1 :
日出づる処の名無し:
南京問題初心者の方。惑わされてはいけません。
前スレまでレス17000にいたるも下記の根拠は覆されませんでした。
大虐殺肯定派が嘘・誤魔化し・論点ずらしなどあらゆる卑劣な手段を使っているのが
わかるでしょう。
南京大虐殺はウソです。実在しません。
<根拠>
・骨も死体も銃も刀も書類も全く見つかっていない。
・というよりそもそも証言以外の証拠は無い。
・裁判で証拠として提出された写真はその全てが無関係または合成であることが発覚。
・そもそも裁判の時、南京大虐殺を「見た」と答えた人は2人しかいなかった。
・30万人殺されたとはいうが、そもそも南京には当時30万人もいなかった。
・30万人も殺したはずなのに、なぜか虐殺後の人口はむしろ虐殺前より増えている。
基本リンク
http://www.history.gr.jp/index1.html *ルール1:反論を大量スルーしておきながら質問を発してはいけません。
*ルール2:矛盾を指摘されたままの資料を再び根拠として使用してはいけません。
*ルール3:スレを読まずに論を主張してはいけません。
*以下、テンプレ
>>2-11ぐらい
前スレ
http://tmp5.2ch.net/test/read.cgi/asia/1126421471
2 :
日出づる処の名無し:2005/10/02(日) 07:24:24 ID:bqMoIoHT
【南京大虐殺が事実であるなら証拠の捏造は必要ない】Ver0.01
以下に記すのは伝聞などによる不確かな情報をのぞく、意図的な捏造がはっきりしているものです。
これが何を意味するのか、常識的な人間ならわかるでしょう。
東史郎
曽根一夫
田所耕三
秦賢介
中山重夫
船橋照吉
洞富雄
笠原十九司
本多勝一
中帰連
アイリス・チャン
ティンパーリ
崇善堂埋葬記録
中国の対日政治工作 70年代から本格化 CIA文書公開
影響力阻止狙う「策略」
【ワシントン=古森義久】中国が1970年ごろから日本のアジアでの影響力拡大を防ぐために、あえて日本の内政
に干渉し、日本の軍国主義や帝国主義の復活を宣伝するプロパガンダ(政治宣伝)工作を本格的に開始したことが
、このほど解禁された米国中央情報局(CIA)の秘密文書から21日、明らかとなった。
(産経新聞) - 10月22日2時48分更新
国民党国際宣伝処対敵宣伝課のスローガン
「宣伝は作戦に優先する」
郭沫若(抗日戦回想録)p191
*追加訂正よろしくおねがいします。
3 :
日出づる処の名無し:2005/10/02(日) 07:24:43 ID:bqMoIoHT
「東京裁判を受諾したから南京虐殺を国家が認めている」とは間違いであり、全く根拠の無いことです。
日本がサンフランシスコ講和条約11条により東京裁判ほか極東国際軍事裁判そのものを受諾したというのも嘘です。
サンフランシスコ講和条約の原文は英語であり、原文の意味することが正しい解釈になります。
(以下引用)
日本文で「裁判を受諾する」となっている箇所は、英文では accepts the judgments です。
英語の judgments は法律用語として使われる場合、日本語の「判決」の意味に用いられるのが普通であり、「裁判」を通常意味する
trial,proceedings とは区別されるべきことは、例えば権威ある法律辞典 Black´s Law Dictionary の説明からも明白です。
要するに、十一条の規定は、日本政府による「刑の執行の停止」を阻止することを狙ったものに過ぎず、それ以上の何ものでもなかったのです。
日本政府は十一条の故に講和成立後も、東京裁判の「判決」中の「判決理由」の部分に示されたいわゆる東京裁判史観(日本悪玉史観)
の正当性を認め続けるべき義務があるという一部の人々の主張には、まったく根拠がありません。(引用終わり)
「日本は東京裁判史観により拘束されない」
http://www.nipponkaigi.org/reidai01/Opinion3(J)/history/sato.htm
4 :
日出づる処の名無し:2005/10/02(日) 07:25:01 ID:bqMoIoHT
5 :
日出づる処の名無し:2005/10/02(日) 07:25:27 ID:bqMoIoHT
東史郎…一番有名な捏造者。原本が存在しない創作をバラまいた。中国じゃ未だに真実扱い
中山重夫…戦車段列から処刑を見たと吹聴していたが場所時間がコロコロ変わったのでうそがばれた
富永博道…当時は学生だったのに自分は南京戦に参加し虐殺したと証言。経歴照会であっさり嘘判明
舟橋照吉…東の懺悔屋成功に載せられて日記捏造。輜重兵の自分が1人で敵陣突撃し勇戦するというカッコつけかました仮想戦記な内容であっさり×
曾根一夫…野砲連隊の二等兵だったのに、歩兵で下士官だと経歴と日記を捏造。やっぱり経歴を調べられて嘘と判明。懺悔屋の代表格で、あの秦教授も騙された
田所耕三…強姦と虐殺を証言していたが、所属部隊が当該日時南京を離れていた事が判明。後に「普通の話だと記者が興味を示さないから…」と捏造を白状
太田壽男…死体大量埋葬を供述書に書く。が、梶谷日記(捏造物の数々と違って原本確認できる)により当時証言場所にいなかった事がバレる。撫順収容所での洗脳後に書いた捏造だった
富沢孝夫…海軍の暗号兵で、「南京発の松井軍司令官の虐殺を戒(いまし)める暗号を傍受・解読した」と証言(だから逆説的に虐殺があったという主張)。だが陸軍の暗号を海軍の知識しかない彼が解読するのは不可能で、おまけに証言日時には松井司令官は蘇州で入院していた
上羽武一郎…「上官の命令で強姦虐殺放火をした」と証言。しかし彼は「(後方で担架運びの)衛生兵」でしかもそんな命令が出たという史料は一切無し
このように偽証言・偽手記・偽もしくは改竄記録が出回っているので注意
これらは検証を受けるまでは堂々と真実として喧伝されていた
偽記録等の特徴
・原本が確認できない(あるいはあると主張するが実物を見せることはない)
・なぜか南京戦前後だけ詳細に記録している
・南京戦前後だけ異常に矛盾点や他の一次史料との乖離が多い
・記録者証言者本人の経歴が実際と違う
・「日本や日本軍は懺悔しろ」というが、自分が私財を投じて賠償するなどの行動は無く、むしろ出版や講演で金儲けをしている
6 :
日出づる処の名無し:2005/10/02(日) 07:25:48 ID:bqMoIoHT
【名言】5次資料
>>693氏抜粋
>先史研究では資料の要素が少ないがゆえの苦労がありますが、
>ここで話題の南京は70年程前のことですよ。
>文字資料の残存は豊富で、証拠と成り得るモノが消滅した割合も少ないでしょう。
>「証拠を示せ」と言われ、その証拠に疑問が提示されれば、堂々と反論なさればよい。
>根拠のない推論ではなく、他の資料との組み合わせで。
>できないならば、通常、自論に疑問が生じるはずです。
>
>自論の証明とは客観性を獲得することです。
>資料の解釈を1つの方向に揃えてしまえばいいわけではありません。
>読み取れる事実1つ1つの組み合わせから構成されるものが論ですから、
>論者のみに自明の論では、無意味というよりもはや滑稽、
>客観性を獲得する為には守らなければならない姿勢があるのです。
7 :
日出づる処の名無し:2005/10/02(日) 07:26:06 ID:bqMoIoHT
【名言】4次資料>>947氏
>疑問を取り除いたとは、自論に資料の解釈を近づけることですか?
>論は、資料の解釈から形成されるものです。逆なのです。
>根拠とする資料を提示しない姿勢を度々非難されています。
>また、提示した資料について矛盾などを指摘され、
>その矛盾点を解消しないままに再び根拠として提示するなど、
>意図的でなければ通常起こり得ない、恥ずべき論立てを行っています。
8 :
日出づる処の名無し:2005/10/02(日) 07:26:27 ID:bqMoIoHT
------------------------------------------------
このスレには「恵也 ◆1BgPjyxSE」という寄生・・もとい左翼がいます(現在逃亡中)が、基本的に彼のいう事はテキトーに聞き流しましょう。
なぜかというと、彼は自分に都合の悪いレスは全て無視し、自分の言いたいことだけを吠えているからです。
故に何度も論破されていますが、何事もなかったかのように妄言を繰り返し叫んでいます。
(そんな彼の行動は、過去ログをよく読んでいけばすぐにわかります。)
で、そのことに突っ込みをいれましたところ、このような返答が返ってきました。
>176 :恵也 ◆1BgPjyxSE. :2005/04/07(木) 02:35:59 (p)ID:k2TFnFAk(13)
>
>>171 >>都合の悪いレスは全てスルーし、自分の言い分だけを叫び続ける
>
>俺は美味しい餌しか食いつかん。
>俺の自由だろ!」
この発言からもわかるように、彼は南京うんぬん以前のレベルでイカれています。
そんな彼の穴だらけの発言に騙され「南京はあった」などど信じ込まないように、くれぐれも気をつけましょう。
---------------------------------------------------
9 :
日出づる処の名無し:2005/10/02(日) 07:26:57 ID:bqMoIoHT
以上、テンプレでした。
右翼・保守・極右・愛国者・国粋主義者・独裁主義者・復古主義者・歴史修正主義者・軍国主義者・民族主義者・武士気取り・国士気取り・通り魔予備軍・文学的変態・言論チンピラ・ネットチンピラたちに質問します。
【言論チンピラ妄言解毒対策レス#41】
南京大虐殺はなかったと主張する学者は実在しますか? もし実在するなら名前を挙げてください。
12 :
日出づる処の名無し:2005/10/02(日) 10:21:28 ID:n8q/Qw/j
ID:WzVDKOqfが荒らしている模様なんで
皆様気をつけてください。
あの手のタイプは誰も相手にしなければ
恐らく自作自演で埋めるぐらいは平気でやるでしょうから
13 :
日出づる処の名無し:2005/10/02(日) 17:08:17 ID:FDHUF7KT
14 :
日出づる処の名無し:2005/10/02(日) 21:13:06 ID:n8q/Qw/j
さて、あげておくか。
15 :
日出づる処の名無し:2005/10/02(日) 21:41:40 ID:n8q/Qw/j
14 日出づる処の名無し 2005/10/02(日) 21:37:53 ID:4r7NI49I
ふと思ったのだが、
百人斬りで処刑された兵士の方って、
いってみれば日本史上最初の報道被害の犠牲者だよね。
まさにその通り
16 :
日出づる処の名無し:2005/10/02(日) 22:23:49 ID:9gjBWZix
完全にテンプレミスしてるあっちに書く必要もない、か
17 :
日出づる処の名無し:2005/10/02(日) 22:46:37 ID:n8q/Qw/j
最近恵也見ないな
まあNGにしてるからいてもいなくてもいいのだが
田所耕三
タココロ・コーゾ萌
>>18 NG登録してるから判らないけど、
教師とか来てるんじゃないの?
後はケザワとか、グリコとか、自称京大生とか。
24 :
日出づる処の名無し:2005/10/03(月) 00:12:05 ID:q3jBWIpO
もう肯定派は議論を完全に放棄してるよね。
南京大虐殺なんて無かったんだから無理も無いけど。
25 :
日出づる処の名無し:2005/10/03(月) 00:16:39 ID:0pU3Esj1
もう人格攻撃というか、道徳を諭しているばっかやで最近
名無しで議論してる虐殺派いたけどだいたい中の人わかってた
オレも名無しでやってるからあえて暴露しなかったけど
なんか厭戦機運がw
>25
二言目どころか、挨拶代わりにレッテル張りだもんな。やっとれん。
>百人斬りで処刑された兵士の方って、
>いってみれば日本史上最初の報道被害の犠牲者だよね。
そう言えなくもないけど、そういう記事を書くこと自体は本人達も
了承していたわけだからね。
まさか自分たちが裁かれる立場になるとは思ってないだろうし、その
記事を証拠に死刑にするようなことがまかり通るとは夢にも考えなか
っただろうし。
(秦氏)4万
捕虜殺害(戦闘詳報等)を全て違法
民間被害(スマイス報告等)に関しては割引
(板倉氏)一万〜二万
戦闘詳報やスマイス報告等の資料から
不可抗力を考慮して割り引き
(畝本氏)三千〜六千
便衣化兵が居たから市民被害を数に含まず
日本側資料を、日本側証言を鵜呑みにして極力割り引き
(東中野氏)
敵の一般兵士にすら資格はない(ハーグ規定解釈)
30 :
対立の構図:2005/10/03(月) 02:31:58 ID:GNXzS+gs
デムパサヨ?(30万大虐殺 中共の主張を鵜呑み)
VS
中間〜右派の研究者、旧日本陸軍出身者団体(一定数の不法殺害 日本側公文書等の検証)
VS
一部否定派研究者(相手に捕虜資格無し 司令官逃走等による法解釈)
VS
アホウヨ?(行為自体の否定 戦闘詳報等に基づく研究者の検証を否定)
31 :
これがまとめ:2005/10/03(月) 02:32:46 ID:GNXzS+gs
中共の言う民間人30万無差別大虐殺は裏付け無し。
拘束兵や投降兵の殺害等の不法行為は、裏付け(日本側公文書等の比較検証)あり。
ハーグ規定解釈で、敵兵全ての権利を否定する研究者もいる。(司令官の逃走等)
便衣兵(ゲリラ)の定義・市民との区別が曖昧な処刑なども解釈が分かれる。
>>27 厭戦機運というか、まあ攻めてくれば潰しますよそりゃ。
結局、彼らは南京虐殺云々で謝罪しるとか騒ぎ立てる事によって、
汗水たらして働いている中卒とか、大卒でもいいけどそういう戦争とか国の歴史云々を
あまり知らないけどそんな事関係なく真面目に働いている人たちを騙し罵って、
金とったり、又は変な難癖つけて非難したりバカにしたり悪者にして、
結局謝罪している自分達だけが他の人たちよりも綺麗で頭よくて正しいと思い込み、
それを他の人に認めさせようとする事自体が目的なんだろうから、
まあ社会悪です。
でもこんなんに議論負けする声小さい人も世の中にはいるから、
潰せる奴は潰してあげないと。
バカサヨは、そんな知らない一般人相手ですら南京事件否定したら
なんか専門的っぽく聞こえる事をだらだら喋り捲るから。
あと証拠とはとてもいえない証拠をネタに「証拠はある」とかただ言い張るだけとか。
33 :
蟹学者:2005/10/03(月) 03:20:55 ID:VvA4N1b2
「南京大捏造事件」として世界に広めるべきガニ。
>>31 便衣兵の定義についての議論、というのは、便衣姿になって市民に紛れ込んだら
便衣兵だという解釈に対して、武器も捨てて敵意を捨てたら市民だ、という意見が
ある、ということですか?
しかし、法的には降伏せず、便衣姿になって市民に紛れ込むことが禁止されている
わけで、そういった行為をしたものが不法戦闘員であり便衣兵ですよね。
また、摘発された便衣兵はすべて処刑されたわけではないわけで、その判断は
武器の有無を基準にしたのかもしれない。
現に大量の武器が摘発されてますし。
敵意のあるなしは判断のしようがないですが、不従順な態度が見られた場合は
処刑されたかもしれない。
ともかく、摘発した多くの便衣兵を南京収容所に入れているわけで、12月の
末時点で一万人ほどが収容されています。
その半数を労務者として上海に送り、残りは南京政府軍に編入した。
それと、これも繰り返しになりますが、兵民選別の基準が曖昧だったとは言えな
いんじゃないでしょうか。
たしかに、戦後虐殺だ何だと言われて、市民も混じっていたのでは…と不安
になった人もいる。
しかしそれは想像に過ぎない。
実際には兵民どころか、将校か下士官かまで選別されていたわけで、その判断が
正しかったことは郭岐の回想でも裏付けられています。
また、連行される時(連行=処刑ではない)、あるいは選別作業の時に家族が
やって来て、市民であると証明されれば解放されており、そのことは中沢三夫参謀長
の「紛らわしいのは逃亡兵の方にいれる。それが逃亡兵でない時は、本人が言い張る
ばかりでなく、難民区から見に来ている男女中国人が、この男は何町の呉服屋の店員だ
とか、これは私の妹の子供だと泣きすがって哀願する婆さんが現れたりして、決着がつく
(「南京戦史」P387)」という証言でもわかる。
もし解放されずに身内を処刑された家族があれば、安全委員会を通じて抗議
を受けただろうし、戦後の聞き取り調査でも証言がとれるでしょう。
そもそも、市民ですら便衣兵だと判断するほど辛い判定をしていたとしたら
ほとんどの便衣兵や工作員が摘発を免れることはなかっただろうと思います。
これも繰り返しですが、たしかに市民が間違えられて犠牲になった可能性は否定
できない。
しかしそれは可能性、想像に過ぎないので、即断は避けるべきだと思います。
>>34 便衣兵の定義は解釈が分かれる面がある
A・私服で安全区に武器を隠し入れた一群
B・私服で武器を棄て市民の間に逃亡した者
Aは便衣兵として問題ないだろう
Bを便衣兵とするのは、異論もある
軍事板の質問スレでは、両軍から逃亡兵と見なされるらしい
武器を放棄しても、兵士の痕跡があれば処刑対象になった
軍服を脱いだ時点で、一般兵の捕虜資格は失うが
------------「便衣兵(ゲリラ兵)の国際法定義」--------------------
ゲリラ 『国際法辞典』(有斐閣)p81
a分散し、かつ移動性の高い軍事組織が軽火器を使用して奇襲・待ち伏せ等によって行う交戦行為(非正規戦)、
又は、bこれらの戦闘方法で戦う集団
便衣隊とは何ぞ 信夫淳平『戦時国際法講義2』p77
八二三 交戦者たるの資格をみとめざる常人にして自発的に、又は他の示唆を受け、
敵兵殺害又は敵物破壊の任に当る者を近時多くは便衣隊と称する。
>>36 いや、武器の有無とは関係なく、便衣姿になって市民に紛れること自体が
禁止されており、不法戦闘員となる、捕虜資格を失う、と法的にはなってる
ようですよ?
「ジュネーブ条約の主要な目的は戦闘員と非戦闘員を実に明瞭に
区別することによって無辜の非戦闘員を保護することであった。
そのため、この条約は兵士に自らを非戦闘員の人々と区別する制服
を着用するよう要求している。
タリバンは見分けのつく標示や表章やシンボルや軍服を着用しなかった。
それどころか、自らアフガニスタンの非戦闘員の人々と区別しようと
する努力からほど遠く、彼らは人々のいる地域やモスクに隠れて非戦闘員
の市民の中に紛れ込もうとしたのである」
「(戦闘員は)捕虜の資格と身分を認められるが、しかし軍服を脱ぎ捨て
た兵士は「不法戦闘員」となり、専門的には、「ジュネーブ条約の定める
如何なる権利も有しない」。
(ドナルド・ラムズフェルド)
71年12月のジュネーブ四条約に対する第一、第二追加議定書では
ゲリラには捕虜資格を与えなければならないとなりましたが、この時点に
おいても
ジュネーブ条約第一追加議定書については、「戦闘員は、一般文民
から自己を区別すべき義務を負い、特に正規軍については従来からの
制服着用の慣行がそのまま維持され(第七項)」
『国際人道法の再確認と発展』竹本正幸
とあり、「背信行為」として
「ジュネーブ条約第一追加議定書第三七条1の(c)にある「文民又
は非戦闘員の地位を装うこと」
となっています。
ゲリラはOKで便衣兵は駄目というなら、ゲリラが便衣姿で非戦闘員との
区別義務を破ればやはり不法戦闘員となるんでしょう。
つまり、正規兵であれ、民兵であれ、義勇兵であれ、ゲリラであれ
捕虜として認められるが、それは戦闘員としての義務を守ることが
前提になる、ということなんでしょう。
またニュルンベルク裁判では、ヒトラーの許可を得てカイテルが、着陸した連合軍
航空士、捕虜などを最後の一人まで殺せと命じたことを取り上げてるが、これ
についても「制服を着用していても」「また武装の如何、投降の意志の有無に
関わらず」こう命令したことを問題にしている。
* たとえば、1942年10月18日、ヒトラーの許可を得て、カイテルが出した
* 命令は、連合軍「コマンド」隊のすべての構成員について、「最後の一人まで
* 虐殺する」よう命じたものであった。
* 制服を着用していても、また武装の如何に関わらず、さらには、たとえ彼ら
* が降伏を企ててもこの命令にしたがえというのである。
* 「戦争犯罪とは何か」藤田久一
もし便衣兵であっても裁判を受ける権利があって、即殺すことが違法であると
いうなら、ここで制服の着用、武装の如何などを問題にする必要はないでしょう。
つまり、制服の着用や武装の如何など、条件を満たしていなければ殺しても合法と
なることも考えられるが、それらに関係なく無条件に皆殺せとしたから問題だ、と
いうことでしょう。
また、以下のように交戦者資格四条件は「満たす」ことが求められて
います。
武器を持っていなければ便衣姿で市民に紛れても問題ない、ということ
にならないのは明らかじゃないでしょうか。
「戦争の法規慣例に関する条約」第一条「交戦者の資格」
1,部下の為に責任を負う者その頭に在ること
2,遠方より認識し得べき固者の特殊徽章を有すること
3,公然兵器を携帯すること
4,その動作に付戦争の法規慣例を遵守すること
捕らえられた場合、捕虜としての待遇を受ける資格のあるのは
、こうした条件を満たしつつ交戦に従事していた戦闘員であり
、それ以外のものは、戦争犯罪人として、適法に処罰される
(多くの場合、死刑)「現代資料」筒井若水
だから軍服を脱いだら、通常の捕虜資格は無いと書いてますがね
武器を放棄した逃亡兵を
便衣兵(国際法定義で私服で破壊活動する存在)とイコールにして、
即殺する事の違法性を指摘する人もいるって事でしょう
>>41 いやだから、その便衣兵は引用した文章から考えて、制服を脱いで便衣姿に
なり市民に紛れる、つまり戦闘員としての義務を破ったものと定義されるんじゃ
ないですか?と。
そして、そういった戦闘員としての義務を破れば不法戦闘員となり、捕虜資格を
失うんだから、問題ないでしょう、と。
便衣兵とゲリラを同一視できないのは、ラムズフェルドの見解からも77年
にゲリラにも捕虜資格を与えなければならなくなった時ですら制服を脱いで
市民に紛れる行為が禁止され、それを破るものは交戦者資格を得られないと
なっていることから考えても、明らかに別の概念でしょう。
もしこれらが同一の概念なら、ラムズフェルドの、ジュネーブ条約で定める
一切の権利を有しない、という発言は嘘になる。
しかし彼が嘘を言っていないことは、(産経新聞によると)国際法の専門家
も彼の発言が正しいことを認めていることでも明らかでしょう。
そして、便衣兵に交戦者資格がないとされ、その処刑を明確に禁止され
ていない以上、「交戦法規で明確に禁止されていない一切の手段をもって」
それを破砕できるんだと思います。
第三ジュネーブ条約(捕虜条約)第三編六部第三章「刑罰及び懲戒罰」は
捕虜に対する裁判と刑罰などを定めているが、不法戦闘員は裁判を受ける権利
も含めて如何なる権利も有しない。
だからこそ、昔はスパイなども審問の後にすぐ処刑していた。
ところが、「陸戦法規慣例集規則」によって、またはジュネーブ条約追加議定
書の「基本的保証」の項でもスパイは裁判もなく処刑したり拷問をしたりして
はいけないことが明記された。
ゲリラにも捕虜の待遇を与えるなどを盛り込んだ第一、第二追加議定書が採択された。
レジスタンスやパルチザンも1949年のジュネーブ諸条約によって捕虜
資格を与えなければならなくなった。
しかし便衣兵(つまり便衣姿となって交戦者義務を破るもの)はこの時点
でも禁止されており、不法戦闘員と定義づけられている。
そうである以上、「交戦法規で明確に禁止されていない一切の手段をもって」
破砕することは問題とならないはず。
文章が変だったので修正。
便衣兵とゲリラを同一視できないのは、ラムズフェルドの見解からも考えても
77年にゲリラの捕虜資格を認めることになった時ですら制服を脱いで
市民に紛れる行為が禁止されていたこと、それを破るものには交戦者資格が
与えられないという原則が変わらなかったことからも明らかでしょう。
もしこれらが同一の概念なら、ラムズフェルドの、ジュネーブ条約で定める
一切の権利を有しない、という発言は嘘になる。
しかし彼が嘘を言っていないことは、(産経新聞によると)国際法の専門家
が彼の発言を追認していることからも明らか。
そして第三ジュネーブ条約(捕虜条約)第三編六部第三章「刑罰及び懲戒罰」は
捕虜に対する裁判と刑罰などを定めているが、不法戦闘員は裁判を受ける権利
も含めて、保護せよと明記されていない。
だからこそ、昔はスパイなども審問の後にすぐ処刑していた。
ところが、「陸戦法規慣例集規則」によって、またはジュネーブ条約追加議定
書の「基本的保証」の項によって、スパイに対して裁判もなく処刑、拷問を
行うことが禁止され、明記された。
ゲリラにも捕虜の待遇を与えるなどを盛り込んだ第一、第二追加議定書が採択された。
レジスタンスやパルチザンも1949年のジュネーブ諸条約によって捕虜
資格を与えなければならなくなった。
しかし便衣兵(つまり便衣姿となって交戦者義務を破るもの)についてはこの
時点においても禁止されており、保護対象として明記されていない。
であるなら、不法戦闘員として「交戦法規で明確に禁止されていない一切の
手段をもって」破砕することは問題とならないはず。
45 :
日出づる処の名無し:2005/10/03(月) 06:54:34 ID:aLOaPcB3
日本軍 虐殺の方針
http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/butaibetu/16D/sireibu.html#Nkesago 中島今朝吾日記
一、大体捕虜はせぬ方針なれば片端より之を片付くることとなしたるも千五千一万の群衆となれば之が武装を解除することすら出来ず唯彼等が全く戦意を失いゾロゾロついて来るから安全なるものの之が一旦騒擾せば始末に困るので
部隊をトラックにて増派して監視と誘導に任じ
十三日夕はトラックの大活動を要したり乍併戦勝直後のことなれば中々実行は敏速には出来ず 斯る処置は当初より予想だにせざりし処なれば参謀部は大多忙を極めたり
一、後に至りて知る処に拠りて佐々木部隊丈にて処理せしもの約一万五千、太平門に於ける守備の一中隊長が処理せしもの約一三〇〇其仙鶴門附近に集結したるもの約七八千人あり尚続々投降し来る
一、此七八千人、之を片付くるには相当大なる壕を要し中々見当らず一案としては百二百二分割したる後適当のカ処に誘きて処理する予定なり
>・・・誘きて処理する予定なり」
で、実際に処理したのはいつ?
>>45 >佐々木支隊の捕虜処刑について、確認できるのは約3100名
>(これには中島日記に記された太平門の1300も含まれている)。
>和平門での投降兵については詳細な資料がないので数は不明ながら、
>佐々木私記の記述を見る限りは
>捕虜の武装解除や殺害に手間取った形跡が見られないので、
>数千とは言っても実数かなり少なかったと考えられます。
http://nankinrein.hp.infoseek.co.jp/page003.html さて、「処理」という言葉は、どのような意味で使われたのかな?
処刑されたのは3100名、16300名とは数字が合いませんね。
これでは、「処刑」という意味には取れませんね、上のソースを見る限りでは
捕虜が何万も違法に処刑された!
根拠は日記に書いてあったからだ!
バカジャネーノw
>>45 日本軍において「処置」というのは、武装解除、取り調べの後に解放するか
処刑する、ということなんだけど、処置をするにしても数が多すぎて、もし
暴れ出したら手に負えなくなる。
だから増援して欲しい、という嘆きですね。
兵士が二人そう証言してますし。
「佐々木到一少将私記」によると、仙鶴門鎮で集成騎兵隊が第百五十九師の
二万人に襲撃されている。
それによるとこちら側に甚大な被害が出たらしく、この騎兵やその後方に
あった重砲からしきりに増援要請があったらしいが、そんな余裕はなかった、
ということだ。
「騎兵第三連隊史」によると第百五十九師を基幹とする二万人の敵兵が
無統制のまま「突撃ラッパを吹奏し雪崩をうって殺到」したといいます。
その結果、「彼我入り乱れての乱戦苦闘」になったと言いますし、12月12日
の24時に第一波が襲ってきてから、13日6時まで死闘が続いたそうだ。
その結果、騎兵第三連隊の犠牲は、上海以来「最高に達した」といいます。
ちなみに、佐々木到一は「和平門に至る。その後俘虜続々投降来たりし数千
に達す。激昂せる兵は上官の制止を肯かばこそ片はしより殺戮する。
多数戦友の流血と十日間の辛惨を顧みれば兵隊ならずとも「皆やってしまへ」
と云ひ度くなる」
と少将私記に書いている。
これを見れば「ほら虐殺じゃないか」と言うかもしれないが、重要なのは
この時捕虜を殺したのは、「投降兵は殺す方針だったから」ではなくて
、「兵が激昂していたから」だということ。
はぁ〜我ながら変な文章だ。
ちゃんと推敲してからカキコする癖をつけないとね…。
ちなみに 「兵士が二人そう証言してますし」というのは、参謀本部庶務課長
諫山春樹大佐と上海派遣軍参謀・大西一大尉のこと。
52 :
日出づる処の名無し:2005/10/03(月) 13:08:58 ID:0pU3Esj1
ID:aLOaPcB3のコピペ爆撃に一応警戒してください
日本軍の対中国戦における基本原則
陸軍歩兵学校が刊行した「対支那軍戦闘法ノ研究」の中の「捕虜の処置」という項目。
「教授範例」
「捕虜は他列国人に対する如く必ずしも之を後送監禁して、戦局を待つを要せず、特別の
場合の外之を現地又は他の地方に移し、釈放して可なり。」
その他--「交戦法規の適用に関する件」
「1,現下の情勢において帝国は対支全面戦争を為しあらざるを以て、「陸戦法規の法規慣例
に関する条約その他交戦法規に関する諸条約」の具体的事項を悉く適用して行動することは
適当ならず」
「4、軍の本件に関する行動の準拠、前述の如しといえども、帝国が常に(略)戦闘に
伴う惨害を極力減殺せんことを顧念しあるものなるが故に、これらの目的にそう如く、
前述「陸戦の法規慣例に関する条約其の他交戦法規に関する諸条約」中、害敵手段の選用
等に関し之が規定を努めて尊重すべく(中略)帝国変化の国策は努めて日支全面
戦争に陥るを避けんとするに在るを以て、日支全面戦を相手側に先んじて決心せりと見ら
るるが如き言動(例えば戦利品、俘虜等の名称の使用、或いは軍自ら交戦法規をそのまま
適用せりと公称し、其の他必要やむを得ざるに非ざるに、諸外国の神経を刺激せるが如き
行動)は努めて之を避け」
*「害敵手段の選用」とは何か。
それは、「陸戦の法規慣例に関する規則」第二款第一章「害敵手段、攻囲及び砲弾」
の第二十三条「禁止事項」のこと。
つまり日本軍の方針は、全面戦争に陥ることを回避するため、現実に交戦法規を適用
するにせよ、現実に捕虜が存在するにせよ、その種の言葉を公の場で使うな、という訓令だ。
55 :
日出づる処の名無し:2005/10/03(月) 13:31:54 ID:XM8o+BFu
佐々木少将は支那通ということで知られていたが、誇張癖まで
感染したと評判だったからな。日本軍の戦果の誇張をうのみにしても
しかたないですね。不思議なことに中支那派遣軍がまとめて公刊した
記録をみると佐々木少将の大奮戦が全くのっていないです。
南京で獲得された中国軍の小銃の数は1万丁以下
だった。そして山田支隊が鹵獲した数が6000-7000だった。
つまり山田支隊以外の鹵獲した数は3000-4000。
1人の兵士に1丁の小銃でしょう。
捕虜となった兵士がもっていた小銃もこれに当然、含まれているでしょうが、全部そうではない。
捕虜にした数はもっと少ない。南京には捕虜収容所(ラーベの日記には病院
となっているもの)もあったが、ここにもかなりの数がいた。1000人以上ですね。
南京に最終的に踏みとどまっていた中国軍の実数は2万でしょう。
脱出に成功した人もかなりいた。日本軍が完全には包囲できないわけだから、
ばらばらになり間をぬければ簡単に逃げることができます。
日本軍の部隊のなかには捕虜をとらず報復をおこなった部隊があるのは
確かでしょうが、その数はいわれているよりも遙かに少ないでしょう。
このなかで山田支隊の「虐殺」といわれているものは、解放事故だった可能性が
極めて高い。いやそう断定してもいい。これには何度も書いているので
省略します。南京事件は「捕虜虐殺事件」だったわけですが、この規模は
いわれているよりもはるかに小さい。そして市民の組織的無差別大虐殺については
事実無根です。もっともイラクでアメリカがしでかした程度のことは
当然、しているのですが。
付け加えさせてもらうと、「処断」と言う言葉も死刑のみを示す言葉ではないですね。
陸軍刑法にも明記されています。
たとえば、
第25条
党ヲ結ヒ兵器ヲ執リ反乱ヲ為シタル者ハ左ノ区別ニ従テ処断ス
1 首魁ハ死刑ニ処ス
2 謀議ニ参与シ又ハ群衆ノ指揮ヲ為シタル者ハ死刑、無期又ハ5年以上ノ懲役又ハ禁
錮ニ処シ其ノ他諸般ノ職務ニ従事シタル者ハ3年以上ノ有期ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス
3 附和随行シタル者ハ5年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス
58 :
日出づる処の名無し:2005/10/03(月) 22:22:24 ID:q3jBWIpO
age
59 :
日出づる処の名無し:2005/10/03(月) 22:38:54 ID:q3jBWIpO
>また、虐殺がなかったという状況証拠に反論するだけの研究者もいます。
なるほどね
61 :
日出づる処の名無し:2005/10/03(月) 23:10:11 ID:q3jBWIpO
>>60 あんなのを相手にしていてよく脱力しないね。
ID:aLOaPcB3の戦略目標は「スレの存続」。
罠にはまってると思うよ。
鯛靴なもんで つい・・・
63 :
日出づる処の名無し:2005/10/03(月) 23:24:39 ID:q3jBWIpO
俺も退屈。
このスレに挑むすべての肯定派は撃破されたから
怖気づいて誰もかかってこれない状況だね。
つーか、小虐殺派と無かった派の違いが、微妙な法解釈の違いでしかないから、つまらないんだろ
両者が重箱を箸でつつく法議論をするだけ
65 :
日出づる処の名無し:2005/10/04(火) 01:55:32 ID:vpnfyyAu
>>62 やるならここにレスをコピペして反論しなさい。
ああいう荒らしは一回こっぴどくやられないとわからないんですよ
66 :
日出づる処の名無し:2005/10/04(火) 02:02:19 ID:jzD+hhik
67 :
日出づる処の名無し:2005/10/04(火) 02:03:50 ID:x63zlKvs
一般市民を含めて30万人、無差別かつ組織的に殺したのでなければ
「南京大虐殺」ではない。
これに異存がなければ小虐殺とか法解釈とかはさして重要な問題ではなく
取り上げるべきは嘘を宣伝している支那の目的である。
68 :
日出づる処の名無し:2005/10/04(火) 02:06:07 ID:x63zlKvs
>>66 どこをどう読んでも「南京大虐殺を日本政府が認める」とは書いていませんが。
日本政府が認めたから虐殺はあったんだ!と主張するのなら
「日中間の戦争問題は解決済み」とする政府の立場も尊重しないとな
政治的都合によらない証拠部分だけを検討すれば、無かったとしか言いようがないが
70 :
日出づる処の名無し:2005/10/04(火) 03:22:17 ID:FPfJXOO6
死体が無い虐殺も珍しいよな。
東京ドーム山盛り分の死体をどうやって全て隠したのか不思議で・・・
>>70 埋葬を請け負う地元の団体がいたよ
30万人ではないが
とにかく、何も調べてない奴が不思議がるな
>>69 証拠部分だけ見れば、ある程度の不法殺害ありだろ
戦時国際法に詳しくなれば、解釈次第で不法性を否定できる
>>71 埋葬したからって、骨まで消滅するわけじゃありませんよ。
74 :
日出づる処の名無し:2005/10/04(火) 04:51:23 ID:vpnfyyAu
>>71 あんま偉ぶってふざけた内容の話を話さないようにね
>>74 はぁ?
埋葬を請け負う団体がいた事も知らんのか?
76 :
ドラーもん:2005/10/04(火) 05:22:39 ID:BLmBzUDR
僕が埋葬を請け負いました。
ソーラ・レイで埋葬しました。
だから骨は残りません。
道具使ったんで臭いもありません。
でも30万人虐殺はありました。
30万人も人いなかったけど、
どこでもドアで呼び付けて日本軍が虐殺しました。
ジャイアンの歌で30万人も虐殺しました。
その後、道具使って人呼びました。
だから人口は減ってません。
道具使ったんで目撃者もいません。
77 :
日出づる処の名無し:2005/10/04(火) 05:28:28 ID:+RMf+0E7
やっぱりか
俺もそうじゃないかとは思ったんだ
埋葬した団体曰く死体は成人男性の死体が20万。
はい虐殺は事実〜
憂国厨は糞
とりあえず、『崇善堂』が埋葬した事実は無かったことは間違いなし。
で、紅卍字会4万3071も水増しした数字。
この程度のことも知らんとは・・・・・
80 :
日出づる処の名無し:2005/10/04(火) 05:49:39 ID:x63zlKvs
>>78 >埋葬した団体曰く死体は成人男性の死体が20万。
お前…な〜んも知らないんだなw
20万の内訳は?
つか、ソース貼れよカスw
>>71 どの団体がどのくらいの期間埋葬作業を行って、一日どれくらいの数
埋葬したかを調べれば、いかに何十万の埋葬というのがナンセンスか
わかります。
>>72 それはこれまでに明らかになっているように不可能です。
>>78 ウケ狙いかもしれないけどマジレス。
崇善堂の埋葬記録は中国側が捏造したものだととっくにバレてます。
>>81 だから30万は無いと言ってるだろ
不法性を否定する事が不可能?
埋葬を請け負ったのは紅卍字会
崇善堂の存在は日本・外国人双方とも記録無し
南京戦史(偕行社に依る調査)
通常の戦闘・・・30000
捕虜・便衣兵に対する撃滅処断・・・16000
一般市民の死者・・・15760
6万2千人弱が紅卍字会、日本軍部隊を含むその他の手によって葬られたらしい
84 :
ドラーもん:2005/10/04(火) 06:05:09 ID:BLmBzUDR
僕が埋葬したからソースは無いんだよ。
だから中国はわざわざ史料を捏造しなければならなかったんだ。
虐殺を事実と認めさせるために。
虐殺は事実だよ?
ジャイアソが歌ったら皆死んじゃったんだ。
30万人も虐殺するのは無理って思うかもしれないけど、
ジャイアソの歌と
僕、ドラーもんの秘密道具を使えば簡単なんだ。
>>82 あ、違法性を否定することが可能、ということですか。
勘違いしました。申し訳ない。
1977年のジュネーブ条約追加議定書では、ゲリラ(この場合のゲリラとは、反政府
ゲリラを想定しているそうだ)の捕虜資格が認められた。
と同時に、市民との区別義務を破った者に捕虜資格が与えられない点は従来通り
なので、ゲリラであってもそれが便衣姿になって市民に紛れればその資格を失うことに
なるんだろう、と考えていましたし、前にもそう書きました。
が、それは間違いのようです。
ゲリラは、武器を見えるように携帯していれば、制服を着ていなくても
捕虜資格を与えなければならない、ということになったらしいんです。
でも、やはり正規兵が便衣姿になって隠れれば、捕虜資格を失うというのは
変わらない。
これはかなり、おかしな話ですよね。
ゲリラは便衣姿になっても捕虜資格を失わないが、正規兵は失う。
これでは非戦闘員を巻き込まないため、という本来の目的が無意味になる。
それはともかく、正規兵の便衣化が禁止されており、捕虜資格を失うという
なら、ラムズフェルドの言ったことは正しい、ということになる。
彼は、タリバン兵に対する拷問を、制服を脱いで市民に紛れ込んだ彼等に捕虜資格
はないという理由で正当化したわけだから。
ところがです。この追加議定書では、市民との区別義務違反を行った兵士に捕虜
資格はないが、捕虜と同等の待遇を与えなければならない、ということが決まった。
(参考文献「違法の戦争 合法の戦争」筒井若水P160~161)
とすると、ラムズフェルドはタリバン兵に捕虜資格がないことを理由に拷問
を正当化しましたが、捕虜と同等の待遇を与えなければならないという規則
を破っていることになる。
しかしラムズフェルドの発言は国際法の専門家が追認しているわけで、ここら
へんは専門家の間でも解釈が分かれているのかもしれないですね。
「同等の待遇」というのも曖昧ですし。
……と、ここまで書いた後に、アメリカが追加議定書を批准していないことが判明。
批准してなくても、慣習法で…、という議論もできるけど、きりがないですね。
ところで、追加議定書でゲリラが便衣になっても捕虜資格が認められ、正規兵
はこれまで通り便衣になれば捕虜資格を失う。
かと思えば、捕虜と同等の待遇を与えなければならないという。
何でこんなわけのわからない、ややこしい話になっているのか。
先にあげた筒井若水の著書によると、こういうことなんだそうです。
「同じ条項に「守る義務」と「逸脱する権利」を並べて書いてある条文を矛盾なく
解釈することは、会議の参加者でも無理であるとしている(竹本正幸「国際人道法
の再確認と発展」)。
この混乱は、ここで作られた議定書が、「解放闘争法」立法の好機として活用しよう
とした新興国と、伝統的法理に依拠する先進国との妥協の産物であるとすることに
よって、はじめて納得がゆくものである」
1985年の産経新聞(八月十日付)には、新たに発見された
「中華民国二十七年度南京市政概況」
「南京市政府 行政統計報告 民国二十四年度」
「南京(南京日本商工会議書編)」
によって、崇善堂が埋葬作業に携わっていなかったことが明らかになったと
あります。
90 :
日出づる処の名無し:2005/10/04(火) 08:41:21 ID:x63zlKvs
>>83 日支どちらによる被害者か不明なため虐殺があったとはいえませんな。
>>90 iいいわけwwwwwwwwwwwwwww
否定派必死wwwwwwwwwwwwwwww
92 :
日出づる処の名無し:2005/10/04(火) 10:43:38 ID:x63zlKvs
>>91 やれやれw
いったい何度同じことをやらせるんだね。
戦闘による死者 → 虐殺ではないので当然問題にならない。
便衣兵 → 国際法違反 処刑問題なし
捕虜 → 再三にわたる便衣戦術への復仇により問題なし
一般市民 → 誰が殺したのか不明。ソースなし
結論:南京大虐殺はデマだった。
つーかさ、全部足しても30万人にならないんだけど
さ、反論してもらおうかID:vDjWkN/N くんw
無理だろうがw
支那人のモラル程度からすれば、守るべきはずの市民を殺してその罪を日本軍に着せようとするのも当然ありうるんだな。
目的は戦略的な物から、支那兵の個人的欲望まで様々だろう。
日本軍の軍規はそれほど甘くはない。
死体から金目のものを盗んでいた朝鮮系軍属への折檻の話とかは、よく聞く話だ。
94 :
日出づる処の名無し:2005/10/04(火) 13:05:46 ID:vpnfyyAu
あげとくお
95 :
日出づる処の名無し:2005/10/04(火) 18:08:38 ID:x63zlKvs
迎撃20万回成功記念age
96 :
日出づる処の名無し:2005/10/04(火) 18:09:27 ID:uohCX/EV
>>91 意味不明。
思うんだけど、スマイスは戦闘以外の暴行で死んだ市民が2400人と言ってますよね。
日本の統計学者がこの2400人の中にだけ、独身者・単身者の異常に高い比率
が現れることから、便衣兵ではないかと言ってますね。
どちらにしても、これは日本軍、中国軍、どちらの犠牲者かわからないし。
ベイツは一万数千の民間人が殺されたことが埋葬記録から分かる、と言ってる
けど、これだってなぜそれが民間人だと断言できるのか、説明はされてない。
死者がいましたと。調べたら南京の市民だったと。家族も南京にいて、確認がと
れた。だからこれは民間人なんだ、と結論づけているんだとしたら、問題ではない
でしょうか。
ここの否定派と軍事板の認識すら、かなりずれてる
私服逃走兵は、両軍から逃走兵扱いだそうだし
捕虜資格がないから即殺して良い訳でもないらしい
南京事件の意見統一なんて、国内でさえ気の遠くなる話だ
こういう意見もある。
崇善堂の報告する数字には、すべて男子・女子・子供の遺体が適当な減少率を
以て提示される。
しかし紅卍字会の報告には女子・子供の遺体が皆無である(正しくは、極端に少ない、
と言うべき)。
戦場に女子と子供が介在するのは極めて不自然で、崇善堂の報告する数字は、後年
のためにする作為である。
「「南京事件」の探求」北村稔
崇善堂の記録が捏造であることを考えれば、紅卍字会の記録と比較して
極端に女子や子供の数が多いのは当然と言えます。
>>98 捕虜資格を得るには、四条件を「満たした」上で、「交戦に従事している」必要
があるわけですよね?
