではないか。
靖国問題は、とくに中国との間で互いに排外的なナショナリズムの連鎖を生んで
いる。その背景には成長一途の中国側の自信、バブル崩壊後の自信喪失から抜けら
れない日本側の焦燥感が微妙に絡み合っている。
もともと、経済的にも政治的にも大国となってきた中国との間で、利害や感情が
ぶつかるのは避けられないことだ。それを制御し、衝突を招かないよう信頼の関係
を築くのが両国の政治家に課せられた任務だ。
中国側にも、今春のような暴力ざたにならないよう冷静な対応を求めたい。対立
の悪循環は避けてもらいたい。
日中関係やアジア外交をどう立て直すのか、自民党の政治家はもっと声をあげて
語るべきだ。
さきに河野衆院議長や歴代首相が参拝自粛を求めたが、総選挙での大勝後、党内
が小泉流で一色になってしまうとすれば情けない。とりわけポスト小泉と目される
人たちの考えを聞きたい。
首相が参拝の方針を貫いたことで、日本は何を得たのだろうか。首相はあと1年
で退任するそうだが、後に大きな負の遺産が残されたのは間違いない。