1 :
日出づる処の名無し:
アジ歴も充実してきたようなので、そろそろ史料集めしませんか。
アジア歴史資料センター
http://www.jacar.go.jp/index.html タイトル、表題、レファレンスコード、大体の内容、という具合に書き込むとか。
例
「耳目を覆う朝鮮に新聞を寄贈する」
表題:外務省朝鮮国外交官ヘ漢文新聞紙贈与
コード:A01000000300
「朝鮮には新聞がなく、世界の情勢については何も知らないも
同然なので、新聞を贈れば朝鮮人を文明開化に覚醒誘導出来る
と思う。それで購入して差し送りたいので上申します。明治9
年10月18日。
上申の通り許可する。11月16日」
といった内容。
以下、sage進行でお願いします。
2 :
日出づる処の名無し:2005/09/10(土) 02:45:27 ID:1XrkmQ+v
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3 :
日出づる処の名無し:2005/09/10(土) 02:48:13 ID:1XrkmQ+v
お?
sage......
朝鮮関連
「幕末から明治2年」
表題:対韓政策関係雑纂/朝鮮事務書 第一巻
コード:B03030162400
内容:「幕末から明治初期までの朝鮮関連詳細公文書の簿冊。
開くと慶応3年から明治2年までの10個のファイル一覧が出る。」
「明治3年1月から12月までの朝鮮関連詳細公文書の簿冊。
表題:対韓政策関係雑纂/朝鮮事務書 第二巻
コード:B03030163500
内容:「明治3年1月から12月までの朝鮮関連詳細公文書の簿冊。
開くと13個のファイル一覧が出る。最後に明治4年1月23日と
ファイル名にあるが、内容は明治3年の12月13日までである。」
「明治4年度の朝鮮関連詳細公文書の簿冊」
表題:対韓政策関係雑纂/朝鮮事務書 第三巻
コード:B03030164900
内容「明治4年度の朝鮮関連詳細公文書の簿冊。
開くと22個のファイル一覧が出る。」
「明治5年度(9月28日まで)の朝鮮関連詳細公文書の簿冊」
表題:対韓政策関係雑纂/朝鮮事務書 第四巻
コード:B03030167200
内容「明治5年度(9月28日まで)の朝鮮関連詳細公文書の簿冊
開くと19個のファイル一覧が出る。」
「明治6年度前半(1月から6月10日まで)の朝鮮関連詳細公文書の簿冊」
表題:対韓政策関係雑纂/朝鮮事務書 第六巻
コード:B03030171400
内容「明治6年1月から明治6年6月10日までの朝鮮関連詳細公文書の簿冊
開くと13個のファイル一覧が出る。」
明治6年度後半(7月から12月)の朝鮮関連詳細公文書の簿冊」
表題:対韓政策関係雑纂/朝鮮事務書 第七巻
コード:B03030172800
内容「明治6年7月から明治6年12月28日までの朝鮮関連詳細公文書の簿冊
開くと15個のファイル一覧が出る。」
明治7年度前半(1月から7月)の朝鮮関連詳細公文書の簿冊」
表題:対韓政策関係雑纂/朝鮮事務書 第八巻
コード:B03030174400
内容「明治7年1月から明治7年7月25日までの朝鮮関連詳細公文書の簿冊
開くと16個のファイル一覧が出る。」
明治7年度後半(8月から12月)の朝鮮関連詳細公文書の簿冊」
表題:対韓政策関係雑纂/朝鮮事務書 第九巻
コード:B03030176100
内容「明治7年8月から12月8日までの朝鮮関連詳細公文書の簿冊
開くと12個のファイル一覧が出る。」
この後、次資料(コード順では)は明治15年に飛ぶ。
上記簿冊中の12月8日のファイル。釜山草梁公館の昔からの慣習で、
筒払いと称して大砲をぶっ放していたことが書いてある。
表題:2.明治七年ノ五/巻之二十九 自九月至十二月/3 明治7年11月11日から明治7年12月8日
