【極東】北朝鮮総合スレ(旧北朝鮮実況)part925

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217日出づる処の名無し
文藝春秋編 日本の論点PLUS
[拉致問題についての基礎知識]拉致被害者は全部で何人いるのか? 9/28うp
ttp://books.bitway.ne.jp/bunshun/ronten/ocn/sample/ron/05/012/r05012DFA1.html
拉致被害者は数百人?
 政府が認定している北朝鮮による拉致事件は一〇件一五人である。この中には北
朝鮮が明らかにするまで政府が認定していなかった曽我ひとみ(以下文中敬称略)
も含まれる。また二〇〇四年(平成一六年)八月には、北朝鮮から出た写真によっ
て埼玉県川口市の藤田進が拉致被害者であることが分かった。同年九月現在、政府
は藤田を拉致認定していないが、国民の中には「拉致被害者は政府が認定している
数どころではないらしい」という認識が広がりつつある。しかし、そうは言っても
一般には拉致の全体像は明らかでなく、「一体、いつ、どのぐらいの人が、何の目
的で、どうやって拉致されているのか」という疑問を持っている人は少なくないと
思う。
 この質問に対して結論から書いておこう。拉致は一九五〇年代以降、つまりこの
半世紀の間続いてきた。そして今後も行われる可能性がある。数はどんなに少なく
見積もっても一〇〇人以上、おそらく数百人程度と思われる。拉致の目的は工作員
が成り代わる身分盗用、いわゆる「背乗(はいの)り」対象者や、工作員日本人化
の教育担当、技術者の獲得など様々で、場合によっては単に工作員としての成績を
上げるための拉致や、侵入途中に遭遇したことによる拉致などもあると思われる。
 拉致は日本全体で起きている。国内にいる工作員やエージェントに割り当てがき
て、まず説得して納得する人間がいればこれを連れていく(この場合は拉致とは言
えないが)。いなければ何らかの形で接近して騙して連れていく。その次は騙して
屋内に引き込み、そこから暴力的に連れていく、さらに最初から暴力的に連れてい
くなどの段階がある。政府認定者で言えば横田めぐみなどは最後の暴力的拉致のケ
ース、有本恵子は二番目の騙して連れていくケースにあたる。
218日出づる処の名無し:2005/10/01(土) 17:50:50 ID:ODc0T2gj
>>217 つづき
政府認定の経緯
 それでは政府認定者と全体の拉致被害者の数に大きな差があるのはなぜだろうか。
 政府認定拉致被害者は次のとおりである。
▼七七年 久米裕(石川県警が犯人の一人を逮捕するも不起訴)、横田めぐみ(朝
日放送石高健次氏入手情報が発端)
▼七八年 田口八重子(大韓航空機爆破事件犯人金賢姫の証言)、地村保志・浜本
富貴恵、蓮池薫・奥土祐木子、市川修一・増元るみ子(産経新聞八〇年一月七日ス
クープ)、曽我ひとみ(北朝鮮当局が自ら公表)・曽我ミヨシ(曽我ひとみが拉致
されたとき一緒にいたことが理由)
▼八〇年 原敕晁(工作員辛光洙が韓国で逮捕され自白)、石岡亨・松木薫(石岡
から実家に手紙が届き、そこに松木の名前もあった)
▼八三年 有本恵子(石岡亨の手紙に名前が記載、写真も同封)
 拉致被害者は警察の捜査にもとづき総理大臣が認定することになっているのだが
、カッコ内を見れば分かるように、警察が白紙の状態から自らの努力で拉致を見つ
け出し明らかにしたケースは実質ゼロと言っていい。
 国会で政府が北朝鮮による拉致の存在を初めて認めたのは、八八年三月二六日参
議院予算委員会における梶山静六国家公安委員長答弁(七八年のアベック拉致三件
六人)である。その後横田めぐみ拉致が明らかになった九七年二月三日衆議院予算
委員会の政府答弁で、六件九人(当時氏名は公表していないが、アベック拉致の六
人に加え七七年の久米裕、七八年の田口八重子、八〇年の原敕晁を加えたもの)と
される。
 それから三カ月後の五月一日の参議院予算委員会で横田めぐみについて北朝鮮に