>>98 でも、私と軍事板の人の認識すら合致しないんだから、違い国同士で歴史認識
が一致するはずもない、かなり難しい、というのは私もそう思います。
昨日の
「批准してなくても、慣習法で…、という議論もできるけど、きりがないですね」
の続きをカキコさせてもらいます。
たしかに追加議定書では、便衣兵のような不法戦闘員にも、捕虜に与えるのと
同等の待遇を保証しなければならないとされてます。
しかしアメリカはこれを批准していない。
そこで、批准していなくても慣習法で拘束される、という意見もあるでしょうが
便衣兵に捕虜資格と同等の権利を与えるとする追加議定書は、条約にも慣行にも
なっていない。
それまでに慣習化されていたわけでもない。
だからラムズフェルドの言っていることは矛盾していないし、それを追認した
専門家も間違ってはいないんだと言える。
日本はジュネーブ条約を批准していなかった。
アメリカとアフガンの戦争の時点で慣習化していないのに、南京占領の時点で
便衣兵の保護が慣習化しているわけもない。
これは当たり前の話で、便衣兵の保護が慣習となっているどころか、捕虜資格
を失うとはっきり書かれている。
だったら、日本の行った便衣兵の処刑は何の問題もないじゃないか、と。
これは、非戦闘員との区別義務を怠った兵士を、武器がなくても処刑したと仮定
しての話ですけど。
実際に、武器の有無に関わらず、便衣姿だからという理由だけで処刑したかどうか
はわかりません。
処刑された者とされずに収容所に行ったものとがいるわけですから、何らかの区別
基準があったんでしょう。
それは武器の有無だったのかもしれない。
104 :
日出づる処の名無し:2005/10/05(水) 02:01:48 ID:3QeTE75O
>>103 便衣兵の摘発は南京戦史387ページに
「中国人の言葉には地方訛りがある。南京を守備した中国軍は、広東、広西、湖南の
兵隊で南方訛りであって、言葉で兵隊と市民の区別は難しかった。
しかし、体つきを見れば兵隊と一般市民とは、直ぐ区別がつく。
自治委員会の中国人と一緒に相談しながら分離作業をやったので、一般市民を
狩り立てることはなかった。
上着だけが民間服で、下着が兵隊服のものが多く、すぐ見分けがついた。」
という話もありますよ。
105 :
日出づる処の名無し:2005/10/05(水) 02:14:34 ID:y7v15Hak
相変わらずこのスレは面白い。
>>104 そうですね。
そうやって兵士と市民を選別していた。
で、その後処刑された兵士もいたし、収容所送りになった兵士もいるわけですけど
、その区別基準はなんだったんだろうか、と。
それが武器の有無だったんじゃないかな、と、思ったんです。
関連するということで、パル判事の意見と佐藤和男氏の意見を引用させて
もらいます。
したがって本官は、日本はジュネーブ条約の署名国であり、かつまたジュネーブ
条約は、第九十二条の意味の範囲内においてもまた効力を有するから、日本の
無批准によって日本の利益のためには効力をもたなかったけれども、日本を拘束
するものであるというこの検察側の主張を是認することはできない。
本官の意見では、本条約はその形のままにおいては、日本に対して有利にも、
また不利にも、いずれも効力を有するにいたらなかった。
検察側は、つぎに本条約は戦争に関する新たな法規、あるいは規定を定めたもの
ではなく、たんにすでに認められたところの戦争法規を制定したに過ぎないと
主張している。
本官は、この見解を認めるには困難を感ずるのである。
第九十一条ないし第九十六条は、この主張に反するものである。
第九十六条は、個々の締約国のために本条約を破棄する権利を留保しているのである。
締約国は条約の内容に関して協定しているのであるということおよびそれによって
条約の取り扱っている事項に関して、相互間に新たな法的関係を作っているので
あると了解していたようである。
(略)
検察側はハーグ条約は、日本によって批准されたと正しく主張している。
しかし同条約はその第二条において「規則……ノ規定ハ交戦国ガコトゴトク本条約
ノ当事者ナルトキニカギリ締約国間ニノミコレヲ適用ス」という規定がふくまれている。
イタリア、ブルガリアのいずれも1907年の条約を批准していない。
したがって本官の意見では、1907年のハーグ条約の規定も、1929年のジュネーブ
条約のそれも本件に適用するものでない。
「共同研究 パル判決書(下)」東京裁判研究会
兵民分離が厳正に行われた末に、変装した支那兵と確認されれば、死刑に処せられ
ることもやむを得ない。
多人数が軍律審判の実施を不可能とし(軍事的必要)--軍事史研究家の原剛氏は、多数
の便衣兵の集団を審判することは「現実として能力的に不可能であった」と認めている
--、また市街地における一般住民の眼前での処刑も避ける必要があり、他所での執行が
求められる。
したがって、間題にされている潜伏敗残兵の摘発・処刑は、違法な虐殺行為でばない
と考えられる。
佐藤和男著(法学博士)
109 :
日出づる処の名無し:2005/10/05(水) 07:57:09 ID:3QeTE75O
「南京戦-閉ざされた記憶を尋ねて」について
この『南京戦、閉ざされた記憶を尋ねて』は戦後の証言を集めた資料集という位置づけですが、登場者が全員仮名
であり、インタビュー形式で行われたにも関わらず、証言者の言葉だけが延々と記載されているという摩訶不思議
な構成となっています。
つまり編集が入っていることは確実ですので学術的な資料集としては使うには不適当ということができます。
『南京事件』偽史料列伝(6)
http://www.geocities.jp/nankin1937jp/page049.html さらにこの本はですよ、ブフッ
11歳の日本兵が南京でレイプしたと書かれてるんです!!!!!
2002年8月15日放送のテレビ朝日
『ニュースステーション』の特集『南京戦元兵士102人の証言』において
南京戦で戦闘と虐殺を繰り広げたと自称している元兵士の方達の証言が放映され
その中に元兵士と自称する第16師団歩兵第33連隊第一大隊 鬼頭久二
(仮名)76歳 の証言がありました。またその際に鬼頭氏も執筆している
『南京戦』という本の文章が出て、その本のプロフィールにも『○○26年
8月生まれ』と書いてありましたので、鬼頭氏が1926年生まれの76歳
であることは間違い有りません。鬼頭氏は『徴発(略奪行為)をした』『兵士
の目的は女(強姦する為)である』と証言していました。しかし、南京戦が
行われたのは『1937年』、鬼頭氏が現在76歳であるとすると、南京戦
当時の年齢は『11歳』となります。当時11歳、少年とも言える年齢の鬼頭
氏が南京に兵士として参戦したと言う事。まして『略奪』『強姦』をしていた
とする根拠はかなり疑わしいものがあります。
年齢と生まれた年があってるんですからミスプリントじゃありませんねw
スゴイですねーw
110 :
日出づる処の名無し:2005/10/05(水) 08:02:45 ID:nFRDVoBO
111 :
日出づる処の名無し:2005/10/05(水) 08:42:13 ID:NtUJYQbV
>>109 こんなのもあります。
歩兵第33連隊第5中隊の第1小隊長だった市川治平さんは、歩兵33連隊の生き字引
とも言われ、野田連隊長をも、天野中隊長をも知っていて、戦後になって書かれた
「歩兵第33連隊史」の刊行では中心的な役割を果たした。
その市川さんが、この本をこう語る。
「本当にばかばかしい本です。私のところに聞き取りには来ませんでしたが、元気なり
2人の戦友に尋ねたら、2人にも来なかったと言っています。まともな話をする人には行かないようです。
確かに予備役には悪い事をする人もいましたが、この本をざっと読んだところ、強姦など
の話は、創作8割、本当2割でしょう」
113 :
日出づる処の名無し:2005/10/05(水) 09:25:32 ID:3QeTE75O
>>111 そいつらはその痰壷みたいな掲示板から出てこないでしょう。
どうも言い負かされるのがわかっているようですw
115 :
日出づる処の名無し:2005/10/05(水) 10:34:01 ID:7ZDivWKF
116 :
日出づる処の名無し:2005/10/05(水) 10:37:01 ID:ik0tYQ64
もはや北朝鮮の報道だな
・何故、かってピンポイントな歴史教科書論難や靖国神社論難が次々に
起こり、日本の敬忽な政府閣僚たちが周章狼狽させられてきたか?
「ここを攻めたら有効ですよ。内応して騒ぎにして見せます」と、シナ
政府のプロパガンダ部局に定期的に建策していた、日本国内の謀略立案
者が居たからに他ならない。
・日本とシナの間の宣伝戦は、戦前のみならず今なお、米国内で勝負が
決まる。この構図は予測し得る将来、変わらない。米国人民がシナの
宣伝を丸呑みしたら、その日をもって日本は負けなのだ。
・日本語で書かれた良い資料が、いかほど日本国内に山積みになって
いようとも、米国人にとっては情報価値はゼロだ。一千億円を、和文英訳
家の雇用に充てるしかない。
118 :
日出づる処の名無し:2005/10/05(水) 19:21:13 ID:3QeTE75O
どんな目的があろうと南京大虐殺は支那の宣伝でありデマ。
「悪いことした」などと思っている人は洗脳から覚めましょう。
119 :
日出づる処の名無し:2005/10/05(水) 19:36:38 ID:A8Vpp+al
パール判決書
「弁護側は、南京において残虐行為が行われたとの事実を否定しなかった。
彼らは単に誇張されていることを訴えているのであり、かつ退却中の中国兵が、
相当数残虐を犯した事を暗示したのである。」
パル判決書
「日本軍の(略)残虐はほとんど3週間にわたって惨烈なものであり、
合計6週間にわたって、続いて深刻であったことは疑いない。
事態に顕著な改善が見えたのは、ようやく2月6日あるいは7日過ぎてからである。」
東京裁判 オランダのレーリング判事
裁判終了後に「東京裁判には法的手続きの不備と南京大虐殺のような
事実誤認があったが、裁判中は箝口令がひかれていて言えなかった」
と発言。また、「私たちは国際法を擁護するために裁判をしていたはずなのに、
連合国が国際法を徹底的に踏み躙ったことを、毎日見せ付けられていたから
それは酷いものだった。もちろん、勝者が敗者を裁くことは不可能だった。
まさに復讐劇だった」と述べた。
121 :
日出づる処の名無し:2005/10/05(水) 20:01:14 ID:3QeTE75O
↑「東京裁判には法的手続きの不備と南京大虐殺のような
事実誤認があったが、裁判中は箝口令がひかれていて言えなかった」
122 :
日出づる処の名無し:2005/10/05(水) 20:39:18 ID:eksYFyjf
●大東亜戦争●
サヨ・・・特筆すべき悪の国、日本の侵略戦争
ウヨ・・・正義の解放戦争
一般・・・国益を計り行動した結果の軋轢
●南京大虐殺●
サヨ・・・民間人30万大虐殺
ウヨ・・・虐殺行為は存在せず
一般・・・日本側の公文書からも、一定数の不法殺害行為は認められる
123 :
日出づる処の名無し:2005/10/05(水) 22:13:16 ID:3QeTE75O
>一般・・・日本側の公文書からも、一定数の不法殺害行為は認められる
お前一人が勝手に妄想しても意味ないんですけど…
根拠出してね。このスレで論破されてないやつw
>>123 このスレにいて、偕行社も知らないアホか?
一定数の不法殺害「行為」があった事は旧軍人団体も認めてるだろ
法解釈で、相手の権利を否定する立場があるという話
125 :
日出づる処の名無し:2005/10/05(水) 22:28:41 ID:ik0tYQ64
>>124 アホかといわれてもここまでアホをつづけられるとねえ
>>125 偕行社をもアホに入れるなら、「南京戦史」以上の本を出版しろよ
ここの住人は
127 :
日出づる処の名無し:2005/10/05(水) 22:33:40 ID:3QeTE75O
>>124 お前はこのスレにいて、偕行社の文献が「公文書」に当たるかどうかも
わからないサルか?
こうぶんしょ 5 3 【公文書】
公の機関または公務員がその職務上作成した文書。
ヴァカは視ね
>>127 さっさと「南京戦史」以上の本を執筆して
不法殺害行為を認めてる偕行社を堂々と馬鹿にしてこいw
事件否定論が微妙な法解釈の上に成り立ってる事も知らないアホw
129 :
日出づる処の名無し:2005/10/05(水) 22:39:22 ID:3QeTE75O
>>128 はやく、「公文書」の証拠をだしてよぉ〜w
>>129 防衛庁の図書館にあるだろ
戦後かなり紛失したらしいがな
131 :
日出づる処の名無し:2005/10/05(水) 22:42:04 ID:3QeTE75O
>>130 >防衛庁の図書館にあるだろ
「だろ」?
>>123といってることが違うだろうがw
このヘタレw
132 :
日出づる処の名無し:2005/10/05(水) 22:42:56 ID:3QeTE75O
134 :
日出づる処の名無し:2005/10/05(水) 22:43:38 ID:3QeTE75O
戦闘詳報や陣中日誌等の公文書を
個人の日誌や証言と共に比較検証して
矛盾点を洗い出した末に
「不法殺害あり」
と結論を出しているのだがな
板倉氏や畝本氏などの否定派研究者でも
中共の言う30万大虐殺とは別だが
136 :
日出づる処の名無し:2005/10/05(水) 22:50:04 ID:3QeTE75O
>>135 >「不法殺害あり」
お前はこれを南京大虐殺と呼ぶつもりか?
137 :
日出づる処の名無し:2005/10/05(水) 22:51:20 ID:00xHUQ70
戦闘詳報を見たことがないらしいな>ID:3QeTE75O
第16師団 歩兵第30旅団
歩兵第33連隊戦闘詳報 第三号附表
自昭和十二年十二月十日
至昭和十二年十二月十四日
[俘虜] 将校14、准士官・下士官兵3、082、馬匹52
[備考]
1、俘虜は処断す
2、兵器は集積せしも運搬し得す
3、敵の遺棄死体
一二月 十日 二二〇
一二月十一日 三七〇
一二月十二日 七四〇
一二月十三日 五、五〇〇
以上四日計 六、八三〇
(南京戦史編集委員会編『南京戦史資料集1』偕行社P499)
>>136 最後の一文も読めない?
まともな人なら、「3QeTE75O」が、
基本的な知識もなく、妄想している事が分かる。
↓これだけで。相手にする価値もない。
-------------------------------
>123 名前:日出づる処の名無し[] 投稿日:2005/10/05(水) 22:13:16 ID:3QeTE75O
>>一般・・・日本側の公文書からも、一定数の不法殺害行為は認められる
>お前一人が勝手に妄想しても意味ないんですけど…
139 :
日出づる処の名無し:2005/10/05(水) 22:54:00 ID:3QeTE75O
だから訊いてんだろうがw
偕行社の文献は「公文書」ですかぁ〜?
140 :
日出づる処の名無し:2005/10/05(水) 23:00:39 ID:3QeTE75O
>>136 >最後の一文も読めない?
お前は
>中共の言う30万大虐殺とは別だが
といってるだけ。
「不法殺害」をもって南京大虐殺があったというのかと訊いてる。
141 :
日出づる処の名無し:2005/10/05(水) 23:03:15 ID:3QeTE75O
>>137 それのどこに「不法殺害」があったと書いてあるの?
ネェネェ
142 :
日出づる処の名無し:2005/10/05(水) 23:03:31 ID:00xHUQ70
143 :
日出づる処の名無し:2005/10/05(水) 23:06:54 ID:3QeTE75O
>>142 理解力が不自由なお前のためにはっきりさせておこう。
戦闘詳報のどこに「不法殺害」があったと書いてあるのかね?
それから事実関係だからはっきりさせようね。
偕行社の文献は「公文書」ですか?
144 :
日出づる処の名無し:2005/10/05(水) 23:13:56 ID:qPdJe4Fn
>>135 不法殺害が「全く」無かった、って主張してる否定派は居ない。
否定派は「大虐殺が」あったのかを聞いている。
で、中国が言うような大虐殺は無かったんだよな?じゃあ話は終わりだろ。
あとの話はお前の個人的なこだわりでしかない。
不法殺害はありました、と、好きなだけ言えば良い。
でも「大虐殺」は無かった。中国の主張は嘘。それが「結論」。
145 :
日出づる処の名無し:2005/10/05(水) 23:15:24 ID:eksYFyjf
●大東亜戦争●
サヨ・・・特筆すべき悪の国、日本の侵略戦争
ウヨ・・・正義の解放戦争
一般・・・国益を計り行動した結果の軋轢
●南京大虐殺●
サヨ・・・民間人30万大虐殺
ウヨ・・・虐殺行為は存在せず
一般・・・日本側の公文書からも、一定数の不法殺害行為は認められる
146 :
日出づる処の名無し:2005/10/05(水) 23:17:51 ID:ik0tYQ64
まだいってるよ
147 :
日出づる処の名無し:2005/10/05(水) 23:19:20 ID:3QeTE75O
>>145 スレローカルルール2:矛盾を指摘されたままの資料を再び根拠として使用してはいけません。
に違反しています。
反駁不能だからといって秩序を乱す行為は慎みましょう。
「サヨ」も「ウヨ」も「一般」も、現実の世界にはいない?
145のコピペは、ウヨサヨ双方から叩かれてたのを見た
つまり、まともって事だw
150 :
日出づる処の名無し:2005/10/05(水) 23:19:52 ID:eksYFyjf
151 :
日出づる処の名無し:2005/10/05(水) 23:21:09 ID:ik0tYQ64
>>149
右左両方から叩かれている人間は、昔いた事はいたが
ただのほんまもんの基地外だったぞ。
152 :
日出づる処の名無し:2005/10/05(水) 23:21:27 ID:3QeTE75O
フッ
これで俺のキルマークがまた増えたぜ。
>>145 右翼も一定数の殺害があったのは認めますよ。
東中野修道教授の出した兵士の手記集でも「略奪や放火があったのは認められる」とありますし、
街宣右翼でも1人の不法殺害もないなんてことを信じてなんかいられませんよ。
大行社の「大吼」等雑誌を読んでもさすがにそんなこと言ってません。
統計とか確率的にゼロってコタないだろな〜と「想像」はするが
その場合は個人責任のレベルだろうな〜 とも思うおじちゃんであった
155 :
日出づる処の名無し:2005/10/05(水) 23:26:28 ID:eksYFyjf
>>155 失礼しました。この使い分けに慣れなくて。
157 :
日出づる処の名無し:2005/10/05(水) 23:32:49 ID:VCyWPBY4
私には思えない。だって煙は火は証拠だからそれについてかないのはブサヨ
>>157 あー………・
たぶん「火がないところに煙は……」と言いたいのだと思うんだが、
国帰って日本語勉強しなおしてこいやチャンコロ!
煙は火「の」証拠・・・でなんとか通じるかも
同文だから漢字表記ならと思うが大陸の若い衆には無理か
160 :
日出づる処の名無し:2005/10/06(木) 01:36:47 ID:NI3t45a9
定期あげしておく
162 :
日出づる処の名無し:2005/10/06(木) 07:38:37 ID:qj6f9c5X
支那の宣伝戦、失敗age
163 :
日出づる処の名無し:2005/10/06(木) 08:19:07 ID:6TcGa29I
戦前の南京の人口
@1936年5月9日 1,019,148人 197,937戸 (南京市内政部) 1戸5.149人
A1937年3月末 1,019,667人 200,810戸(首都警察庁) 1戸5.078人
B1937年6月 1,015,450人 200,160戸 (南京市内政部) 1戸5.073人
占領後の南京の人口
C1938年10月末 329,488人 80,219戸(南京自治会委員会)
1戸4.107人 →1戸あたり0.966人減少しています。
1戸当たりの人口は短期間では急激な変化しないので、77,492人の民間人が死亡したことになる。
以上が人口統計を基にした数学的な証拠。
164 :
日出づる処の名無し:2005/10/06(木) 08:30:10 ID:xWnID0Th
それ、逃げた人は含まれてないだろ・・・・
まあ、公文書ってのはプロパガンダに関するものも含まれたりするわけで・・・
過去には公的発言で(憶測や新聞記事で)従軍慰安婦を認めちゃった官房長官なんかもいるし
証拠とするには公文書であろうとなかろうと、それが1次資料となるか2次資料となるかが争点だろう
戦闘詳報なんかは1次資料にあたるが、戦後中国軍の捕虜となり、処刑されずに戻ってきた人の暴露本などは
2次資料にも値しないと考える。
国際法における俘虜の扱いを示した意味は、交戦国双方が守ってこそ意味があるものであり
伝統的に便衣兵戦術を使う中国軍(国民党軍)相手とするならば、
戦闘詳報の内容の俘虜(捕虜)の扱いは正しいものと判断せざるをえない
自軍が不利になるほどの大量の俘虜をかかえることを拒否できることは、ハーグ条約締結後の
米軍(特にマッカーサー親子)が行った行為に対して何ら非難が無いことをみれば明らかである
ここで、ごちゃごちゃ言ってる人は、現在世界で一番日本を敵視し、かつ既に日本の主要都市に対して
ミサイルの照準を合わせているかの国と戦争になったときに、投降すれば国際法に準じた扱いを
受けられると思っている人? 下手したら食われるんだよ?
>>163 戦争になれば男は徴兵されるんで、
一戸あたりの人口が減るのは当たり前だと思うんだが・・・
167 :
日出づる処の名無し:2005/10/06(木) 11:00:28 ID:idL7muA3
>>163 それってザではられてたやつじゃないか?
結局統計にくわしいやつに論破されたが。
ザって何ですか?
169 :
日出づる処の名無し:2005/10/06(木) 11:10:56 ID:idL7muA3
171 :
日出づる処の名無し:2005/10/06(木) 13:13:37 ID:qj6f9c5X
>>163はコピペだから質問しても答えられないだろうし、
>>164で瞬殺されてるよなw
このスレにいれば人口問題で大量の市民の逃亡があったのは1次資料で明らか。
統計に詳しくなくても出鱈目だとわかる。
>>163 まだ続けるかね?
偕行社の話が出ているけど、彼等は便衣兵の処刑などに違法性があった
と考えているだけだし、その考え方は偕行社の会員の多くから批判を受けて
ります。
また性懲りもなく印象操作しようとする人がいるので、念のため。
当時の外国人調査(スマイス調査)
南京地区における戦争被害
1937年12月―1938年3月
都市および農村調査
1市部調査
T 人口
南京市の戦前の人口はちょうど100万であったが、爆撃が繰り返され、後には南京攻撃が
近づいて中国政府機関が全部疎開したためにかなり減少した。
市の陥落当時(12月12日〜13日)の人口は20万から25万であった。
(日中戦争史資料集9 南京事件U 英文関係資料編P219)
>>153 東中野は虐殺があったなどと言ってはいません。
日本兵にも非行行為があって逮捕されたものがある、と言っているだけです。
彼は便衣兵の処刑などは合法だと言ってるし、ましてや市民虐殺など幻想だ
としている。
日本軍が来る2週間前に蒋介石が逃亡したのは既出
民衆がそれに合わせて非難したのも既出
で、パニックになった一般市民が階段で将棋倒しになって多数圧死した写真がある
南京虐殺記念館に「日本軍に虐殺された婦女子の写真」として展示されているのはご存じ?
神経が信じられん・・・
>>119 パル判事は中国人証言者やマギーの証言を信じていなかった。
だから彼の言う「残虐行為」というのは、ベイツの証言を重視しての発言
だと思う。
パル判事とて神ではない。
当時はベイツが中国側の人間であるなど誰も知らなかったんだから無理もない。
>>175 階段のところで婦女子がたくさん倒れていて、内蔵なんかが出てる写真がある
けど、それとは別ですかね?
あて、中国は日本軍の犠牲者だとか宣伝するんだけど、実は日本の雑誌かなに
かに載った、匪賊の犠牲になった朝鮮人らしい。
東中野がどう考えているかは、これを見れば明らか。
個人的には、幕府山などは違法性の高い殺害命令が出ていたり、全く虐殺と
呼べる行為がなかったというのは無理があると思うけどね。
(どこで) (誰を) (何人)
チャン 城内(外) 市民と捕虜 二十六万人(市民)三十七万人(市民と捕虜)
洞富雄 城内外 市民と捕虜 二十万人以上
藤原彰 城内外 市民と捕虜 二十万人以上
笠原十九司 城内外 市民と捕虜 城内で数千、城外で十九万人以上
秦郁彦 城内外 市民と捕虜 四万二千人
板倉由明 城内外 市民と捕虜 一万数千人
偕行社版 城内外 捕虜 数千人
田中正明 ----- ------ なし
東中野修道 ----- ------ なし
「「ザ・レイプ・オブ・南京」の研究」東中野修道・藤岡信勝
ただし、虐殺と呼んでさしつかえないように思える事例でも、厳密に法的解釈を
加えれば、正当化が可能だとは思う。
日本政府が認めるような見解を示しているので、虐殺はあった、みたいな議論を
する人がいるけど、ナンセンス。
慰安婦問題でも日本政府は「政治的判断」から、強制性を認めてしまっている。
強制連行の証拠は見あたらなかった。元慰安婦を強制的に連
れてきたという人の証言を得ようと探したがそれもどうしても
なかった。結局談話発表の直前にソウルで行った元慰安婦十六
名の証言が決め手になった。彼女達の名誉のために、これを是
非とも認めて欲しいという韓国側の強い要請に応えて、納得で
きる証拠、証言はなかったが強制性を認めた。
もしもこれが日本政府による国家賠償の前提としての話だっ
たら、通常の裁判同様、厳密な事実関係の調査に基づいた証拠
を求める。これは両国関係に配慮して善意で認めたものである。
元慰安婦の証言だけで強制性を認めるという結論にもっていっ
たことへの議論のあることは知っているし批判は覚悟している。
決断したのだから弁解はしない(櫻井よしこ「密約外交の代
償」「文塾春秋」平成9年4月)
「教科書侵略→進出書き換え誤報事件」の時にも、事実確認せず中国
や韓国に謝罪してしまい、その後に誤報だと判明した。
これが日本政府なんですよ。
>>178 >個人的には、幕府山などは違法性の高い殺害命令が出ていたり
東中野氏は、司令官逃走で、敵兵の資格を全否定してる
幕府山で拘束兵をどういう形で殺害しても、虐殺無しは揺るがない立場だよ
便衣兵かどうかは無関係
>>181 東中野はそう主張してますし、理解はできます。
ただまあ、感情的に割り切れないものがあるのもたしか。
法的解釈はともかくとして、敵意のない人間達を、軍事的必要性に迫られて
いるわけでもないのに殺害したら、虐殺と言われても仕方ない、という気がする。
184 :
日出づる処の名無し:2005/10/06(木) 14:37:36 ID:idL7muA3
>>163 もうひとつつっこむと、1年4ヶ月って短期間か?
この場合、人口変動からみればかなーり長いよな。
185 :
日出づる処の名無し:2005/10/06(木) 14:44:35 ID:qj6f9c5X
>>183 軍事的必要性に迫られているわけでもないのに?
詳しく
>>183 投降兵の武装解除、監視などに人員を割けば、部隊の壊滅につながるとか、作
戦行動に悪影響が出るとか。
188 :
日出づる処の名無し:2005/10/06(木) 14:53:07 ID:qj6f9c5X
>>186に追加。
かといって、解放したらまた敵軍の戦力になってしまうと懸念されたり。
>>188 そうせすね。
何か差し迫った事情があった、という風には思えないので。
実際のところどうかはわかりませんが。
あ、現場で逃がそうとした話は知ってますよ。
問題だと思うのは、その命令を出したことだと思うので。
192 :
日出づる処の名無し:2005/10/06(木) 15:49:30 ID:qj6f9c5X
>>191 幕府山の山田支隊が属する上海派遣軍第十三師団司令部の通達には以下のようにあります。
多数ノ俘虜アリタルトキハ、之ラ射殺スルコトナク、武装解除ノ上、一地ニ集結監視シ、師団司令部二報告スルラ要ス。
又、俘虜中、将校ハ、之ヲ射殺スルコトナク、武装解除ノ上、師団司令部二護送スルヲ要ス。
此等ハ軍ニ於テ情報収集ノミナラズ宣伝二利用スルモノニ付、此ノ点、部下各隊ニ、徹底セシムルヲ要ス。
但シ、少数人員ノ俘虜ハ、所要ノ尋問ヲ為シタル上、適宜処置スルモノトス。
命令であれば逃がそうとしたのもやむをえないでしょう。
さらに釈放前の捕虜が暴動を起こしたのであれば軍事的必要性も関係なく敵意に満ちていたことになり
その射殺にはなんら問題がありません。
http://www.geocities.jp/nanking1937_matsuo/nanking/reason06.html
193 :
日出づる処の名無し:2005/10/06(木) 19:06:25 ID:pUvG2efl
南京大虐殺肯定派のありえないジョークまだー?
>>163 >1戸当たりの人口は短期間では急激な変化しない」というのを公理にしているところに問題あり。
>#一般に、突然出てきた公理はそれが真か偽かを最初に検証しなければならない。
・街中空き家有りという急激な状況の変化(2世帯住居だったのが分散など) 。
・ スマイス市区調査による死亡+行方不明6600人と明らかに矛盾
(スマイス市区調査からは、むしろ成人男子がむやみやたらに連行・処刑された
ということが過ちということになる。連行・処刑されたのは各戸1人の男子の
7人〜9人に一人の割合ということになる
(ほぼ全ての成人男子が兵に借り出されたと言われる状況で))
195 :
日出づる処の名無し:2005/10/06(木) 20:00:13 ID:qj6f9c5X
最近の肯定派はまさに絶滅危惧種ですね。
196 :
しまりす:2005/10/06(木) 20:07:35 ID:BALZuym1
最近の肯定派はまさに必死ですね
けど何で必死なの?
あーそうか嘘がばれる断末ですね
人口問題で一番重要なのは、陥落前20万、陥落直後20万と、欧米人の
人口に対する認識が変わっていないということで、その20万が25万になった
時の認識が「5万の増加」であるということですね。
攻略戦で市民に被害が出たという意識がないから、陥落前の20万をそのまま
現在の数字として出してるわけですし、20万から25万になった時も
虐殺等の理由で人口が20万以下に減少していたと考えていれば「5万の増加」
という認識にはならないわけですから。
あの『朝日新聞』が、秦郁彦説を支持する見解を出した時点で、
肯定派は終わってるからなー
ここはクサヨが恐れて書き込めないスレだね。
いぢめてごめんね。
なんどでもやるけどw
200 :
日出づる処の名無し:2005/10/06(木) 22:59:10 ID:qj6f9c5X
おっと、アゲ忘れちゃったw テヘ
教科書の「侵略」を「進出」に書き換えたという誤報の話も、それ以前の話
として、何で「侵略」を「進出」にしたからと問題になったり、他国に謝罪したり
しなければならないのか、理解に苦しむ。
こういった用語は、歴史的事実をどのような切り口で見るか、によって変わって
くるのは当然で、別に進出と書いたからと言って過去の出来事を美化することに
はならない。
この前NHKラジオの古典解説の番組を聞いていたら、どういうわけか桃太郎の
話が出てきた。
その解説の先生が、左翼系の学者なのか、「桃太郎の鬼ヶ島への『侵略』」と
か言ってました。
違和感ありまくりだった…。
202 :
日出づる処の名無し:2005/10/07(金) 00:28:29 ID:Ti/Zp8KF
>>201 どこにでもアフォウはいるもんですねぇw
203 :
わがままな遺伝子 ◆0bNY21/WAs :2005/10/07(金) 00:33:57 ID:LzrPeFEf
鬼が島の鬼はなにも悪いことをしてないのに桃太郎に宝を奪われてしまって、とてもかわいそうだ。
204 :
日出づる処の名無し:2005/10/07(金) 00:38:01 ID:Ti/Zp8KF
>>203 >鬼が島の鬼はなにも悪いことをしてないのに
くわしくw
205 :
つまりだな:2005/10/07(金) 00:39:34 ID:tn0/qXi7
昔の日本人はまるで鬼のようだったというような言われ用だが
本当は正義の味方づらした連合国偽善桃太郎に倒されて領土も持っていかれてしまった。
本当にかわいそうだよ
206 :
わがままな遺伝子 ◆0bNY21/WAs :2005/10/07(金) 00:39:36 ID:LzrPeFEf
鬼というだけで悪いことをしたと思い込むのは差別です。
207 :
日出づる処の名無し:2005/10/07(金) 00:41:18 ID:tn0/qXi7
まったく
>>206 いやいや、君は「悪いことをしてないのに」と書いてあるよ。
根拠は何?w
209 :
わがままな遺伝子 ◆0bNY21/WAs :2005/10/07(金) 00:46:16 ID:LzrPeFEf
桃太朗もおじいさんおばあさんも鬼からなにもされていない。
鬼が周辺住民をいじめているという話を聞いて旅に出たわけでもない。
鬼が島に行って宝を奪ったのは、まったく帝国主義的行為である。
210 :
日出づる処の名無し:2005/10/07(金) 00:47:40 ID:tn0/qXi7
そうだ
何もしてない日本を鬼と決めつけ
北方領土や満州他を持って行ってしまった。
まったく卑劣な連中だ。
いや根本的に
悪かったりするから”鬼””悪魔”と称されるだろwww
どうでもいいけどさw
212 :
日出づる処の名無し:2005/10/07(金) 00:52:39 ID:Ti/Zp8KF
>>209 おお!
すると君は桃太郎が鬼退治に行った経緯と動機をしってるんだね!
くわしくw
213 :
わがままな遺伝子 ◆0bNY21/WAs :2005/10/07(金) 01:00:26 ID:LzrPeFEf
>>212 宝を奪ったのは帝国主義的行為だと言ってるだけだ。
214 :
日出づる処の名無し:2005/10/07(金) 01:02:32 ID:4ZoYirEH
昔話に帝国主義を結びつけるのもくだらないな〜
215 :
日出づる処の名無し:2005/10/07(金) 01:02:40 ID:4nk1sv+1
まあ、あまり頭が良くない?と思われる
>>211のぼやきで
>>213のご高説が一瞬で論破されている件
216 :
日出づる処の名無し:2005/10/07(金) 01:04:40 ID:tn0/qXi7
そうだ
日本が自分で働いて手に入れた財宝を
奪った宝だと決め付けられて帝国主義者の鬼と罵られ
ついにしたい放題やられてしまった。
日本の宝を奪った連中は許せん。
217 :
日出づる処の名無し:2005/10/07(金) 01:05:00 ID:Ti/Zp8KF
>>213 >宝を奪ったのは帝国主義的行為だと言ってるだけだ。
ええっ!
だって
>>209で
>桃太朗もおじいさんおばあさんも鬼からなにもされていない。
っていってるじゃないw
嘘だったのね。ヒドイワ
>>211 >悪かったりするから”鬼””悪魔”と称されるだろwww
そうとも限らん。歴史を知れ。
●坂上田村麻呂は、東北の住人を鬼と見立てて征伐
●一神教世界で、他民族の神様を悪魔扱い
相手を鬼呼ばわりする方が、鬼だったりしてな。
219 :
わがままな遺伝子 ◆0bNY21/WAs :2005/10/07(金) 01:09:54 ID:LzrPeFEf
>>217 めちゃめちゃ頭の悪いやつだ。こんなやつの相手をしていたとは。
220 :
日出づる処の名無し:2005/10/07(金) 01:11:58 ID:tn0/qXi7
人を低能呼ばわりするのはよくありません。
世界が百人の村田英雄だったら、あなたは三人目の村田英雄です。
一体どうするつもりなんですか。
221 :
わがままな遺伝子 ◆0bNY21/WAs :2005/10/07(金) 01:16:56 ID:LzrPeFEf
>>220 お前はそのすばらしい理論でもってID:Ti/Zp8KFの知能向上をはかれ。
222 :
日出づる処の名無し:2005/10/07(金) 01:19:07 ID:4nk1sv+1
>>218 まあサヨクのエセ唯物史観のバカどもには全く分らない話なのだが、
鬼というのは、日本語というか神道では2つの意味があって、
一方では「厳しい教えや教育を行って成長させる人・カミ」という意味合いと、
本当の「鬼畜」の略の二つある。
いい意味でも鬼は使われるが桃太郎の方は鬼畜なのだろう。
223 :
日出づる処の名無し:2005/10/07(金) 01:20:05 ID:tn0/qXi7
>>221 ラジャー。
おい Ti/Zp8KF。
遺伝子サンが日本の過去の評価を認めてくれたぞ。
先人のおじいさま方に礼
>>222 >いい意味でも鬼は使われるが桃太郎の方は鬼畜なのだろう。
東北の住人(蝦夷)を鬼と見立てて征伐
現地の神様(アラハバキ)を邪神と決め付け信仰を禁じる
相手を鬼(鬼畜)と決め付ければ、こちらは何をしても正義だね
アラハバキに突っ込みたくなった俺メガテニスト。
# あれって古史古伝の類にある神じゃなかったか? <スレ違い
こういった子供に聞かせるファンタジーの上では、「悪い奴」「恐ろしい奴」
の象徴として「鬼」が出てきたりする。
大人が子供を戒める時にも、鬼や妖怪を登場させて恐怖心を植え付けているから
「鬼=恐ろしいもの」「恐ろしいのは人間に悪さをするから」という通念が子供
たちには既に出来上がっている。
だからわざわざ鬼の悪行を描写して「こいつらは悪い奴らだ」と説明する必要
もない、ということなんでしょう。
>>227 ちなみに日本で「鬼」と言えば、そのイメージは
暴虐で破壊的なもの
なのだが、支那で「鬼」と言えば、そのイメージは
幽霊のような薄気味悪いもの
となる。こういう「文字」が同じで「意味」が違う、と言うのも
厄介である。
229 :
日出づる処の名無し:2005/10/07(金) 09:23:38 ID:Ti/Zp8KF
遊ばれているのに最後まで気がつかなかった「わがままな遺伝子 ◆0bNY21/WAs 」
桃太郎の話にマジレスするなよw
南京の話をしろ、南京のw
230 :
日出づる処の名無し:2005/10/07(金) 09:27:25 ID:Ti/Zp8KF
カスどもがビビッてスレに寄り付きゃしねぇw
231 :
日出づる処の名無し:2005/10/07(金) 09:33:20 ID:Ti/Zp8KF
偽スレじゃ「南京大虐殺はあったとするのが学術的なスタンダード」とかいってるとんでもが沸いてるよw
かわいそうにw
232 :
日出づる処の名無し:2005/10/07(金) 09:45:22 ID:MTHfr0I+
可哀相ニダ
233 :
日出づる処の名無し:2005/10/07(金) 10:36:40 ID:Ti/Zp8KF
本スレage
234 :
日出づる処の名無し:2005/10/07(金) 11:12:47 ID:Ti/Zp8KF
ご案内さま
どうもスミマセング
235 :
日出づる処の名無し:2005/10/07(金) 11:29:08 ID:wD6LqVJo
南京大虐殺を否定している歴史学者はいないよ。
236 :
日出づる処の名無し:2005/10/07(金) 11:40:31 ID:4ZoYirEH
【南京事件とは?】
日本軍が一般兵、便衣兵&間違われた一般市民を拘束後、または投降時に不法殺害したとされるのが虐殺内容の主流。
犠牲者数・裁判が無かった事・捕虜資格などが議論対象。
虐殺「とされる」行為が存在した事は、否定派の研究者も認めてる。
数は中間派で4万程度。否定派の研究者で上限二万程度。(主に日本側資料に基づく)
ハーグ規定の解釈に基づき、不法殺害の確証が無いという研究者もいる。
中国共産党の言う「猟奇的で残虐極まりない市民皆殺し行為」に付いては明確な裏付けがない。
国際委員会が認定した「非行」による殺害は49件。
これは日本軍による組織的な捕虜殺害(不法殺害・虐殺)とは区別される。
●便衣兵の解釈について●
国際法によればゲリラ戦術「非正規戦」を行う勢力であるが、日本軍が南京戦で便衣兵としたのは大半が私服逃亡敗残兵と見られ、武器も手放していた。
武器を隠し持つ一群が居たとの話もある。
いずれにせよ軍服を脱いだ兵士は、一般兵における捕虜資格を喪失する。(ハーグ規定による)
237 :
日出づる処の名無し:2005/10/07(金) 11:49:02 ID:YaFiDe8z
本当に日本軍はでたらめだ。
弾も食料もないのに、意味も理由もなく、
20万人しかいない南京市民を30万人も殺しつくし、
挙げ句の果てに、死体をどこかに隠して証拠隠滅してしまう。
俺は日本人として恥ずかしい。
239 :
日出づる処の名無し:2005/10/07(金) 11:54:44 ID:dsp4r6uR
日本全国民は中国を恨むべきです!