コード:B03030177300
内容「11月に筒払いと称して大砲を打ったところが、
事故があり負傷者が出た。しかしこれによって昔からの
慣習を止めてはならない。本来、西洋人が言うように、
万国公法に照らせば、公館は護衛の兵も駐留できる。
朝鮮側が万国公法を理解すればそれも可能となる。云々」
読みやすいようにカタカナを平仮名にして句読点つけて
一部原文を引用すると、
『和館に銃砲を備え、時々発射するは宗氏
通行中よりの慣習にして、彼国より毫も恠とせず。
因て昨年更に山用砲具他新製軽便の銃器を
渡し置かるるは敢えて非常の警備にあらず。
一は旧慣の特権を保守し、一は時々発射、
其使用昔日の具にあらざるを示し、開化に
勧導せんとの一手段也。』
「恠」は「怪」の異字。釜山の日本領事館
的存在である和館で大砲をぶっ放すのは、
昔からの慣習であり、朝鮮側も何も問題に
していなかった。つまり慣れていたってこと。
興味深い。
以下明治8年度朝鮮関連詳細、ただし雲揚号事件の詳細は別冊。
表題:6.朝鮮理事誌 (正本)/2 自明治八年二月至同年十一月四日
コード:B03030132600
表題:6.朝鮮理事誌 (正本)/3 自明治八年二月至同年十一月四日
コード:B03030132700
表題:6.朝鮮理事誌 (正本)/4 自明治八年二月至同年十一月四日
コード:B03030132800
6.朝鮮理事誌 (正本)/2に、p1〜p4に明治1〜7年までの略史あり。
簡単すぎるがまあ一通り知るにはよいか。
知る人は知る「軍艦を派遣し對州近海を測量せしめ、以て朝鮮國の内訌に乗じ、
以て我応接の声援をなさん事を請うの議」の全文(p17〜p19)
表題:3.第三巻 自 明治七年 至 明治九年/2 同八年乙亥 1
コード:B03030192800
内容「奥義制の書記による明治8年の朝鮮関連詳細補足。」
朝鮮理事誌に未掲載のものがいくつかここにある。中でも、
対談の約束を守ろうとしない朝鮮に圧力をかけるために軍艦派遣
(雲揚号など)を要請した有名な全文がある。
この文の一部だけ引用して武力威嚇と決め付ける者が多いが、明治7年、8年
の日朝交渉のやりとりを読み、且つこの全文をよく読むと、その意図するところ
がやっと理解できる。
この4個のファイルを読めば、雲揚号事件の背景がほぼ理解できるようだ。
また、事件によって釜山草梁公館の様子がどう変化したかが分かる興味あるもの。
「雲揚号事件並びに黒田全権派遣訓条など」
表題:公文別録・朝鮮江華島砲撃始末・明治八年・第一巻・明治八年
コード:A03023622700
内容「雲揚号事件並びに黒田全権派遣訓条などの簿冊。開けば関連ファイル
23個がある。ここにある雲揚艦長井上少佐の戦闘報告が自署押印のもの。」
事件が起こって日本政府も対応にあたふたとしている様子が見えてくる。
この事件は偶発であることに決定だな。
「韓国併合に関する簿冊」
表題:公文別録・韓国併合ニ関スル書類・明治四十二年〜明治四十三年・第一巻・明治四十二年〜明治四十三年
コード:A03023677100
内容「韓国併合に関する簿冊であり、開くと36個のファイル一覧が出る。併合手続き研究に必見のもの。」
例えば24番目の、一進会幹部、宋秉o(従一品勲一等の高官でもある。)の、
「日韓合邦は時勢の要求する所なり。民情の渇望する所なり。一進会は此の要求渇望
を代表して率先之を提唱せしに、端なく衆議の排斥を受けたりと雖も、爾来未だ数月
ならずして一進会の主張は朝野一般の諒する所と為り。今日に至りては既に合邦の利
害を議論するを要せず、唯合邦遂行の善後策を研究すべきのみ。」
で始まるものなど、実に興味深いものが並んでいる。
表題:日韓合邦ノ先決問題・宋秉#m21865#提出