よる拉致とする答弁があり認定被害者は「七件一〇人」になる。続いて〇二年四月
一二日によど号犯柴田泰弘の元妻である八尾恵が東京地裁で自分が有本恵子拉致の
実行犯であると証言するのにあわせ、証言の前日に警察は有本恵子を拉致被害者と
発表し、政府認定被害者数は「八件一一人」となる。しかし、このときは石岡亨・
松木薫については認定していない。
219日出づる処の名無し:2005/10/01(土) 17:52:53 ID:ODc0T2gj
>>218 つづき
 〇二年九月一七日の日朝首脳会談で北朝鮮側が拉致を認め、リストを出したこと
によって政府が認定したのは曽我ひとみ・石岡・松木の三人である。さらに曽我ひ
とみと一緒にいた曽我ミヨシも認定され現在の「一〇件一五人」となっている。
政府認定以外の被害者
 政府認定以外で特定失踪者問題調査会設立以前から拉致されたことが確実とされ
ていたのは寺越昭二・外雄・武志(六三年の寺越事件)、福留貴美子(七六年に拉
致されてよど号犯岡本武の妻となる)、田中実(七八年ウィーン経由でおびき出さ
れ拉致)、小住健蔵(八〇年頃拉致)の六人である。なお、このうち田中・小住の
二人と特定失踪者の松本京子について政府は〇二年一〇月、クアラルンプールでの
日朝交渉で北朝鮮側に非公式に安否確認を求めている。
 特定失踪者問題調査会には現在約四二〇名の特定失踪者リスト(北朝鮮による拉
致の可能性が完全には排除できない失踪者)があり、うち約二〇〇名についてご家
族の同意のもと公開している(通称ゼロ番台リスト)。これらの中で調査の結果拉
致の可能性が高いと思われるもの(通称一〇〇〇番台リスト)は〇四年九月一七日
現在三三人、その中には写真が出てきた藤田進も入っている。ゼロ番台リストは全
員が拉致ということではなく、可能性のあるケースを絞り込んでいく作業のための
リストである。
 政府認定者と調査会の一〇〇〇番台リスト、そしてその間にある前述の六人を加
えると現時点での拉致被害者は五四人になるが、一〇〇〇番台リストは今後も相当
数増えることが予想される。また拉致と分かっても家族が届けをしていないケース
、あるいは身寄りのない人を狙ったために誰も失踪を知らないケースもかなりある
ので、すべてを合わせると相当な数になることが予想される。
220日出づる処の名無し:2005/10/01(土) 17:54:16 ID:ODc0T2gj
>>219 さいご
「足りなければ持ってくればいい」
 北朝鮮という国家は四八年の建国当時、スターリンの指名によって今の指導者・
金正日の父親・金日成が権力を得た国家である。そしてインフラは日本の植民地時
代に整備されており、軍隊はその中核が中国から提供され、残りはソ連の指導と武
器の供与によってできている。最初の時点で権力・インフラ・軍隊という国家の基
本的要素を自力で作り出さなかったことが、「足りなければ持ってくればいい」と
いう発想につながり、それが恒常的な拉致となって現れた。
 端的な例は七八年に行った韓国の映画監督申相玉の拉致である。七〇年代中盤、
工作機関を掌握した金正日は、申に対し、北朝鮮の映画の水準が低いので拉致をし
たと語っている。この発想でいけば誰が拉致されたとしても不思議ではない。
 現在の政府認定者もそうだが、拉致被害者は多くの場合、北朝鮮と無関係な人間
であり、それゆえに周囲も警察も、当初は拉致と疑わなかったケースがほとんどで
ある。その状態で何十年も経過しているため、警察がいくら努力しても、事件捜査
的手法で調べる限り証拠が集まらず「認定」に至るのは難しい。また、政府の中枢
では長期にわたる拉致を認識していたと思われるが、様々な理由で隠蔽されてきた
。そして、それゆえに北朝鮮側は極めて安直に拉致を続けてきたというのが実態で
ある。
 拉致事件の全体像はまだ不明な点が多いが、すべてが解明されれば日本の現代史
、日朝関係史を書き換えることになるだろう。
[荒木和博(拓殖大学助教授、特定失踪者問題調査会代表)]