必ず復讐する!制裁をする!
中国を没落させよう!!!!
240 :
日出づる処の名無し:2005/10/07(金) 12:07:01 ID:4nk1sv+1
ID:jxEruSP5 が荒らしています。
というよりもまたサヨクの常套手段のオウム返しか
242 :
日出づる処の名無し:2005/10/07(金) 12:52:51 ID:Ti/Zp8KF
驚いたよ、おいw
>「実名でもかまわない」と言い、同意書にも署名している。
>裁判にでもなったら、証言者の同意のもと、実名を公表することも可能だろう
これで検証できるだろうといってるんだからねぇーw
こういうのは事実上、検証できないって言うの。
馬鹿丸出しw
歴史学者が検証したいと申し入れたら検証させんのかよと訊きたいね。
243 :
日出づる処の名無し:2005/10/07(金) 12:58:30 ID:Ti/Zp8KF
「南京戦 閉ざされた記憶を尋ねて」の嘘
鬼頭久ニ(76歳・仮名)
・南京で一般市民を大量に殺害、女性を強姦したことになっている。
当時、11歳! 果たして、11歳(小学校五年生)が日本軍人になれたか。
そして、大人の女性を強姦できたか。そんなことはあり得ない。
244 :
日出づる処の名無し:2005/10/07(金) 12:59:35 ID:Ti/Zp8KF
「南京戦 閉ざされた記憶を尋ねて」の嘘
三上翔(83・仮名)志願兵
・・・・・支那方面艦隊第3艦隊大1船隊第24○○艦隊
第3艦隊=第2遣支艦隊と報道されている。
遣支艦隊の創設は、昭和14(1939).11.15。
南京事件は1937年の12月だから、遣支艦隊はこの時点では存在しない。
245 :
日出づる処の名無し:2005/10/07(金) 13:07:40 ID:Ti/Zp8KF
「南京戦 閉ざされた記憶を尋ねて」の嘘
町田義成(89歳・仮名)
1913年生まれ
当時24才
第16師団歩兵第33連隊第3大隊
大田俊夫(89歳・仮名)
1913年生まれ
当時24才
第16師団歩兵第33連隊第3大隊
三木本一平(89歳・仮名)
1913年生まれ
当時24才
第16師団歩兵第33連隊第2大隊
歩兵33連隊は12月15日からは城外掃討に移ったので、(つまり南京城の外)彼らの内14日に安全区に入って狼
藉を働くものがいるとすれば、三本木氏のみ。
しかし、安全区には歩哨が立っていて、ここには連隊長といえども入ることが
許されていなかったので、第二大隊のメンバーが安全区内の難民に危害を加えることは物理的に不可能である。
すなわち、町田氏と太田氏は南京戦に参加したと言っても南京城の外にいたのであって、難民ひしめく安全区は
おろか、南京市内そのものに入れたわけではない。
12月21日になると、新配備計画により、各部隊の配置が変更になる。
第1大隊と、第二大隊が城内を警備することになり、第3大隊は南京南方約30キロの江寧鎮を守備することになりました。
つまり、第3大隊は南京市内にここでも入っていない。
町田、太田の両氏は結局、南京市民とは接触していないはず。
また、第二大隊が守備を命じられたのは住民が既に避難していないはずの南京市の南部であり、安全区があるのは
漢中路以北でありますから、やはり住民との接触は考えられない。
三本木氏が南京市民と接触するとすれば14日以外は考えられませんが、先に述べた通り、安全区内には入っていない。
なお、この33連隊は1月22日以後北支に向かったので、以後は南京市とは関係ない。
247 :
日出づる処の名無し:2005/10/07(金) 13:17:19 ID:Ti/Zp8KF
「南京戦 閉ざされた記憶を尋ねて」の嘘
田所耕太(86歳・仮名)
1916年生まれ
当時21才
第16師団歩兵第38連隊第1大隊
第1大隊は14日に南京城内に入ったことになるが、これは安全区ではない。
城の北部ですが、この日は33連隊の第2大隊とは違い、夜にはもう南京城を出ている。
なお、安全区には金沢第7連隊の第1・2大隊が担当している。
この第7連隊は12月24日をもって第9師団麾下の諸連隊とともに蘇州へ転進し、南京を去っている。
事務引き継ぎの関係上、第38連隊が安全区を含めた南京北部を掌握するのは25日以後。
それまで第16師るの各隊は南京城東方の敵と戦っていたので、南京市内にはいない。
なお、安全区内に入ったのは、38連隊の中の1個大隊ということなので、実際に住民と接触があったのは
2000人の中の3分の1に過ぎない。
この時期、おびただしい数のジャーナリストが南京にいたが38連隊が関係するのは合法的な射殺一件のみ。
虐殺証言はありえないことになる。
248 :
日出づる処の名無し:2005/10/07(金) 13:19:44 ID:4nk1sv+1
133 日出づる処の名無し sage 2005/10/07(金) 13:07:33 ID:jxEruSP5
>>132 >・頭がおかしくなった
>・誤爆したのだが謝ったり素直に恥を晒すだけの人間性が出来ていない
>このどちらか
おっと、誤爆してたんだ
変だとは思ったが、誤爆とは気付かなかったよw
しかし、さすが揚げ足取りだけは頑張るねw
-------------
どうも自分で数分前やった事すら覚えてない人が暴れているようです
おじちゃんはつまらないスレは嫌いなのでアッチはヤダ
鯛が靴を履いてる時だけ遊んであげやう
>>246 過去スレ1〜17を無視して勝手にテンプレも変えたそのスレが本スレだと言い張るわけね。
そういう逃亡方法を堂々と使うのって、恥ずかしくないの?
明らかに錯誤を狙って立てられたスレじゃないか。なぜそれが本スレなの?
251 :
日出づる処の名無し:2005/10/07(金) 13:25:30 ID:4nk1sv+1
>>250 >なぜそれが本スレなの?
1:ID:jxEruSP5は民主主義を理解できない
2:ID:jxEruSP5が自分の意見が全てと思っている
3:ID:jxEruSP5は自分と違う意見を聞きたくないし、それについて考えたくも無い
まあID:jxEruSP5に限らず左翼全体に言える事だけど
age荒らしだけは勘弁な
252 :
追記:2005/10/07(金) 13:27:04 ID:4nk1sv+1
と、書くと、ID:4nk1sv+1は云々とまたオウム返ししてくる事、
またそれをIDを変えて行ってくる可能性が有る事も付記しておこう。
もうパターンだからな
253 :
日出づる処の名無し:2005/10/07(金) 13:29:01 ID:Ti/Zp8KF
「南京戦 閉ざされた記憶を尋ねて」について
元兵士たちへの調査手法について、
「信頼関係を結ぶ以前に抑圧的・高圧的な関係の成立である。これらは一種の恫喝といえよう。」
「これほど間違いやおかしい表現の多い本はめずらしい。」
『週刊金曜日』10巻50号(通巻451号)052-053頁 2002/12/20
254 :
日出づる処の名無し:2005/10/07(金) 13:36:06 ID:3u958nsd
255 :
日出づる処の名無し:2005/10/07(金) 13:42:59 ID:Ti/Zp8KF
さて
「南京戦 閉ざされた記憶を尋ねて」がいかにデマに満ちた本かわかってもらえたかな?
ID:jxEruSP5くんw
誤植どころの騒ぎではなく捏造である。
よくまあ、こんなものを根拠に、と大変感心するしだいである。
なお、当方は著者および出版社から名誉毀損で訴えてもらうことを本望とする。
これまで南京事件において本名で証言したものは「全部」捏造が発覚している。
願わくば捏造発覚しない証言者を見てみたいものだ。
ま、戦時において犯した「個人犯罪」を裁判で実名公開して証言するような殊勝な人がでる
可能性は少ないがw
もう中国には呆れを通り越して
途中で書き込んでしまった・・・
それでも言いたい事はよくわかるから不思議だ
日本共産党は良心的だね エイベックス氏ねオレンジレンジ氏ね在日氏ね
エロゲヲタはきしょい チョン氏ねシナ人氏ね社民氏ね共産氏ね民主氏ねフェミ氏ね
+ + 。 エロゲは女らしさの体現で国体護持に必要!
* 、-'ヾ'''ヾ`"''','、、 , _____
_-'" `;ミ、 /:::::::::::::::::::::::::\〜
_-"ミ;ノリ人ノノヘ/リ; `゛゛ ミ /::::::::::::::::::::::::::::::::::::::\〜
>ミ/ 'γ、` ミ |:::::::::::::;;;;;;|_|_|_|_|〜
了| "~`、 "~"` {,',; ;} 。 |;;;;;;;;;;ノ∪ \,) ,,/ ヽ〜
"7 `⌒` ⌒ }ミ:. { |::( 6∪ ー─◎─◎ )〜
'| / レリ* |ノ (∵∴ ( o o)∴)〜
+ i ( }ィ' |∪< ∵∵ 3 ∵> ハァハァ
` ー--- /|` + \ ⌒ ノ
ヽ  ̄ / |__ \_____/
`i、-- '´ |ソ:
今時の若者 痰壷2ch住人
>>259 2ちゃんに書き込んでるってことは、キミも2ちゃん住人なんだがw
261 :
日出づる処の名無し:2005/10/07(金) 19:26:56 ID:Ti/Zp8KF
うふふ
仮名の証言には検証能力があるんだい!とほざいている低脳が
やっと見つけた一つだけの資料で鬼の首を取ったように喜んでいますw
>第3艦隊は、後に第2遣支艦隊に再編されたってことだよ
彼は簡単な日本語が理解できないのでしょうか?
それともサヨク特有の「都合のいいことしか目に入らない」という症状でしょうか?
元文に
>この時点では存在しない。
と書いてあることをきれいさっぱり無視していますw
それとも記載されている証言者の所属は当時のものではないのでしょうか?
仮名であるうえに所属が当時のものではないとすると
その証言にはどんな価値があるのでしょうw
ネタでやってるんでしょうか?w
262 :
日出づる処の名無し:2005/10/07(金) 20:47:01 ID:Ti/Zp8KF
おいおいw
>すでに『南京戦 切りさかれた受難者の魂』で論破されている第33連隊関連かw
どこで論破されてるって?
なんか14日に33連隊が入城したことを必死で証明してますがw
だれも入ってないとは言ってませんが。
で、引用している文献のどこに狼藉を働いたと書いてあるの?
大体さ、南京掃討時に一般人は「安全区」にいただろうが。
安全区は日本軍によって封鎖されているので将校といえども入れない。
この時点で無差別虐殺論破。
さらに掃討戦中に証言のような狼藉を行っていたとすれば軍規違反。
完全に個人の犯罪。馬鹿丸出しw
非難されるべきは証言者個人だねぇ。
偽スレで直下で瞬殺されてるしw あーあ
偽スレの
>第3大隊第2中隊H氏の従軍日誌
>同第2中隊A氏日記
なんてないですね。
第V大隊は9中隊〜12中隊。
しかし、
>第3大隊第十一中隊所属のM氏の陣中日誌(私家版)
ってなんでしょう。『南京戦 切りさかれた受難者の魂』に引用されている
だけものなのでしょうか。
結局、証言集はペテンでしょ。
証言の裏取りこそ検証であるべきなのに、
主張+証言で、さも証拠があったかのようにみせかけている。
偽スレの方は、頭から人を馬鹿にした非常に戦闘的な物言いをしますね。
学問を国家権力としての司法権力に頼ろうとしたり、学の権力からの独立を
無視した基本姿勢がらして疑問です。
中国側の証言くそ面白いけどなwwww
「帽子の上から軍刀で何度も何度もバシバシと殴られた」
死ぬってばwww
偽スレの人が裁判やったの?w
270 :
日出づる処の名無し:2005/10/07(金) 23:13:16 ID:Ti/Zp8KF
あれまぁ
>上記の文章にあるように、町田氏と太田氏は「城内に入っていない」ということを根拠に、「嘘」だと主張しているわけ。
町田氏と太田氏は仮名ですのでその証言が本当であるか定かではありません。
ばかだねぇw
>日本軍の状況というのが、そういう行為を許容していたということだろうな
つまり、日本軍による組織的な虐殺が存在しないことを認めるわけですね。
じゃ、証言が事実だとしたら証言者の犯罪の告白に当たるわけだw
なにも支那に非難されるようなことはないわなぁ
>やっぱり、残念ながら当時の史料から、衛兵が立っていなかったことが証明されているねw
へぇ、じゃ日本兵が安全区で働いた犯罪とやらを立証してよw
ま、仮名じゃ無理だろうけどな。
つか、それ「南京大虐殺」か?
不貞日本兵の犯罪告白記だろw
>>237 本当ですね(笑
>>250 馬鹿は放置の方向で。
>>262 安全区には14日から第七連隊が入ってるだけですしね。
>>266 いや、彼等は実際に本を読んだかどうかすら怪しいよ。
だって、「東中野は虐殺を認めている!」とか言ってますし(笑
まあ、 「南京戦 閉ざされた記憶を尋ねて」は呼んだのかどっかのサイトから
引用したのか知らないけど。
今更おびただしいほどの事実誤認があるとされる仮名本を出すとは(笑
>やっぱり、残念ながら当時の史料から、衛兵が立っていなかったことが証明されているねw
こいつって馬鹿なんですか?(笑
(十三日夕刻)私は城門(中山門)から一キロくらいしか入らなかったが、その
間の銀行、官庁には既に憲兵が配置されており、日本軍の立入禁止の札が貼付さ
れていた。(中略)
十三日、湯水鎮の本体に帰り、部隊を誘導して南京の南方土山鎮に集結したが、
その時上司の指示により、将兵の外出を一切禁止した。
また公用で外出する者も、南京市内西南隅の地区は難民街として指定されているので、
一切立ち入ってはならない旨示達した。
当時同僚から聞いたところによると、この難民街には敗残兵が武器を持って遁入
し、便衣を着て常民を装っているから危険であり、立ち入らせないようにして
いるのだ、ということであった。「速記録309号」
第三師団野砲第三連隊第一大隊観測班長・大杉浩の宣誓口供書より
警備を担当していた私は、巡視の名目をもって終始難民区域を見て
回ったのですが、彼らはもうそこで環境に順応した新しい生活を営んで
いる。
街路は老若男女で芋を洗うように雑沓し、必然の要求に応じて街路
のある部分は、広い露店市場と化し、道の両側にはいろいろの食べ物
や、古着類や、荒物や金物を商う露店が延々として並び、売る者も
買う者も生活力の溢れた真剣な顔で怒鳴ったり、叫んだり、売り声を
うたったりしておるのでありました。
P124
「新資料発掘 1937南京攻略戦の真実」東中野修道
「南京戦史 8」で第十六師団歩第九連隊六車政次朗少尉は、歩兵第二十
連隊が中山門を占領して入城した際、第九連隊は「城内進入禁止」され、「軍の統制は
、まことに厳しく、見事」であったと言っている。
歩兵第九連隊の通信班長だった犬飼総一郎は東中野のインタビューに対して
部隊では露営日直将校が毎日任命され、その指揮のもと下士官と兵士が歩哨と巡察
にあたっていた、公務以外の外出は原則として不可能だったと言っている。
あと、日本兵は夜出歩くことはなく、禁止されていたしまずそれはできなかった。
これは日本兵が言っているだけではなくて、敵方も認めている。
「夜の間は獣兵(日本兵)は難民区の内外を問わず、活動する勇気がなく
、兵隊の居住する地区を守る衛兵がいるだけで、このときが活動の機会と
なった」
(郭岐「南京陥落後の悲劇」)
275 :
日出づる処の名無し:2005/10/08(土) 00:28:12 ID:0S3XGeQk
なんでsageるのさw
というか、裁判で反対尋問を受けた素性のはっきりした元兵士と、矛盾だらけ
の本にある仮名の証言と(以下略
277 :
真実の法則:2005/10/08(土) 00:36:51 ID:g3OYyGQM
「中国では自分達の犯した虐殺や破壊行為は日本のせいにされる」
「中国には中国人という嘘つきと犯罪者しかいない」
これだけは覚えておくヨロシ。
>277
漢民族のやってる事に、他の民族を巻き込むのは良くないぞ。とマジレスしてみたりw
中国人が「嘘つき」というのは、アーサー・スミスも「支那人の性格」であげてますね。
彼は宣教師として三十年以上中国で活動してたんですが
「中国人の中にいくら良心を探してもみつけることができなかった」
とも書いている。
というか、私の【 事 実 な ら な ぜ 証 拠 を 捏 造 す る 必 要 が あ る の ? 】
という問いかけにまともに答えることができる虐殺派が一人もいない。
仮名なのも良しとしましょう。
内容が矛盾だらけなのも許しましょう。
でも…それ以前に「虐殺」の証拠になっていないわけだが…。
だいたい、「東中野が虐殺を否定している」という現実すら受け入れることのでき
ない人間に、南京虐殺、とくに市民虐殺の否定説など受け入れることができる
わけもない。
283 :
精密:2005/10/08(土) 01:44:10 ID:gORA86en
当たり前だけど、過去の戦争で虐殺のなかった戦争なんて一度もない。
虐殺があったかなかったかでは、あったに決まってる。
しかし、重要なポイントがある。
『南京 “30万人” 大虐殺』 は大嘘です!!! ^^;
>>283 「虐殺」を不法な大量殺害を意味するなら、「必ずある」とも言い切れないのでは?
285 :
日出づる処の名無し:2005/10/08(土) 02:11:25 ID:kufv/5I2
>284
だからその前に国家権力の衝突としての戦争という概念なら
数千人が殴り合って死傷者2人だけとかそういう遊びのような戦争も
戦争という概念になるから、虐殺が無い戦争というのも、概念上は有る。
左翼の人がよく「一年前、南京市の人口はちょうど百万人であった。八月
から九月に人口が急激に減少し、十一月初には五十万人に上昇した」と、スマイ
ス報告の肝心な部分を削除して主張するけど、この論法のルーツは中国の資料
に掲載されたスマイス報告だったようだ。
そこですでに削除されてる。
戦争は暴力行為であり、その行使にはいかなる限界もない
byクラウゼビッツ
289 :
日出づる処の名無し:2005/10/08(土) 04:49:48 ID:0S3XGeQk
>>町田氏と太田氏は仮名ですのでその証言が本当であるか定かではありません。
>>ばかだねぇw
>
>cgrKPG+1が書いていないことを作り出さないようにねw
書いてあろうがなかろうが町田氏と太田氏の証言は仮名で行われているので事実かどうか確認されていませんが?
なんか間違ってる?w
>虐殺行為を日本軍が許容しているってことは、これで十分、共謀罪に該当するだろうね
>もちろん、両氏が所属している第16師団というのは、捕虜を殺害する方針だった師団だったわけだが
はい、ダウトw
松井軍司令官は12月7日、南京攻略および入城に関して
おめえらわるいことすんなよ、と言う趣旨で全将兵に訓令してますので日本軍の犯罪に対する許容は
ありえないですねぇ。
それに、なに?捕虜を殺害する方針? 捕虜を受け付けない方針なら聞いたことあるけど
捕虜を殺す方針は初耳だなぁw
劣勢だからってあんまり嘘つくのはどうかと思うよね。
というわけで「南京戦 (略)」で証言した人は、もし事実ならとんでもない犯罪者ということになりました。
はやく実名をさらしてほしいですね。もうくたばったかな?
290 :
日出づる処の名無し:2005/10/08(土) 05:14:02 ID:0S3XGeQk
安全区内の日本兵の犯罪立証について
>立証?
>李秀英裁判の判決書でも読んだらどうだいw
ざんねん、その何とか裁判は南京事件の事実関係についてなぁんにも立証してない。
してるというなら抜き出してみろw
291 :
日出づる処の名無し:2005/10/08(土) 05:15:34 ID:0S3XGeQk
>じゃあ、裁判でもしてみたらww
>また、負けるだろうからw
それは「東史郎」のことかぁぁぁぁああああ!!!(AA略)
292 :
日出づる処の名無し:2005/10/08(土) 06:15:11 ID:Cpg87m6u
>>291 文句があるなら日本政府訴えろ
そんな根性無いだろうが・・・
293 :
日出づる処の名無し:2005/10/08(土) 06:39:00 ID:0S3XGeQk
>>292 東史郎の裁判についてはぜーんぜん文句ありませんw
294 :
日出づる処の名無し:2005/10/08(土) 07:07:38 ID:Eq9tl7BO
支那のプロパガンダに踊らされて、捏造を本気にしてる低脳サヨクが失笑を買っているスレはここですか?
295 :
日出づる処の名無し:2005/10/08(土) 07:13:03 ID:xIRLG0ue
こんなにレベルの低いプロパガンダに引っかかる人は相当頭が悪い。
296 :
日出づる処の名無し:2005/10/08(土) 10:07:14 ID:0S3XGeQk
陳満腹(仮名)1912年生まれ 南京市警察勤務
「日本軍が虐殺をしたなどと国民党が盛んにデマを飛ばしていましたが
もちろん南京大虐殺などありませんでした。
いまは共産党がデマを利用していますが整合性もヘッタクレもありません。
あんなものに騙されるのは かなりの馬鹿でしょうな。」
民明書房「支那プロパガンダ戦史」p62
陳満腹→陳満福 と
「支那プロパガンダ戦史」 は(私家版)
が抜けていますよ。w
299 :
日出づる処の名無し:2005/10/08(土) 16:50:47 ID:0S3XGeQk
反論マダー?
300 :
日出づる処の名無し:2005/10/08(土) 17:03:28 ID:Fu0rtAFN
>>298のリンクを見たが
>ウヨが内政干渉と叫ぶ⇒内政の意味は国内の政治問題
>⇒したがって首相の靖国参拝は違憲となる
>ウヨは自ら違憲の必要十分条件を主張していることになるわけだwwww
だと・・・
馬鹿だよな〜
どうなったらそうなるんだよw
301 :
日出づる処の名無し:2005/10/08(土) 17:48:19 ID:0S3XGeQk
南京における「個人犯罪」を書き綴るスレがありますけどw
南京大虐殺と何の関係があるんでしょうね?
彼らの思考は
個人犯罪→個人犯罪じゃなく日帝の陰謀→だから少数はありえないもっと多かったはず→
少数じゃないから殺された人も多かったに違いない→虐殺→日帝なら大虐殺すら遣りかねない→だから南京大虐殺
なのかもしれない・・・(汗
徴発や食料調達を公務でないような、いかにも不法行為のような感じにしか
理解できていないのが間違いですね。
コピペばっかしですし。
以下は『大日本兵語辞典』 384pより引用の徴発の説明です。
【徴発】戦時又は事変に際し軍隊の官憲が内外地の人民の物品材料を買収するこ
とを徴発と云ふ。内地に於ける徴発は徴発令の定むる所に従ひ極めて止むを得ざるときに
行ふものにして出征地に於て行ふ徴発に其場合甚だ多し。而して戦地に於て行ふ徴発には
官憲徴発と部隊とのニ種あリ、官憲徴発とは師団長以.上の諸官が其経理部長をして之.れを
行はしめ倉庫を充実せしめ、部隊徴発は各部隊長臨時に之を行ふものとす、而して徴発せし物品
に対しては時価相当の代価を支払ふか又は証票を交付するものとす。
基本的に軍票を換金できなかった人たちが騒いでる場合が多そうですな
二束三文で買い集めておいて日本に償還請求を行うマッチポンプ集団がいるそうな
負
け
/⌒\ オ 犬
ノ)´・ \・` h の
(/ ( ▼ヽ ボ
/ \_人_) エ
/|\ソ ヽ\
/  ̄L\|∩)
| \ /\)\\
\ 〆 / | \\
|\/ ∧゚ | \\_
| / \|_ | /
_|_ ノ  ̄\ \ レ ボエ〜〜♪
.|\\__レ | |
負
け
頬 犬
∧._∧ 骨 の
<丶`Д´ >
/ /
/|\ソ ヽ\
/  ̄L\| ┘|
| | | |
| | /\)━━━━━┓
\ 〆 /゚ |
\ // \|_
_|_ ノ  ̄\ \ アイゴ〜〜
.|\\__レ | |
______ ∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
\ ∧_∧ ( ´∀` )<どけどけ〜どけどけ〜
邪魔だ邪魔だ>( ・∀・ ) (○┳○) \_______
______/ (○┳○) / / /
ヽ ヽ ヽ (_(__)
(__)_)
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ・∀・ ) < 「君は一体何がやりたいんだ」って聞いてくんじゃねーよ
(○┳○) \ ばかやろこんにゃろーめ
ヽ ヽ ヽ  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(__)_)
_______
∧_∧ ∧_∧ / こんにゃろうめ
( ・∀・ )( ´∀`)< それが分かれば
(○┳○)┳○) \ 苦労しねーじゃねーか
ヽ ヽ ヽ/ / \ばかやろこんにゃろーめ
(__)_) )  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧ /  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ・∀・ ) < 「君は一体何がやりたいんだ」って聞いてくんじゃねーよ
(○┳○) \ ばかやろこんにゃろーめ
ヽ ヽ ヽ  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(__)_)
_______
∧_∧ ∧_∧ / こんにゃろうめ
( ・∀・ )( ´∀`)< 何もしないで金だけ欲しいですって言ったら
(○┳○)┳○) \ どうせぶちきれるんだろうが
ヽ ヽ ヽ/ / \ ばかやろこんにゃろーめ
(__)_) )  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄
309 :
日出づる処の名無し:2005/10/08(土) 19:19:51 ID:0S3XGeQk
ワロスw
310 :
日出づる処の名無し:2005/10/08(土) 19:22:25 ID:0S3XGeQk
あれ?
捕虜はせぬ方針が捕虜を殺す方針だってw
捕虜にしなかったんだから戦闘したのは捕虜じゃないでしょ。
馬鹿じゃねえのw
【スターリングラード大虐殺】
みなさん興味があるかもしれませんので、その後、終戦時の軍票などの円の状況を書いておきます。
『大陸に渡った円の興亡 下』
「八 終戦と預け合債務の弁済」の節 321pより引用
・・・・
こうして、聯銀開業の十三年六月から七年余りにわたって中国の「占領地に於て、或は日
本政府の軍費調達機関」として朝鮮銀行と正金が累積した預け合債務は弁済された。
「八月十五日終戦の直前、我国は中北支に於ける預け合を金塊を以て完済した。何時の
世に将に敗れんとする国家が終戦の直前金を以てその軍費を弁済した例があらう」
引用終わり
「」内は正金銀行の報告書のにある引用ですが、このように、まさに終戦直前の
混乱のさなかに円のレートは激減したとはいえ、とにかく実直に弁済を行ったことは事実です。
内訳を、同322pより再び引用します。
台湾銀行券一四億円、朝鮮銀行券五0億円、満洲中央銀行券八二億円、中国聯合準備
銀行券八四九億円、蒙疆銀行券二八億円、中央儲備銀行券二兆二、七七二億元(日本円
換算四、0九九億円)、南方開発金庫券一八二億円、それに軍票二三億円・・・、
おまけに付け加えとくと、軍票の新規発行は昭和18年4月に停止されてる
しかも停止直前には、軍票相場は暴騰してたりする
それ以降は徐々に回収され、汪兆銘政府発行の銀行券(儲備券)に置き換えられているよ
ただし、香港と海南島だけは例外だけどね
314 :
日出づる処の名無し:2005/10/08(土) 20:48:10 ID:DjJguwlo
日本の戦争が正しかったと主張する人々は、この事件を「でっち上げ」
「誰も見ていない」などとののしってきました。靖国神社の「遊就館」は
「南京事件」のパネル解説で「敗残兵の摘発が行われたが、南京城内では
一般市民の生活に平和がよみがえった」と述べています。
約二十年前、「でっち上げ」論の「根拠」を失わせる出来事がありまし
た。
八三年十一月、旧陸軍将校の親ぼく団体「偕行社(かいこうしゃ)」の
機関紙「偕行」に「いわゆる『南京事件』に関する情報提供のお願い」と
いう記事が載りました。元将校に、体験手記の投稿を呼びかけたのです。
記事は、南京事件の証拠を「憶測・誇張・伝聞が多い」「デタラメ」と批
判。参戦者の証言を集めて「『大虐殺の虚像』を反証し、公正な歴史を残
す」と訴えています。
「偕行」は翌年四月号から約一年、連載「証言による南京戦史」を掲載。
しかし編集部の意に反して、元将兵からは虐殺を告白する手記が多く寄せ
られました。これらの手記も掲載されたのです。
315 :
日出づる処の名無し:2005/10/08(土) 21:49:08 ID:0S3XGeQk
「本質的には捕虜」だってwwwwwww
誰の見解だそりゃ
捕虜にとる前は捕虜じゃないんだから(当たり前w)
単なる敵兵。敵兵を殺しちゃいけないっつのかね?
そんな馬鹿を言ってるのはお前だけw
316 :
日出づる処の名無し:2005/10/08(土) 21:55:09 ID:0S3XGeQk
>>314 陸軍に属していたら誰でも証言を寄せられた偕行社だね。
でも実名で証言した元陸軍人の100%が嘘をついていると判明しているんだから
証言の一つ一つを検証しないとね。
テンプレも読んでね。
大虐殺ではないにせよ
虐殺はあったことは確かなんだ
虐殺された数の問題が
事件自体の有無に発展してるがそこんところ注意
318 :
日出づる処の名無し:2005/10/08(土) 21:58:42 ID:g3OYyGQM
捏造事件
319 :
日出づる処の名無し:2005/10/08(土) 22:08:39 ID:0S3XGeQk
>>317 >虐殺はあったことは確かなんだ
その根拠がさっぱり見つからなくてみんな困ってるんですw
捕虜にとる前の敵兵が国際法上、捕虜に当たるのでしょうか?w
ものすごい馬鹿が出現しました。
彼は「本質的に捕虜」というまるで「広義の」と言い出す窮鼠サヨク
独特の特徴を現してきましたね。
また、まるで日本軍がハーグ法規の「武器を捨て自衛の手段尽きて
降を乞える敵」を殺傷したようにいってますがなんら根拠を示していません。
やったに決まってるといいたいようですw
「虐殺はあった」という裁判結果を認めて条約に調印したんだから仕方ないだろう
321 :
日出づる処の名無し:2005/10/08(土) 22:14:03 ID:0S3XGeQk
>>320 テンプレ>3を読め。
話はそれからだ。
人大杉。できれば、教えてほしい
323 :
日出づる処の名無し:2005/10/08(土) 22:34:19 ID:kufv/5I2
荒らしが自作自演をしている何よりの証拠です。
161 日出づる処の名無し New! 2005/10/08(土) 17:11:57 ID:opJ+sfXY
162 日出づる処の名無し New! 2005/10/08(土) 17:13:08 ID:opJ+sfXY
163 日出づる処の名無し New! 2005/10/08(土) 17:17:21 ID:opJ+sfXY
164 日出づる処の名無し New! 2005/10/08(土) 17:21:13 ID:opJ+sfXY
165 日出づる処の名無し New! 2005/10/08(土) 17:23:09 ID:opJ+sfXY
167 日出づる処の名無し New! 2005/10/08(土) 18:43:56 ID:opJ+sfXY
168 日出づる処の名無し New! 2005/10/08(土) 18:46:07 ID:opJ+sfXY
169 日出づる処の名無し New! 2005/10/08(土) 18:50:23 ID:opJ+sfXY
173 日出づる処の名無し New! 2005/10/08(土) 20:47:25 ID:opJ+sfXY
174 日出づる処の名無し New! 2005/10/08(土) 20:52:52 ID:opJ+sfXY
176 日出づる処の名無し New! 2005/10/08(土) 21:55:28 ID:opJ+sfXY
160の警告後、発言したレス数 16
うちID:opJ+sfXY 一人による妄言 11
324 :
日出づる処の名無し:2005/10/08(土) 22:37:11 ID:Fu0rtAFN
ここにも・・・
一応張っておいた。
サヨが最低限の社会のルールすら守れないという
具体的な例でしょうから。
>>317 「事件」と「虐殺」を混同させてますね。
事件(と呼べるもの)自体が無いとここの誰が言っている?
数の問題では無い、質の問題。
中国軍はデフォで日本兵捕虜を処刑していることも憂慮されたし。
>>289 松井大将の涙の訓示とかを「虐殺の証拠だ」と持ち出すのは一昔前の
左翼がよく使った手だけど、今ではそれが何件かの掠奪、強姦の「噂」が
あったからだというのは誰でも知ってる話だから、そんな主張する奴は
いないんだけどね。
>>290 そうですね。
この裁判では、自称被害者の証言がくるくる変わることや資料に食い違いが
あることなどは認めてますからね。
ただ、証言がくるくる変わるからと言って全てが嘘、あるいは勘違いとは
言い切れないわけで、資料に食い違いがあるからと言って、どちらの資料
が正しいのかは立証されていない。
つまり、立証されていない状況証拠だけで「偽物」としたから名誉毀損に
当たるという判決が出ただけのことですよね。
>>300 それって、どういう論理なんでしょうか(笑
内政干渉の問題と憲法違反か否かは全然関係がないですよね。
>>303 日本軍は酷い徴発をしてませんしね。
南京戦の四ヶ月前の昭和十二年八月、北支に上陸して間もない
浜崎上等兵は、兄宛の手紙に、「一汁一菜ことごとく日本軍は代価を
払います」と記している。
部隊として家具などを持ち出したことを聞いている。
これは集団宿舎の設備補充の用途に充てたとのことである。
この徴発の際にはそれぞれ損害を補償するか、管理人が逃亡して不在のことが
多く、これらの家には代償を支払うべき証明書を貼付しておいた、とのこと
である。
個人として無断持ち出しをしたものも少しあった。
又外人の家財を侵したものがあったので、これらはそれぞれ現物を返還し又は
補償金を与え解決し、犯罪者は処罰した。
決して司令部として不法行為を命令したことは勿論ないし、またこれを容認
したこともない。「速記録309号」
上海派遣軍参謀長・飯沼守の宣誓口供書より
「一月二十五日(曇)きょうは、発電所に二名の使役を出す。
分隊は西門から約二キロの部落へ、野菜と食料の徴発に行った。
しかし、軍票がないので、日本円で払うと、土民はとても喜び
、鶏卵まで加えてくれた」
「二月六日(晴後曇 時々小雪)分隊の何名かを残して徴発に行く。
土民もだんだん好意を持つようになった。
軍票がないので幾らかの日本銭を与えると、「謝謝」と笑顔で送って
くれる」
「四月五日(晴)きょうは勤務はない。
昨日のこと(注:松江付近における敵の急襲)もあるので、いつ非常
出勤があるかもしれない。
野菜不足のため、城外に徴発に行く。
農民は、我々がいつも金を与える関係で喜んで野菜を売ってくれる。
また我々のために、少しは備蓄しておいてくれるらしい」
長谷川秋広上等兵私家版「戦火の揚子江を行く」より
329 :
日出づる処の名無し:2005/10/08(土) 23:49:22 ID:zxVgywWN
まー10人くらいの虐殺ならあったかも知れんね。
これで左翼の人は満足?
>>314 あの、全然違うんですけど…。
偕行社の証言集では虐殺がなかったことが証明されてしまった。
なのに虐殺があったかのような総括がされてしまった。
だからこそ全国の会員から批判をされたんですよ?
「南京戦史」でも、別に虐殺は証明されておらず、処刑について不法だと考える
人たちもいる、ということがわかるだけですし。
二月七日、松井大将は、上海派遣軍の慰霊祭において、「南京占領後の軍の諸不始末」
を批判したが、松井大将の陣中日記によると、それは「強姦」(十二月二十日)や「掠奪」
(十二月二十九日)だった。
こういったことについては、昭和十三年二月十六日の「第七十三回帝国議会貴族院予算委員会」
で大蔵公望男爵が「一人でも二人でも間違った行動があるとしますならば、それは実に遺憾
千万と思ふ」と言っている。
もし大虐殺などがあれば絶対に出てくるはずのない発言だったり認識です。
左翼の人は虐殺の証拠として松井大将を持ち出しますが、実は自分の首を
締めていることに気づいていない。
軍規が厳しく夜間自由に出歩けたわけではない、というのは兵士の証言
からも敵方の回想からも判明している。
ベイツも虐殺は最初の三日間といい、不法行為は最初の十日間と言っている。
13日に安全区を攻撃しなかったことは証明されている。
ということは、ベイツは三日間実施された便衣兵掃討のことを指して虐殺だと
言っていることになる。
しかし便衣兵掃討の事実と、左翼や中国が主張する市民虐殺とは雲泥の差がある。
手当たりしだに処刑したわけではなく兵と市民の選別作業を行っていたんだから。
この時市民が間違えられて犠牲になった可能性もあるが、あくまで可能性の話
であって、そんなことが証明されたわけでもないし、第一あったとしても
それほど多くないのは、様々な点から考えて明白。
最初の十日に犯罪が、というけれども、それは単に安全委員会に被害届けが
出ていたというだけのことで、欧米人が日本兵の不法行為を目撃したこと
などほとんどないし、不法殺人に至っては0でしょう。
手当たり次第に市民が虐殺されたり、数百、数千の市民が殺されたり被害
にあっていれば、このようなことはあり得ない。
当時安全区内にいたマスコミ人も、自分たちに知られることなくそんなこと
ができるはずはない、と言っている。
年末の南京の状況は、虐殺があったという主張に反して、虐殺などなかった
という主張を裏付けている。
虐殺派の持ち出す証人は偽証であることがどんどん暴き出されているのに
対して、否定派の証言者が偽証であると明らかにされた例はない。
当時、安全区に出された被害届けから、掠奪や暴行、が横行したと言われて
いるが、当時の人たちにとって「日本軍の暴行」というのは、掠奪や強姦の
ことであり、虐殺などではなかった。
そして、安全区には大量の便衣兵、工作員が潜伏しており、攪乱工作が行われ
ていたことも明らかになっている。
さて、このような状況で虐殺性を信じるというのはいかがなものか。
理性的に考えればあり得ない結論であり、わかった上での確信犯と思わざる
を得ない。
>>322 日本は刑の執行を受け入れただけですが?
そもそも東京裁判の多数派判決は判決理由も証拠も示さなかったと批判され
てるんだから。
「英・国際事情調査局」から。
(不法殺害)
投降兵・拘束兵(非便衣化)の殺害
行動の根拠・・・研究者による日本側公文書(戦闘詳報等)その他資料の比較検証
法的な根拠・・・ハーグ規定
(グレー)
便衣兵の定義・便衣兵と市民の区別
(不法殺害否定論)
司令官の逃走で非便衣化兵の捕虜資格も無し(ハーグ規定解釈 東中野氏)
東中野氏は隊長クラスを無視 解釈が分かれる
>>319 >>虐殺はあったことは確かなんだ
>その根拠がさっぱり見つからなくてみんな困ってるんですw
>捕虜にとる前の敵兵が国際法上、捕虜に当たるのでしょうか?w
ハーグ規定では、拘束兵はおろか、投降兵の殺害も禁じている
ここって18スレまで行きながら、みんな基本的な法知識もないって事?
>335
住人が固定されてると思わないように。
自サイト宣伝が目的の荒らしが居ついてた時期などに、呆れて寄り付かなくなった人間も多かろう。
だから「投降」のルール
338 :
日出づる処の名無し:2005/10/09(日) 01:03:34 ID:s3C3uvOX
>>336 はて。
自サイト宣伝目的の荒らしが居つく以前から
サヨの言動は呆れていたものだが
>>335 繰り返し説明するのは疲れた。
過去レスどうぞ。
といいながらもう一度説明しよう。
東中野は隊長クラスを無視しているわけじゃなく、向こうに統率する立場のリーダー
がいなかった、ということを加味している。
だからこそ、平林貞治少尉の「向こうの指揮者というのがいないから、水を分けるに
しても向こうで奪い合いのケンカなんです」という証言や「南京保衛戦戦闘詳報」
の「新しく補充された兵は訓練されぬまま第一線に投入され、官兵は相互に顔を
知らず、一度砲撃を受けると忽ち潰乱状態となって制御できなかった」と言う文章
も彼は紹介している。
>338
「あの時期には」「特に多かった」と解釈していただけるとありがたい。
俺は呆れるとかいう以前に倦んでる。もう嫌、このエンドレス魔女裁判……
>>341 だから、もはや根本的にサヨは叩かないとダメなんですよ。
基本的にはコピペ集団なんですから
>>340 法解釈は微妙な問題だが
投降兵殺害に関する論争で
東中野氏が秦氏に論破されてたと思うが
数年前の「諸君」の話
344 :
日出づる処の名無し:2005/10/09(日) 01:37:50 ID:s3C3uvOX
で、これで同じ話何度目だ?
サヨが何回同じネタの話したか全部カウントしていこうか。
>>343 それは私も見たが、内容はよく覚えていない。
法解釈の問題が焦点ではなかったような…。
覚えてないから断言しないけど。
ちなみに、便衣化することがジュネーブ条約時にも認められておらず、しかしこの時
に「捕虜と同等の待遇」を与えなければならなくなった、という話は、全然東中野
とは無関係。
彼はこんなことを書いたことはないし、それ以前のレベルに止まっている。
訂正
ジュネーブ条約時にも→追加議定書の時にも
それと、東中野が秦と誌上で議論したのは、東中野一人に対して相手は二人
だったような。
>>344 話がループさせる変なのは、ウヨサヨ双方にいるだろ
これまでの流れを黙殺して、極端な結論で粘着し、それに対する指摘で話をループさせる
研究者も微妙な部分で争ってるのが現状
>>346 投降兵殺害の議論と、便衣兵処刑の議論は
とりあえず分けるべきだね
>>349 > 投降兵殺害の議論と、便衣兵処刑の議論は
> とりあえず分けるべきだね
そうですね。
市民虐殺、便衣兵処刑、投降兵処刑。
あと、市民虐殺と便衣兵処刑時の巻き込み。
これらは区別してやった方が無用な混乱を生まなくていいですね。
351 :
日出づる処の名無し:2005/10/09(日) 02:39:46 ID:s3C3uvOX
>>349 いねえよバカ
お前がウヨとかいう奴らは、サヨがアホな事言わずに静かなら何も言わないわ。
極端な結論といっても右の極端な結論つうのは、
中凶の三十万説以外南京大虐殺とは認めないとかそういう「極端」だろ。
あ、投降兵や処刑、というより殺害と言った方が適切ですね。
またタイプミスだ。投降兵や→投降兵は
>>351 彼等が同じネタをしたがるのは仕方がないよ。
もうじきまた、陥落時「人口は50万人いた!」とか言う人間が現れるんじゃない?
