【極東】北朝鮮総合スレ(旧北朝鮮実況)part925

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300日出づる処の名無し
めぐみさん、あす41歳誕生日 「希望捨てないで」     産経 10月04日
ttp://www.sankei.co.jp/databox/n_korea/nkorea_13_1.htm
 拉致被害者の横田めぐみさん=拉致当時(13)=はあす五日、四十一回目の誕生日
を迎える。めぐみさんの北朝鮮での生活については、ほかの拉致被害者の証言から、
拉致翌年からの数年間、曽我ひとみさん(46)と同居していたことなどが伝えられている
が、最近になり、「日本人工作員村」で暮らしていたことなど、次第に詳細な部分が明ら
かになった。日朝政府間協議が月内にも行われる方向で調整が進むなか、めぐみさん
の父、滋さん(72)と母、早紀江さん(69)は、産経新聞の取材に応じ、「もっといろんな
手段を講じてほしい」と次回日朝協議への期待を語った。
 「めぐみさんは、私たちが住んでいたチュンリョン里の山間にある招待所で暮らしていま
した」
 拉致被害者の蓮池薫さん(48)らは、横田めぐみさんの両親、滋さんと早紀江さんに昨
年以降、こう打ち明けていた。
 その証言によれば、平壌の南東約二十キロにあるとされるチュンリョン里の招待所には
一号から七号まで、七つの一戸建て住宅が互いに見えないように建ち、「日本人工作員
村」と呼べる集落だった。
 この招待所にめぐみさんは昭和五十九年に入居した。
 一号の蓮池さん夫妻のほか、地村保志さん(50)、富貴恵さん(50)夫妻も七号に、
めぐみさんは三号に入居したが、その際、田口八重子さん=拉致当時(22)、女性工作
員との三人で同居し、この女性工作員に日本語を教えていた。
 また二号にも、蓮池さんが教育を担当していた別の工作員が住んでいたという。
 北朝鮮に拉致された後のめぐみさんの生活についてはこれまで、拉致翌年の五十三年
八月から五十五年まで、平壌市内で曽我ひとみさんと同居していたことが分かっている。
 曽我さんは、五十三年八月十八日にめぐみさんと初めて会った際の印象を「にっこりと
迎えてくれた」と、滋さんらに伝えたという。
301日出づる処の名無し:2005/10/04(火) 05:17:11 ID:ZOiyxNyw
>>300 つづき
 この間、めぐみさんは、同じく拉致被害者の原敕晁(ただあき)さん=同(43)=の拉致
に関与したとされる工作員、辛光洙容疑者から朝鮮語や朝鮮史、物理や数学の教育を
受けていたことが判明している。その後、六十一年以降も平壌市内で生活していたが、
北朝鮮側は「平成六年四月、死亡した」と伝えてきている。
 めぐみさんが入居した翌年の昭和六十年、被害者らは、この集落から全員、別の集落
に移るよう指示される。
 このとき転居した先でも、当初、めぐみさんは田口さんと同居。地村夫妻が入居していた
四号をはさんで五号には、後にめぐみさんと結婚する工作員、キム・チョルジュン氏が住ん
でいた。
 その後、田口さんが入院すると、キム氏がめぐみさんのもとに通い詰め、日本語などの
教育を受けるようになったという。
                   ◇
 ≪横田夫妻 世論背景に交渉を/首相は気概示して≫
 −−めぐみさんの四十一歳の誕生日が近づいていますが
 滋さん「私たちのイメージは中学一年の時のイメージしかなくて(北朝鮮側から)写真が
三枚出てきたんですが、二十歳以降の写真はあまりめぐみという感じがしない」
 −−大人になってからのめぐみさんはあまりイメージできないということですか 早紀江
さん「どんなになるかというイメージはなかったですからね。めぐみに間違いないとは思い
ますが…。四十歳までにはなんとか帰ってきてほしいと言い続けていたんですが、やっぱ
り駄目でしたね」
 −−帰国した拉致被害者らの証言で、めぐみさんの北朝鮮での暮らしぶりが少しずつ
分かってきています
 早紀江さん「つらいです。後からどんどん出てくるといろいろ考えますから。前からどう
なんだろうと思っていたことが、やっぱりこうだったということになると、いつまでもそういう
ことをひきずって苦しんでいかなければいけない」