>>351 双方に極端なのはいるだろ
「一部サヨ」 南京無差別市民大虐殺
「一部ウヨ」 虐殺(不法殺害)とされる根拠すらさっぱり見つからない(
>>319)
一部サヨには中共を疑えとしか言えないが
一部ウヨは「無かった論」が微妙な法解釈に上にある事を理解した方が良いね
研究者の統一見解じゃないんだよ
「虐殺を否定する学者はいません」とか(笑
「虐殺を否定する学者はいません」
という主張が出てくるたびに、「マムコは存在しない!」を思い出すのをおれだけ?
358 :
日出づる処の名無し:2005/10/09(日) 02:54:11 ID:s3C3uvOX
>>355 >「一部ウヨ」 虐殺(不法殺害)とされる根拠すらさっぱり見つからない(
>>319)
そりゃそうだろ。
そもそもが、「南京大虐殺」、つまり「不法な市民の大量殺害」が存在しない訳だから、
殆ど根拠は無しだ。普通ならここで終了のハンコ押されるよ。
>>319は、それから先のオマケ相手に一々対応してあげているだけむしろバカ丁寧です。
>>358 「南京大虐殺」が無かったと言うのと
不法殺害があった根拠すら見つからないと言うのは
別
これ位の区別を付けてから書き込んでくれ→s3C3uvOX
>357
俺は「パンツは布です」を思い出すけどなw
>359
よろしい、ではループ開始だw
ソースよろ。
>>359 じゃあ逆に聞くが、区別を付けたところでさあ。
何かなるわけ?
しずかになったお
>>362 所詮、くだらん売国奴相手のスレだからな。
売国奴も、妄想が尽きたのだろ。
むぅ。何故誰も『ソース』を持ってこないのだろう。
ブルドッグとかカゴメとかコーミとか。
静かすぎる
>>358 個人的には
「日本軍は誰一人殺害していない!」
のほうが適切だろうな>極端な例ofウヨ
367 :
日出づる処の名無し:2005/10/09(日) 09:53:17 ID:ysTAG6U9
南京大虐殺の定義をまず答えて欲しい。
いつ
どこで
誰が
何人殺した虐殺なのか。
368 :
日出づる処の名無し:2005/10/09(日) 10:36:31 ID:+uNCgQTG
( ´д`)南京大虐殺ぅ?
(;゚д゚)まだそんな事言ってるんか?
アフォ?
369 :
日出づる処の名無し:2005/10/09(日) 10:48:40 ID:Q2zMEX7w
ん?たしかに某新聞社や某国が南京での事件に関して捏造を行ったのは事実だ
しかし、事件自体がなかったということにはならないだろう
骨も出てるし日本兵の証言だってあるんだ
今から調べなおしてきましょう
370 :
日出づる処の名無し:2005/10/09(日) 10:52:10 ID:UcIx/wDh
>>369 南京事件の骨が出てるなんて初めて聞いたよ
30万人分あるのだろうね?
371 :
日出づる処の名無し:2005/10/09(日) 10:54:59 ID:Q2zMEX7w
ん?369は、俺の最初の一行を読んでないのか?
372 :
日出づる処の名無し:2005/10/09(日) 10:56:36 ID:UcIx/wDh
>>369 当時は世界各国の新聞記者やカメラマンが南京にいたし、30万人もの
大きな事件なんだから、動かぬ証拠となる写真や映像が
必ずあるはずなんだが、捏造品ばかりで確たるものがない。
あったら教えてくれ。
∧_∧
___\(・∀・ ) < 南京大虐殺ってなんですか?おいしいんですか?
\_/⊂ ⊂_ )
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ /|
374 :
日出づる処の名無し:2005/10/09(日) 11:44:02 ID:Nsci6/W6
(`д ´)ゞハッ!報告するであります。
我が日本帝国軍は、共産党軍と国民党軍の武力による政権争い圧政に苦しむ中国本土の人民を平和的解放したのであります!
南京戦においては、国民党軍撤退の際、きゃつらの伝統的な作戦である三光作戦により、民間人に多大なる犠牲者が出たもよう。
また、きゃつらの伝統的な作戦である便衣兵作戦により、味方にも多数の死傷者が出たもよう。
これにより、大量捕虜を管理する事が不可能になり、投降兵は捕虜に出来る範囲を超えた場合、全て射殺したのは正解だったと思われます。
>>373 それはしらんが、南京豆はそこそこおいしい。
南京虫や南京錠、はたまた、南京玉簾は食えない。
はっ、さて、さて、さて、さて
さては南京たますだれ。
何故客観証拠の有無を調べないうちに
「あっただろう」からスタートするかがわからんちん
死んだ人間がいる=虐殺 というのも
死因・死亡状況(首をハネられているのか チンコ切られているのか 陰部に棒が刺さっているのか・・・)
をいちいち検証しなければ判断できるわけもない ましてや死体に「加害者の名前」が書いてあるはずもない
さて 骨がどうとか言うが どこまで鑑定した結果で
1)全て中国人の骨である(漢人でもいいけど)
2)全て1937年12月〜翌年1月の間に死亡した
3)死因及び非戦闘員である事(被害者の個人特定)
が行われたの?
377 :
日出づる処の名無し:2005/10/09(日) 15:28:19 ID:uXwe+kZk
仮名の証言・第16師団は捕虜を殺す方針・捕虜になる前も「本質的」に捕虜
日本軍は「武器捨て自衛手段尽きて投降した敵」を殺した等の嘘を言い垂れた
破廉恥肯定派は逃走したんでしょうか?
彼は肯定派が如何に無知で嘘つきで妄想を根拠にしているかのいい見本でした。
惜しい人物をなくしましたね。
378 :
全宇宙全生命永久永遠の大天国:2005/10/09(日) 15:29:35 ID:6V92KXRJ
捕虜の処刑の話ならどうでもいい。
いわゆる「南京大虐殺」はなかった
で終わり。
380 :
日出づる処の名無し:2005/10/09(日) 17:15:44 ID:uXwe+kZk
>
>>176で論破されちゃったのに勝利宣言とはww
>さすが否定派だね
おっとw
うれしいね。自虐史観の胡散臭さを証明する人物がまだいたとは
ただ、残念なことに
>>319で君はすでに論破されたまま反論がないんだよ。
妄想発動かね?w
381 :
日出づる処の名無し:2005/10/09(日) 17:20:47 ID:uXwe+kZk
>以上のように、この『部下の為に責任を負ふ者其の頭に在ること』という条件の主旨は、個々の武装組織において
>責任者が存在し、その責任者の下に組織が統率されていることを意味しているのである。
これ反論のつもりかい?
なら支那兵が部下のために責任を負う者を頭に投降を申し出たという根拠を示さなきゃね。
ホレ、はやくw
382 :
日出づる処の名無し:2005/10/09(日) 17:25:57 ID:uXwe+kZk
>「大体捕虜はせぬ方針なれば片端より【 之 】を片付くることとなしたるも」
またまた妄想回路発動ですかw
これはこう続くんだよアフォ。
「千五千一万の群集となれば之が武装を解除すること すら出来ず」
武器捨ててねえじゃんw こうなると捕虜ですらないな。単に敵を包囲しただけ。
というわけで投降者ではなくなりましたw
殺しても何の問題もありませんね。
383 :
日出づる処の名無し:2005/10/09(日) 17:28:06 ID:uXwe+kZk
>【 之 】は文脈から見て「包囲した敵兵」だね。
だって捕虜とってないしw
ざんねんだねw
384 :
日出づる処の名無し:2005/10/09(日) 17:29:36 ID:uXwe+kZk
仮名の証言・第16師団は捕虜を殺す方針・捕虜になる前も「本質的」に捕虜
日本軍は「武器捨て自衛手段尽きて投降した敵」を殺した等の嘘を言い垂れた
破廉恥肯定派は逃走したんでしょうか?
彼は肯定派が如何に無知で嘘つきで妄想を根拠にしているかのいい見本でした。
惜しい人物をなくしましたね。
385 :
日出づる処の名無し:2005/10/09(日) 17:29:38 ID:Q2zMEX7w
南京大虐殺がないと日本史の教科書に書いてなかったような・・・・
どこまで嘘つくのかな?
386 :
日出づる処の名無し:2005/10/09(日) 17:30:55 ID:uXwe+kZk
>>385 ないことは書く必要がありません。
そんな基本的なこともわからないステキ脳をおもちとは羨ましいです。
387 :
日出づる処の名無し:2005/10/09(日) 18:31:02 ID:uXwe+kZk
>>319抜粋
捕虜にとる前の敵兵が国際法上、捕虜に当たるのでしょうか?w
ものすごい馬鹿が出現しました。
彼は「本質的に捕虜」というまるで「広義の」と言い出す窮鼠サヨク
独特の特徴を現してきましたね。
また、まるで日本軍がハーグ法規の「武器を捨て自衛の手段尽きて
降を乞える敵」を殺傷したようにいってますがなんら根拠を示していません。
やったに決まってるといいたいようですw
だってさw
388 :
日出づる処の名無し:2005/10/09(日) 18:41:59 ID:uXwe+kZk
>まぁ、他に何かあるというならば、【その文中から】「之」が指しているものを挙げてみな、捏造なぞせずになw
あれまぁw
都合のよいところを抜き出して「その文中から」だなんてずいぶん面の皮の厚い人ですねぇ。
その文章の全文を解すれば
「大体捕虜にはしない方針なれば片端から之を片付くる(即ち銃殺する)
こととなしたるも千五干一万の群集ともなると多過ぎて銃殺することすら出来ず」
になる。
仮に捕虜だという認識があったとしても「銃殺できない」じゃないw
日本語学校に行けよアフォウw
389 :
日出づる処の名無し:2005/10/09(日) 19:07:28 ID:uXwe+kZk
反論マダー?
390 :
日出づる処の名無し:2005/10/09(日) 19:10:19 ID:uXwe+kZk
基本的なことを訊きたいんだけどさ。
仮に捕虜を殺したとしてそれが「南京大虐殺」だって言いたいの?
391 :
日出づる処の名無し:2005/10/09(日) 19:16:17 ID:uXwe+kZk
>ウププ、「全文を解すれば」って、キミィ〜、霊感でも根拠に「解した」のかねぇww
つまり反論できませんってことでいいかな?
一、大体捕虜ハセヌ方針ナレバ片端ヨリ之ヲ片付クルコトヽナシタルモ
千五千一万ノ群集トナレバ之ガ武装ヲ解除スルコトスラ出来ズ
唯彼等ガ全ク戦意ヲ失ヒゾロゾロツイテ来ルカラ安全ナルモノヽ
之ガ一旦掻〔騒〕擾セバ始末ニ困ルノデ部隊ヲトラックニテ増派シテ監視ト誘導ニ任ジ
十三日夕ハトラックノ大活動ヲ要シタリ乍併戦勝直後ノコトナレバ
中〃実行ハ敏速ニハ出来ズ 斯ル処置ハ当初ヨリ予想ダニセザリシ処ナレバ
参謀部ハ大多忙ヲ極メタリ
オラオラw
どこに殺したと書いてあるんだよ!
みなさーん、これが肯定派の手口ですよぉーw
392 :
日出づる処の名無し:2005/10/09(日) 19:20:18 ID:uXwe+kZk
>そうそう、その時は銃殺できなかった、ということだな
ぶはははwwww
つまり殺したという根拠じゃないということですなぁw
捕虜はせぬ方針なれば片端より…
ってことは「捕虜を受けない方針なら片端から殺すこともできたのに」
だろうが。
いったいどこに「捕虜を殺す方針」があったのかね?
ほら言ってみろw
393 :
日出づる処の名無し:2005/10/09(日) 19:33:23 ID:uXwe+kZk
>論点は、野田、向井の所属していた師団は「捕虜を殺害する方針だった」ということ
あーあ
>>392の後からこんなものを書き込むなんてミジメw
395 :
日出づる処の名無し:2005/10/09(日) 19:42:10 ID:uXwe+kZk
ホレ、お勉強しろw
この日記には、「武装ヲ解除スルコトスラ出来ズ」とか、「当初ヨリ予定ダニセザリシ処ナレバ」というように、ダニとかスラといった強意の副助詞が用いられている。
『国語大辞典』を持ち出すまでもなく、だにもすらも、「程度の甚だしい一事(軽量いずれの方向にも)を挙げて他を類推させる」働きをする。
つまり、陣中日記の作者は「武装ヲ解除スルコトスラ出来ズ」と書き記すことにより、「捕虜ハセヌ方針」の貫徹など、到底不可能、と匂わした。
換言すれば、「捕虜ハセヌ方針」という最終目的を達成する手段が、支那兵の「武装ヲ解除スルコト」であった。
では、問題の「捕虜ハセヌ方針」とは、何であったのか。三つのことが考えられる。
まず、銃殺の方針であったという従来の通説である。
しかし、銃殺が当初からの方針であったのであれば、すでに述べたように、中島師団長は「大体捕虜にはしない銃殺の方針であったから、投降兵が来るや、
これを片端から銃殺しようとするのだが、千、五千、一万の群集ともなると多過ぎて、銃殺することすら出来ない」と記していたことであろう。
ところが、陣中日記の作者は、「銃殺することすら出来ない」とは書かなかった。
従って、即時処刑の方針ではなかったことになる。
では、捕虜にする方針であったのか。
しかし、これは、言うまでもなく、「捕虜ハセヌ方針」に反する。
となると、残るは、投降兵の追放しかない。
戦場の投降兵にたいしては、処刑するか、捕虜とする、追放するか、三つの方針しかないからである。
従って、「捕虜ハセヌ方針」とは「投降兵は武装解除後に追放して捕虜にはしない方針」という意味になる。
その「武装ヲ解除スルコトスラ出来ズ」という表現から、当初の方針
(即ち捕虜にはしないで武装解除してから追放することなど)など、とても遂行できないという悲鳴が聞こえてくるのである。
はい、「捕虜は殺す方針」は崩れ去りました。
「捕虜をしない方針であったなら」という仮定を飛ばして「片端より片付ける」を殺したと思ってる与太郎くん。
都合のいいとこ取りは通用しないよw
396 :
日出づる処の名無し:2005/10/09(日) 19:47:31 ID:uXwe+kZk
>1、俘虜は処断す
しょだん 0 【処断】
(名)スル
決断を下すこと。きまりをつけること。
「法に照らして―する」
やれやれw
いったいどこまで馬鹿をさらせば気が済むんだろうw
「霊感くん」に日本語で負けちゃまずいんじゃないの?w
397 :
日出づる処の名無し:2005/10/09(日) 19:49:16 ID:uXwe+kZk
処断の「断」の字を見て殺すと想像しちゃったのかなぁ?
子供の発想だよねぇw
398 :
日出づる処の名無し:2005/10/09(日) 19:59:18 ID:uXwe+kZk
>「武装ヲ解除スルコト」【スラ】できないのだから、武装解除した後に「何か」をすることが目的であると読まざるを得ないだろう
基地外の発想ですなw
もし、即時銃殺が当初からの方針であったのであれば、中島師団長は、当初からの「投降兵即時銃殺」
という方針に立って、その方針の貫徹に奮闘するのだが、千、五千、一万、の群集ともなると多すぎて、
とても銃殺すらできない、と嘆いていたはずである。
これを、先の日記に模して文章化すると次のようになる。
「大体捕虜にはしない方針なれば片端から之を片付くる(即ち銃殺する)こととなしたるも
千五干一万の群集ともなると多過ぎて銃殺することすら出来ず 」
つまり「捕虜ハセヌ方針」が捕虜処刑命令であったと仮定すると、
「片端から銃殺しようとするのだが、多過ぎて、銃殺することすら出来ない」
と書かれて当然であった。
ところが、そうは書かれなかった。
「片端から銃殺しようとするのだが、武装を解除することすら出来ず」と書かれてあった。
捕虜処刑命令であったと仮定する時、文章に、不自然な捩れが生じてくるのである。
この捩れこそ、この誤った仮定から生み出されていた。
399 :
日出づる処の名無し:2005/10/09(日) 20:01:06 ID:uXwe+kZk
捕虜の殺害を持って「南京大虐殺」というんですかぁ?
という質問をスルーし続ける人カワイソスw
>>397 >処断の「断」の字を見て殺すと想像しちゃったのかなぁ?
>子供の発想だよねぇw
なんか必死に連続書き込みしてるけど>uXwe+kZk
君から見たら『南京戦史』も笑うべき子どもの発想?
自分で本でも出せば?
-----------
●歩兵第33連隊戦闘詳報
「敵の遺棄死体」
12月13日「五、五〇〇」
備考
「俘虜は処断す」
「十二月十三日の分は処決せし敗残兵を含む」
●『南京戦史』に依る同件の調査記述
激高せし将兵が投降してきた敵兵を殺害
-----------
君は日本軍が拘束兵や投降兵を何人殺害したと思ってるの?
俺も皆殺しにしたとは思ってないよ
401 :
ポティトゥ ◆XXDK1nfTQo :2005/10/09(日) 20:04:51 ID:zXz7+xQN
>一、大体捕虜ハセヌ方針ナレバ〜
銃殺するつもりでいたんだけども、
一万とか大勢いるから簡単に武装解除とか出来ないわけで
まぁ戦意もなくゾロゾロついてくるから安全だろうし、殺さないでおきました。
でも騒ぎ出したらなにかとうるさいので
トラックで部隊を増員して誘導または監視することにしたけども、
トラックがいっぱい必要だし、戦勝直後だからなかなか進みませんでした。
当初はここまで予想してなかったので、参謀部は対応にクソ忙しかったです。
こんな感じ?
402 :
日出づる処の名無し:2005/10/09(日) 20:05:15 ID:uXwe+kZk
>>400 しょけつ 0 【処決】
(名)スル
(1)はっきりと、処置をつけること。
「懸案を―する」
(2)覚悟をきめること。
あのさ、
>>396にも書いてるけど処断・処決がいつから殺すことになったの?
支那では殺すことを意味するの?
日本語がペラペラになってから書き込んだほうがいいと思うよ。
>>402 で、君は(
>>400)の件でも
日本軍が殺害した投降兵は居ないと思ってるの?
『南京戦史』の調査もデタラメと?
404 :
日出づる処の名無し:2005/10/09(日) 20:08:39 ID:uXwe+kZk
405 :
日出づる処の名無し:2005/10/09(日) 20:12:34 ID:uXwe+kZk
>■否定派の見解
「俘虜は処断す」は殺すと書いていないから、捕虜の殺害を意味しない
はい、それで結構ですぅw
つか、当たり前だろw バカカ
東京裁判や中共やアイリスチャンの言ってるような
一般市民無差別殺害が「南京大虐殺」なのであって
捕虜の処刑が何千だろうが何万だろうが十万だろうがあったとしても、
それは「南京大虐殺」があったとはいいません。
「中共のいう30万という数字はウソだが南京大虐殺はあった」というのはギミックなのです。
これは捕虜処刑合法不法の議論以前の基本的な確認事項です。
407 :
日出づる処の名無し:2005/10/09(日) 20:18:10 ID:uXwe+kZk
横領社員を処断したって言ったら殺したことになるのかね?w
408 :
惨たらしい荒らしの数々:2005/10/09(日) 20:19:30 ID:s3C3uvOX
179 日出づる処の名無し New! 2005/10/09(日) 16:51:53 ID:z2zpxmlE
180 日出づる処の名無し New! 2005/10/09(日) 16:59:39 ID:z2zpxmlE
181 日出づる処の名無し New! 2005/10/09(日) 18:29:03 ID:z2zpxmlE
182 日出づる処の名無し New! 2005/10/09(日) 18:30:24 ID:z2zpxmlE
183 日出づる処の名無し New! 2005/10/09(日) 18:32:49 ID:z2zpxmlE
184 日出づる処の名無し New! 2005/10/09(日) 19:10:54 ID:z2zpxmlE
185 日出づる処の名無し New! 2005/10/09(日) 19:12:22 ID:z2zpxmlE
186 日出づる処の名無し New! 2005/10/09(日) 19:27:38 ID:z2zpxmlE
187 日出づる処の名無し New! 2005/10/09(日) 19:35:06 ID:z2zpxmlE
188 日出づる処の名無し New! 2005/10/09(日) 19:36:57 ID:z2zpxmlE
189 日出づる処の名無し New! 2005/10/09(日) 19:42:35 ID:z2zpxmlE
192 日出づる処の名無し New! 2005/10/09(日) 19:53:38 ID:z2zpxmlE
193 日出づる処の名無し New! 2005/10/09(日) 20:07:11 ID:z2zpxmlE
179−193のID:opJ+sfXY⇒ID:z2zpxmlEの発言数 13/15(約86%)
まあ、(
>>400)を見ても、拘束兵や投降兵に対する殺害無しとする
uXwe+kZk
にとっては、この件は実に簡単な問題だね
ハーグ規定の解釈で、敵兵の資格を否定する苦労もいらない
東中野氏も大喜び?
はやく本を出せば?
410 :
日出づる処の名無し:2005/10/09(日) 20:39:52 ID:uXwe+kZk
捕虜釈放の事実
洞氏にかぎらず虐殺派はおしなべてこの中島中将の「捕虜はせぬ方針」というのを一般に誤解して、
南京の捕虜はかたっぱしから殺害したかのごとく主張するが、決してそうではない。
これについて大西一上海派遣軍参謀はこう述べている。
「それは銃器を取り上げ釈放せい、ということです。
中国兵は全国各地から集っていますが、自分の国ですから歩いて帰れます」(阿羅健一著「聞き書南京事件」)。
さらに大西参謀は軍命令、師団命令で、捕虜殺害命令など絶対に出ていないと断言している。
集団捕虜約1万が南京城内の2つの監獄と、江東門の模範囚収容の小監獄および2つの収容所に収容された。
捕虜取り扱い専任の榊原参謀によると、「中央監獄の4000人のうち、半分の2000人は、命令により上海の捕虜収容所に移した。
その分類は私がした。」と言う。
さらに同氏は東京裁判で、「また幾人かは各部隊が労務に使用し、逃亡する者も相当多数いたが、これはそのまま放置した」
(極東国際軍事裁判速記録第310号22・11・7)。と証言している。
また、一部は釈放されて、昭和13年に創立された維新政府――のちの汪兆銘政府――の軍隊に起用された。
維新政府創立の立役者であり、行政院長に就任した梁鴻志氏は、のちに漢奸裁判にかけられて処刑されるが、その裁判の席上こう述べている。
「綏靖軍(すいせいぐん・維新政府の軍隊)の成立は民国28年(昭和14年)春で、兵士の大部分は投降兵から成り、応募者は僅少であった。
4個師に分けたが、1個師は僅か2、3千人であった」(益井康一著『漢奸裁判史』110ページ)。
つまり、約1万人の綏靖軍は主として南京戦、武漢作戦における捕虜を起用したというのである。
のちに北京新民会首都指導部で活躍した劉啓雄少将も南京戦における捕虜の一人である。
>>369 いや、文革時の骨とか何の関係もない骨を日本のせいにされても…。
証言だって少なくとも市民虐殺をやったなんて言っている人は極端に少ないわけ
で、その少ない証言が嘘だったり矛盾だったりすることが明らかになってるんだから。
それに、中国側は政治的に主張しているだけだから、中国共産党が無くならない
限り本当のことは言わないし、本物の資料も出さないよ。
>>381 >以上のように、この『部下の為に責任を負ふ者其の頭に在ること』という条件の主旨は、個々の武装組織において
>責任者が存在し、その責任者の下に組織が統率されていることを意味しているのである。
これはナンセンスですね。
「その責任者の下に組織が統率されていることを意味しているのである」では
なくて、指揮者が戦線離脱したような場合でも、潰走しなくてすむような、あるいは
投降時に代理の責任者が統率できるように、組織体型を整備しておく、というのが
近代的な軍隊だ、ということであって、その点で中国軍は近代的な軍隊ではなかった
ということですよね。
だって中国では軍隊も匪賊も違いがないんだから。
>>382 >「大体捕虜はせぬ方針なれば片端より【 之 】を片付くることとなしたるも」
日本の方針としては、戦争を決意したと受け取られるような言動は取らない、実際
には交戦法規を遵守するにしても、実際には捕虜が存在するにして
412 :
日出づる処の名無し:2005/10/09(日) 20:40:22 ID:uXwe+kZk
捕虜釈放の事実
「現地釈放」の例を2つ上げる。
第16師団の歩兵第20連隊(福知山・大野宣明大佐)第1大隊に所属する衣川武一氏(京都府夜久野町在住)
は筆者への手記の中でこう述べている。
「われわれの取り扱った捕虜約2000人のうち、帰順を申し出る者は、若干の米麦と白旗を持たせて帰郷させた。
年末頃までに約半数が帰順し、半数は使役として働かせた。
腕章をつけて食糧の運搬や炊飯などさせた。
中山門の内側の土嚢の中に玄米の麻袋があり、我が部隊は大助かりであった。
が、水と燃料には苦労した。
これらは捕虜の使役で補うことができた。
かれらは一日中食糧の準備に終始した。
私はその指揮に当たったが、「衣川先生(イーセンセンション)」と呼ばれ、
捕虜とわれわれとの間に自然に親近感が芽生え、捕虜殺害などとんでもない話である。
これらの捕虜は、転進する際全部帰郷させた。」
次の例は、歩兵第45連隊の第2大隊は、14日早朝、下関で白旗をかかげた捕虜約5000と、
砲30門、重機、小銃、弾薬多数及び軍馬10数頭をろかくした。
この捕虜釈放を本多勝一氏は「南京への道」で次のように述べている。
「劉二等兵を含むたくさんの国民党軍将兵が、帽子を逆にかぶって(ひさしを後ろにして)投降した。
その数は1万人より少ないが、たぶん「数千人」の単位であった。
一ヶ所に集められたところへ、日本軍のリーダー格らしい人物が馬に乗って現れた。
ヒゲが両耳からアゴの下3〜4センチまで下がっていた。日本語で何か訓話したが、こまかいことはわからず、通訳によれば要点は
「お前らは百姓だ。釈放する。まっすぐ家に帰れ」と言っているらしかった。
一同は白旗を作らされた。
それぞれありあわせの白布を使った。劉二等兵は自分のハンカチを使い、30センチほどの木の枝にそれを結びつけた。
川岸には住民の捨てた荷や衣類がたくさん散乱していたので、軍服を脱ぎ捨ててそれを着た。
数千人の捕虜たちは、釈放されると白旗をかかげ、それぞれの故郷にばらばらに出発した。」(「南京への道」41〜2ページ)。
>>382 >「大体捕虜はせぬ方針なれば片端より【 之 】を片付くることとなしたるも」
日本の方針としては、戦争を決意したと受け取られるような言動は取らない、実際
には交戦法規を遵守するにしても、実際には捕虜が存在するにしても、そういった
用語は使うな、という方針があり、その処置としては解放、場合によっては処刑
、あるいは収容所送りにするという基本原則があった。
この場合の片づけるというのは、武装解除、選別、解放あるいは処刑という一連の
仕事を指しているものだと思われる。
そしてそのことを日本兵が二人証言している。
過去レスを見ればわかりますが。
>>385 説明すれば長くなるので、日教組というのがどのような団体なのか、教科書採択
のシステムはどうなっているのか、そして教科書に南京虐殺が書かれるようになった
のはいつからの話で、なぜそうなったのか、事実であるかのように何十万人も
虐殺されたと書いてあった教科書が近年どのようになってきているのか、等々を
勉強してくださいとだけ言っておきましょう。
>>396 日本軍の用語において「処断」が必ずしも処刑を意味しないことをこのスレ
で誰かが説明してくれていましたね。
というか、中島の「捕虜はせぬ方針」の話を虐殺の根拠に持ち出す化石のような
人間がまだいるとは。
このスレで少し前に他の人がカキコしたものを引用させてもらいます。
「処断」
付け加えさせてもらうと、「処断」と言う言葉も死刑のみを示す言葉ではないですね。
陸軍刑法にも明記されています。
たとえば、
第25条
党ヲ結ヒ兵器ヲ執リ反乱ヲ為シタル者ハ左ノ区別ニ従テ処断ス
1 首魁ハ死刑ニ処ス
2 謀議ニ参与シ又ハ群衆ノ指揮ヲ為シタル者ハ死刑、無期又ハ5年以上ノ懲役又ハ禁
錮ニ処シ其ノ他諸般ノ職務ニ従事シタル者ハ3年以上ノ有期ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス
3 附和随行シタル者ハ5年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス
415 :
日出づる処の名無し:2005/10/09(日) 20:46:11 ID:uXwe+kZk
というわけで捕虜を釈放する方針があったことが明らかになりましたw
>大体捕虜ハセヌ方針
が捕虜にしないで釈放することであったことは明らかですな。
釈放した兵が無害になるように武装解除するのは当たり前でしょう。
「本質的な捕虜」とか「日本語の機微」とか少し甘えすぎじゃありませんかぁ?w
いや、単に馬鹿なのかな?
「捕虜はせぬ方針」というのは、具体的にはこの方針に依拠しているものと思われる。
「4、軍の本件に関する行動の準拠、前述の如しといえども、帝国が常に(略)戦闘に
伴う惨害を極力減殺せんことを顧念しあるものなるが故に、これらの目的にそう如く、
前述「陸戦の法規慣例に関する条約其の他交戦法規に関する諸条約」中、害敵手段の選用
等に関し之が規定を努めて尊重すべく(中略)帝国変化の国策は努めて日支全面
戦争に陥るを避けんとするに在るを以て、日支全面戦を相手側に先んじて決心せりと見ら
るるが如き言動(例えば戦利品、俘虜等の名称の使用、或いは軍自ら交戦法規をそのまま
適用せりと公称し、其の他必要やむを得ざるに非ざるに、諸外国の神経を刺激せるが如き
行動)は努めて之を避け」
「捕虜をとる」と称することは、すでに戦争をしている、あるいは開戦する
つもりがある、と受け止められるので避けよ、ということですね。
では実際の捕虜に関してどうする方針だったのか。
それは「捕虜の処置」を見ればわかります。
陸軍歩兵学校が刊行した「対支那軍戦闘法ノ研究」の中の「捕虜の処置」という項目。
「教授範例」
「捕虜は他列国人に対する如く必ずしも之を後送監禁して、戦局を待つを要せず、特別の
場合の外之を現地又は他の地方に移し、釈放して可なり。」
417 :
日出づる処の名無し:2005/10/09(日) 20:48:50 ID:uXwe+kZk
処断の字を見て日本語の機微で「殺した」と理解しろだなんてw
おまえだろ、霊感くんはw
この「捕虜はせぬ方針」について、「捕虜の処置」の基本原則に沿って片づけろという意味
であるという上海派遣軍参謀・大西一大尉や参謀本部の諫山春樹大佐の証言があります。
419 :
日出づる処の名無し:2005/10/09(日) 20:54:18 ID:uXwe+kZk
あのさ、「捕虜はせぬ方針なれば」だけなの?
第16師団の捕虜を殺す方針の根拠ってw
それとさ、スルーし続けてるけど
捕虜の殺害を「南京大虐殺」といいたいの?ネェネェ
そもそも、基本原則が定められており、その原則があったことを大西氏なども認め
、その原則に従って解放した例がいくらでもある。
もし、「捕虜はせぬ方針」が「捕虜は殺す方針」だったなら、この人たちはみんな
軍規を犯したことになります。
>>419 何度も指摘されたことだけど、彼等は意図的に捕虜処刑の件と市民虐殺の件を
混同しようとしているようです。
市民虐殺論で不利な立場にあることを自覚しているものと思われる。
ところで、この板の左翼の人って、一昔も二昔も前に論破されて否定されている
ことを真新しいことのように主張しているようですね。
423 :
日出づる処の名無し:2005/10/09(日) 21:03:07 ID:uXwe+kZk
>>421 なるほどw
それでスルーせざるを得ないんですね。
みっともないなぁ、霊感くんw
だいたい、拉致して訓練もなく第一線に投入された中国の兵士、互いに誰が上官
か部下かわからないような兵士たち、逃げないように後ろから狙撃して、見せしめ
に自軍兵士を射殺するような軍隊にまともな組織体型があるわけもなく、あっても
兵士はそんなことは知らないんだから全く意味がない。
だからこそ、統率者がいなくなると収拾がつかなくなった、と向こうの記録にもある
し、日本兵の証言にもある。
指揮者逃亡の知らせを聞き、烏合の衆になったと欧米の新聞も報じている。
だから本を出せよ>uXwe+kZk
(
>>400)を見ても、拘束兵や投降兵に対する殺害無しなんだろ
東中野氏も法解釈で苦労しなくて済むだろ
あれ、なんか場違いな議論に参加してしまったかな…。
場違いというか、自分が想定した論点とは違う議論?みたいな。
429 :
日出づる処の名無し:2005/10/09(日) 21:23:00 ID:uXwe+kZk
>キミの主張の致命的なのは、キミの説明で中嶋日記を再構成すると、まったく意味不明になってしまうことだな
>■「捕虜にしない方針」だから、片っ端より「捕虜に何らかの処置をとる」ものの…
なんで? 片付けるのが捕虜の解放だったら武装解除するのは当たり前じゃないw
基地外の理屈はよくわからんねぇ
430 :
日出づる処の名無し:2005/10/09(日) 21:26:43 ID:uXwe+kZk
>そういうこと言うのなら、例の33連隊戦闘詳報付表における「俘虜を処断す」という記述で、俘虜はどう「処断」されたか、具体的な根拠を示して説明してみなよw
つまり「処断」の内容はわからないので殺した根拠にもならないということですね。
431 :
日出づる処の名無し:2005/10/09(日) 21:29:14 ID:uXwe+kZk
>つまり、殺すことを意味する言葉が含まれない別の言葉で、殺害を持たせるということは、当時の日本軍では行われていた、ということだね。
南京におけるその根拠を誰も示してくれないのでアフォかといってるわけですw
拘束兵や投降兵に対する殺害無しなんて
旧軍人団体も東中野氏もチャンネル桜の社長も言ってない
君がそう主張するなら本をだせって>uXwe+kZk
匿名の掲示板で仲間に認めてもらっても無意味
奮戦中で余裕がないことから投降を受け入れるなとか命令したこともあるし、何ら
かの理由で皆殺せと命じたこともあるようだけど、軍や師団の基本方針として「捕虜は殺す」というようなものがなかったのは確かですね。
434 :
日出づる処の名無し:2005/10/09(日) 21:37:46 ID:uXwe+kZk
俺はね、「殺してない」とは一言も言ってないんだよ。
根拠を出せといってるだけ。
結局、南京事件を現実的に考えていけば、捕虜や投降兵の処刑問題、便衣兵
掃討の合法性、その際の市民の巻き添えがあったか否か、という点に収束されて
いくんですよねぇ…。
この一点突破バカの相手しなきゃならんのか?
437 :
日出づる処の名無し:2005/10/09(日) 21:40:11 ID:uXwe+kZk
>>435 それ、「南京大虐殺」っていえませんよね。
ほんと、南京事件。
当時支那がやった無法行為をあげたら「戦時復仇」で終わると思うな。
>>437 「南京大虐殺」って、非常に政治的な作為を感じる言葉ですしね。
処断だか処置だか知らんけど軍の暗喩として その言葉を持って「処刑」を命令してた
と言ってるんだろか? 長くて実がないのでまともに読んでないけど
だったら「処断・処置」で殺されていない事例を見つければ論理破綻しますな
>>435 そうですね
問題はかなり前から整理されてます
微妙な法解釈を含む問題なので、
答えを一点に絞らずに、幅広い研究者の意見を併記すべき段階だと思われます
>>436 >この一点突破バカの相手しなきゃならんのか?
たしかにうんざりですが
全ての研究者を否定してまで自説を押し通そうとする「突破者」に引っかき回されるのは
この手の板の宿命かも知れません
442 :
日出づる処の名無し:2005/10/09(日) 21:54:39 ID:uXwe+kZk
>おいおい、れっきとした公文書なのに、何をどうしたか、ってことが分らないことを書いているとでもいうのかね?
ハー、マンドクサw
じゃ、お前は内容がなんだったか根拠を提示できるのかね。
443 :
日出づる処の名無し:2005/10/09(日) 21:55:43 ID:uXwe+kZk
>>441 アフォw
その「本スレ」に書き込んでるのはお前だけじゃねえかw
カコワルイw
まあ、せっかく左翼の人がいないことだし、マタ〜リと。
「本スレ」=「隔離スレ」(笑
446 :
日出づる処の名無し:2005/10/09(日) 22:02:01 ID:uXwe+kZk
ワロスw
447 :
わがままな遺伝子 ◆0bNY21/WAs :2005/10/09(日) 22:09:52 ID:awmFJHj4
なんで同じスレがふたつあって、いがみ合ってるわけ?
中国が国共合作をやってるとき、日本は陸軍と海軍がいがみ合っていたわけだが、少しも進歩しとらんね。
448 :
日出づる処の名無し:2005/10/09(日) 22:12:52 ID:znfcZTbR
>>447 国共合作中、地方などでどれだけ両軍が衝突していたか知ってる?
>>448 シュワちゃん見直した!
っていうか、中国は国家をあげてアメリカなどで反日活動をしているのに、日本
政府は何の対策も講じようとしないところに苛立ちを感じる。
451 :
日出づる処の名無し:2005/10/09(日) 22:16:27 ID:uXwe+kZk
国共合作って蒋介石を拉致されて無理やり約束したってやつだっけ?w
西安事件ね:張学了
台湾で軟禁の後客死
454 :
日出づる処の名無し:2005/10/09(日) 22:27:35 ID:uXwe+kZk
>■答えが無いみたいだから、
>「捕虜にしない方針」=「捕虜という呼称を使わない方針」
おいおい、また捏造ですか?
俺がいつそれを主張したのか引用してくれよ。
っていうか捕虜を殺した根拠がいまだにひとつも出てないんだけど。
ついでに捕虜を殺したのが「南京大虐殺」なの?って質問もスルーしっぱなしw
なんかなぁーw
捕虜を殺す方針の証明もできてないよね。
「南京戦 とざされたなんとか」の証言も根拠になりえないということに反論がないよね。
認識がどうあれ、国際法上捕虜にする前の敵を捕虜といえる根拠も出してない。
ほかにもいろいろ逃げてるよね。
恥ずかしくない?w
本人が「放置して」と言ってるんだからいいんでないの? マニアらしいから
>>454 捕虜という呼称を使わないように、というのも含まれてますよ。
つまり、捕虜を取るという行為自体もそうだし、その名称を使うことも、戦争を決意
している、あるいは戦争行為を行っていると思われる原因になるので、そういう
言動は取るな、ということです。
だから「特別の場合の外」これを解放するか処刑するかということになる。
共産党側の指摘では、国民党軍は昭和十三年(1938)十二月から翌十四年十月
までの一カ年弱の間、百五十余回の『摩擦』を引き起こし、そのうち二十八回
は軍事攻撃だったという。
八路軍三東縦隊は十四年六月から十二月までの間、国民党軍から九十余回の攻撃
を受け、千五百人以上が殺され、八百十二人が拘束された、と報告している。
一方、国民党側の資料によれば、十五年十月までの一年間で共産党軍から二百九十五回
の爆撃を受けている。
国民党側の証言では、共産党軍はほとんど日本軍との交戦を避け、国民党軍への
攻撃と勢力拡大に夢中だったという。
国民党は十四年一月、第五回五中全会で一連の反共措置を打ち出し、朱紹良の
蒋直系部隊三十万人をもって南・西・北の三方面から?甘寧辺区を包囲し、八路軍
を攻撃し、地方政権や共産党系団体を潰した。
それ以後も延々と勢力争いが続く。
458 :
日出づる処の名無し:2005/10/09(日) 22:35:05 ID:uXwe+kZk
なるほど
459 :
日出づる処の名無し:2005/10/09(日) 22:43:28 ID:uXwe+kZk
>>455 >マニアらしいから
その割には「南京大虐殺」の根拠を一つも示せていないんだよねぇw
あ、南京事件のマニアか!
隔離スレの「マニア」によると、「南京事件」という言葉を使う人は「素人」らしいし(笑
ところで、今台湾では蒋介石のブームらしい。
462 :
日出づる処の名無し:2005/10/09(日) 22:53:25 ID:uXwe+kZk
>>462 あ、いや、詳しくは知らないんですが、報道番組か何かでやってますた。
464 :
日出づる処の名無し:2005/10/09(日) 22:57:30 ID:uXwe+kZk
それは蒋介石マンセーみたいな印象ですた?
465 :
日出づる処の名無し:2005/10/09(日) 22:59:34 ID:a6I0dYnA
466 :
日出づる処の名無し:2005/10/09(日) 23:05:45 ID:uXwe+kZk
>>465 >「捕虜という呼称を使わない方針」が理由で、捕虜に対する処置方法がど〜して変化しなきゃならないのだろうなww
これは私の主張ではありませんので反論する理由がありません。
467 :
日出づる処の名無し:2005/10/09(日) 23:12:11 ID:uXwe+kZk
ついでに
「処断」の内容が不明なのに根拠なく「殺した」と解釈するのは
日本語の機微ではなく妄想です。
468 :
日出づる処の名無し:2005/10/09(日) 23:21:59 ID:AQnWsyox
歴史学者と知り合いなんだけど…
南京大虐殺は確かに「あった」。
ただ中狂が当時列強に日本の侵略をアピールするため誇張しすぎている。
(この時に中狂によって偽の画像が作られた)
もちろんその後も時間がたつごとに誇張されてきてるがw
まっ、南京殺害事件くらいが妥当なんじゃないの?
また「肩書き」だけで一点突破しようというバカが・・・
根拠だっての
ふむー、中島今朝吾の陣中日記すらまともに読んだことのない方ばかりのようです・・・
疑問とか色々知りたいのならば想像ではなく、じっくり読んでみることが第一ですよ。
『南京戦史』の資料集1に載ってます。
例えば、中島今朝吾師団長自身が捕虜を殺したと日記に記しています。
>一、本日正午高山剣士来着す
> 捕虜七名あり 直に試斬を為さしむ
> 時恰も小生の刀も亦此時彼をして試斬せしめ頚二つを見込(事)斬りたり
有名な「大体捕虜はせぬ方針なれば片端より之を片付くる」については、
>一、此七八千人、之を片付くるには相当大なる壕を要し中々見当らず
>一案としては百二百に分割したる後適当のけ(か)処に誘きて処理する予定なり
とあることからも、殺すことを考えていたようですが、他の記録を当たるとどうやら
一旦収容されたようです。が、その後どうなったのかについては確たる資料がなく
良く分かりません。
何れに致しましても、南京軍事法廷で第六師団の師団長だった谷寿夫が、
「南京での大暴行は中島師団のせいだ」のように述べたほど、十六師団は
評判が良くないようです。例えば、幕府山事件では、山田支隊が一万四、五千
という大量の捕虜を抱えて困っていて、第十六師団に収容を願うよう連絡すると、
「皆殺せ」(山田支隊長日記)と返事があったそうで。
「あったそう」ですかそうですか
………で、ここまでROMった俺の感想としては
「南京大虐殺とは、日本軍による当地での戦時捕虜30万の殺害」
と受け取って良いんだよな?>all
473 :
日出づる処の名無し:2005/10/09(日) 23:58:34 ID:uXwe+kZk
(不法殺害)
投降兵・拘束兵(非便衣化)の殺害
行動の根拠・・・研究者による日本側公文書(戦闘詳報等)その他資料の比較検証
法的な根拠・・・ハーグ規定
(グレー)
便衣兵の定義・便衣兵と市民の区別
(不法殺害否定論)
司令官の逃走で非便衣化兵の捕虜資格も無し(ハーグ規定解釈 東中野氏)
東中野氏は隊長クラスを無視 解釈が分かれる
>>470 捕虜の殺害が0だったと言ってる人は、このスレにはいないわけで・・・
476 :
日出づる処の名無し:2005/10/10(月) 00:19:49 ID:eb+I8jtD
>>475 いえー、「捕虜はせぬ方針」が捕虜の殺害を意味した、であろうと言いたいだけですよ。
私はおそらく、中島師団長がほぼ独断で片っ端から殺すと考えていただけだと思ってますが。
つまり、軍自体の方針というわけではなかったであろうと。
上海派遣軍参謀の日記などに捕虜の収容や後送などを考えていた記述などもありますし。
(しかし、逆に殺していたことを認める記述もあります)
ただ、ろくに捕虜を給養する準備も考えずに南京を攻略したようですから、
現場では「面倒だから殺しちまえ!」となるのも無理はなかったかも。
実際には、解放したり、一部ちゃんと捕虜として収容したりと、
方針は一貫してはいなかったと思われます。
ま、全部ではないにせよ「捕虜殺害があった」でこのスレの共通認識があるのであれば、
それで宜しいと思います。それさえなかったという否定派さんも時々見かけますからねぇ。
478 :
日出づる処の名無し:2005/10/10(月) 00:24:52 ID:7vVuiKfL
>476
何そのあからさまな釣り重複スレ。テンプレ間違ってるし。
>472
そうならざるを得んわなw
480 :
真実の知りたい子供達:2005/10/10(月) 00:29:24 ID:OOrdYChR
「妄想や憶測はもう聞き飽きたよー。」
「確かな証拠って無いの?」
「南京大虐殺の定義は何?」
「何故、捏造した史料が腐るほど出てくるの?」
>>480 「南京大虐殺の定義は何?」
中共の主張する市民30万無差別大虐殺
「確かな証拠って無いの?」
確実な証拠はない
日本側の記録にはない埋葬団体の記録や
南京軍事法廷への被害届等のいい加減な根拠
「何故、捏造した史料が腐るほど出てくるの?」
30万市民大虐殺に明確な根拠がないから
関係ない写真を引用して裏付けようとする
>>465 論理的な反論があったことは今まで一度もなかったんですが、もしか
して、と思ってリンクに飛ぼうとしましたが、人大杉でした。
どのような反論なのか教えていただけますか?
私が言っているのは、日本軍の基本原則を定めた一次資料から導き
される必然的な結論ですから、ぜひ反論が可能なら聞いてみたい。
>>470 またお得意のすり替え、ですか…。
誰も処刑がないなんて言ってませんよ?
中島の「捕虜はせぬ方針」が「捕虜は殺す方針」なのか、そして
片づくる、ということが皆処刑を意味するのか?ということなんですけど。
>一、此七八千人、之を片付くるには相当大なる壕を要し中々見当らず
>一案としては百二百に分割したる後適当のけ(か)処に誘きて処理する予定なり
これは佐々木部隊のことを言ってるんじゃないですかね?
普通みなさん、そう解釈されますが…。
阿羅--第十六師団の中島今朝吾中将の日記に「捕虜はせぬ方針」と
ありますが、どんな意味なのでしょうか。
諫山--武器を取り上げて釈放せよ、ということでしょう。
捕虜は釈放するということなのですが、そのまま釈放すれば
また敵となりますから武器を取り上げます。
参謀本部庶務課長・諫山春樹大佐の証言
の中島(今朝吾)師団長の日記に「捕虜はせぬ方針なれば」とあり、これが捕虜虐殺の証拠と
言われていますが?
「これは銃器を取り上げ、釈放せい、ということです。
中国兵は全国各地から集まっていますが、自分の国ですから歩いて帰れます」
第16師団上海派遣軍参謀 大西一大尉
「捕虜の処置」というものがあり、これらの証言はこの「捕虜の処置」と
整合性がとれる。
「捕虜は殺す」という方針は、陸支密198号の命令に反する。
飯沼守上海派遣軍参謀長は各師団長を集めて「彼等(中国側)は日本軍に捕らわ
れれば殺されると宣伝しあり、之を是正する」と命じたが、「捕虜を殺す方針」
はその目的に反する。
また、「捕虜は殺す方針」というのが実在するなら、十六師団で捕虜を解放した
例、つまり捕虜の処置にそった事例の説明がつかなくなる。
「捕虜の処置」についてであるが、洞富雄は「南京大虐殺の証明」において、この
後段部分だけを引用している。
肝心の基本方針の部分を削除してどうしようと言うのか。
前段がなければ、「特別の場合」だけではなく、まるで基本的に捕虜はすべて殺す方針
だったかのようではないか。
(まあ、現にそう主張してるわけだが)
捕虜の処置という言葉の意味、捕虜に関する日本軍の基本方針について語るなら
前段部分こそが基本方針であって、それは「特別の場合の外、釈放してよい」というものだ。
この前段があるからこそ「釈放する基本路線と例外」の二段構成になっていることがわかる。
後段はその例外において、処刑ということを念頭におき、さして問題は
起こらないと考えられる、としている。
つまり、「処置」の結果が、釈放であっても例外的な処刑であっても、問題になることは
ない、という意味の文章だ。
「捕虜はみな殺す方針」は、この基本原則に反する。
また、「交戦法規の適用に関する件」の「「陸戦の法規慣例に関する
条約其の他交戦法規に関する諸条約」中、害敵手段の選用等に関し之が規定を努めて尊重す
べく」という通達に違反する。
「四、軍の本件に関する行動の準拠、前述の如しといえども、帝国が常に(略)戦闘に伴う惨害を極力
減殺せんことを顧念しあるものなるが故に、これらの目的にそう如く、前述「陸戦の法規慣例に関する
条約其の他交戦法規に関する諸条約」中、害敵手段の選用等に関し之が規定を努めて尊重すべく(略)」
つまり日本軍の方針は、全面戦争に陥ることを回避するため、現実に交戦法規を適用するにせよ
、現実に捕虜が存在するにせよ、その種の言葉を公の場で使うな、という訓令だと言うのが
本当のところだ。
元日本兵の証言はこれら規定とも、敵軍の宣伝を正せ、という命令とも整合性がとれる。
中国政府が度々歴史問題を持ち出して日本を叩くのは、金を引き出したり
外交を有利に進めるためで、そのことはアメリカ議会で提出されたリポート
でも指摘されている。
「国内のナショナリズムを強めるとともに、日本政府を守勢に立たせ、経済援助や貿易で
中国側にとって、より有利な譲歩を日本側から獲得するための手段として使ってきた」
(日中関係・現状と展望そして米国への意味)
過去には中国政府系機関の人間が、歴史カードでまだまだ日本から金が引き出せる
、という趣旨の発言をしたこともあるし、南京には市民が二十万しかいなかったのに
三十万虐殺というのはおかしいから、共同で研究しましょう、と日本人が提案したら
中国人は、その必要はない、三十万という数字は党で決定したことだ、と答えた
話も有名。
また、リチャード・バーンスタイン、ロス・マンローはこういっている。
「中国政府は、日本人には戦争に対する罪悪感を、諸外国には日本の再武装への反対
を強調し、これをもって政策手段たらしめてきた。
しかも、その一方で中国共産党は、自国の犯した残虐行為の数々については、これを
道徳的に弁明しようなどと、これっぽっちも思ってはいないのである」
>>470 > 評判が良くないようです。例えば、幕府山事件では、山田支隊が一万四、五千
>という大量の捕虜を抱えて困っていて、第十六師団に収容を願うよう連絡すると、
>「皆殺せ」(山田支隊長日記)と返事があったそうで。
「皆殺せ」とは師団司令部からの命令では?
どうして他の師団からそんなことを言われるんでしょうか?
本間少尉が南京の師団司令部に派遣されて、荻洲立兵師団長の司令部から「皆殺せ」
との指示があったと記憶するんですが…。
よーし、ボクも命令しちゃうぞ、
おまいらの近所の住民みなごろしにしちゃえ
・・・・・これでおまいらも人殺したことになるらしいよw
あと、平林貞治氏によると、14000人ほどの中から非戦闘員を解放して残った8000人が幕府山南麓のバラックに収容された、ということだと思うんですが。
491 :
日出づる処の名無し:2005/10/10(月) 09:54:55 ID:pfqo2dKF
シュワちゃん感謝age
492 :
日出づる処の名無し:2005/10/10(月) 10:05:08 ID:jBjWqkX/
諫山--武器を取り上げて釈放せよ、ということでしょう。
捕虜は釈放するということなのですが、そのまま釈放すれば
また敵となりますから武器を取り上げます。
参謀本部庶務課長・諫山春樹大佐の証言
なら敗残兵狩りなんて必要ないじゃん W
494 :
日出づる処の名無し:2005/10/10(月) 16:52:03 ID:pfqo2dKF
捕虜殺害の根拠、マダー? 妄想抜きのやつねw
>だから「特別の場合の外」これを解放するか処刑するかということになる。
「特別の場合の他これを解放して可」であってデフォは解放するです。
「特別な場合」は殺害も止む無しとなります。
(特別な場合とは多分反乱を起こされた場合などを指すと思われる)
>>494 日本側公文書等に基づく、研究者や軍人出身者団体の検証
400が一例
『南京戦史』を妄想というなら、自分で本を書け
>>488 いえ、第十三師団は渡河命令により、南京には入ってません。
当時南京にいたのは第十六師団です。
上海派遣軍参謀長の飯沼少将の日記にこうあります。
十二月十五日 霧深し 快晴
山田支隊の俘虜東部上元門付近に一万五、六千あり 尚増加の見込と、
依て取り敢へす16Dに接収せしむ。
軍司令部は山田支隊の捕虜を十六師団に接収させようとしていたわけです。
同日、山田日記に「本間騎兵少尉を南京に派遣し連絡」(山田日記)とあり、
当時南京にいたのは第十六師団ですから、本間少尉が行ったのは
第十六師団であると考えられます。軍司令部は当時南京にはいませんでした。
ともあれ、本間少尉が第十六師団に行ったのは軍司令部の指示によるものと考えられます。
支隊編成により、山田支隊は軍司令部直轄になっていたわけですし。
で、「皆殺せ」というわけです。おそらくそれで山田支隊は困って次の日十二月十六日に
軍司令部に相田中佐を派遣して「捕虜の仕末其他にて打合はせ」をしたのでしょう。
第十六師団が殺せと言っているが、どうすれば宜しいでしょうか? と。
日記等の資料をすりあわせると、こういった読みが尤も妥当と考えられます。
ともかく、「皆殺せ」と言ったのは第十六師団と考えて間違いないでしょう。
498 :
日出づる処の名無し:2005/10/10(月) 19:10:45 ID:pfqo2dKF
『捕虜は他列国人に対する如く必ずしも之を後送監禁して戦局を待つを要せず、特別の場合の外之れを現地又は他の地方に移し釈放して可なり。』
の「特別の場合の外」が目に入らないようです。
ウフフ
499 :
閑話休題:2005/10/10(月) 19:30:32 ID:TqgHXfvL
1983年の高校日本史教科書への検定
(原稿本)
「日本軍は、1937年12月、国民政府の首都南京を占領したが、そのとき市内外で、
婦人・子どもをふくむ非戦闘員を無差別に殺害し、武器を捨てた無抵抗の捕虜も虐殺した
(南京大虐殺)。殺された一般人と捕虜の数は30万人以上といわれる。
(脚注)こうしたみさかいのない虐殺・破壊・略奪などが、1937年12月中旬から翌年2月中旬まで
6週間にわたってつづけられ、「ナンキン‐アトロシティー」とよばれて国際世論の批判をあびたが、
一般の日本人は何一つ知らされていなかった。日本国民がこの事件を知ったのは、戦後の
極東国際軍事裁判によってであった。なお、この判決では、被害者数を20万以上と推定している。」
これが検定でこうなる。
(出版本)
「日本軍は、1937年12月、国民政府の首都南京を占領したが、そのとき市内外で、多数の
捕虜・民衆などを虐殺した(南京大虐殺事件)。
(脚注)日本軍は、占領時の数週間に、戦闘員ばかりでなく、婦人・子どもをふくむ
非戦闘員や武器を捨てた兵士をも虐殺した。被殺者数は20万人以上といわれるが、
中国ではその数を30万人以上としている。なお。こうした虐殺・破壊・略奪などの行為は、
当時強い国際批判をあびたが、一般の日本人がこの事件を知ったのは、戦後の極東国際
軍事裁判によってであった。
500 :
閑話休題:2005/10/10(月) 19:33:09 ID:TqgHXfvL
10年後の1992年検定になるとこんな感じ
(原稿本)
12月、日本軍は国民政府の首都南京を占領し、占領前後に、南京城内で10万人を越す
中国人の軍・民に対して虐殺・処刑・略奪・強姦などの残虐行為をおこなった(南京虐殺事件)。
(注)この事件における中国人の軍・民の犠牲者の数については、中国政府発表の30万人説があり、
日本では1万数千人から20万人前後という説がある。英米のジャーナリストは、この事件を
南京残虐(アトロシティー)または南京大虐殺(マッサクル)事件と報道した。
これが検定でこうなる。
(出版本)
「12月、日本軍は国民政府の首都南京を占領し、占領前後に、南京城内外で10万人を越す
中国人の捕虜や民間人に対して虐殺・暴行などの残虐行為をおこなった(南京虐殺事件)。
(注)この事件における中国人の軍・民の犠牲者の数については、中国政府発表の
30万人説があり(この数字は、戦闘行為による戦死者も含む)、日本では15万人から
20万人前後という説がある。英米のジャーナリストは、この事件を南京残虐(アトロシティー)事件と報道した。」
南京大虐殺というお話自体の出処はティンバーリというのはよくいうけど
>>499のような辞典や教科書に使われた定型文の源流は誰による
ものなんだろうね?藤原彰あたりか?
家永三郎とその舎弟たち
503 :
日出づる処の名無し:2005/10/10(月) 20:14:46 ID:pfqo2dKF
「特別の場合の外」とは
特別の場合のある場合は ×
特別の場合以外は ○
ウフフ
>>492 投降してきた兵士と便衣化してきた兵士とは意味合いが違います。
>>495 たしかに。
>>497 「両角業作手記」によると15300人ほどの数で「かく多くては殺すも生かすも困った
ものなり」ということだったそうで、平林氏の証言によると、まず
「上元門の校舎のような建物に簡単な竹矢来をつくり収容した」そして
「山田旅団長命令で非戦闘員と思われる者約半数をその場で釈放した」そうです。
それで残った8000名ほどを、両角連隊長の回想によれば「それまで幕府山要塞の
一部として使用されていた」幕府山南麓のバラックに収容したと。
で、本間少尉が誰から指示されたのかという話ですが、十三師団の教示では
「多数の俘虜ありたるときは…一地に集結監視し、師団司令部に報告するを要す」
とありますので、師団司令部の指示なしにそのような決定はできないだろうし
他の師団から命令されることはまずないと思うんですが、このあたりはどうなんでしょうか?
最終的には師団命令に従うと思うので、師団命令があればそのことを記すと
思うんです。
師団命令が出ているのにそのことを書かず、他の師団から出た命令を記す、というのは、
かなり不自然だと感じるんですが。
ひょっとして、こういうことなんでしょうか。
第十六師団で捕虜を収容してもらうよう依頼したが、断られた。
だからその結果として最終的に「みな殺せ」という結論がでた、という意味で
陣中日記に書かれたんでしょうか。
捕虜の収容を依頼に行った。
(そこで断られ、結局師団司令部から命令が出た)
皆殺せとのことなり。
この()の部分をはしょって陣中日記には書いている、ということんでしょうか?
>>501 >>499の原稿本の方は、ほとんど東京裁判で中国側が主張した内容そのまんまですよね。
出版本の方は洞富雄などの主張を踏襲してるみたいな感じですか。
507 :
日出づる処の名無し:2005/10/10(月) 22:49:57 ID:eb+I8jtD
508 :
日出づる処の名無し:2005/10/10(月) 23:04:56 ID:uGPFCWV0
179 日出づる処の名無し 2005/10/09(日) 16:51:53 ID:z2zpxmlE
│
212 日出づる処の名無し 2005/10/09(日) 22:48:20 ID:z2zpxmlE
ID:z2zpxmlEの起動時間:14:51−22:48
214 日出づる処の名無し 2005/10/10(月) 14:04:58 ID:eb+I8jtD
215 日出づる処の名無し 2005/10/10(月) 14:10:43 ID:eb+I8jtD
216 日出づる処の名無し 2005/10/10(月) 14:17:29 ID:eb+I8jtD
217 日出づる処の名無し 2005/10/10(月) 14:41:25 ID:eb+I8jtD
218 日出づる処の名無し 2005/10/10(月) 14:42:48 ID:eb+I8jtD
219 日出づる処の名無し 2005/10/10(月) 14:58:35 ID:eb+I8jtD
220 日出づる処の名無し 2005/10/10(月) 15:11:33 ID:eb+I8jtD
221 日出づる処の名無し 2005/10/10(月) 19:06:39 ID:eb+I8jtD
222 日出づる処の名無し 2005/10/10(月) 19:31:38 ID:eb+I8jtD
224 日出づる処の名無し 2005/10/10(月) 22:26:20 ID:eb+I8jtD
225 日出づる処の名無し 2005/10/10(月) 22:35:35 ID:eb+I8jtD
226 日出づる処の名無し 2005/10/10(月) 22:37:37 ID:eb+I8jtD
227 日出づる処の名無し 2005/10/10(月) 22:38:58 ID:eb+I8jtD
228 日出づる処の名無し 2005/10/10(月) 22:49:02 ID:eb+I8jtD
ID:eb+I8jtD の起動時間:14:00−23;00
大体お仕事の時間は14時から23時までのようです。
509 :
日出づる処の名無し:2005/10/10(月) 23:15:08 ID:uGPFCWV0
なんか、恵也臭いな
この動き
510 :
日出づる処の名無し:2005/10/10(月) 23:15:29 ID:89BJHTEQ
偽スレで延々と書いている奴、こっちで書くと突っ込まれるからってみんなが放置しているあっちで勝利宣言しているつもりなんだろうなぁ…w
話し相手が欲しいんでしょ
513 :
日出づる処の名無し:2005/10/10(月) 23:52:56 ID:pfqo2dKF
>>503に反論できなくてファビョってるんですね。
514 :
日出づる処の名無し:2005/10/11(火) 00:00:46 ID:AMEn7QIo
すべての根拠をつぶされて都合の悪い質問は無視する態度。
普通の日本人にはあまりいませんよね。
反日工作員を連想します。
>>504 山田支隊は、第十三師団の一部ですが、南京から揚子江沿いに
東北方面の戦力がないのを補うために急遽編成された部隊であって、
指揮系統は上海派遣軍直轄になり、第十三師団隷下ではありません。
第十三師団本体は南京には入らず、鎮江から揚子江対岸に渡っています。
なお「皆殺せ」とは「命令」ではなく、第十六師団が単にそう言って接収を断った、
というだけだと思われますよ。
ただまぁ、当時に書かれた資料が限られており、戦後の明らかに幕府山事件を意識した
証言や手記等をそのまま信用するわけにも行かず、真相は不明と言うほかありません。
そういった推測が可能と言うだけです。
しかし、飯沼少将の日記にも
「荻洲部隊山田支隊の捕虜一万数千は逐次銃剣を以て処分しありし処」などと、
軍司令部自身が捕虜の殺害を容認していたと思わせる記述もあり、
どうも「別に捕虜など殺しても構わん」とも考えていたように思えますね。
>>510 本気で反論できていると思うなら、なぜその見解を披露しないんです?
まさか、内容を理解せずに「反論できてる」と思ってるわけじゃないでしょ?
>>515 なるほど。
ただ、第十六師団が断り、その際に「みな殺してはどうか」というような意見をした
しても、現場では命令を受けてそれを実行すべきかどうか、に悩んだわけですよね?
ということは、どういう形にしろ、師団命令があったんじゃないか、と思えるんですが。
「多数の俘虜ありたるときは…一地に集結監視し、師団司令部に報告するを要
す」 という方針から考えて。
もちろん「想像」ですけど。
>>510 親切なあなたが本スレ(つまりここ)に誘導してあげてくださいな。
もし第十六師団から「みな殺してはどうか」というような提案があっただけで、軍とし
ての命令が出たわけではないなら、現場でも逃がそうとしたわけで、結局誰も悪く
ない、ということになりますね。
とりあえず東京裁判無効宣言出して貰えりゃ一発なんだけどね
東京裁判終了後、国際法学会は圧倒的多数でパル判決を支持したらしいで
すが、世界中で東京裁判について議論されてるとき、日本人はそれどころじゃ
なかったんですよね。
パル判事は、この議論に日本人も加わるべき、日本の立場を訴えるべき、と
忠告してくれましたが。
有罪判決出した判事すら支持してるからね…
南京大虐殺だけじゃなくて、自虐史観の叩き台にもなってる
東京裁判の無効を明らかにするのは有意義な事だと思うんだよな
そういう活動してる団体ってあんのかな
そういう団体は聞いたことがないですね。
526 :
日出づる処の名無し:2005/10/11(火) 01:51:06 ID:Q/CxtxaL
ふう
南京大虐殺は本当にあったよ
【南京大虐殺史】
548年 東魏の降人侯景、南京(建康)を陥落、徹底的破壊され大虐殺。
589年 隋、陳の南京(建康)を陥落、徹底的破壊。大虐殺。
618年 隋の煬帝、南京(江都)で殺害され、南京大虐殺。
十国五代時代 戦乱で南京(金陵)大虐殺続発。
1273年 元軍、南京(建康)攻略略奪、南京大虐殺。
1368年 朱元璋、南京(金陵)攻略、南京大虐殺。
1645年 清軍、南京乱入略奪、南京大虐殺。
1842年 英軍、南京突入、南京大混乱。
1853年 太平軍、南京乱入。腐敗清軍南京略奪。
1862年 ウォードの常勝軍、南京(金陵)乱入。南京大虐殺。
1864年 曾國軍、南京乱入。南京大虐殺。
1911年 辛亥革命、南京略奪。
1927年 国民党の国民軍、南京占領。南京事件。
支那軍、日本等の公使館に乱入、
日本人等に陵辱虐殺強奪を繰り返す。
日本政府、隠忍自重する。支那、日本を侮る。
暴戻支那のイメージを情報工作し日本に擦り付ける。
1949年 中共軍、南京乱入、資本家の財産強奪、国民党員金持ちを大虐殺。
つか、1927年のって日本人が被害者じゃん
南京大虐殺は本当にあったよ
【南京大虐殺史】
548年 東魏の降人侯景、南京(建康)を陥落、徹底的破壊され大虐殺。
589年 隋、陳の南京(建康)を陥落、徹底的破壊。大虐殺。
618年 隋の煬帝、南京(江都)で殺害され、南京大虐殺。
十国五代時代 戦乱で南京(金陵)大虐殺続発。
1273年 元軍、南京(建康)攻略略奪、南京大虐殺。
1368年 朱元璋、南京(金陵)攻略、南京大虐殺。
1645年 清軍、南京乱入略奪、南京大虐殺。
1842年 英軍、南京突入、南京大混乱。
1853年 太平軍、南京乱入。腐敗清軍南京略奪。
1862年 ウォードの常勝軍、南京(金陵)乱入。南京大虐殺。
1864年 曾國軍、南京乱入。南京大虐殺。
1911年 辛亥革命、南京略奪。
1927年 国民党の国民軍、南京占領。南京事件。
支那軍、日本等の公使館に乱入、
日本人等に陵辱虐殺強奪を繰り返す。
日本政府、隠忍自重する。支那、日本を侮る。
暴戻支那のイメージを情報工作し日本に擦り付ける。
1949年 中共軍、南京乱入、資本家の財産強奪、国民党員金持ちを大虐殺。
つか、1927年のって日本人が被害者じゃん
529 :
日出づる処の名無し:2005/10/11(火) 03:36:01 ID:anxkCFDh
>>528 (´・ω・`)白骨がたくさん見つかるわけだね
530 :
日出づる処の名無し:2005/10/11(火) 09:50:14 ID:IZPgL13D
531 :
日出づる処の名無し:2005/10/11(火) 09:50:53 ID:8JqBnMuY
532 :
日出づる処の名無し:2005/10/11(火) 09:51:36 ID:6z5/VSvt
533 :
日出づる処の名無し:2005/10/11(火) 09:52:19 ID:v1Rda3k8
534 :
日出づる処の名無し:2005/10/11(火) 10:19:01 ID:ldPr+ZjO
南京は最近まで台湾の首都だったのだから
台湾は
日本軍の南京虐殺について
何らかの声明、コメントをするべきだ。
_, ._
( ゚ Д゚) 東史郎?
( つ旦O
と_)_)
_, ._
( ゚ Д゚) ガシャ
( つ O. __
と_)_) (__()、;.o:。
゚*・:.。
536 :
日出づる処の名無し:2005/10/11(火) 11:55:49 ID:1YqyU+/1
東京裁判無効は、韓国の日韓条約無効と外国がきいたら同レベルだからやめようぜ。
内容じゃなくて、外ズラだけできいたら一緒に思われる
537 :
日出づる処の名無し:2005/10/11(火) 12:05:51 ID:Q/CxtxaL
意地でも日本に罪被せたいプロ市民以外は
外ズラすら見ないと思うお
538 :
市民派護憲教師 ◆JEhW0nJ.FE :2005/10/11(火) 13:42:47 ID:DGF9edTA
南京大虐殺があったというのが、世界の潮流ですよ
539 :
日出づる処の名無し:2005/10/11(火) 13:47:34 ID:36MAtTKA
∧_∧
___\(・∀・ ) < 市民派護憲教師ってなんですか?工作活動ですか?
\_/⊂ ⊂_ )
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ /|
540 :
市民派護憲教師 ◆JEhW0nJ.FE :2005/10/11(火) 14:05:00 ID:DGF9edTA
私は良心的な知識人です
541 :
日出づる処の名無し:2005/10/11(火) 14:08:59 ID:Mth8q4uo
>市民派護憲教師
東トルキスタン問題と真逆のこといってますねぇ。
542 :
日出づる処の名無し:2005/10/11(火) 14:12:29 ID:36MAtTKA
51 名前:市民派護憲教師 ◆n5iv/uHdfk [] 投稿日:2005/10/10(月) 12:23:35 ID:gB8G1rTM
真面目にしろ何にしても中国に対し、日本は口を出す権利はないでしょうね。
56 名前:市民派護憲教師 ◆n5iv/uHdfk [] 投稿日:2005/10/10(月) 12:30:24 ID:gB8G1rTM
中国と日本の歴史的な特異な関係や日中の条約や中国市民の感情などを無神経な右翼なもっと考慮すべきですよ。
59 名前:市民派護憲教師 ◆n5iv/uHdfk [] 投稿日:2005/10/10(月) 12:40:17 ID:gB8G1rTM
中国のやることは全て正しいとは一言も言っていませんよ。ただ、中国が虐殺や弾圧をしているという確たる証拠や物証もなく中国を一方的に非難することは日頃確たる証拠の提出を求めるあなた方の姿勢からは考えられないと思いますね。
62 名前:市民派護憲教師 ◆n5iv/uHdfk [] 投稿日:2005/10/10(月) 12:43:25 ID:gB8G1rTM
確かな証拠が提出されるならば、私も中国政府や争いの種を蒔いているテロリストグループ、双方を非難することは前向きに検討致します。
65 名前:市民派護憲教師 ◆n5iv/uHdfk [] 投稿日:2005/10/10(月) 12:45:32 ID:gB8G1rTM
証言や二次資料だけではダメですね。日頃、あなた方がやっているような重箱の隅をつっつけばいくらでも疑問はでてきますからね。そもそも、数からして異常な数値です。
>>540 おお、n次資料と言うコトバを知らなかったヤツじゃないか(w
544 :
日出づる処の名無し:2005/10/11(火) 14:48:34 ID:Mth8q4uo
自分で「知識人」といってるあたりにバカっぽさが垣間見られるね。
545 :
日出づる処の名無し:2005/10/11(火) 17:04:32 ID:xm52Est4
はじめての人へ
東史郎とは南京で支那人を袋に詰め込んで火をつけた後に手榴弾を結びつけて
池に投げ込んだという豪のものです。
日本では裁判官に「できるわけねえだろ!」と怒られて敗訴しています。
当然ですね。
なんで手榴弾つけて池に投げる必要があるんだろ?
数秒で爆発するんじゃないのか?
547 :
日出づる処の名無し:2005/10/11(火) 19:05:59 ID:xm52Est4
一句できました。
「偽スレの 根拠全滅 テラワロス」
NGワード→季語がない
世界11月号に、南京事件・「百人斬り」の裁判が結審したことが報告されていた。
1937年、南京の攻略に向かう日本軍の二人の将校、
向井敏明と野田巌の両少尉が「百人斬り」競争をした事件である。
サンケイや諸君などの右派マスコミが仕掛けた30年に及ぶ裁判は、
「証言:その行為は、支那人を見つければ、向井少尉とうばい合いする程、
エスカレートしてきた。両少尉は涙を流して助けを求める農民を無残にも切り捨てた。」
同部隊所属兵の手記の決定的な資料によって、
確定した。南京大虐殺はでっち上げという、右派の主張がここで一つ崩れた。
549 :
日出づる処の名無し:2005/10/11(火) 19:40:12 ID:36MAtTKA
なにいってんだか
世界11月号に、南京事件・「百人斬り」の裁判が結審したことが報告されていた。
1937年、南京の攻略に向かう日本軍の二人の将校、
向井敏明と野田巌の両少尉が「百人斬り」競争をした事件である。
サンケイや諸君などの右派マスコミが仕掛けた30年に及ぶ裁判は、
「証言:その行為は、支那人を見つければ、向井少尉とうばい合いする程、
エスカレートしてきた。両少尉は涙を流して助けを求める農民を無残にも切り捨てた。」
同部隊所属兵の手記の決定的な資料によって、
確定した。南京大虐殺はでっち上げという、右派の主張がここで一つ崩れた。
551 :
日出づる処の名無し:2005/10/11(火) 19:44:26 ID:WKZwK7jt
下手な鉄砲も数打ちゃぁ当たる式の、議論法なんだ。特に中国人と
朝鮮は。
朝鮮(韓国人)なんて、ただただ喋るだけだよ。世の中で通用しそうな
理屈だけは、一丁前に並べてさ。
彼らは、やたらに喋る、喋る、そして相手が阿呆くさくなって、投げれば
勝利宣言。
理屈に勝つとは違うんだ。
552 :
日出づる処の名無し:2005/10/11(火) 19:46:30 ID:7+NflGxu
▼「百人斬り」裁判で示された新資料
・本人の手紙
http://bbs2.otd.co.jp/mondou/bbs_plain?base=27727&range=1 >南京入城まで百五斬つたですが、その後目茶苦茶に斬りまくつて
二百五十三人叩き斬つたです、おかげでさすがの波平も無茶苦茶で
す、百や二百はめんどうだから千人斬りをやらうと相手の向井部隊
長と約束したです、
>戦友の六車部隊長が百人斬りの歌をつくつてくれました・・・(
中略)・・・まだ極楽や靖國神社にもゆけず、二百五十三人も斬つ
たからぼつぼつ地獄落ちでせう
・当時の部下による手記
http://andesfolklore.hp.infoseek.co.jp/intisol/hyakunin2.htm >このあたりから野田、向井両少尉の百人斬りが始るのである。・・・
>「おい望月あこ(※2)にいる支那人をつれてこい」命令のままに
支那人をひっぱって来た。助けてくれと哀願するが、やがてあきら
めて前に座る。少尉の振り上げた軍刀を背にしてふり返り、憎しみ
丸だしの笑ひをこめて、軍刀をにらみつける。
>一刀のもとに首がとんで胴体が、がっくりと前に倒れる。首から
ふき出した血の勢で小石がころころと動いている。目をそむけたい
気持も、少尉の手前じっとこらえる。
>戦友の死を目の前で見、幾多の屍を越えてきた私ではあったが、
抵抗なき農民を何んの理由もなく血祭にあげる行為はどうしても納
得出来なかった。
>その行為は、支那人を見つければ、向井少尉とうばい合ひする程
、エスカレートしてきた。
>両少尉は涙を流して助けを求める農民を無残にも切り捨てた。・・・
判決の内容
>・・・「百人斬り競争」の話の真否については、現在に到るまで肯定・否定の見解が交錯し、
>様々な著述がなされており、その歴史的な事実としての評価はまだ定まっていない・・・
どこにも百人斬りがあったとの判断はされていない。
判決文から、
>>548 >>550 >>552 の主張はでっち上げであり、肯定派の主張がここでもまた一つ崩れた。
554 :
日出づる処の名無し:2005/10/11(火) 19:50:06 ID:xm52Est4
>二百五十三人叩き斬つたです、おかげでさすがの波平も無茶苦茶です
これ、笑うところか?w
まったく、ネットウヨクは事実を認めろよな。
556 :
日出づる処の名無し:2005/10/11(火) 19:55:45 ID:rc0191OR
>>555 アフォか、だから無かったと認めてるだろwww
557 :
日出づる処の名無し:2005/10/11(火) 20:03:43 ID:36MAtTKA
558 :
日出づる処の名無し:2005/10/11(火) 20:09:17 ID:FhGargEA
>>554 そーか
南京虐殺事件の犯人は磯野家の御当主だったか
「負けなかったから俺の勝ち、だからお前ら全員死刑」ってノリだね。
お前ら「つくる会」の歴史教科書読んだか?
本屋に市販版があって驚いた。
内容は未だに日本が悪いんだよ‥‥って感じだけど
教える先生がマトモなら問題ないと思われ。
あとつくる会の公民教科書もけっこう深いとこまで
やってていい感じだ
もしかして
また「戦闘中の百人斬り」に戻して墓穴を掘ったバカの登場ですか?
562 :
日出づる処の名無し:2005/10/11(火) 22:55:22 ID:xm52Est4
捕虜殺害の根拠マダー?
563 :
右翼浪人:2005/10/11(火) 22:59:48 ID:CYmiB43h
>>560 反対派のアジア三国共同制作教科書も売っているので、
一度目を通すと面白いですよ。教科書と銘打つ割にやや難解ですが。
>>548 本当に工作員の人は捏造が好きですね。
この裁判は百人斬りがあったかなかったかが焦点ではなくて、記事が創作だから
遺族の名誉を傷つけた、という訴えについての裁判だよ。
事実自体については判断は下してなくて、諸説ある、と言っている。
だいたい、この裁判官が百人斬りの裁判をもしやったとして、有罪にするとでも
思ってるんですか?
中国で行われたあの裁判は、中国の判例にも違反してるんですよ?
望月五三郎の「私の支那事変」の一部を,コピーで「農民虐殺」の証拠と
して提出しているところ,この本には200か所を超える誤りがあり,依拠したとされる「覚え書」
や「資料」等が存在するか否かも疑わしいものであるし,望月五三郎の「南京攻略作戦」当時の所属
も不明確である。
「百人斬り」の項では,常州と丹陽の位置関係を誤って記載したり,「百人斬り」を開始したとさ
れる場所に誤りがあり,記載内容も抽象的かつあいまいであって,到底信用することができない
566 :
日出づる処の名無し:2005/10/12(水) 01:10:06 ID:kvyxRkEh
567 :
日出づる処の名無し:2005/10/12(水) 14:06:00 ID:GLKNjmXC
サヨクホイホイ起動
中国の教科書が国定教科書という主張は間違いである。
現在の制度は日本の教科書の選定とほとんど変わらない。
新しい歴史教科書をつくる会などが主張する「江沢民主席が愛国主義教育を強化した中で、
反日の内容を大幅に増やした」という日本の常識はまったく違うのである。
1987年に、教科書検定の専門委員会として「全国中小学校教材審(査)(検)定委員会」が
当時の国家教育委員会に設置され、翌88年から北京、上海の大学と出版社が協力して、
5種類の教科書が発行されている。「全国中小学校教材審(査)(検)定委員会」の他に
「全国少数民族教材審定委員会」もあり、メンバーは教育専門家で、役人は加わらない。
また、審定委員会委員の教科書執筆は固く禁じられている。
南京事件・「百人斬り」
1937年、南京の攻略に向かう日本軍の二人の将校、
向井敏明と野田巌の両少尉が起こした「百人斬り」競争をした。
証言:その行為は、支那人を見つければ、向井少尉とうばい合いする程、
エスカレートしてきた。両少尉は涙を流して助けを求める農民を無残にも切り捨てた。
(月刊世界2005.11月号より)
この首を斬り落とすというようなことは、日本兵はどこでもやっていた。
以前、東京新聞の読者欄に戦時中の祖父からの手紙に、
今日支那人二人の首を落として、愉快と記してあったと紹介する記事があった。
台湾征伐でも台湾原住民の首を落としたており、
その写真を見たタイヤル族の後裔の高金素梅が靖国訴訟に参加することになった。
元従軍記者が南洋諸島でイギリス人将校二人の首を斬り落とす現場に立ち会ったことを述べる
記事を見たこともある。50万人の日本兵が死んだフィリピンでも日本兵による
首の斬り落としは日常的な行われていた。
戦前、日本軍は中国でアヘンに手を染め、侵略活動に活用していた。
1932年に関東軍によって建国され13年で地上から消滅した「満州国」。
A級戦犯の岸信介は「満州国は私の作品」と述べていた。
満州国の闇に甘粕正彦と里見甫(はじめ)という二人の男が存在した。
甘粕は満州で数々の謀略に加わり、最後は満州映画協会の理事長におさまり、
「満州の夜の帝王」恐れられた。一方の里見は満州国通信社(後の共同通信であり、
電通である)のトップに君臨し、上海を根城にアヘン密売に関わり、
「阿片王」の名をほしいままにした。二人は満州最深部の地下茎でつながりあっていた。
里見は戦後、極東国際軍事裁判でA級戦犯として、
巣鴨拘置所に収容されたが、何故か無罪放免になった。
(新潮社、佐野眞一著<阿片王>より)
戦前、日本軍は中国元の偽札を製造していた
戦前、陸軍中野学校とならんで、神奈川県川崎に陸軍登戸研究所という秘密軍事組織があった。
その組織を立ち上げた陸軍省軍事課長だった岩畔豪雄本人が生前、次のような証言をしている。
<登戸の研究所ではパスポートから偽造紙幣まで何でもつくった。
中国ではドイツのザンメルという印刷機械で紙幣をつくっていたので、
それと同じ機会をドイツにつくらせ船で日本に運んだ。
中国の経済を混乱させるため大陸にバラまたいニセ札は、日本円で60億円はくだらなかった。
登戸でつくったものを大陸浪人を見つけちゃ渡して、大陸でばら撒かせていた>
(「岩畔豪雄氏談話速記録」木戸日記研究会・日本近代史料研究会<1977年6月>)
竹島問題の真相
資料の謝り、「竹島⇒蔚陵島」であり、領土と主張する島は実は「松島」である。
そして、明治政府は竹島と松島が朝鮮領と認知し、通達もだしている。
国家(日本)の最高機関たる太政官は、竹島(鬱陵島)外一島、
すなわち鬱陵島と独島は本邦に関係なしとする指令を1877年(明治10)に通達しました。
外務省内に松島・竹島について島名の混乱が起きたとき、公信局長の田辺太一は、
松島が于山島(独島:現在問題となっている竹島)であると正しく理解して下記のように記しました。
「聞ク松島ハ我邦人ノ命ゼル名ニシテ 其実ハ朝鮮蔚陵島ニ属スル于山ナリ
蔚陵島ノ朝鮮ニ属スルハ旧政府ノ時一葛藤ヲ生シ 文書往復ノ末 永ク証テ我有トセサルヲ
約シ載テ両国ノ史ニ在リ」
573 :
日出づる処の名無し:2005/10/12(水) 16:34:39 ID:GLKNjmXC
早速釣れたようですがどうも論破されたものばかりでやりがいがありませんな。
574 :
日出づる処の名無し:2005/10/12(水) 16:41:03 ID:fjSfZng7
ペタワロス
575 :
日出づる処の名無し:2005/10/12(水) 16:49:16 ID:SzkY6H71
サヨクって反論できなくなるとコピペか逃亡か火病ばかりだよな
まぁドサクサに紛れて竹島を持ち出したあたりで「援護のつもりが味方誤射」となっているのですがね
577 :
日出づる処の名無し:2005/10/12(水) 16:54:25 ID:cbYRtf79
日本で一番使われる高校の日本史の教科書
その中では、「南京事件」という記述が使われています。
>>570 >当時戦争の影響で占領区内は阿片の欠乏がはなはだしく、その供給対策を求める要請が官民双方から特務部に殺到していた。
>時たまたま華北方面でも同様の事情が発生し、華北政務委員会を代表して王克敏から公文書をもって一括輸入のうえ
>これを供給するようにとの要請が特務部へきていた。
(中略)
>開戦の頃から陸軍武官府にあって諸工作に当たっていた楠本大佐を訪れて、当時の思い出をもとに話し合ってみたが、同氏は
>「阿片もまた自分の責任で手がけた工作の一つである。先輩から幾度も前例を挙げてこれには手を付けぬよう注意されていたが、
>大同市政府蘇錫文市長からのたび重なる懇望をことわり切れず、公明正大に処理すれば疑惑の目で見られることもあるまいと考え、
>貴官(筆者)の協力を願ったわけだ。市長の要請によると、開戦後間もなく上海の阿片ははなはだしく不足して価格も急騰し、
>黄浦江の沿岸には香港から来る阿片密売のジャンクが密集して治安面からも問題が多発し、混乱を招いた。
>市政府だけではこれに施す術もないというのである。そこで上海派遣軍高級参謀の長勇大佐と協議したところ、
>華北政務委員会からも同様の申し出がきていたので、その揚陸許可証を使うことにして輸入に踏み切った。
>その頃里見甫が来訪して、阿片の仕事に軍が手を出すことは適当でないから里見に任せてくれと申し出た。
>話し合ってみると、里見は陸軍本部とも関係のあることがわかったので、一銭一厘まで詳細に規定した書類を作って、
>里見と関係する中国人に引き継がせて、その後私は一切関係しなかった」と述べた。
岡田酉次著 日中戦争裏方記
中国側が阿片の供給を求めるので、日本は気が進まないながらもそれに応じた、ということなんですがね
579 :
日出づる処の名無し:2005/10/12(水) 17:39:01 ID:GLKNjmXC
要するに南京じゃかなわないからスレ違いでも日本を貶めようと、こういうことですかな?w
総括
日本兵は侍気取りの基地外集団だった。
581 :
日出づる処の名無し:2005/10/12(水) 23:43:54 ID:kvyxRkEh
>>580 ひっそりと下げて言ってもムダですよ(w
・共産党一党独裁体制を支える精神的支柱として登場したのが、愛国主義で
あり、大中華民族主義である。
そしてそれを支える2本柱の1つが、党の「喉舌」たる「マス・メディア」であり、
そしてもう1つが「反日、憎日、敵日の教育」なのである。
一国の体制や国体の防衛における最も伝統的な鉄則はいうまでもなく「敵国の創出」である。
中華人民共和国も樹立以来「アメリカ帝国主義」「ソ連修正主義」「ベトナム小覇権主義」など
、国民共通の「敵」の創出でさまざまな試行錯誤を繰り返してきたが、最も効果的な「敵」はやは
り「日本軍国主義(の復活)」である。
・反日教育の実証的成果として、1996年に「中国青年報」に掲載された対日イメージ
調査の結果が挙げられよう。
それによると中国青年が「日本」で連想するものとして「南京大虐殺」全体の83.9%をも
占め、「日本人は残虐である」との見方も56.1%に上っている。
同紙97年2月15日付けが掲載した調査結果でも、「日本要人の軍国主義復活の行動」を
認めているのは74.2%「日本による侵略の歴史を忘れない」との回答が96.6%に達して
おり、それが現代中国青少年の「正しい現状認識と歴史認識」といえると思う。
彼らの殆どは日本に行ったことも無く、日本についてはほとんど無知のはずだ。その彼等
にこれほどの反日、憎日、敵日意識を植え付けられたものは、学校教育やマスメディアによる
マインド・コントロール以外にないだろう。
(黄文雄)
1995年は終戦五十周年の年で、その前年には中国共産党中央宣伝部は「愛国主義教育実施
綱要」が交付された。
これに基づいて反日教育が行われ続けていることは周知の事実であって、党の意向、党の
歴史認識に反する思想は、中国においては存在し得ない。
インターネットでは「自由」「民主主義」「台湾」などの検索キーワードすら禁止され
ている国である中国に自由な教育などあるはずもなかろう。
あと、台湾では原住民の一部が日本人を虐殺したりしたことから掃討を受けたことも
あるが、中国人が宣伝するようなことがなかったからこそ、六士先生と祀られ
たり、今でも台湾でその地が教育のメッカとされるんだろう。
「台湾」「アヘン」つながりで。
後藤新平は、あくまで「生物学の原理」に従って台湾統治を行うべきであると主張
しており、「ヒラメの目を鯛に付け替えることはできない」という有名な喩えが
残されている。
こうしたことは、全島の旧慣調査からアヘン吸引習慣の全容を把握した上で、アヘン
患者を徐々に減らしていった手法にも現れている。
アヘンを専売制にし、中毒・常習者に限って販売するが、新たに吸引する者は厳罰
に処せられた。
これにはアヘン患者を自然に減少させるねらいがあった。
こうして当初全島人口の6%にものぼった中毒・常習者は、1941年までに0.1%にまで
激減していったのだ。
悪習といえども他民族の習慣を尊重しながら、無理なく時間をかけて撤廃していった
その手腕は実に見事であった。
むろん、このような大規模な事業を行うためには莫大な資金が必要であったことは
いうまでもない。
「台湾人と日本精神」蔡焜燦
「満州」つながり。
満州国建国に弾みがついたのは、満州の民衆が関東軍を敵視しなかったからである。
日露戦争以来、日本軍の軍事行動はロシア軍や満州軍閥とは異なり、軍律正しく掠奪行為
を行わなかったため、その好印象があって関東軍を軍閥支配から救ってくれる解放軍として
迎え入れたのだ。
19世紀までの満州に居住していた漢民族は、流刑に処せられた罪人、もしくは盗掘、盗採、
密漁の流民や馬賊だけだった。
匪賊とは清国時代、封禁を破って満州に侵入した漢人のうち、集団を作って悪事を働いた者のことだ。
高橋捨治郎著『満州馬賊に就いて』
そもそも満州の地に法治がなかったことはもとより人治すらない、軍閥、匪賊が支配、跋扈する
無法地帯だった。
そのような状況を一変させ、近代的法治社会の基礎を築き上げ、産業の発展を軌道に乗せたの
が関東軍であり、新設の警察制度であった。
この軍閥、匪賊社会をわずかな期間で一挙に近代社会に作り変えた功績は、近代アジアにおけ
る歴史の奇跡として明記されるべきだろう。
「G・B・レー著『満州国出現の合理性』」
<数字で見る「日本帝国主義の搾取」論の虚妄>
・台湾原住民虐殺事件とされる霧社事件を取り上げる場合、事件後の実行犯平定などの側面を針小
棒大に取り上げ、歴史捏造、独断偏見などと騒ぐことに終始する。
そこでは武装した山岳民族・タイヤル族による無辜の日本人134人を襲撃、虐殺したことなど、前後の
歴史的経緯は一切お構いなしだ。
「華化」「解放」の名で侵略、植民、同化を図る
・中華は正義であるとの大前提があり、その「正義」を朱子学では「大義名分」と称し、また戦後は
「解放」と名を変えて、中華文明の偉大なる発展の歴史が語られている。
・周辺諸民族が中華文明に呑みこまれることは、夷荻が自ら中華皇帝の徳を慕って「華化」したと
捉えられ、あるいは中華帝国が未開の民を文明開化に導いたとして自画自賛している。
⇒こんな勝手な民族はない。
・中華人民共和国成立後、中国はチベットを軍事占領したが、それは「侵略」でも「植民地支配」
でもなく、あくまで「農奴解放」との大義名分が主張されていた。
チベットの支配者となった胡錦トウは、実質的にはチベット総督、駐蔵大臣であったが、そう呼ばれることはなかった。
・モンゴル人の内モンゴル、ウイグル人の新疆に対する中国人の植民者は日本の人口に匹敵する
一億二千万人以上に上がっているが、それが植民地経営と呼ばれることはないのが現状である。
・台湾を最初に植民地にしたのはオランダで、その後、スペイン、ティ一族、清、そして日本がここに
植民を行っている。
しかし蘭、西、日だけが台湾を植民地化した侵略国であり、ティ氏、清だけが移民とされるのは、台湾
人からすればまったくおかしな理屈である。
587 :
日出づる処の名無し:2005/10/13(木) 00:20:35 ID:0fVLJWrR
アガレ〜♪ ☆
/ .。.:*・゜☆.。
∧_∧ /
(*゚ー゚)/)
⊂ く
ノ つつ
百人斬り訴訟の第4回口頭弁論が2月23日、東京地裁で開かれた。
弁論では被告側は終始押され気味で、毎日新聞は、真実を報道し続けたとの
主張を繰り返し述べた。
しかし、原告側代理人の稲田朋美弁護士が証拠として提出した
『昭和史全記録』(毎日新聞社刊)
に事実無根だったとの記載(注)があると指摘。それでも毎日側代理人は、
新聞記事は真実であると答えた。
更に『昭和史全記録』は
「執筆者の個人的見解で出版社毎日新聞の見解ではない」
と言い訳して傍聴人から失笑を買った。
(注)『昭和史全記録』の記事内容は次の通り。
〈この記事は当時、前線勇士の武勇伝として華々しく報道され、戦後は南京
大虐殺を象徴するものとして非難された。ところがこの記事の百人斬りは
事実無根だった。向井少尉はこのとき手足に重傷を負っていた。
当日、記者に会ったのは南京の手前で、冗談に「花嫁を世話してくれ」と
言うと「天晴れ勇士として報道されれば花嫁候補はいくらでも集まる」と
この記事になったという〉
(平成16年3月25日号)
589 :
日出づる処の名無し:2005/10/13(木) 00:38:40 ID:P0mB9/sO
>>571 偽札で国力を疲弊させる作戦は
秘密戦(謀略)では特に変わった戦術じゃないね。
>陸軍登戸研究所という秘密軍事組織があった
などと
おどろおどろに描くのは漫画風だが
映画でジェームズボンドにアストンマーチンとか
ライターに発信機がついたのとか渡すとこがあるだろ?
あれと同じような機関だね。
このほか登戸研究所は
電子レンジの元になった怪力電波と
細菌兵器と風船爆弾などは有名だ。
>>543 でも、おいらも小学校卒業するまでは、教師コテみたいなこと
言ってましたよ?教師コテも、中学入ったら、3カ月位は恥ずかしくて
毎晩眠れなくなるんじゃないかな。みんなそうやってオトナになるんだと
思う。
592 :
日出づる処の名無し:2005/10/13(木) 00:55:34 ID:rt2PNv0U
>>591 一応小学校5年生なら頭いい方だよ。というかさあ。そんな
「戦争とは人が死ぬものです」とか最初から達観している小学1年生や
外交戦略的に考えた上でこれからの小泉政権の行く末と日米関係を模索する小学3年生とか
どうよ。
当初南京政府の支配地域のうち、点と線の日本軍駐屯地域以外では
、依然として重慶政府の忠義救国軍や共産党の第四軍の勢力がはびこり
、治安の攪乱・経済の破壊などに従事していた。
忠救軍はもともと青幇・紅幇といった幇会(マフィア)で組織された
もので、要人暗殺・復興妨害・スパイ・流言流布・特殊工作などに
従事したいわゆる[特務]である。
新四軍は江南の共産軍の残党で組織されたもので、常熟県・江陰県に
根拠地を持ち、農民の抗日組織化を進めていた。
その他、重慶側は経済ゲリラを組織し、「被占領地の都市を死市とする」
とのスローガンの下、南京政府発行の紙幣流通の妨害や資源封鎖・貿易
および国内貿易の妨害・経済機構(工場・鉄道・鉱山・金融機関等)の
破壊などを行った。
このような敵の動きに対し、南京政府がとった措置が「清郷作戦」だ。
これは日本軍の指導で治安作戦を展開し、それと同時に中国側が主体と
なり、政治・行政・経済・文化工作を通じ、敵に感化された民衆を慰撫
するというものだ。
日本軍は段階的に撤退し、最終的には一切関与しないとの方式をとった。
「日中戦争知られざる真実」黄文雄
中国政府が度々歴史問題を持ち出して日本を叩くのは、金を引き出したり
外交を有利に進めるためで、そのことはアメリカ議会で提出されたリポート
でも指摘されている。
「国内のナショナリズムを強めるとともに、日本政府を守勢に立たせ、経済援助や貿易で
中国側にとって、より有利な譲歩を日本側から獲得するための手段として使ってきた」
(日中関係・現状と展望そして米国への意味)
過去には中国政府系機関の人間が、歴史カードでまだまだ日本から金が引き出せる
、という趣旨の発言をしたこともあるし、南京には市民が二十万しかいなかったのに
三十万虐殺というのはおかしいから、共同で研究しましょう、と日本人が提案したら
中国人は、その必要はない、三十万という数字は党で決定したことだ、と答えた
話も有名。
また、リチャード・バーンスタイン、ロス・マンローはこういっている。
「中国政府は、日本人には戦争に対する罪悪感を、諸外国には日本の再武装への反対
を強調し、これをもって政策手段たらしめてきた。
しかも、その一方で中国共産党は、自国の犯した残虐行為の数々については、これを
道徳的に弁明しようなどと、これっぽっちも思ってはいないのである」
596 :
日出づる処の名無し:2005/10/13(木) 05:08:58 ID:ZWQ9wFdf
南京大虐殺とは、あったと思いたい人が都合よく資料を歪曲することによって生じる妄想である。
あるいはないと知っていて日本を貶める宣伝工作。
597 :
日出づる処の名無し:2005/10/13(木) 06:56:58 ID:8drd9dsb
アガレ〜♪ ☆
/ .。.:*・゜☆.。
∧_∧ /
(*゚ー゚)/)
⊂ く
ノ つつ
598 :
日出づる処の名無し:2005/10/13(木) 07:59:00 ID:WD3IblEW
アガレ〜♪ ☆
/ .。.:*・゜☆.。
∧_∧ /
(*゚ー゚)/)
⊂ く
ノ つつ
599 :
日出づる処の名無し:2005/10/13(木) 09:28:29 ID:qxrT7ZW4
アガレ〜♪ ☆
/ .。.:*・゜☆.。
∧_∧ /
(*゚ー゚)/)
⊂ く
ノ つつ
これは「東京伝説」という都市伝説的な怖さを持つ話を集めた平山夢明さんの本に
載っていた話です。
この本は一応、実際に体験者などから著者が直接聞いて集めた話、ということなんだ
そうですが、真偽のほどは各自の判断で。
【日本専用】
須田さんは商社に勤めている。
何かありませんかというと。
「ありありだけど……あんまり話せることは少ないね」
と笑った。
なんとか頼み込んでひとつだけ教えてもらった。
ある国で村人全員が逮捕されたのだという。
理由は自分たちの畑の作物を国内市場に流したというものであった。
その広大な畑を持つ彼らの村では国策により日本向けに輸出する野菜だけを生産
するよう管理されていた。
彼らは野菜の形にうるさい日本市場から欠品扱いされると予測される野菜を
、近隣の市場に破格値で卸していたのだという。
取り調べに当たった当局者はこれを「国家の根幹を揺るがしかねない大事件」
だとし、彼らをその土地から追い出してしまった。
「でもね、それだけの事件が日本のマスコミには一字も載らなかったんだよ」
「どうしてですか」
「報道すれば理由を書かなければならない。そうすればパニックになるからね」
須田さんは偶然にも、その事件を調査した現地の係官と知己だった。
「スダさん、あなたたち、あなたの家族はウチの国のものは決して食べては
いけない。子供、産まれなくなるクスリ入ります。ゆっくりゆっくり減ります。
産んでも死ぬか病気の子。体の壊れた子、頭の壊れた子しか出てこなくなります」
彼は以前からそう須田さんに警告していたという。
「政治家は自分のことばっかりだから何もわかっていないけれどね。
彼らは何十年、何百年という非常に長いスパンで怨みを晴らすつもりなんだ。
徐々に日本人という民族を消去していくつもりなのさ。
これは実に静かでスマートな戦争のやり方なんだ。恐ろしいよ」
須田さんの家庭では国内産しか食べないが、そうするとたちまちのうちに
エンゲル係数が驚異的になってしまうのだという。
「実に貧しい張り子の虎なんだよ。私たちの国は…」
602 :
日出づる処の名無し:2005/10/13(木) 10:54:17 ID:DVjpaBxd
南京大虐殺論争
南京大虐殺事件を日本人が知ったのは敗戦後の東京裁判においてである。
この事件が「論争」となるのは、日本が高度成長を遂げ公然と十五年戦争
が肯定されるようになってからである。
論点は虐殺事件の存否、組織性、犠牲者の数であり、七〇年代第一次論争、
八〇年代の第二次論争がある。この事件を六〇年代から本格的に研究した
のは洞富雄であり、事件を世に広めたのは本多勝一『中国の旅』(七二年)
である。
第一次論争は七二年の鈴木明「『南京大虐殺』のまぼろし」が事件の存在に
疑問を呈してはじまった。第二次論争では田中正明『南京事件″の虚構』
が事件の存在を否定したために中国を巻き込む論争に発展した。しかし、
論争の過程で多くの新資料が発掘・発表され、旧陸軍将校の親睦団体偕行社
が機関誌『偕行』で「証言による『南京戦史』」を連載し、事件の存在を認め
中国人民にわびたことをもって事件の存否に関する論争は収束した。
第二次論争の時期に事件の非組織性を主張したのは文部省であり、教科書検定
で「混乱の中で」と書き込ませた。しかし、南京攻略戦参加部隊の「戦闘詳報」
などの資料や藤原彰『南京大虐殺』(八五年)、吉田裕『天皇の軍隊と南京事件』
(同年)などによって日本軍の組織的虐殺であることが明確になった。
中国人犠牲者の数の問題に関しては、中国では八五年に開館した侵華日軍南京
大屠殺遭難同胞紀念館に明示するように三〇万人を主張する。
これに対し事件の存在を認めざるをえなくなった人々は三〇〇〇人から
四万二〇〇〇人という数を提示、偕行社刊『南京戦史』でも約三万人という。
しかし、洞は『決定版・南京大虐殺』(八二年)で二〇万を下らない数といい、
『南京大虐殺の証明』(八六年)で少数説の誤りを指摘した。
実証の厳密さからも洞・藤原などの主張には説得力があり、
論争はほぼ決着がついた。
(三省堂『戦後史大事典』より)
今、虐殺派で洞・藤原の主張を繰返す人いなくなったね
藤原といえば、朝鮮戦争が韓国から戦争始めたというくらい
共産主義よりのプロパガンダを垂れ流す人だったけど・・・・
どうやら説得力があったのはアカだけだったみたいw
昔はこんな人でも権威あったんだね。死んでくれてよかったよ
遠山、今井、藤原彰『昭和史』岩波新書355 278p
「そして二十五日、北朝鮮軍が攻撃してきたという理由で、韓国軍は
三八度線をこえて進撃を開始した。」
だってさ。これは現在売られている版でも同じ。
三省堂『戦後史大事典』って今年、新版がでているが、いまもこんな
大昔の記述なのかな。洞や藤原を引いているところでオワットル。
605 :
市民派護憲教師 ◆JEhW0nJ.FE :2005/10/13(木) 12:50:26 ID:r4YNQKdu
日本は中国にいくら謝罪しても終わりはないという事を肝に命じておいたほうがいい
それ程ひどい事をしてきたのですから
607 :
日出づる処の名無し:2005/10/13(木) 13:04:34 ID:8O0cJ/DB
>>605 じゃあ過去の謝罪もしないし現在進行でひどい事を多くの国々にやっている中国は
どうなるんだろ
608 :
日出づる処の名無し:2005/10/13(木) 13:06:57 ID:ZWQ9wFdf
>>606 ワロタ
つか、支那の悪業を知ってる人じゃないと笑えんぞw
>>605 じゃあ謝罪も賠償もやめようぜ。
向こうは朝貢のつもりなんだしさあ。
もう十分杉るほど謝罪も賠償もやったよ。
>>605 一行目には同意だ。
なにをしても終りなき謝罪(と賠償)を求められるのだから、
謝罪と賠償をしない方向へ進むべきだな。
終りが無いならやるだけ無駄だしなw
二行目は中国に言え。
>>602 >『偕行』で「証言による『南京戦史』」を連載し、事件の存在を認め
その「事件」とはその前段で指す南京大虐殺とは質的に全然別種のものなんだけど
なあ。まだまだおかしなギミックが残っている。
612 :
日出づる処の名無し:2005/10/13(木) 20:58:41 ID:ZWQ9wFdf
こっちにもおいで、捏造君w
中国では近年まで斬首の公開処刑などもあったから、多くの写真も残ってる
けど、日中戦争当時の日本に斬首の習慣などあったんだろうか?
まったくなかったわけでもないんだろうけど、そんなことを普通に行っている
ほど日本軍は暇じゃなかった。
急行軍だったし、日本軍は沼などにも苦しめられた。
第十軍法務部長小川関次郎の宣誓口供書によると、南京までの間に二十人ほど
処罰したらしいが、虐殺とか惨殺事件とか言うものではない。
中国側に従軍していたダーディンも、この間日本側に不法行為はなかったし
そのような噂も聞いていないと言っている。
それに、もし斬首が普通に行われていたなら、影の方向がバラバラな捏造写真とか
、誰が証言したのか、出所はどこなのかすら怪しい話、二百カ所以上も間違いがあり
、元の資料の存在さえ疑われるような本の話ばかりなんだろうか?
614 :
日出づる処の名無し:2005/10/13(木) 21:21:28 ID:ZWQ9wFdf
なにより、日本軍は公開処刑してないしね。
写真があるほうが不思議。まして周りに大勢人がいるなんてありえない。
偕行社の機関雑誌「偕行」に連載された『証言による南京戦史』の最終回
に、加登川幸太郎氏が『その総括と考察』を書いている(60・3)。
それまでの過去11回は畝本正巳氏が史実と参戦者の証言を追って“南京で何が起き
たか”を丹念に記述してきた。
この連載を読んだ人は、読むにしたがい、ちまた伝えられるような大虐殺などない
と確信したに違いない。
しかし加登川氏の総括的考察を読む限りにおいては、ちまた言われているものと同
じあり、個人的推測の虐殺人数をあげ、「中国から何と告発、非難されようと非は
われわれの側にある」「中国人民に深く詫びるしかない、まことに相すまぬ、む
ごいことであった」と詫びたのである。
つまり虐殺派同様、数は少ないが虐殺肯定の総括をしたのである。
当然のことながらこの加登川史観に対して、全国の偕行社会員からきびしい
反論があったが、「偕行」編集部は「詫びたのは加登川個人である」と言い逃れた。
偕行社手記東裁不起訴
平成16年2月23日(月)、東京地裁、103号法廷で第4回弁
論があったのでハイライトだけをご報告する。
傍聴希望者94名、抽選で91名入場。
傍聴者の大部分は当方の支援者。
さて、余りご存じないと思うが、平成元年3月に毎日新聞社から編
集人・西井一夫、「昭和史全記録、クロニクル1926−198
9」1300余頁の部厚い本が出版された。
(図書館に行けば見ることが出来る)
1.178頁は昭和12年の紹介であるが「南京入城と大虐殺」の
大きな見出しが目立ち、「百人斬り”超記録”」の小見出しで「百
人斬り」のことを次のように記載している。
「当時、武勇伝として華々しく報道され、戦後は南京大虐殺として
非難された。ところが、この記事の百人斬りは事実無根だった。向
井少尉はこの時手足に重傷を負っていた。東日記者にあったのは南
京の手前で、冗談に、花嫁を世話してくれ、と言うと、天晴れ勇士
として報道されれば花嫁候補者は幾らでも集まる」とこの記事に
なったという。 以下略。
高池、稲田両主任弁護士は被告毎日新聞社自身による「百人斬り否
定の証拠」としてこの全文を裁判長に提出した。(執筆者の名前は
不明)
銃殺による便衣化敗残兵の処刑は公然とやってる(斬首によるものは不明)。
日本軍も在南京外国人もそれは合法と考えていたからこそですが。
東京裁判依頼、日本で続いている「虐殺」議論の争点は、事件の存否と、そして虐殺
人数の二つに集約される。
「人数」については、「百万人」論者はさすがに声を潜めてしまったが、「三十万人
以上」説も、中国政府の「決定」であることが明らかになった今日、すでに説得力
がなくなっている。
最近では東中野修道氏や鈴木明氏らによる多くの真摯な研究が発表されており、「存否」
論争における「存在」説は破綻したと思う。
要するに「虐殺」は史実として無理があるだけでなく、物理的にも不可能だったということだ。
問題は、それでありながら反日日本人が「虐殺」を史実として非難し続けていることだ。
彼らは『自説を曲げない』との意地だけで、日本が保障する「言論の自由」に甘え、日本
国民の教育とマスメディアを支配している。
これに対し「否定派」は、彼らの嘘を暴きたくとも、あまりに無力だ。
秦郁彦氏はこの問題で、「虐殺派」「中間派」「否定派」と論者を相対的に仕分け
するが、実際は「反日政治活動家」(扇動派)と「純粋学術研究派」(学研派)に
分けるほうが正確ではないだろうか。
「日中戦争 知られざる真実」黄文雄
>>617 時間と労力から考えて、銃殺が普通ですよね。
暇な時にそういうこともあったかもしれないけど、そのようなことが普通に行われて
いたはずがない。
>>605 日本は中国人ほど酷いことをしたことはないですし、これからもないでしょう。
そもそも、過去を問題にするなら、カンボジアで過去の虐殺に中国が関与
した件で謝罪を求められた時にも、ちゃんと謝罪すべきだった。
「過去にこだわっては前に進めない。未来だけを語ろう」などと言うべきでは
なかった。
中国人にとって「歴史」とはその場しのぎの政治の道具にすぎない。
だから教科書に描かれる歴史など、学者や専門家の研究成果というより、政府の
“指示”“命令”、あるいは党の党史部、文化宣伝部の会議での“決定”による
創作である。
当然それは、政治目的に合わない歴史事実はばさばさ切り捨てる「つまみ食い史観」だ。
よって、中国の近現代史では、日清戦争以降の日本軍の侵略や残虐性、それによる
中国人の被害、もしくは勇敢なる抗日戦争とその勝利を強調する。
反対に、日中戦争以上に熾烈だった中国の内戦についてはほとんど無視・黙殺・抹殺
している。
これほど偏向した教育もなかろう。
(略)
日本の進歩的文化人は日本の「中国侵略」を強調したいあまり、日中戦争の起点を
昭和六年九月の満州事変まで遡らせ、「十五年戦争」と呼ぶようになった。
この呼称は中国でも歓迎され、頻繁に用いられるようになった。
(略)
日本では柳条湖事件(昭和六年九月)に始まる戦争を「満州事変」、蘆溝橋事件
(昭和十二年七月)に始まる戦争を「支那事変」(日華事変)、昭和十六年十二月
に始まる戦争を「大東亜戦争」と、それぞれ別個に呼んでいたが、中国政府はそれが
お気に召さないらしい。
「十五年戦争」と呼びたがるのには、戦争の連続性、一貫性を強調し、日本の「侵略の野心」
を誇張したいという意図が見え隠れしている。
(略)
「教科書誤報事件」で中国の抗議が強まると、日本の進歩的文化人と中国の学者の間
で「時代競争」が本格化した。
つまり「日本の中国侵略」の起点について、日本側が明治二十七年の日清戦争を主張
すると(「五十年戦争」)、中国側はさらに遡り、明治七年の台湾の牡丹社事件や
琉球処分を主張する(「七十年戦争」)といった具合だ。
「日中戦争知られざる真実」黄文雄
中国人はともかく、日本人で嘘と知りつつ日本を貶めようという人間は、倒錯
心理の持ち主というしかない。
> などの資料や藤原彰『南京大虐殺』(八五年)、吉田裕『天皇の軍隊と南京事件』
>(同年)などによって日本軍の組織的虐殺であることが明確になった。
中国では田中上奏文を持ち出して今でもこのような主張をしてますね。
学術的にはとっくに否定されてることだけど。
天皇陰謀論の元祖、バーガミニとアイリス・チャンについて、スタンフォード大学歴史
学部長デビッド・ケネディは「アトランティック・マンスリー」(1998年4月号)で
こう述べた。
「バーガミニは、明らかに奇抜な論点に基づいて書かれた自著「天皇の陰謀」(1971年)
で、南京虐殺とその他の残虐行為を正面から天皇ヒロヒトの責任であると決めつけようとした。
しかし(アイリス・)チャンは「不幸にして、バーガミニの著作は定評ある歴史家たちの
痛烈な批判を浴びている」点を認めざるを得なかった。
だが、これは控えめな表現というものだ。
現に評者の一人は、バーガミニの記述は、「歴史ドキュメンタリー作成のあらゆる基準を
無視した場合にのみ信用できる」と述べているのである。
歴史家のバーバラ・タックマン女史は、バーガミニの主張は、「ほぼ完全に、著者の推論
と悪意ある解釈を好む性行の産物である」と述べている。」
>『偕行』で「証言による『南京戦史』」を連載し、事件の存在を認め
これを書いた人間は100%「証言による「南京戦史」」を読んでない。
>>615 > 当然のことながらこの加登川史観に対して、全国の偕行社会員からきびしい
> 反論があったが、「偕行」編集部は「詫びたのは加登川個人である」と言い逃れた。
はい、この部分捏造だね。
「昨年4月号から一年近く連載されたこの「戦史」には、当然その締めくくりとして
結論的な「総括的考察」を必要とするであろう。畝本君の作業原稿にはもちろん
終章第7章として「筆者の総括的考察」があり、これが編集部に届いている。だが
われわれは協議の結果、結論的考察は「偕行」編集部がこれを起草することとし、
畝本君の同意を得た。したがって本号で以下に述べるところは「編集部としての考察」
である。[中略]畝本君と会同し、その原則的同意のもとに「総括的考察」を文字にする
のには慎重な検討を加えた。防衛庁研修所員の森松俊夫、原剛君らの参集を求め、
本問題の研究家板倉由明氏の援助も願い、高橋登志郎編集担当常任理事、竹下正彦
理事、依嘱編集委員加登川幸太郎、おなじく細木重辰らがこれに当たった。
ただ文章上の責任を明らかにするために執筆者名を明記した。
文責は筆者、加登川幸太郎に在る。」
(「証言による南京戦史」(最終回) <その総括的考察>「偕行」1985年3月号)
何なら同年5月号にある文章も引用してやって良いぞ。
【言論チンピラ妄言解毒対策レス#41】
南京大虐殺はなかったと主張する学者は実在しますか? もし実在するなら名前を挙げてください。
「公文書等に基づく一定数の不法殺害行為」で丸く収まるのにな
微妙な法解釈論争も有りとして
「数十万市民無差別虐殺」とか「何も無し」とか言い出すとアラが出る
630 :
日出づる処の名無し:2005/10/13(木) 23:40:49 ID:uGRQfycu
補足:
当然ワシは読んでいない
>>630 残念ながら松尾のページは肝心の総括的考察などの号が載ってないんだ。
引用が正確かどうかは現物に当たっていただく他はない。
しかしながら、逆に言えば現物に当たることが出来るのならば、
正確かどうかは判定しうるということだね。
南京大虐殺を「日本軍が組織的な命令で南京市内で非戦闘員を30万人以上を殺害した事件」とするならば
日本国内においては存在しません。
もし南京大虐殺を「日本の軍人が南京市にいた中国人を殺害した事件で何人殺害したかは定かではない」というのであれば
先に書いた仮定の南京大虐殺と混同するので、第X次南京事件ないし南京12月事件のように別の言葉を使うべきです
OK?
訂正
南京大虐殺を「日本軍が組織的な命令で南京市内で非戦闘員を30万人以上を殺害した事件」(中国政府認定)とするならば
南京大虐殺があったという学者は日本国内においては存在しません。
もし南京大虐殺を「日本の軍人が南京市にいた中国人を殺害した事件で何人殺害したかは定かではない」というのであれば
先に書いた仮定の南京大虐殺と混同するので、第X次南京事件ないし南京12月事件のように別の言葉を使うべきです
OK?
635 :
日出づる処の名無し:2005/10/14(金) 00:29:27 ID:WggteMFU
三省堂『戦後史大事典』
現代においても、ある方向性のものは取り扱い拒否する書店だね。
636 :
日出づる処の名無し:2005/10/14(金) 00:36:30 ID:MHnPF2zt
中国政府が言ってる30万人って
戦闘員と非戦闘員(軍民)の合計じゃなかったっけ?。
常識的な日本での見解では
「日本軍が組織的な命令で南京市内で非戦闘員を30万人以上を殺害した事件」
とはならず、以下のようになる。
ナンキン‐だいぎゃくさつ【南京大虐殺】
日中戦争初期の昭和一二年(一九三七)、南京を占領した日本軍による、中国軍捕虜や一般市民に対する大規模な略奪・暴行・虐殺事件。
[ 大辞泉 提供:JapanKnowledge ]
ナンキン-だいぎゃくさつ 【南京大虐殺】
日中戦争さなかの1937年(昭和12)12月から翌年1月にかけて、南京を占領した日本軍が中国人に対して行なった大規模な暴行略奪虐殺事件。このとき殺された中国人の数は、極東軍事裁判では二〇万人以上、中国側の発表では三〇〜四〇万人とされる。
[ 大辞林 提供:三省堂 ]
アフォウヨの恣意的定義による「南京大虐殺否定論」
こういう詭弁を言っているから、肯定論者は安泰だよ
んじゃま再度訂正
南京大虐殺を「日本軍が組織的な命令で南京市内で捕虜、一般市民を非戦闘員を20万人以上を不法に殺害した事件」(中国政府認定)とするならば
南京大虐殺があったという学者は日本国内においては存在しません。
もし南京大虐殺を「日本の軍人が南京市にいた中国人を殺害した事件で何人殺害したかは定かではない」というのであれば
先に書いた仮定の南京大虐殺と混同するので、第X次南京事件ないし南京12月事件のように別の言葉を使うべきです
これでどうだ
悪文…orz
南京大虐殺を
「日本軍が組織的な命令で南京市内で捕虜、一般市民など非戦闘員を20万人以上を不法に殺害した事件」(中国政府認定)とするならば
南京大虐殺があったという学者は日本国内においては存在しません。
「日本の軍人が南京市にいた中国人を殺害した事件で何人殺害したかは定かではない」というのであれば
先に書いた仮定の南京大虐殺と混同するので、第X次南京事件ないし南京12月事件のように別の言葉を使うべきです
これでどうだ
佐々木到一少将の『私記抄』から。
十二月二十六日
宣撫工作委員長を命ぜられる。この査問工作の目的は、住民に混入している
便衣兵を摘出して、不穏分子の陰謀を封殺するとともに、わが軍の軍紀風紀を
粛清し速やかに秩序と安寧を恢復するにあった。
● 調査の方法は、日支人立会のうえ一人ずつ審問し、検査し、委員が合議のうえ
●で敗残兵なりや否やを判定し、常民には居住証明書を交付した。敗残兵と認定
●された者は、これを上海派遣軍司令部に引き渡した。
予は、峻烈なる統制と監察・警防とによって、概ね二十日間に所期の目的を
達することができた。
某肯定派のサイトがわざと省略したっぽい部分(●の行)を抜き出してみたw
正直言って、便衣兵の分離については、肯定派の言うことを鵜呑みにして、間違えて
殺された市民もいるだろうと思ってたけど、これだけやれば千の単位にはならんだろう
・・・と思った。
>>627 おい、これは言い逃れたことを批判された後の文章じゃないのか?
畝本の「筆者の総括的考察」ではなく、なぜあえてそれまでの流れを無視した
総括をしたのか?
そのことに対して批判されたのは嘘なのか?
>>637 妄想癖でもあるのか?
誰だって中国の言う「虐殺」論が軍民あわせて何十万殺害、という主張だってこと
くらい知ってるし、日本では今やそんな主張は論外になっていて、捕虜処刑や便衣兵
処刑が合法か違法かってことに絞られてるんだろ。
もし違法なら、違法な大量殺害ということだから、虐殺はあったということになるからね。
>>640 兵民分離で摘発された便衣兵が二千人解放されてるけど、それ以外にも摘発
されたの?
夕方暗い中を陸軍兵に連れられてきた中国人捕虜の数は千人足らず
と見た。
他にも捕虜があったのではないかとも考えたが、ともかく何万という
捕虜は、南京に関する限り、あるはずがないことは確実である。
その翌日、南京に全く市民の人影一人もいないことが不思議であった
ので、例の自転車で市内を少々巡ってみると、市の片隅に「立入禁止
避難民区域」と、横幕が通りに張り出してあった。
その中は言葉を絶する混雑をきわめた避難民の町であった。
二十万虐殺とかいう説に黙しきれず、正直に事実を記した次第である。
住谷盤根氏の回想
第十六師団歩兵第二十連隊戦車第一中隊、城島中隊長の証言
歩兵の戦闘部隊と一緒に戦闘しましたが、道路の近傍では敵の遺棄死体は、ほとんど見受け
ませんでした。
敵は勝手を知った陣地内のことですから、夜暗を利用して死体を収容したのではないでしょうか。
後続部隊が進出してきたころには遺棄死体があったかも知れませんが、街道両側の敵兵力は
五千内外と推定されますから、「馬群?中山門間の遺棄死体三万三千は」なんて、まったく白髪三千丈
式ですよ。
住民とくに婦女子などは、戦場には残っておらず、早くから退避していたと思います。
独立軽装甲車第七中隊戦記
日本軍の進撃作戦は、各方面ともこのような戦闘を繰り返したと思うが、敵が抵抗した都市、村落は
甚大な損害を受けたのである。
しかし、日本軍は一地に長く駐留することはなく、まして略奪・暴行の如きを行ったことはない。
長くても二、三、ほとんど停止することなく風の如くに通過したのである。
巷間、江南平野二百マイルの追撃作戦において、日本軍が暴虐の限りをつくし、中国住民に
莫大な戦禍を与えたかのように宣伝されているが、都市の戦禍は彼我の攻防戦によって生じた
ものである。
日本軍のみの故意のものでないことは明らかである。
第十六師団歩兵第十九旅団司令部通信班長・犬飼総一郎の証言
南京に向かう追撃作戦で、京都の第十六師団は江南大運河に沿い進撃したが、その追撃隊となった
歩兵第十九旅団は11月25日、無錫を突破し、29日には常州に進出した。
無錫も常州も掠奪の跡歴然たるものがあり、私はこの時はじめて支那軍による掠奪の凄まじさを
見たのである。
以上、「証言による「南京戦史」」偕行社より
こんな証言だらけで虐殺があったなんて総括したら怒られるのは当然だ。
児玉義雄氏証言 証言による南京戦史(5)
第16師団 歩兵第30旅団 歩兵第38連隊 副官
連隊の第一線が、南京城一、二キロ近くまで近接して、彼我入り乱れて混戦していた頃、師団副官の声で、師団命令として「支那兵の降伏を受け入れるな。処置せよ」と電話で伝えられた。私はこれはとんでもないことだと、大きなショックを受けた。
師団長・中島今朝吾将軍は豪快な将軍で好ましい御人柄と思っておりますが、この命令だけは何としても納得できないと思っております。参謀長以下参謀にも幾度か意見具申しましたが、採用するところとならず、その責任は私にもあると存じます。
部隊としては実に驚き、困却しましたが、命令やむを得ず、各大隊に下達しましたが、各大隊からは、その後何ひとつ報告はありませんでした。激戦の最中ですからご想像いただけるでしょう。
沢田正久氏 証言 証言による南京戦史(5)
第16師団 佐々木支隊所属 独立攻城重砲兵第2大隊 第1中隊 観測班長 砲兵中尉
中隊主力は12日、仙鶴門鎮北方約二キロの墓地に陣地進入して放列を敷きましたが、その横の道路を佐々木支隊が前進して行くのを目撃しました。私は観測隊長として、墓地北々西約一キロ、高さ約五〇メートルの揚山に観測所を設け、観測任務につきました。
(中略)
〔14日〕午前8時頃、衛兵所に行ってみると、驚くなかれ、揚山に向かって西方から続々と敵の大部隊が登ってきます。中隊長に報告すると、中隊長は”友軍ではないか”と疑ったほどでした。
(中略)
われわれは墓地を利用して、接近する一部の敵と相対しました。やがて友軍増援部隊が到達し、敵は力尽き、白旗を揚げて正午頃投降してきました。その行動は極めて整然としたもので、既に戦意は全くなく、取りあえず道路の下の田圃に集結させて、武装解除しました。
多くの敵兵は胸に「首都防衛決死隊」の布片を縫いつけていました。俘虜の数は約一万(戦場のことですから、正確に数えておりませんが、約八千以上おったと記憶します)でしたが、早速、軍司令部に報告したところ、
”直ちに銃殺せよ”と言ってきたので拒否しましたら、”では中山門まで連れて来い”と命令されました。”それも不可能”と断ったら、やっと、”歩兵四こ中隊を増援するから、一緒に中山門まで来い”と言うことになり、私も中山門近くまで同行しました。
(中略)
仙鶴門鎮には集成騎兵隊(三コ師団の騎兵隊を集めた)が居り、戦闘の主役はこの集成騎兵隊で前哨中隊長は陸士45期前後の方だったと思います。
また、この投降俘虜を引き渡した歩兵部隊名は思い出せませんが、麒麟門付近に待機していた軍か師団の予備隊(歩兵第三十八連隊第十中隊か----洞富雄注)から派遣されたものと思います。
第16師団 歩兵第30旅団
歩兵第33連隊戦闘詳報 第三号附表
自昭和十二年十二月十日
至昭和十二年十二月十四日
[俘虜] 将校14、准士官・下士官兵3、082、馬匹52
[備考] 1、俘虜は処断す
2、兵器は集積せしも運搬し得す
3、敵の遺棄死体
一二月 十日 二二〇
一二月十一日 三七〇
一二月十二日 七四〇
一二月十三日 五、五〇〇
以上四日計 六、八三〇
『南京戦史資料集1』P499
第114師団 歩兵第127旅団 第66連隊 第1大隊戦闘詳報
(12月13日)
八、午後二時零分連隊長より左の命令を受く
左記
イ、旅団命令により捕虜は全部殺すへし
其の方法は十数名を捕縛し逐次銃殺しては如何
ロ、兵器は集積の上別に指示する迄監視を附し置くへし
ハ、連隊は旅団命令に依り主力を以て城内を掃蕩中なり
貴大隊の任務は前通り 九、右命令に基き兵器は第一第四中隊に命し整理集積せしめ監視兵
を附す
午後三時三十分各中隊長を集め捕虜の処分に附意見の交換をな
したる結果各中隊(第一第三第四中隊)に等分に分配し監禁室
より五十名宛連れ出し、第一中隊は露営地南方谷地第三中隊は
露営地西南方凹地第四中隊は露営地東南谷地附近に於て刺殺せ
しむることとせり
但し監禁室の周囲は厳重に警戒兵を配置し連れ出す際絶対に感
知させさる如く注意す
各隊共に午後五時準備終り刺殺を開始し概ね午後七時三十分刺
殺を終り
連隊長に報告す
第一中隊は当初の予定を変更して一気に監禁し焼かんとして失
敗せり
捕虜は観念し恐れす軍刀の前に首を差し伸ふるもの銃剣の前に
乗り出し従容とし居るものありたるも中には泣き喚き救助を嘆
願せるものあり特に隊長巡視の際は各所に其の声起れり
『南京戦史資料集1』P567-568
大虐殺が証明できないからってコピペでファビョるなよ
いちいちおまいらの、大虐殺→犯罪あった、
の論点すりかえに付き合う趣味はないの
捕虜問題は、大量虐殺主張してるおまいらと議論する必要なんてないし
この問題は、否定派と中間派とがじっくりとやればいいだけの話だから
>>648 捕虜の処断=処刑でないことは既にここでも議論された通りだ。
>>649 第四中隊長が抵抗する敵軍に三名の伝令を送ったと書かれているけど、実際
には中隊長はそれ以前に負傷して戦線離脱をしていて、この時小宅第一小隊長代理
が第四中隊を指揮していて、戦闘詳報もこの人が書いていた。
しかし小宅はここに書かれていることを完全に否定している。
皆殺せという旅団命令があったことを示すものは第一大隊の戦闘詳報だけだが
、小宅の証言が正しいなら、この戦闘詳報には事実でないことが書かれている
ことになる。
よって、第一大隊が何らかの理由で捕虜を処刑したかもしれないが、本当に
そのような旅団命令があったかどうかは疑わしい。
>>647>>646の話も既に出た話題で、捕虜の処刑もあったし、投降を受け入れる
ような状況にないほど激戦だったことが示されているだけだ。
なのに虐殺があったなんて総括されたら誰でも怒る。
「証言による「南京戦史」10」
関口鉱造氏の証言(砲艦勢多・次席大尉)海兵59期
--下関桟橋から南京入城--
……「南京大虐殺」などという言葉は終戦後、極東軍事裁判で問題になって
初めて知りました。
「南京江岸における大量処刑」なる事実は、少なくとも当時の海軍、とくに
南京市に最も近く碇泊していた勢多では目撃しておりませんし、銃声も
聞いておりません。
日記なども焼却したため、記憶を辿って申し述べます。
13日、下関埠頭に突入
当時勢多第十一戦隊に属し、前衛部隊の一艦として13日午後、敵の敷設機雷を
排除しつつ下関礁頭に接近した。
礁頭及び江岸には、武装した中国正規兵が蝟集しており、対岸の浦口方面
に逃走すべく便船を待っている様子でした。
下関礁頭に勢多が近づきますと、敵は収容に来た味方の軍艦と思ったらしく
、銃をあげておりました。
わが方が機銃を射ち出すと、初めて日本軍と気づいたらしく、勇敢に小銃
を射ってくる者、銃を捨てて大慌てで上流方面に逃走する者、また、わが
射撃に江中に転落する者など大混乱を生じました。
その光景は今でも眼底に鮮明に残っております。
私が艦橋で見ておりました限り、礁頭や江岸に無秩序に集合していた敵軍
は、白旗を掲げたり、両手をあげて降伏の意思を表示する者は皆無でした。
(略)
城内の状況
城内(難民区は女子供でゴッタ返していたが、若い男の姿はあまり見かけ
ませんでした。
時折り、窓越しに険悪な眼で注視している男を見かけましたが、便衣兵
らしく思われました。
?江門から下関礁頭に至る道路は、主要道路であるため日本軍の検問所が
多数あり、往来する支那人は身体や荷物を厳重に検査されていました。
(略)
私が記憶していることは以上のとおりで、「虐殺」などという事件は、艦長
以下全乗組員とも目撃しておりません。
その後、勢多は間もなく南京を離れ、さらに上流の警備についたのですが、
翌13年10月、武漢陥落前に内地転勤を命ぜられ、特設砲艦で下江して
下関礁頭に上陸しました。
その頃は減水期であり、河川敷にところどころ白骨が見えました。
これとても、折り重なってというようなものではなく、艦上からみて、
ここに数個、あそこに二、三個といった程度でした。
「街路は既に平静に帰し住民は跡片づけに忙しく諸所街頭に小児が戯れ、なかには
日本兵から食物を買い受けているのだえ見られた」12月14日午後3時頃
「証言による「南京戦史」(4)」第十軍参謀谷田勇大佐
この時までは憲兵隊長が「軍紀・風紀の紊乱による若干の不祥事件」
を報告したのみであり、巷間伝えられるような「虐殺事件」について
大将は報告を受けていない。
翌19日、20日は幕僚数名をしたがえて市内を巡視し、次のように
日記に誌している。
「城内数カ所に尚兵火のあがるを見るも、さしたるものにあらず。
概して城内は兵火を免れ、市民も既に帰来せるを見る。
安堵の色深し」
「大使館に至り、新着の領事館員等と会見し、状況を聞く」
「朝10時発、?江門付近から下関にかけて視察す。
この付近、尚狼藉の跡のままにて、屍体などそのままに遺棄せられ
、今後の整理を要するも、一般の家屋等の被害は多からず。
人民も既に多少宛帰来せるを見る」
「証言による「南京戦史」10」
泰山弘道氏の従軍日誌(中支那派遣第三艦隊司令部・海軍軍医大佐)
>>651 >捕虜の処刑もあったし、
>投降を受け入れるような状況にないほど
>激戦だったことが示されているだけだ。
>なのに虐殺があったなんて総括されたら誰でも怒る。
つまり激戦だったんだから、捕虜の処刑を虐殺と言うな
てのがここの否定派の論理ね
>>657 緊急性に基づく戦時法規無視ね
戦闘中の投降兵殺害ならともかく
市民の中から、私服逃走兵を摘出して処刑した事に、緊急性があるのかね?
捕虜資格がないから、即殺しても良いってのも否定派の論理だね
>>657 何いってんだ?
またすり替えか?
投降を受け入れるなと命令したことの話だろ。
便衣兵処刑などは戦数理論持ち出すまでもなく合法に決まってるだろ。ばか?
「東京伝説」 竹書房、角川で刊行。アマゾンでリスト可
>>660 「東京伝説」は今シリーズで三冊目かな。
はっきり言って怖いよ。戦争と関係ないけど。
ゲリラの捕虜資格の問題と戦数の話は論点が違うけどな
2001年3月号 正論 P317
「南京事件と戦時国際法」佐藤和男著
兵民分離が厳正に行われた末に、変装した支那兵と確認されれば、死刑に処せられ
ることもやむを得ない。
多人数が軍律審判の実施を不可能とし(軍事的必要)--軍事史研究家の原剛氏は、多数
の便衣兵の集団を審判することは「現実として能力的に不可能であった」と認めている
--、また市街地における一般住民の眼前での処刑も避ける必要があり、他所での執行が
求められる。
したがって、間題にされている潜伏敗残兵の摘発・処刑は、違法な虐殺行為でばない
と考えられる。
>>663 関係あるも何も、違法と考えられることでも軍事行動に悪影響が及ぶ、部隊が
壊滅するかもしれない、なんて時には許されるという考えが戦数だ。
>>659 >投降を受け入れるなと命令したことの話だろ。
この命令自体がハーグ規定違反だがね
投降兵の殺害自体を禁じてる
まあ緊急避難(戦数理論)の考えも理解するよ
便衣兵の定義については疑問の指摘もあるし
ここと軍事板の認識すら違う
君も過去レスを読むこと
>>666 戦数はわかったか?
だったら、便衣兵について過去レス読んで理解しろ。
とくに便衣化することが背信行為にあたるというところをな。
で、ようするにあちこちで激戦が起こっていて、壊滅しかかってる部隊がある。
それで増援要請が来ているが、増援する余裕などない。
そんな「彼我入り乱れて混戦」してる時に、投降兵を武装解除して監視に人員
を裂くなんてやってたら部隊が壊滅しかねない。
そんな余裕があるなら、他の部隊の救援にいけ、という話だ。
おまけに敵は投降と見せかけて手榴弾を投げてくるだとか、後ろから狙撃する
なんて戦法を取っていた。
部隊を壊滅させないためには投降を受け入れるなと命令するしかないだろ。
だいたい便衣兵の処刑を合法と言う専門家はいても違法なんて専門家が
いるのか?
>>667 不法行為(投降兵や拘束兵の殺害等)を認めた上で
法解釈で合法論を出してる研究者を、別に否定してないよ
>>668 便衣兵と便衣化兵の同一視に
疑問の指摘もあるって事だろ
ゲリラと武器を持たない私服逃走兵を同じ処置
>>669 だから交戦資格四条件は「満たす」ことが求められてるわけで、そうで
なければ捕虜資格を失うんだよ。
戦意があるかないかなんてわかるわけもなく、だからこそ市民との区別義務
に違反して隠れたら占領軍にとっては危険だし、危険だからこそ掃討しな
くちゃいけなくなる。
だから戦意の有無に関わらず、その行為自体が避けるべき行為だかとされて
るし、便衣姿になって市民に紛れた不法戦闘員は便衣兵と見なされる。
で、近年になってゲリラは捕虜資格を認められたが、便衣兵については
これまで同様捕虜資格を失うとなったままだ。
(捕虜と同程度の待遇を与えなければならない、という規定ができたけど)
市民との区別義務に違反した不法戦闘員、つまり便衣兵を保護する規定は
77年の追加議定書ではじめて明確に記述された。
それまでは捕虜資格を失うとされるだけで、保護する旨の記述はなかった。
だから「交戦法規で明確に禁じられていない一切の手段」をもって攻撃できた
わけ。
投降兵の殺害はハーグ規定違反だけど
戦数理論(正当防衛)の為やむなし
国際法の便衣兵(ゲリラ)の定義と私服逃走兵はイコールではないけど
戦意の有無が分からないから同一視して武器が無くても処刑やむなし
「小事件派」と「事件無かった派」の違いって殆ど無いね
ゲリラ(反政府ゲリラ)の捕虜資格は77年に認められたが、正規兵の
非戦闘員との区別義務違反は禁じられたままだった。
しかし、おかしなことに捕虜と同程度の待遇を与えなさい、という規定が
盛り込まれた。
逆に言うと、それまではただ捕虜資格を失うとされていただけで、捕虜待遇
を与える必要もなく、それと同様の待遇を与える必要もなかったということだ。
はじめて保護的な文言が記述されたんだけど、アメリカは批准しなかった。
だからこそ、アフガンで捕虜に対する拷問が批判された時、彼はこういうこと
ができた。
「ジュネーブ条約の主要な目的は戦闘員と非戦闘員を実に明瞭に
区別することによって無辜の非戦闘員を保護することであった。
そのため、この条約は兵士に自らを非戦闘員の人々と区別する制服
を着用するよう要求している。
タリバンは見分けのつく標示や表章やシンボルや軍服を着用しなかった。
それどころか、自らアフガニスタンの非戦闘員の人々と区別しようと
する努力からほど遠く、彼らは人々のいる地域やモスクに隠れて非戦闘員
の市民の中に紛れ込もうとしたのである」
「(戦闘員は)捕虜の資格と身分を認められるが、しかし軍服を脱ぎ捨て
た兵士は「不法戦闘員」となり、専門的には、「ジュネーブ条約の定める
如何なる権利も有しない」。
もし便衣兵がジュネーブ条約に定められている何らかの権利を有していた
なら、このような主張で正当化できなかった。
>>672 あくまで法を厳密にあてはめれば、ということであって、実際に武器も発見され
てないのに処刑したかどうかはわからない。
あと、パル判事のように、日本がジュネーブ条約に批准していなかったこと、ハーグ
条約が総加入条項のあるものだったことなどから合法を主張することもできる。
>>646 の児玉氏は、『「南京大虐殺」のまぼろし』 鈴木明著では、以下の発言をしている。
> 児玉氏はクリスチャンであったから、正式命令ではないにしても「捕虜を出すな」という上級からの
>示唆に、苦しみ悩んだ。和平門から下関にかけて攻めていったとき(おそらく十三日)、数十人の日
>本軍の前に、十倍以上とも思われる投降者が、突如現れた。「どうしましょう?」と部下が判断を求め
>にきたときとっさに「蹴散らせ」というほかに命令の下しようもなかった。
> ワッと突っ込む兵士、撃たれて倒れる敵、逃げる敵、うずくまる敵、抵抗する敵、だがもし、ここで
>全部を捕まえていたら、この場にいる全員で監視し、後送しなければならない。その間に、先行した
>味方は敵にやられているかもしれない。部隊は、前に進まなければならない。
>(中略)
> 「虐殺かどうかはわかりませんが、幕府山の方に遺棄死体があるので掃除(死体を片づけること)
>したという話を聞いたことがあります。いま“南京大虐殺”というようなことが言われていますが、私は
>日本軍が意図的に民衆や捕虜を大量虐殺したとは、とても考えられません。むろん私は見ても
>聞いてもいません。ただこういうことがいえるのではないですか。近代の戦争、日本で言えば日華事変
>以降の戦争は昔の武士と武士との戦いではなく、いわば総力戦の時代に入ったのです。中国でも
>否応なしに民衆がまきこまれ、日本でも、内地にいる人も、空襲で殺されたのです。それが戦後
>になって、アルジェリアや朝鮮やベトナムで、民族と民族の殺し合いという形にまで進展しているの
>ではないでしょうか」
677 :
日出づる処の名無し:2005/10/14(金) 06:43:49 ID:QYYBa+0F
遠慮しないでageようよ
679 :
日出づる処の名無し:2005/10/14(金) 08:38:02 ID:ardsXxeE
南京大捏造
あ、よく調べたら「東京伝説」は三冊どころか六冊も出てる。
682 :
日出づる処の名無し:2005/10/14(金) 12:42:50 ID:QYYBa+0F
町村GJ アゲ
今頃になってなんだが、偽スレをあえて立ち上げて執拗にがんばるってのは
このスレのテンプレがこわいのかねw
683 :
日出づる処の名無し:2005/10/14(金) 12:53:40 ID:/CRis4Ol
>>678 >「従軍慰安婦」など当時なかった呼称を使っていることなども「不適切」と批判した。
コレが何となくきな臭いんだよな。
『従軍慰安婦』と言う呼称が無かっただけで、そういう(韓国、左翼が主張する様な)制度はありました。
と言う事にされると同じ事だし。
684 :
日出づる処の名無し:2005/10/14(金) 13:00:09 ID:D1rcN956
まあ、死体なき大虐殺という点ですでに、3万人以上と言う説は、破綻してるんだけど。
紅卍協会が3万体、崇善堂が10万体の死体を処理したほか、川から流された死体や
放置されたままの死体も最大限に見て1万位はあった(水路に細い部分があるので、
これくらいが限界)という前提で、ここから戦闘で死亡した兵士(3〜4万人)を引くと、
残りは10万体前後。
しかし、崇善堂は軽トラ1台の小規模団体(北村稔・南京事件の探求・文藝春秋)だから、
10万体という埋葬記録はでっち上げ確定!仮に埋葬作業をしていたとして、200人位の
埋葬が限界という団体。
よって、戦闘以外で死亡した可能性のある死体の数は、0人〜1万人
もう既に、だいたいの結論は出ている!
なお、俺は、100人〜1000人の虐殺の「可能性」は否定しない。
>>683 従軍だろうが何だろうが「慰安婦」の存在を否定している者はいない
ツボは「強制連行(中国人を除く)」と「朝鮮人女衒による人身売買」
補足:
慰安婦=(合法契約の)売春婦 とするならば
688 :
日出づる処の名無し:2005/10/14(金) 19:24:16 ID:yUHLqo27 BE:206615939-
>>678 【言論チンピラ妄言解毒対策レス#93】
拝啓
このたび、政府と国民が協力して進めている「女性のためのアジア平和国民基金」を通じ、
元従軍慰安婦の方々へのわが国の国民的な償いが行われるに際し、私の気持ちを表明させていただきます。
いわゆる従軍慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題でございました。
私は、日本国の内閣総理大臣として改めて、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、
心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを申し上げます。
我々は、過去の重みからも未来への責任からも逃げるわけにはまいりません。
わが国としては、道義的な責任を痛感しつつ、おわびと反省の気持ちを踏まえ、過去の歴史を直視し、
正しくこれを後世に伝えるとともに、いわれなき暴力など女性の名誉と尊厳に関わる諸問題にも
積極的に取り組んでいかなければならないと考えております。
末筆ながら、皆様方のこれからの人生が安らかなものとなりますよう、心からお祈りしております。
敬具
平成13(2001)年
日本国内閣総理大臣 小泉純一郎
>>689 「軍の関与」=「悪質業者の取り締まり+性病予防等の管理」=「証明された事実」
慰安婦問題の経緯
1) 昭和58年、吉田清治が著書「私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録」の中で、
昭和18年に軍の命令で「挺身隊」として、韓国斉州島で女性を「強制連行」して慰安婦
にしたという「体験」を発表。
朝日新聞はこれを平成3年から翌年にかけ4回にわたり報道。
2) 同3年8月11日、朝日新聞は「女子挺身隊」の名で戦場に連行され、売春行為を強いられた「
朝鮮人従軍慰安婦」の一人が名乗り出たと報道。
3) 同4年1月11日、朝日新聞は一面トップで「慰安所、軍関与示す資料」、「部隊に設置指示 募集
含め統制・監督」と報道。
この直後の16日から訪韓した宮沢首相は首脳会談で8回も謝罪を繰り返し、「真相究明」を約束。
4) 同5年8月4日、河野官房長官談話、政府調査の結果、「甘言、弾圧による等、本人たちの意思に
反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接に荷担したこともあった」と発表。
この河野談話によって日本政府は慰安婦が軍によって強制徴集されたことを公式に認めてしまった
ことになる。
従軍慰安婦問題経緯の実態
1) この問題に火を付けたのが、吉田清治の著書「私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録」でした。
しかし、千葉大学教授の秦郁彦氏が済州島に行って実際に調査したところ、吉田氏が慰安婦にするた
めの女性を1000人近く徴用したとう事実はないことが判明しました。
それに現地の新聞がすでに「吉田証言に該当する事実はない」と報道していたのです。
吉田証言は全くの嘘であることが証明されて、1996年に本人も「全てフィクションである」と認めています。
2) 自ら名乗り出た慰安婦について:この女性、金学順は「女子挺身隊」として連行などされて
いない事を、8月14日の記者会見で自ら暴露した。
実際は、生活苦から義父によって民間の置屋に売られたという、ただの身内による身売りという
のが実態であったことが判明。
国家による組織的な強制連行とは関係ない。
そもそも「女子挺身隊」とは、昭和18年9月に閣議決定されたもので、金学順さんが17歳で
あった昭和14年には存在していない制度である。
さらに「女子挺身隊」とは、販売店員、改札係、車掌、理髪師など、17職種の男子就業を禁止
し、25歳未満の女子を動員したものであり慰安婦とは何の関係もない。
しかしながら、この事実を朝日新聞が訂正することは一切なかった。
*軍の関与について
発見された文書とは昭和13年に陸軍省により、「軍慰安所従業婦等募集に関する件」であり、
その中では、民間業者が慰安婦を募集する際、@軍部諒解の名儀を悪用、A従軍記者、慰問者ら
を介した不統制な募集、B誘拐に類する方法を使って警察に取調べられるなどの問題が多発して
いるので、業者の選定をしっかりし、地方憲兵警察と連繋を密にせよと命じている。
すなわち「関与」とは、民間の悪徳業者による「強制連行」を、軍が警察と協カしてやめさせよ
うとした事なのである。
これを「慰安所、軍関与示す資料」、「部隊に設置指示 募集含め統制・監督」とした将に
ヒッカケ記事が、狙い済ましたように、宮沢首相訪韓のわずか5日前に発表されたことから、
絶大な効果を発揮した。
ソウル市内では抗議・糾弾のデモ、集会が相次ぎ、日の丸が焼かれる中で宮沢首相は事実を確認
する余裕もなく、8回も盧泰愚大統領に謝罪。
*政府の公式見解の内幕
当時、内閣官房副長官だった石原信雄氏は、次のように明らかにしている。
強制連行の証拠は見あたらなかった。元慰安婦を強制的に連
れてきたという人の証言を得ようと探したがそれもどうしても
なかった。結局談話発表の直前にソウルで行った元慰安婦十六
名の証言が決め手になった。彼女達の名誉のために、これを是
非とも認めて欲しいという韓国側の強い要請に応えて、納得で
きる証拠、証言はなかったが強制性を認めた。
もしもこれが日本政府による国家賠償の前提としての話だっ
たら、通常の裁判同様、厳密な事実関係の調査に基づいた証拠
を求める。これは両国関係に配慮して善意で認めたものである。
元慰安婦の証言だけで強制性を認めるという結論にもっていっ
たことへの議論のあることは知っているし批判は覚悟している。
決断したのだから弁解はしない(櫻井よしこ「密約外交の代
償」「文塾春秋」平成9年4月)
というか、慰安婦がすごい高給取りだったことも今では明らかに。
慰安婦の強制連行を認めれば、今後日韓関係は上手くいく、と考えたらしい
んだけど、甘い。甘すぎる。
中国や韓国は、そんな謙譲の美徳が通用する相手ではないし、土が軟らかいと
みればとことんまで掘り尽くそうとする国だ。
というか、そんな甘い考えで外交をされては困る。
しかも、自国の先人を犯罪人に仕立て上げてまで。
>>690 【言論チンピラ妄言解毒対策レス#74】
日本外務省、「日本軍による南京での殺人・略奪行為は否定できない事実」
日本の外務省スポークスマンの沼田貞昭氏は19日、当時の日本軍による南京
における殺戮(さつりく)行為は否定できない事実であると語った。
上記は、沼田貞昭氏が新華社の記者によるインタビューに応じ、語った言葉で
ある。沼田氏は、旧日本軍が1937年南京に侵入し、一般市民を殺害し、略奪行
為を行なったことは、否定できない事実であり、政府によるこれらの認識は、集
会を催した団体の認識とは異なっていると表明し、以下のように強調した。
日本政府の歴史認識に関する考えは、日本の村山富市元内閣総理大臣が
1995年8月15日の談話において明らかにした、「我が国は遠くない過去の一時
期に、植民地的統治と侵略によって多くの国、特にアジア諸国の人々に極めて
大きな損害と苦痛をもたらした。我々は、この歴史的事実を謙虚に認め、ここ
で改めて痛切な反省と心からの謝罪を表する」という言葉と変わっていない。
現在に至るまで、日本政府のこの考えには、いかなる変化もない。
「人民日報」 2000年1月20日1面
ttp://fpj.peopledaily.com.cn/2000/01/20/newfiles/a1020.html
【言論チンピラ妄言解毒対策レス#75】
1982(昭和57)年
8月24日 鈴木善幸首相〔教科書問題での記者会見〕
「過去の戦争を通じ、重大な損害を与えた責任を深く痛感している」
「『侵略』という批判もあることは認識する必要がある」
1983(昭和58)年
1月 中曽根康弘首相
「両国関係は、遺憾ながら過去の歴史において不幸な歴史があったのは事実であり、これを厳粛に受け止めなければならない」
1984(昭和59)年
9月7日 昭和天皇〔全斗カン大統領来日、宮中晩餐会〕
「今世紀の一時期において、不幸な過去が存在したことは、まことに遺憾」
中曽根康弘首相〔歓迎昼食会〕
「貴国および貴国民に多大な困難をもたらした」
「深い遺憾の念を覚える」
1990(平成2)年
3月 中山太郎外相
サハリン残留韓国・朝鮮人問題に関するによる謝罪答弁
5月25日 海部俊樹首相〔第1回首脳会談〕
「過去の一時期、朝鮮半島の方々が、我が国の行為により耐えがたい苦しみと悲しみを体験されたことについて、謙虚に反省し、率直にお詫びの気持ちを申し述べたい」
5月 今上天皇
「わが国によってもたらされたこの不幸な時期に、貴国の人々が味わわれた苦しみを思い、私は痛惜の念を禁じえません」
【言論チンピラ妄言解毒対策レス#76】
1992(平成2)年
1月17日 宮沢喜一首相〔訪韓、従軍慰安婦問題で〕
「筆舌に尽くしがたい辛酸を舐められた方々に衷心よりお詫びし反省したい」
「胸がつまる重い」
1993(平成5)年
8月11日 細川護煕首相〔首相就任後、初の内閣記者との会見〕
「先の戦争は侵略戦争」
11月7日 細川護煕首相〔訪韓(慶州のみ、滞在22時間)〕
「わが国の植民地支配によって、朝鮮半島の方々が、母国語教育の機会を奪われたり、姓名を日本式に改名させられたり、従軍慰安婦、徴用などで、耐えがたい苦しみと悲しみを体験された事に加害者として、心より反省し、陳謝したい。」
1994(平成6)年
7月24日 村山富市首相〔訪韓〕
「心からのお詫びと厳しい反省の気持ちを申し上げたい」
1995(平成7)年
8月15日 村山富市首相〔戦後50年にあたっての首相談話〕
「遠くない過去の一時期、国策を誤り、植民地支配と侵略によって、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた。この歴史事実を謙虚に受け止め、痛切な反省の意を表明し、心からお詫びの気持ちを表明する」
【言論チンピラ妄言解毒対策レス#77】
1996(平成8)年
6月 橋本龍太郎首相
「創始改名などが、いかに多くの韓国の方の心を傷付けたかは想像に余る」
「(従軍慰安婦問題について)これほどの女性の名誉と尊厳を傷付けた問題はない。心からお詫びと反省の言葉を申し上げたい。」
1998(平成10)年
4月3日 橋本龍太郎首相〔アジア欧州会議での日韓首脳会談(ロンドン)〕
歴史問題は語らず、「日韓パートナーシップ」を提言
10月8日 今上天皇〔金大中大統領、訪日〕
「わが国が朝鮮半島の人々に大きな苦しみを与えた時代…深い悲しみ」
小渕恵三首相〔「21世紀に向けた新たな日韓パートナーシップ」共同宣言〕
「韓国国民に対し、痛切な反省と心からのお詫び」。
韓国国民に向けた「お詫び」を公式文書に明記。金大統領はこれを評価
南京事件ではかなわないと見て「追軍慰安婦」の話に
すりかえるも、撃沈の puサヨ だらしなス。
【言論チンピラ妄言解毒対策レス#78】
2001(平成12)年
11月18日小泉純一郎首相は就任後初めて韓国を訪れ、植民地時代に独立
運動家らが投獄された刑務所跡地にある西大門独立公園を訪れ、「心からの
反省とおわび」を記者団に語った。
金大中大統領は首相の「おわび」を高く評価し、その実践を要望した。
「日本の植民地支配により韓国の国民に対して多大な損害と苦痛を与えたこ
とに対し、心から反省とおわびをする。一人の政治家、人間として韓国人の苦
痛と犠牲を忘れてはならないと思った。これまで外国からの侵略や祖国の分
断など大変な辛酸をなめ、想像を絶する苦痛に耐え、韓国が今、発展してい
ることに心から敬意を表す。
日韓関係は過去の歴史を踏まえながら反省しつつ、このような苦難の歴史を
二度と繰り返さないよう協調せねばならない。日韓二国の友好関係の進展が
アジアの発展と世界平和に寄与する。
自由と平和を脅かすテロが全人類の脅威となっているが、同盟関係にある韓
国と日本、そして米国が協力することがアジアの発展と世界の平和に寄与す
る。幸い、来年には日韓共同開催のサッカーワールドカップ(W杯)が開催され
る。W杯を成功させ、これを契機に日韓両国の交流、協力が深まることに期待
する。」
>>696 南京、慰安婦だけじゃなく、教科書の侵略という記述を進出に書き換えた、という
ことも事実を確認せず認めて中国韓国に謝罪してしまってるんですよね。
これが日本政府なんです。情けない話だ。
【言論チンピラ妄言解毒対策レス#79】
2004年平成16年8月15日
全国戦没者追悼式 内閣総理大臣式辞 内閣総理大臣 小泉 純一郎
先の大戦において、我が国は、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対し
て多大の損害と苦痛を与えました。国民を代表して、深い反省とともに、犠牲と
なった方々に謹んで哀悼の意を表します。
私は、過去を謙虚に振り返り、悲惨な戦争の教訓を風化させることなく、不戦
の誓いを堅持し、平和国家日本の建設をすすめてまいります。我が国は、世界各
国との友好関係を一層発展させ、国際社会の一員として、世界の恒久平和の確立
に積極的に貢献してまいります。平和を大切にする国家として、世界から一層高
い信頼を得られるよう、全力を尽くしてまいります。
あ、もちろん侵略→進出書き換えというのも、謝罪の後に誤報だったことが
明らかになりました。
【言論チンピラ妄言解毒対策レス#82】
【政府】
日本政府は南京大虐殺を裁いた極東軍事裁判の判決を国家として受け入れており、南京大虐殺を国家として認めて
います。また、「中国に対する過去の侵略と植民地政策を反省している」というのが95年の村山談話以降、政府の公式
見解で、この点は小泉首相もことあるごとに強調しています。羽田内閣の時、永野法務大臣は「南京大虐殺は捏造」と
発言したことが問題となってクビになり、ついには羽田内閣もぶっつぶれました。
【法律】
南京大虐殺は極東軍事裁判で有罪となりました。この裁判で死刑になった松井大将は証言の中で虐殺の事実を認め
ていました。戦後日本の賠償訴訟(「七三一部隊」被害者損害賠償請求訴訟,東京高裁判決,1999.9.22)でも南京虐殺
の事実認定がなされています。また、南京虐殺否定本でウソツキ呼ばわりされていた中国人女性が否定本の著者を
訴えていた事件では、この著者の敗訴が最高裁で確定しました
【学術】
「南京大虐殺」の事件の存在自体を否定している歴史学者は一人もいません。(「否定説はほとんどの歴史家の間
では受け入れられる傾向はない」ウィキペディア「南京大虐殺論争」)。日本の歴史事典、百科辞典類で、南京大虐殺
の事件を否定ないしは存疑として記述しているものは一つもありません。日本の教科書にも事件に疑いを差し挟んで
いるものは一つもありません。アノ「作る会」の教科書でさえ、他の教科書と同じように南京大虐殺を認めた記述をし
ています。以上のように南京大虐殺否定論というのは、右翼の人たちが、学術的にはお話しにならないようなデタラメ
な検証を根拠に、勝手に言い立てているだけのことであって、日本でも公の場では全く認められていない、アングラ的
言説に過ぎません。ただ、このアングラ説にとびついた漫画(ゴー宣)などのせいで、漫画しか読まないような若者はこ
ちらが真説と思いこんでしまったようですが。
>>700 まあまあ、なま暖かい目でみてあげようよ(笑
【言論チンピラ妄言解毒対策レス#88】
■■■南京大虐殺は裁判所も認めています■■■
★南京虐殺訴訟: 被害女性の名誉毀損、歴史家らの敗訴確定
・「南京虐殺の被害者ではないと本で名指しされ、名誉を傷つけられた」
として、中国人女性の李秀英さん(故人)が、著者で歴史研究家の
松村俊夫氏らに1200万円の賠償などを求めた訴訟で、最高裁
第1小法廷(島田仁郎裁判長)は20日付で、松村氏側の上告を
退ける決定を出した。松村氏らに150万円の賠償を命じた1、2審
判決が確定した。
松村氏の著書「『南京虐殺』への大疑問」(展転社)は、南京虐殺被害を
訴え国賠訴訟を起こした李さんについて、「証言のたびごとに内容が
クルクル変わるのは、実体験ではない証拠であろう」などと記述した。
1、2審とも「合理的理由がないのに、被害者ではないと推測して名誉を
棄損した」などと李さんの訴えを認めていた。
【言論チンピラ妄言解毒対策レス#87】
Q.日本は解放戦争をしました!!
A.御前会議で決められた大東亜政略指導大綱によると東南アジアの植民地化を
決定しています。
Q.ABCD包囲網とハルノートで日本を虐める白人列強が悪いんだい!!!
A.日本は先に満州事変で中国に関する9カ国条約締結国に敵対しています。本来ならば
瞬殺されても文句は言えません
Q.元々満州は中国の領土ではないんだい!!!!
A.日本は対支21か条要求で満州地方の権益を中華民国に求めています。
また、満州を支配する張学良が28年に国民党に合流を表明した時点で中国統一は成されています。
Q.日本人居留民に対する迫害が原因だい!!!!!
A.そんなのイギリス他列強も条件は同じです。統治権を奪う事の正当化にはなりません。
日本移民を排斥するカリフォルニアを日本が併合するのは合法なのでしょうか。
Q.日中戦争をやめない中国が悪いんだい!!!!!!
A.満州事変は違法な中国侵略です。反撃するのは当然でしょう。また、日本はトラウトマン
講和工作でさらに北支や内蒙古の政治・軍事・資源的権益などを上乗せし講和を不可能に
してしまいました。
Q.じゃあ、結局僕らが信じた解放戦争史観ってなんなの・・・・(´;ω;`)?
A.戦前の体制派が語り継いできたジジイ共の自己弁護です。
最近は厨房や希望のないオッサンの合法ドラッグと成りつつあります。
早く洗脳を解いて社会に復帰しましょう
【言論チンピラ妄言解毒対策レス#84】
193 名前:文責:名無しさん投稿日:02/02/03 20:53 ID:zwzGouPy
「恩給=自民党のおかげ、おかしい」1994年10月15日毎日新聞投書欄より
無職 ○○ ○ 70(滋賀県彦根市)
ある日、軍人遺族会の方が来られ、「この方の後援会に」と入会の署名を
求められました。私は全くその人を存じあげないし、「現在の自民党には…
…」とお断りしました。「遺族でしょ、今、恩給頂いてるの、みんな自民党
のおかげでしょ」と言われました。
亡くなった主人は商社マンで、1945年4月、上海勤務中に召換されました。
本籍地への連絡がなく、再三、恩給支給を申請しても認められませんでした。
会社の人事課、友人、その他、証明を頂くため駆けずり回り、やっと63年
に戦病死が認められ、今、ありがたく恩給をいただいております。
だからといって、いつまでも自民党の人ならだれでもというのはおかしな
話です。
その時、「日本は侵略国ではありません」という小冊子を持ってこられま
した。私は、主人軍部の侵略戦争の犠牲となったのだと思います。たった10
ヶ月の結婚生活でした。
【言論チンピラ妄言解毒対策レス#85】
軍人遺族会
それは組織票となる軍人遺族会の支持を得るためであろう。
ではなぜ遺族会が議員を囲わなければいけないのか。
それは今なお年間1兆2180億円*2の旧軍人遺族
恩給をイタダキ続けるためであろう。
58 名前: 空手バカボン 投稿日: 1999/09/06(月) 22:02
ちょっと横道にそれますが、九段下の軍人遺族会の最初の
理念は、「国に騙され侵略戦争にかり出されて死んだ遺族
の集い(うろ覚え)」だったようですな!
しかし、ある時に軍の上層部の子弟を入れたら、それから
駄目駄目な組織になっちゃいましたね
洗脳の怖さをまさまさと見せつけられるね(笑
【言論チンピラ妄言解毒対策レス#92】
以下は右翼(逆賊)の常套句です。
売国奴 /チョン /国賊 /防衛戦争 /サヨ・左翼・ブサヨ・左巻き /テロ朝 /支那
/捏造 /チベット・ウイグル /非国民/反日/工作員/三馬鹿/属国 /英霊 /チャンコロ
/三国人/中共/ホロン部/プロ市民/バランス感覚/自虐史観/斜め上/洗脳
右翼・保守・極右・愛国者・国粋主義者・独裁主義者・復古主義者・歴史修正主義者・軍国主義者・民族主義者・武士気取り・国士気取り・通り魔予備軍・文学的変態・言論チンピラ・ネットチンピラたちに質問します。
【言論チンピラ妄言解毒対策レス#41】
南京大虐殺はなかったと主張する学者は実在しますか? もし実在するなら名前を挙げてください。
こわ…、本物のサイコさん…。
偽スレが繁盛しないからって、意味のない屑コピペで荒らすのはやめてほしいもんだ。
大人しくなったようなので、一応
>>707にだけ突っ込んでおく。
裁判官は「証言がくるくる変わる」ということも各資料間で「食い違い」がある
ことも認めてるんですよね。
ただ、証言がくるくる変わるからと言って、嘘をついているという証拠には
ならない、資料間で食い違うと言っても、どちらの資料に問題があるか
はっきりしていないんだから、李秀英が嘘をついていると言うのは名誉毀損に
当たる、という趣旨のものだ。
気をとりなおして
>>695の続き。
米軍がレポートする慰安婦の実態■
米軍情報部は、北ビルマのミチナ慰安所で収容された慰安婦か
らの聞き取りをもとに、以下のような報告書を残している。
女性たちはブローカー(および経営主)が、300〜1000円の
前借金を親に払って、その債務を慰安所での収入で返還してい
る。経営者との収入配分比率は40〜60%、女性たちの稼ぎは月
に1000〜2000円、兵士の月給は15日〜25円。
慰安婦たちは、通常、個室のある二階建ての大規模家屋に宿
泊して、・・・・寝起きし、業を営んだ・・・・彼女たちの暮らしぶり
は、ほかの場所と比べれば贅沢ともいえるほどであった。
慰安婦は接客を断る権利を認められていた・・・・負債の弁済を
終えた何人かの慰安婦は朝鮮に帰ることを許された。
また、ビルマのラングーンで慰安婦をしていた文玉珠さんの手
記では、その生活ぶりを次のように語っており、米軍のレポート
を裏付けている。
支那マーケットにいって買物した。ワ二皮のハンドバッグと
靴をわたしのために買った。母のためにもなにか買った。
将校さんたちに連れられてジープに乗って、ぺグーの涅槃像
をみに行った・・・・ヤマダイチロウ(日本兵の恋人)と大邱の母
の無事を祈って帰ってきた。
ちなみに文玉珠さんは、平成4年に日本の郵便局を訪れ、2万
6145円の貯金返還の訴訟を起こして敗れている。千円もあれば故
郷の大邱に小さな家が一軒買えると体験記で述べているが、現在
の貨幣価値なら、4〜5千万円程度の金額を、3年足らずで貯め
たことになる。
事実確認しようとしているのにお門違いな“判決主文と真逆の私見を語った判事の偏向発言”や
“過去”の政治家の場当たり発言をもってきてどうするんだろ?
中朝こと特「低」亜細亜では指導者に無謬性を持たせているが
この国ではどんな肩書きの人間にも間違いはあるとされている
「事大」は自国内だけにしてもらいたい
>>719 当時の陸軍及び海軍の大将の基本給が年棒6600円
結構な額を貰っていたわけだな
>>720 そうだね 日本はどっかの国と違い政治家の誤謬も一応許容されます
日本の政治家が謝罪したことをコピペで紹介しているけど、ひょっとして
「事実かどうかはともかく、それでも自国が悪いとこれほど何度も謝罪し
続けてるんだから、もう日本は謝罪する必要はない!!」
と言う趣旨なんだろうか?(笑
724 :
日出づる処の名無し:2005/10/15(土) 04:17:19 ID:4DKtJtWf
スレが伸びてると思ったら長野の独身中卒40歳が来てたんだね。
一個づつ書いたら瞬殺されるからたくさん貼ったんだろうけど
全部論破済みの古いコピペばかり。
何をあせっているのかな?w
>>724 【言論チンピラ妄言解毒対策レス#45】
都合の悪い質問はスルーですか? 繰り返し質問します。
南京大虐殺はなかったと主張する学者は実在しますか? もし実在するなら名前を挙げてください。
>723
趣旨? こんなとこでねぇ?
「議論されたら都合が悪いから、コピペ爆撃でスレを潰したい」
「自サイトの宣伝をしたい」
727 :
日出づる処の名無し:2005/10/15(土) 06:50:40 ID:4DKtJtWf
さて、一気に19次資料かな?
ところで何かを「無かった」って主張する学者はいるの?w
>>727 【言論チンピラ妄言解毒対策レス#46】
私の質問に答えてから私に質問してください。ok
南京大虐殺はなかったと主張する学者は実在しますか? もし実在するなら名前を挙げてください。
729 :
日出づる処の名無し:2005/10/15(土) 07:52:02 ID:4DKtJtWf
意味不明。
「南京大虐殺」と「学者」を定義してから再質問してください。
>>729 【言論チンピラ妄言解毒対策レス#51】
南京大虐殺の定義をしなくても南京大虐殺はなかったと主張する学者が
存在するならその名前を挙げる事は可能です。もう一度質問を繰り返し
ますから逃げずに答えてください。ok
繰り返し質問します。
南京大虐殺はなかったと主張する学者は実在しますか? もし実在するなら名前を挙げてください。
731 :
日出づる処の名無し:2005/10/15(土) 07:53:21 ID:4DKtJtWf
じゃあ、いないw
>>731 【言論チンピラ妄言解毒対策レス#59】
それじゃ南京大虐殺はなかったと主張している学者の名前を列挙してる右翼は大嘘を
ついているのですか? 大嘘じゃなかったら以下の質問に答えてくださいな。ok
繰り返し質問します。
南京大虐殺はなかったと主張する学者は実在しますか? もし実在するなら名前を挙げてください。
733 :
日出づる処の名無し:2005/10/15(土) 07:54:58 ID:4DKtJtWf
>それじゃ南京大虐殺はなかったと主張している学者の名前を列挙してる右翼は大嘘を
ついているのですか?
そういう実例を存じませんw
>>733 >そういう実例を存じませんw
件の学者がいないのなら、以下の質問に答えられるはずです。ok
【言論チンピラ妄言解毒対策レス#59】
それじゃ南京大虐殺はなかったと主張している学者の名前を列挙してる右翼は大嘘を
ついているのですか? 大嘘じゃなかったら以下の質問に答えてくださいな。ok
繰り返し質問します。
南京大虐殺はなかったと主張する学者は実在しますか? もし実在するなら名前を挙げてください。
735 :
日出づる処の名無し:2005/10/15(土) 07:57:18 ID:la3v0ecg
>>732 いい加減に人にばっか聞かないで自分で調べろよ。
736 :
日出づる処の名無し:2005/10/15(土) 07:57:25 ID:4DKtJtWf
ところで何かを「無かった」と主張する学者は存在するの?
>>735 【言論チンピラ妄言解毒対策レス#63】
私が調べても一人も発見できませんでした。その学者が存在すると抗弁を繰り返す人に対して質問しています。ok
繰り返し質問します。
南京大虐殺はなかったと主張する学者は実在しますか? もし実在するなら名前を挙げてください。
>>736 【言論チンピラ妄言解毒対策レス#42】
繰り返し質問します。
南京大虐殺はなかったと主張する学者は実在しますか? もし実在するなら名前を挙げてください。
738 :
日出づる処の名無し:2005/10/15(土) 07:59:03 ID:4DKtJtWf
>>そういう実例を存じませんw
>
>件の学者がいないのなら、以下の質問に答えられるはずです。ok
会話になっていません。
さ、続けてくださいw
739 :
日出づる処の名無し:2005/10/15(土) 08:00:16 ID:4DKtJtWf
だから、実在しません
740 :
日出づる処の名無し:2005/10/15(土) 08:00:47 ID:xg/dv7oh
学者・・・居ません。
その様な主張をする右翼・・・いません。
741 :
日出づる処の名無し:2005/10/15(土) 08:03:11 ID:4DKtJtWf
ところでネッシーはいないと主張する学者が存在しなかったらネッシーはいることになるの?
742 :
日出づる処の名無し:2005/10/15(土) 08:04:55 ID:4DKtJtWf
どうした?
つづけろよw
743 :
日出づる処の名無し:2005/10/15(土) 08:05:06 ID:la3v0ecg
>>736 少なくとも、日本の学者で
中国の言う「死者30万(最近では40万?)の」「南京大虐殺」を
肯定している者は極めてまれだと思うが。
どうせそういっても際限なく拡大解釈して
「たとえひとりもでも虐殺」とかっていうんだろうけどさ。
何を持って南京「大」虐殺というのか、その辺をあいまいにしておかないと
あんたの質問は成立しないんだよね。
744 :
日出づる処の名無し:2005/10/15(土) 08:06:33 ID:la3v0ecg
745 :
日出づる処の名無し:2005/10/15(土) 08:07:22 ID:xg/dv7oh
ウホッ、本当にテンプレ通りになったwwスゴスwwwww
746 :
日出づる処の名無し:2005/10/15(土) 08:11:19 ID:4DKtJtWf
長野の独身中卒40歳はもうヘタレたのか?
根性無いなぁ
何が目的なんだろうなw
>>738 >会話になっていません。
なってます。
>>739 >>740 【言論チンピラ妄言解毒対策レス#59】
それじゃ南京大虐殺はなかったと主張している学者の名前を列挙してる右翼は大嘘を
ついているのですか? 大嘘じゃなかったら以下の質問に答えてくださいな。ok
繰り返し質問します。
南京大虐殺はなかったと主張する学者は実在しますか? もし実在するなら名前を挙げてください。
>>741>>742>>743>>745>>746 【言論チンピラ妄言解毒対策レス#45】
都合の悪い質問はスルーですか? 繰り返し質問します。
南京大虐殺はなかったと主張する学者は実在しますか? もし実在するなら名前を挙げてください。
【言論チンピラ妄言解毒対策レス#65】
答えに窮したようなので、このくらいで勘弁してあげます。 気が向いたらまた〆に来ますね(笑)
総括!
@南京大虐殺は事実であり、それは大日本帝国の責任の下で日本軍が行った
極めて残酷・非合理・不法な蛮行であった。
A中国が発表する南京大虐殺の被害者数には、学問的検証と修正の余地がある。
B南京大虐殺の被害者数に異議ありとする学者は存在するが、南京大虐殺その
ものがなかったと主張する学者は存在しない。
2ch総括!
@野菜食えよ
Aたまには表出て新鮮な空気吸えよ
B変な本読むなよ
C夢と現実の境を無くすなよ
D初心者の質問には優しく答えろよ
E鉄火場でもユーモアーと遊び心を忘れるなよ
F煽りは煽られた本人がこの人に煽られたいと思わせるような煽りをしろよ
G年上に敬意を払えよ
H言論には言論で対抗しろよ
I皆仲良く
地獄の青空(非戦主義系)
http://kouei39.blog10.fc2.com/ サンキュー
自分の悪口言って楽しいんだろうか……
南京大虐殺を
「日本軍が組織的な命令で南京市内で捕虜、一般市民など非戦闘員を20万人以上を不法に殺害した事件」(中国政府認定)とするならば
南京大虐殺があったという学者は日本国内においては存在しません。
「日本の軍人が南京市にいた中国人を殺害した事件で何人殺害したかは定かではない」というのであれば
先に書いた仮定の南京大虐殺と混同するので、第X次南京事件ないし南京12月事件のように別の言葉を使うべきです
752 :
日出づる処の名無し:2005/10/15(土) 09:42:54 ID:4DKtJtWf
この流れだと長野の独身中卒40歳の総括が敗北宣言に見えるね。
753 :
日出づる処の名無し:2005/10/15(土) 10:35:34 ID:yGnVmrjT
西新井病院の問題で焦ってるんだろうさ
754 :
安田:2005/10/15(土) 10:43:12 ID:iRX7AWLy
私は学者の安田という者だ。南京大虐殺は無かった、以上。
・・・いかん、乗り遅れたか?w
755 :
日出づる処の名無し:2005/10/15(土) 10:55:00 ID:rPYwxew8
で、あったの?なかった?どっち?
756 :
日出づる処の名無し:2005/10/15(土) 10:55:49 ID:YX2d72oF
俺○ △ ●お前 □ ◎
大五郎 Yシャツ 木綿のハンカチーフ
じゃあ当の右翼は一体何人殺したと主張してるの?
昨日聞いてみたら0人だってw
758 :
日出づる処の名無し:2005/10/15(土) 11:13:10 ID:1LtlevSJ
あぼ〜んが多過ぎるw
おれもあぼ〜ん設定してるんでよーわからんかったが。w
koueiって休日の夜中とかに一晩中粘着してること多くね?
たまの休みにも何もすることがない香具師なんだね。(憐憫
760 :
日出づる処の名無し:2005/10/15(土) 11:51:38 ID:2mIgf15G
家宅捜索パンチ!( ゚Д゚)≡Ο)Д´>アイゴ〜〜〜!
ウリの負けニダもう半島に帰るニダ・・・
>ところで何かを「無かった」と主張する学者は存在するの?
ろくに検証せずに常識とされてしまっていることを
その言いだしっぺの源流まで辿っていき
それが根拠のないこと・プロパガンダであることを示す学者がいるなら
≒「無かった」と主張する学者と言えるのではないか(例えば北村稔)。
南京大虐殺についてはその作業は完了している。
762 :
日出づる処の名無し:2005/10/15(土) 12:02:49 ID:ACgNndHK
【言論チンピラ妄言解毒対策レス###】
これつけてる奴が言論チンピラなんだよね?
漏れにはそういう風にしか見えないね。
言いがかり付けて強請たかりするチンピラ(プ
>>757 質問が漠然としすぎて答えようが無い。
戦争なんだから人はたくさん死んだだろ。で、それが何か?
「虐殺に含まれる殺人は何人か」という意味で聞いてるんだったら、
何度も指摘されてるように、まずそちらが「虐殺とは何か」を定義してくれ。
わざとあいまいな質問をして都合のいい言質を取ろうとするアホサヨ論法にひっかかる奴はもう居ないから。
764 :
日出づる処の名無し:2005/10/15(土) 12:53:42 ID:rPYwxew8
Koueiの質問の答えなんぞ751とか一杯でてるのに。
都合の悪い解答は無視みたいねwww
もう一度質問を繰り返し
ますから逃げずに答えてください。ok
都合の悪い質問はスルーですか? 繰り返し質問します。
とか自分で言ってるくせにな。
766 :
日出づる処の名無し:2005/10/15(土) 13:02:39 ID:nEeaN27N
>>762 「言論チンピラ妄言解毒対策レス」
……言論に関するチンピラの妄言を解毒することに対策するレス、にしか読めん……。
防犯対策をするのは泥棒で、犯罪対策をするのが店や警察。
つまり自分がやってることは解毒の妨害だ、と認めてることになると思うのだが……。
768 :
日出づる処の名無し:2005/10/15(土) 13:53:36 ID:4DKtJtWf
駆除のおまじない
しんしん
まだ有効かな(嗤
770 :
日出づる処の名無し:2005/10/15(土) 19:39:31 ID:4DKtJtWf
ひまだねぇ
西新井で手一杯ですから
772 :
日出づる処の名無し:2005/10/15(土) 21:00:45 ID:4DKtJtWf
こんなに反日書き込みが減るなんて、もし西新井のせいだとしたら
結構な数の工作員がいたんだね。
デムパに真面目にレスしてる人がいるので、一応。
583 名前:日出づる処の名無し [sage] 投稿日:2005/09/24(土) 03:57:45 ID:U+hdY6rh
>>579 おいおい…、まさか東中野修道すら知らなかったとは…。
この人は、市民虐殺も否定しているし、便衣兵の処刑も合法だと言ってるんだが?
という私のレスに対して…
【彼の脳内(妄想)】↓
584 名前:日出づる処の名無し [sage] 投稿日:2005/09/24(土) 03:58:29 ID:Kfgmu43r
>>583 【言論チンピラ妄言解毒対策レス#49】
それは君の読解力に問題があるその人たちは中国が発表する南京大虐殺
の被害者数に対して異議ありと言っているだけであり、南京大虐殺はな
かったなどという意味のことは言っていませんよ。南京大虐殺があった
ことを肯定した上で中国が発表する南京大虐殺の被害者数に文句をつけ
ているだけなのです。ok
【現実】↓
「南京虐殺」は、四等資料と五等資料によって成り立っている。
南京で「何人虐殺」と認定せる記録は一つもないのである。
ない限り「南京虐殺」はグローバルな共同幻想に止まるのである。
否、そうではない、というのであれば、その論者は日本軍戦時国際法違反
(即ち南京虐殺))と認定せる確実な論拠を提示すべきである。
「「南京虐殺」の徹底検証」東中野修道
【現実その二】
「大虐殺派」の代表・洞富雄氏の「決定版・南京大虐殺」は「南京城内外で
死んだ中国軍民は、二十万人をくだらなかった」と推定し、これをすべて
虐殺とみなす。
藤原彰氏の「新版南京大虐殺」は、洞氏の推論が現時点では「もっとも実数
に近い」と言う。
このほか笠原十九司氏の「南京事件」も、同じ立場に立つ。
「中虐殺派」の秦郁彦氏は「南京事件」において、三万の捕虜と一万二千の
市民が不法殺害されたと述べる。
「小虐殺派」の偕行社版「南京戦史」は、数千人規模の捕虜に対する不法処刑
が生じたという。
また板倉由明氏の「徹底検証 南京事件の真実」は、一万数千人規模の
捕虜と市民に対する不法殺害が生じたと見る。
「なかった派」の田中正明氏の「南京事件の総括」や、阿羅健一氏の「聞き書
南京事件」、前川三郎氏の「真説・南京攻防戦」、富士信夫氏の「「南京大虐殺」
はこうして作られた」、大井満氏の「仕組まれた南京大虐殺」、松村俊夫氏の
「「南京大虐殺」への疑問」、それに拙著「「南京虐殺」の徹底検証」は、
南京で虐殺があったとは言えないと見る。
「「ザ・レイプ・オブ・南京」の研究」東中野修道 藤岡信勝
【現実その三】
(どこで) (誰を) (何人)
チャン 城内(外) 市民と捕虜 二十六万人(市民)三十七万人(市民と捕虜)
洞富雄 城内外 市民と捕虜 二十万人以上
藤原彰 城内外 市民と捕虜 二十万人以上
笠原十九司 城内外 市民と捕虜 城内で数千、城外で十九万人以上
秦郁彦 城内外 市民と捕虜 四万二千人
板倉由明 城内外 市民と捕虜 一万数千人
偕行社版 城内外 捕虜 数千人
田中正明 ----- ------ なし
東中野修道 ----- ------ なし
「「ザ・レイプ・オブ・南京」の研究」東中野修道・藤岡信勝
読めばわかるけど、東中野は明確に自分を「なかった派」に入れている。
それを「東中野は虐殺を認めている!」と言い張ることができるのは、今のところ
デムパ君だけ。
748 名前:日出づる処の名無し [sage] 投稿日:2005/10/15(土) 09:10:59 ID:M+ch9tWe
>>738 >会話になっていません。
なってます。
ワロス
778 :
684:2005/10/15(土) 22:01:36 ID:vUa24e9W
>【言論チンピラ妄言解毒対策レス】様
>>684 への反論下さい。
それと、1回1回、自分の頭で、考えて書き込んで下さい。
いっぺんにたくさんのコピベを投下しないで下さい。全部は読みきれません。
「俺が無職・童貞・40歳だからとバカにするな。」のとこまでは読みましたが・・・
頑張らないで下さい。
仕事見つけようね。
>>778 【言論チンピラ妄言解毒対策レス#46】
私の質問に答えてから私に質問してください。ok
南京大虐殺はなかったと主張する学者は実在しますか? もし実在するなら名前を挙げてください。
デムパ君って、本当に受け入れがたい現実に直面すると思考停止するんだね。
>>782 【言論チンピラ妄言解毒対策レス#53】
質問の答えになっていませんよ。「学者の名前」を答えてくださいな。ok
繰り返し質問します。
南京大虐殺はなかったと主張する学者は実在しますか? もし実在するなら名前を挙げてください。
南京大虐殺否定か・・・今度は。
光と影、歴史の影の部分を否定して自分を安心させたり、
顔文字とかAAとかの著作権でぐずってみたり、
がんばりどころ間違えてるんじゃないか?お前ら。
濃度が薄いというか、生き抜く力が弱いというか、
いまにも倒れそうな死に体の連中、それが2chねらー・・・。
モロに自分の事ではないのかニ?
>歴史の影の部分を否定して自分を安心させたり
>>784 高慢さ、丸出し。
自分を何様だと勘違いしてるのかね。
南京大虐殺は存在せず 東中野修道
>>784 現実をありのまま受け止める勇気を持とうよ。
思考停止からは何も生まれはしないよ?
>>784 まずは、日本の歴史と中国の歴史を学んでみるといいでしょう。
その後に、今現在中国や左翼は何を主張しているのか、その内容に
ついて考えてみるといい。
南京事件についての知識がなくても、ある程度真相がわかると思う。
>>784 その「頑張りどころ」が通じてるのが、
・外務省を修整するという外務大臣の発言だったり
・のまネコの著作権料を取らないというavexの発言だったり
するんじゃないかなー。間違ってないって。世間に通じてる。
一方を加害者としてのみ捉え、他方を被害者としてのみ捉える。
これは全く非現実的であるのみならず、極めて知的程度が低い、しかも道徳的
にも問題があります。
ヨハン・ガルトゥング教授
日本の戦後教育のごとき「反日教育」が生むものは、祖先への軽蔑と
他人を憎悪する卑しさだけであり、決して愛する心を育まない。
現代日本の青少年による凄惨な事件の数々や、教育現場の荒廃はこうした戦後教育
の悲しい結末であろう。
もっとも、歪曲した歴史観によって自国をさげすむことは、実に残念である
ばかりか、そうした考えに正義感を覚える輩は、ただ「無知」としか
みなされないことも肝に命じておく必要があろう。
「台湾人と日本精神」蔡焜燦
あ、縦書きだったのか。かっこわる…。
言論チンピラ〜
南京大虐殺の定義を明確にしてくれないと答えようがない。
学者の定義を明確にしてくれないと答えようがない。
学者の実在が、南京大虐殺の実在の有無にどれほどかかわるのか理解できない。
学者が「ムー大陸はあった」と言えばムー大陸は有り、「無い」と言えば無いのか。
大虐殺?殺人?それは大変だ。被害者の名前、年齢、性別、住所、家族等を教えてくれないか。
795 :
日出づる処の名無し:2005/10/16(日) 04:06:02 ID:dG3fmiRn
そのうち、「南京大虐殺という捏造プロパガンダ」って本が出るよね。
>>794 【言論チンピラ妄言解毒対策レス#51】
南京大虐殺の定義をしなくても南京大虐殺はなかったと主張する学者が
存在するならその名前を挙げる事は可能です。もう一度質問を繰り返し
ますから逃げずに答えてください。ok
繰り返し質問します。
南京大虐殺はなかったと主張する学者は実在しますか? もし実在するなら名前を挙げてください。
797 :
日出づる処の名無し:2005/10/16(日) 04:37:50 ID:dG3fmiRn
>>796 東中野修道
【言論チンピラ妄言解毒対策レス#49】
それは君の読解力に問題があるその人たちは中国が発表する南京大虐殺
の被害者数に対して異議ありと言っているだけであり、南京大虐殺はな
かったなどという意味のことは言っていませんよ。南京大虐殺があった
ことを肯定した上で中国が発表する南京大虐殺の被害者数に文句をつけ
ているだけなのです。ok
【現実】↓
「南京虐殺」は、四等資料と五等資料によって成り立っている。
南京で「何人虐殺」と認定せる記録は一つもないのである。
ない限り「南京虐殺」はグローバルな共同幻想に止まるのである。
否、そうではない、というのであれば、その論者は日本軍戦時国際法違反
(即ち南京虐殺))と認定せる確実な論拠を提示すべきである。
「「南京虐殺」の徹底検証」東中野修道
>>797 >東中野修道
その人はテレビ討論会で「私は南京大虐殺は無かったなどとは言っていない」という意味のことを
前置きして主張を展開したそうです。つまり彼は南京大虐殺は無かったなどと主張する学者では
ありません。ok
【言論チンピラ妄言解毒対策レス#42】
繰り返し質問します。
南京大虐殺はなかったと主張する学者は実在しますか? もし実在するなら名前を挙げてください。
799 :
日出づる処の名無し:2005/10/16(日) 04:44:34 ID:dG3fmiRn
>>798 >その人はテレビ討論会で「私は南京大虐殺は無かったなどとは言っていない」という意味のことを
>前置きして主張を展開したそうです。
「という意味のことを」「したそうです。」?
物凄くあいまいですね。
ソース出せやw
>>799 ソースは持ってません、この事実は2chでもスレがたちました。ok
【言論チンピラ妄言解毒対策レス#42】
繰り返し質問します。
南京大虐殺はなかったと主張する学者は実在しますか? もし実在するなら名前を挙げてください。
801 :
学者:2005/10/16(日) 04:50:35 ID:KjfDIMwy
南京虐殺は捏造。
803 :
学者:2005/10/16(日) 04:54:43 ID:KjfDIMwy
支那人って捏造好きだよね。
嘘をいくら取り繕っても嘘でしかないのに。
【言論チンピラ妄言解毒対策レス#92】
以下は右翼(逆賊)の常套句です。
売国奴 /チョン /国賊 /防衛戦争 /サヨ・左翼・ブサヨ・左巻き /テロ朝 /支那
/捏造 /チベット・ウイグル /非国民/反日/工作員/三馬鹿/属国 /英霊 /チャンコロ
/三国人/中共/ホロン部/プロ市民/バランス感覚/自虐史観/斜め上/洗脳
805 :
学者:2005/10/16(日) 04:58:07 ID:KjfDIMwy
だから何?
スレ違いよん。
806 :
日出づる処の名無し:2005/10/16(日) 05:14:26 ID:dG3fmiRn
>>800 2ちゃんでスレがたったら事実なのか、おまえw
どこの中学を卒業したらそんな理屈が身につくんだよ。
ソースが無ければお前の嘘と断定。
無かったと主張する学者は東中野修道。
807 :
学者:2005/10/16(日) 05:23:20 ID:KjfDIMwy
杉山徹宗氏も入れてあげたら?
>>798 それはデムパ君の理解不足。
彼は「南京事件 「証拠写真」を検証する」という中身についての発言だ。
つまり君はまったく文脈を理解できてないということ。
この本は写真の真偽のみを焦点にしていて、直接南京虐殺がなかった
ことを証明しようとして書いたものじゃない、ということ。
南京虐殺がなかったことを証明するために書いた本は、本人も言うように
「「南京虐殺」の徹底検証」だ。
彼は「南京事件 「証拠写真」を検証する」という中身についての発言だ。
↓
彼は「南京事件 「証拠写真」を検証する」という本の中身についての発言だ。
まあ、以下の文章の意味すら理解できないようじゃ問題外というわけで。
「なかった派」の田中正明氏の「南京事件の総括」や、阿羅健一氏の「聞き書
南京事件」、前川三郎氏の「真説・南京攻防戦」、富士信夫氏の「「南京大虐殺」
はこうして作られた」、大井満氏の「仕組まれた南京大虐殺」、松村俊夫氏の
「「南京大虐殺」への疑問」、それに拙著「「南京虐殺」の徹底検証」は、
南京で虐殺があったとは言えないと見る。
誤解のしようがないくらいはっきりと
田中正明 ----- ------ なし
東中野修道 ----- ------ なし
「「ザ・レイプ・オブ・南京」の研究」東中野修道・藤岡信勝
って書いてるし(笑
というか「東中野が虐殺を認めている」と主張する学者は実在しますか?(笑
さっき他の人もこういうリンクを貼ってたし。
http://www.sankei-books.co.jp/books/title/M0563002.html 新・地球日本史
産経新聞で連載した「新・地球日本史」の後半部が本になり、「新・地球日本史2」
として平成17年6月30日発売。
この本は連載前半をまとめた「新・地球日本史1」に続くものです。評論家の
西尾幹二氏の責任編集で、西尾氏と作家の三浦朱門氏との対談を収録、藤岡信
勝拓殖大教授、東中野修道亜細亜大教授、伊藤憲一青山学院大教授ら20人が、
第二次大戦直後までの日本の歩みを新しい視点で執筆しています。
四六判、400ページ、定価1890円。発行・産経新聞ニュースサービス、発売・扶桑社。
<目 次>
5章 南京大虐殺は存在せず 東中野修道
・世界を駆けめぐった米紙の特ダネ
・米国人特派員は目撃していなかった
・毛沢東は「虐殺」を否定していた
・人口と同じ人数が殺害された?
・告発の書は中国国民党の宣伝本だった
・極秘文書にも「虐殺」の記述ない
814 :
日出づる処の名無し:2005/10/16(日) 06:01:17 ID:dG3fmiRn
>つまり彼は南京大虐殺は無かったなどと主張する学者では
>ありません。ok
きっちり無かったと主張してますなぁ
ソースも出せねえしw
>>812 【言論チンピラ妄言解毒対策レス#46】
私の質問に答えてから私に質問してください。ok
南京大虐殺はなかったと主張する学者は実在しますか? もし実在するなら名前を挙げてください。
>>813 【言論チンピラ妄言解毒対策レス#49】
それは君の読解力に問題があるその人たちは中国が発表する南京大虐殺
の被害者数に対して異議ありと言っているだけであり、南京大虐殺はな
かったなどという意味のことは言っていませんよ。南京大虐殺があった
ことを肯定した上で中国が発表する南京大虐殺の被害者数に文句をつけ
ているだけなのです。ok
繰り返し質問します。
南京大虐殺はなかったと主張する学者は実在しますか? もし実在するなら名前を挙げてください。
だみだ、こりゃ(笑
マジで脳に器質性の疾患があるのかもしれない。
819 :
日出づる処の名無し:2005/10/16(日) 06:10:23 ID:dG3fmiRn
>南京大虐殺はなかったなどという意味のことは
>言っていませんよ。
いや、
>>811で言ってるしw
820 :
学者:2005/10/16(日) 06:20:42 ID:KjfDIMwy
結局さ、南京虐殺なんて捏造なんだよ。
本当はもうわかってるんでしょ?
引っ込みがつかない君らの気持ちは解るけどさ、
嘘はどんなに取り繕ってもやっぱり嘘なんだよ。
証拠も無い。
信憑性も無い。
定義すら曖昧で、
揚句の果てに捏造した史料がわんさか出て来て、
それの何処を信じればいいのかって話よ。
宇宙人かターミネーターじゃなきゃ出来ないようなものを信じる方がどうかしてる。
結論として南京虐殺は捏造。
肯定派は定義と根拠をまず述べてよね。
話はそれからでしょ?
821 :
学者B:2005/10/16(日) 06:23:23 ID:UhA0yaLJ
なかった。うむ。
【言論チンピラ妄言レス#65】
答えに窮したので、このくらいで勘弁してください。 気が向いたらまた〆られに来ますね(笑)
総括!
@南京大虐殺は事実であろうが関係なく、それは大日本帝国の責任の下で日本軍が行った
極めて残酷・非合理・不法な蛮行であったと主張する。
A中国が発表する南京大虐殺の被害者数には、学問的検証と修正の余地がある。
B南京大虐殺の被害者数に異議ありとする学者は存在する事はどうにか判るが、
それが南京大虐殺そのものがなかったと主張するも同然という事を理解できない。
2ch総括!
@野菜食わないと俺みたいになるぞ
Aたまには表出て新鮮な空気吸わないと俺みたいになるぞ
B変な本読むなよ、俺みたいになるぞ
C夢と現実の境を無くしてます。助けて
D初心者の質問には優しく答えろよ。俺は初心者ですらないんだから!
Eユーモアや遊び心以前に、議論って向き合う姿勢が大事だよね。
F煽りをもっと判りやすくしてください。俺じゃ文章が理解できないんで。
G年上って事以外に自慢する要素がありません。
H言論には言論で対抗しろよ、俺。
I皆仲良く。場を荒らしてる俺は排除されるべきだよな。
地獄の青空(非戦主義系)
ttp://tmp5.2ch.net/tubo/ サンキュー
人の少ない時間帯に書き込むなんてなんて卑怯者なんだろーねー>こうえいorパチこうえい
町村信孝外相は十三日の参院外交防衛委員会で、外務省のホームページの「歴史問題Q&A」と題した
コーナーについて、「事実でなかったことをあたかもあったかのような印象を与えるような記述や、
過大に妄想的な数字がなかったかどうか、よく検証したい」と記述内容を見直す考えを示した。
ホームページには「首相の靖国神社参拝は過去の植民地支配と侵略を正当化するものではないか」
「南京大虐殺をどう考えているか」などの設問が並び、平成七年の「村山談話」などを引用した回答が
載っている。
山谷氏は「中国や韓国のホームページのような問題設定で、日本の立場を十分に説明していない。
あえて誤解を招くような書きぶりもある」と指摘。
「従軍慰安婦」など当時なかった呼称を使っていることなども「不適切」と批判した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051014-00000009-san-pol
これ以上の明確な主張は無いわけだがw
南京大虐殺は存在せず 東中野修道
TV討論とかの曖昧ネタじゃなく、彼が一文でも南京大虐殺を肯定してる著書を列記してほしい
>825
アレの脳内では南京大虐殺は確定事項であり、それを否定できなければ……あれ?
一体何が目的なんだ、肯定派って?
一言でいうと
今まで巷で言われていたような
東京裁判で言われていたような
中国共産党が言うような
アイリスチャンが言うような
学校で教わったような
辞典に書いてあったような
南京大虐殺はなかった。
捕虜の処刑はあった。
828 :
日出づる処の名無し:2005/10/16(日) 12:16:44 ID:dG3fmiRn
南京大虐殺を肯定する根拠は存在しますか?
根拠が無いのにあったと信じるのはおろかだとおもいませんか?ok
【言論チンピラ妄言レス#65】
答えに窮したようなので、このくらいで勘弁してあげます。 気が向いたらまた〆に来ますね(笑)
総括! どう見ても精子です。
本当にありがとうございました
# これでええやん。
討論番組とかするときは軍治評論家出すべきだ。そしたら無いとこは公になる。
831 :
日出づる処の名無し:2005/10/16(日) 15:08:19 ID:dG3fmiRn
ひまだなぁ
もう こないのかな?
サヨクw
832 :
日出づる処の名無し:2005/10/16(日) 19:19:14 ID:dG3fmiRn
肯定派さん、根拠マダー?
833 :
学者:2005/10/16(日) 20:38:05 ID:KjfDIMwy
>826
「虐殺を事実として反日の意欲向上を図ることが目的」 以外無いでしょう
Q何故日本軍は中国に駐留していたか?
A経済活動をするにはあまりにも物騒な場所だったので、日本人保護のため
Qでは何故日本は朝鮮を併合したか?
A清にソウルを占拠されたとき日本軍が追っ払った。ソ連にソウルを占拠されたときも日本軍が追っ払った。
↓
他国による日本侵攻の足がかりを無くすためには朝鮮を自立させるしかなかった
こういったバックストーリーがもうちょっと欲しかったところだよね(笑)
「事実でなかったことをあたかもあったかのような印象を与えるような記述や
、過大に妄想的な数字がなかったかどうか、よく検証したい」
と言うけど、慰安婦の強制連行などは調査の結果何の証拠も見つからなかった
のに、あえて「政治的判断」で認めてしまったわけだから、今更何を、という
感じ。
南京事件の写真検証番組
開口一番
辛坊
「80年前後に教科書に載り始めたが、それまで話が出なかったのは何でですか?」
東中野
「何ででしょうね?知りません(笑)」(会場笑い)
たかじん
「先生にそんな言われたら・・・(苦笑)」
東中野
「あるものはこうだというふうに説明できるが、ないものは説明が難しい」
>835
その気になればその時の政治判断などいくらでも修正できるでしょ(その気=本気 ならばの話だが)
例えば台湾との国交断絶然り
補足:
当然 間違った判断をした当時の政権に責任があるのは言うまでもなく
フルシチョフによるスターリン批判のように歴史に汚名を残す事になるが
それも政治家の宿命
【彼の脳内(妄想)】↓
166 名前:日出づる処の名無し [sage] 投稿日:2005/09/18(日) 22:09:07 ID:SIu0vi1a
(引用者略)
南京大虐殺と南京事件は年代も内容も違う区別された概念です。これを混同する人は素人です。
学術は概念を分類保存する役目を司っている分野でありそれが出来ていない人は論外です。ok
歴史修正主義とは歴史に発生した大事件を矮小化する作業を意味します。南京大虐殺を南京事件
と称して大虐殺を「事件」と言い換え小さい印象を持たせるのがその例です。ok
【言論チンピラ妄言解毒対策レス#42】
【現実】↓
北村 稔 『南京事件の探求』(文春新書)
笠原 十九司「南京事件」岩波新書
笠原 十九司(「南京事件と日本人」)
秦郁彦『南京事件』(中央新書)
秦郁彦『南京事件 虐殺の構造』中公新書
板倉由明『本当はこうだった南京事件』日本図書刊行会
板倉由明「徹底検証 南京事件の真実」
阿羅健一『「南京事件」日本人48人の証言』小学館文庫
阿羅健一「城塁--兵士たちの「南京事件」」
冨澤繁信「データベースによる「南京事件」の解明」
南京事件調査研究会編「南京事件資料集1アメリカ関係資料編」青木書店
南京事件調査研究会編「南京事件資料集2中国関係資料編」青木書店
丸山進「南京事件の実相」
畝本正巳「真相・南京事件 ラーベ日記を検証して」文京出版
【現実その二】↓
南京事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
南京事件
1. 1927年に起こった、国民革命軍による襲撃事件。(本稿で詳述)
2. 1937年に起こった、日本軍による残虐事件。南京大虐殺を参照。
防衛研究所戦史部第2戦史研究室長
白石博司
いわゆる「南京事件」は、1937(昭和12)年の支那事変(日中戦争)時、
日本軍が南京を占領した際に多くの虐殺を行ったとされている事件であるが、
外務省外交史料館の編纂した『日本外交史辞典』には、「三つの南京事件」が
記載されている。上記の外その一つは、孫文の第二次革命が破綻した1913
(大正2)年、袁世凱配下の張勲の軍が革命軍を追撃して南京に進攻した直後に
発生した日本人に対する虐殺・掠奪事件で、3名が殺害され大半の日本商店が掠奪
を受けた事件である。
南京事件については、東京裁判認定の「20万」、戦後中国が発表した「30万」
という誇大な犠牲者数が教科書などで独り歩きしているが、東中野教授は「ベイツ博士
の4万人虐殺説も水増しの疑いが強いが、その4万人虐殺説でさえ公式記録から削除され
、一度も追認されなかった。
『南京虐殺』は4等、5等史料によって成り立っていることがはっきりした」としている。
(産経H10・7・29)
【現実その三】↓
石川 水穂 産経新聞論説委員 正論 平成15年6月号
南京事件に詳しい防衛庁防衛研究所調査員の原剛氏は「教科書には、2万人説や4万人説
もあることを書くべきだ。
教科書に中国の30万人説を取り上げる場合でも、”明確な根拠はない”と書き加えるべ
きではないかと指摘する。
ちなみに、原氏は中間派で2万人説。
【被告畑は1938年2月17日、松井大将に代わって軍司令官となった。
本官はその軍隊の構成を後ほどさらに詳しく考慮してみる。
以上からみれば、南京事件に関するかぎり、他のどの被告も関係はない】
「共同研究 パル判決書(下)東京裁判研究会編」
デムパ君的には、「南京事件」という言葉を使っているこの人たちも「素人」なんでしょう。
842 :
日出づる処の名無し:2005/10/17(月) 00:03:55 ID:wUkXb6fO
で、これは?
欧米人が記録捏造 中国国民党が依頼
東京裁判で所謂南京大虐殺の証拠として提出された欧米人の記録が実は中国国民党の
宣伝工作によるものだったことが判明したとして、北村稔 立命館大学教授(中国近現代史)は
その研究成果を、先月発売の 『「南京事件」の探究 』(文春新書)に著した。
この記録は
英マンチェスター・ガーディアン紙の中国特派員だったH・J・ティンパーリーの
『戦争とは何か・・中国における日本軍の暴行』と南京市の金陵大学教授だった
L・スマイス博士の『南京地区における戦争被害』(スマイス報告)。
北村教授は台湾で1996年に刊行された 『中国国民党新聞政策之研究(1928〜1945)』
の中で、 国際宣伝処が二人に上記の宣伝書を書いて貰ったとの記述があり、南京戦当時の
国際宣伝処長だった曾虚白の『自伝』(1988年)にも、二人に
「金を使って日本軍の南京大虐殺の目撃記録として2冊を書いて貰い
・・・二つの書物は売れ行きのよい書物となり宣伝の目的を達した」と書かれていたという。
関連記事 (H・J・ティンパーリー関連)
1511038 <國論> 南京事件 「自伝」のみを唯一の根拠とする判断は誤り 松村俊夫
1510011 岩波文化人・北村稔立命館大教授 正体晒す
1503043 南京大虐殺覆す新事実
http://www5f.biglobe.ne.jp/~kokumin-shinbun/H13/1312/131215nankin.html
【言論チンピラ妄言解毒対策レス#74】
日本外務省、「日本軍による南京での殺人・略奪行為は否定できない事実」
日本の外務省スポークスマンの沼田貞昭氏は19日、当時の日本軍による南京
における殺戮(さつりく)行為は否定できない事実であると語った。
上記は、沼田貞昭氏が新華社の記者によるインタビューに応じ、語った言葉で
ある。沼田氏は、旧日本軍が1937年南京に侵入し、一般市民を殺害し、略奪行
為を行なったことは、否定できない事実であり、政府によるこれらの認識は、集
会を催した団体の認識とは異なっていると表明し、以下のように強調した。
日本政府の歴史認識に関する考えは、日本の村山富市元内閣総理大臣が
1995年8月15日の談話において明らかにした、「我が国は遠くない過去の一時
期に、植民地的統治と侵略によって多くの国、特にアジア諸国の人々に極めて
大きな損害と苦痛をもたらした。我々は、この歴史的事実を謙虚に認め、ここ
で改めて痛切な反省と心からの謝罪を表する」という言葉と変わっていない。
現在に至るまで、日本政府のこの考えには、いかなる変化もない。
「人民日報」 2000年1月20日1面
ttp://fpj.peopledaily.com.cn/2000/01/20/newfiles/a1020.html
【言論チンピラ妄言解毒対策レス#82】
【政府】
日本政府は南京大虐殺を裁いた極東軍事裁判の判決を国家として受け入れており、南京大虐殺を国家として認めて
います。また、「中国に対する過去の侵略と植民地政策を反省している」というのが95年の村山談話以降、政府の公式
見解で、この点は小泉首相もことあるごとに強調しています。羽田内閣の時、永野法務大臣は「南京大虐殺は捏造」と
発言したことが問題となってクビになり、ついには羽田内閣もぶっつぶれました。
【法律】
南京大虐殺は極東軍事裁判で有罪となりました。この裁判で死刑になった松井大将は証言の中で虐殺の事実を認め
ていました。戦後日本の賠償訴訟(「七三一部隊」被害者損害賠償請求訴訟,東京高裁判決,1999.9.22)でも南京虐殺
の事実認定がなされています。また、南京虐殺否定本でウソツキ呼ばわりされていた中国人女性が否定本の著者を
訴えていた事件では、この著者の敗訴が最高裁で確定しました
【学術】
「南京大虐殺」の事件の存在自体を否定している歴史学者は一人もいません。(「否定説はほとんどの歴史家の間
では受け入れられる傾向はない」ウィキペディア「南京大虐殺論争」)。日本の歴史事典、百科辞典類で、南京大虐殺
の事件を否定ないしは存疑として記述しているものは一つもありません。日本の教科書にも事件に疑いを差し挟んで
いるものは一つもありません。アノ「作る会」の教科書でさえ、他の教科書と同じように南京大虐殺を認めた記述をし
ています。以上のように南京大虐殺否定論というのは、右翼の人たちが、学術的にはお話しにならないようなデタラメ
な検証を根拠に、勝手に言い立てているだけのことであって、日本でも公の場では全く認められていない、アングラ的
言説に過ぎません。ただ、このアングラ説にとびついた漫画(ゴー宣)などのせいで、漫画しか読まないような若者はこ
ちらが真説と思いこんでしまったようですが。
おお!
今日も頑張って、肯定派の評判を下げてくれてるのか。
頼りにしてるぞw
848 :
日出づる処の名無し:2005/10/17(月) 00:18:02 ID:dbiM3iza
肯定派って流れ無視でコピペ連投するの好きだよね
無能だからこそ為せるワザ、か。
議論放棄して主張ばかりなんてまるっきり朝鮮人か小学生だよな。
透明が多すぎても気にならなくなってきたので
たまに>847のようなレスを見ると「独り言の好きな人なんだな〜」と思ってしまう今日この頃
ゴメンネ
一度戻って番号確認して飛んでるのがわかった
850 :
日出づる処の名無し:2005/10/17(月) 00:27:14 ID:TDCN61Gb
ああ、NG指定が消えているのを忘れてた
ありがとうな
爺さん:婆さんや、飯はまだかいな。
婆さん:はいはい、お爺さん。もう食べたじゃないですか。
ほれ、そこにちゃんと空になったお皿があるじゃないか。
爺さん:婆さんや、飯はまだかいな。
婆さん:はいはい、お爺さん。もう食べたじゃないですか。
ほれ、口にご飯粒をくっつけているじゃないですな。
爺さん:婆さんや、飯はまだかいな。
までよんだ。
たしかに惚け老人みたいですな。
「志村けん」の
「とんでもねぇ あたしゃぁ神様だよ」を思い出した
黄文雄氏の
「明らかに嘘とわかることでも、大声でいった方が勝ち≠セと考えるのが中国人だ」
という言葉を思い出した。
将にそれ、韓国にも当てはまるな
そういえばそうですね。
で
なんで共産主義国家の威信を賭けた「有人ICBM」の名前が「神舟6号」なんだろ?
858 :
日出づる処の名無し:2005/10/17(月) 01:39:24 ID:FWlFJtAe
違うわボケェ!
「試作型ICBM」の弾頭ユニットに飛翔データ収集員が乗ってるだけだ!
一発なら誤射
by アサピー
860 :
日出づる処の名無し:2005/10/17(月) 04:21:14 ID:806Nx37F
正確にはロシアの設備、ロシアのロケット、ロシアのシステムに支那人が乗っただけ。
それで有人宇宙飛行の技術とか言ってるんだから恥知らずにもほどがある。
861 :
日出づる処の名無し:2005/10/17(月) 04:27:32 ID:ZxCd3uAR
日本では、ホリエモンが企業で友人非行を2008年におこなうプロジェクトがある、
国家キボでやら無くてもできる。JAXAは開発予算がない。」
「金日成(キム・イルソン)は偉大な近代的指導者」
「全日空(ゼン・ニックウ)は偉大な近代的自動車」
862 :
日出づる処の名無し:2005/10/17(月) 06:25:33 ID:806Nx37F
エアボーンレーザーの実験に打ち落としちゃえばよかったのにw
863 :
日出づる処の名無し:2005/10/17(月) 12:22:08 ID:806Nx37F
靖国参拝age
864 :
日出づる処の名無し:2005/10/17(月) 18:40:35 ID:806Nx37F
ところで肯定派は壊滅ですか?
865 :
日出づる処の名無し:2005/10/17(月) 18:44:12 ID:FuWTKdjp
憲法改悪反対!憲法改悪反対!憲法改悪反対!憲法改悪反対!憲法改悪反対!
憲法改悪反対!憲法改悪反対!憲法改悪反対!憲法改悪反対!憲法改悪反対!
憲法改悪反対!憲法改悪反対!憲法改悪反対!憲法改悪反対!憲法改悪反対!
憲法改悪反対!憲法改悪反対!憲法改悪反対!憲法改悪反対!憲法改悪反対!
866 :
日出づる処の名無し:2005/10/17(月) 19:00:07 ID:gGd0CsGZ
で、結局30万人大虐殺は大嘘という事でいいの?
>>866 だいたい30万もいっぺんに殺せるわけがない。
肯定派は30万って人数がどれほどのものか想像力が欠如…ってよりも、
もっと単純にたぶん人が何万も集まる場所(コンサートとか野球場とか)に
行ったことがないんだろう。
これの台湾の新聞記事どっかないかな
昭和41年9月に岸信介元首相の名代として5名の日本人台湾使節団が訪台し、蒋介石と面談している。
そして面談の最、その5名の中の一人である田中正明氏が松井大将の秘書であったことを思い出した蒋介石は、
田中氏の手を堅く握り締めて涙を流しながら「南京に虐殺などなかった。松井閣下にはまことに申し訳ないことをした」
と告白している。この蒋介石の涙の謝罪は、日本人訪台団、通訳、蒋介石の側近らが全員耳にした歴然なる事実であり、
南京事件なるものは一切存在しなかったことを当事者が認めた貴重な証言である
肯定派は三十万人虐殺を証明しろ、だの何だの年がら年中言っているようだが、
一体その「肯定派」とやらは誰なんだ?
つか、それを一体誰に向かって言っているわけ?
>>870 お前の立場は?
否定派?
中間派?
良く知らない派?
872 :
日出づる処の名無し:2005/10/17(月) 22:58:09 ID:34J5aqjB BE:428535078-
>>871 その前に870の質問に答えてくれよ。
オレの立場を敢えて言えば、中間派になるかもだけど。
ログを読むしかないんでねの?
北京語か台湾語の記事が知りたかった
>>873 答えてくれたので、こちらも答えよう。
肯定派が2chで暴れる事はあまりないと思う。
ただ、中途半端なサヨや在日の工作員が持ち出してくる事はあるな。
ただし、TV等では堂々と出てくるよ。20万人殺したと思う…とか
平気でしゃべってるおっさん(全共闘とかやってた人とかだけどw)。
で、中間派のお前さんは、いったい何人ぐらい殺したと思うの?
3万人?5万人?…どっちにしろものすごい数だと思うけど?何か根拠あるの?
(秦氏)4万
捕虜殺害(戦闘詳報等)を全て違法
民間被害(スマイス報告等)に関しては割引
(板倉氏)一万〜二万
戦闘詳報やスマイス報告等の資料から
不可抗力を考慮して割り引き
(畝本氏)三千〜六千
便衣化兵が居たから市民被害を数に含まず
日本側資料を、日本側証言を鵜呑みにして極力割り引き
(東中野氏)
敵の一般兵士にすら資格はない(ハーグ規定解釈)