コード:A03023679500
12 :
日出づる処の名無し:2005/09/12(月) 06:44:47 ID:Hed4Vc2W
13 :
日出づる処の名無し:2005/09/12(月) 06:46:51 ID:Hed4Vc2W
ぐわーっ、誤爆スマン。
「雲揚号事件をきっかけとした黒田全権派遣時の記録文書簿冊。」
表題:対韓政策関係雑纂/黒田弁理大臣使鮮始末
コード:B03030145400
内容「明治8年12月から明治9年2月までの黒田全権派遣時の記録簿冊
開くと22個のファイル一覧(正副合わせて)が出る。訓条、艦隊派遣、
雲揚号事件と書契拒否についての談判、修好条規締結のやりとり、印鑑問題、
朝鮮政府の謝罪文など」
例えば以下のように興味深いものが目白押し。
表題:1.黒田弁理大臣使鮮始末 正本/2
コード:B03030146000
内容「明治9年2月、黒田全権派遣時の日朝談判 1日目」
p16には、日本政府が朝鮮政府に事前に日本国旗見本を渡していたこと。
雲揚号は国旗を掲げていたにもかかわらず砲撃を受けたこと。
朝鮮政府の怠慢により国旗見本を地方官に届けていなかったこと。
朝鮮側の「日本の軍艦と分かっていたらけっして砲撃はしなかった」また
「(誤撃した船が)すでに日本の船と分かったから我が朝廷はよくないこと
をしたと思う」などの談話がある。
ここをきちんと書いた雲揚号事件関連の記述はWebでも極く僅かである。
あたまから「雲揚号による目白押し武力挑発」と決め付けているものが多すぎる。
ちなみに、旗を朝鮮側に渡している場面は、明治7年9月8日に釜山草梁公館の
森山茂から訓導玄昔運(朝鮮政府の日本交渉担当官)にその記述がある。p5
表題:2.明治七年ノ五/巻之二十九 自九月至十二月/2 自明治七年五月乃至十月 朝鮮事件取扱手続提要
コード:B03030177200
『於茲御國船隻旗号等ヲ書附ケシ火船来舶スルニ疑訝ニ渉ルナカレト云ウノ意ヲ示シ候事。』
× 「雲揚号による目白押し武力挑発」
○ 「雲揚号による武力挑発」
16 :
日出づる処の名無し:2005/09/15(木) 20:56:43 ID:3CYSbion
定期保守
ところで、雲揚号事件での戦闘を詳細に記述したものは、艦長報告以外にも、
次のものがある。
表題:3 明治8年10月2日から明治8年12月9日
コード:B03030144900
内容「雲揚号事件について各国公使に説明」
中でもp3の明治8年10月9日に寺島宗則外務卿が英国公使パークスに話した
ものが詳しい。しかし友人同士の対談だからであろうか、いささか武辺咄になっ
てしまっている。もちろん寺島の話は人から聞いた話である。
また、
表題:7.朝鮮理事日表 (副本)/4 自明治八年二月二日至同年十一月四日
コード:B03030133200
内容「森山茂の明治8年6月1日から11月4日までの報告。」
このp30 9月29日の項に又聞きとして事件様子が書かれている。
ポイントは真水を求めたのか測量中なのかではない。すでに渡している日本国旗
を掲げる日本軍艦に対して朝鮮側が砲撃したことが問題であったということ。
「黒田全権派遣時の黒田の日記簿冊。」
表題:対韓政策関係雑纂/黒田弁理大臣使鮮日記
コード:B03030147700
内容「明治8年12月9日から明治9年3月4日までの黒田弁理大臣の日記簿冊。
開くとファイル10個の一覧が出る。談判以外の見聞日記。艦隊の詳細、航海の様
子、軍の動き、各地の事情、風俗、など。」
黒田による各地の様子などその観察記述は詳細で、読むうちにその風景すら目に
浮かぶが如しである。これまで釜山公館以外の朝鮮風俗を紹介したものとしては初
出に違いない。
なお増援部隊の要請の件は日記の中で省略されている。これは釜山滞在中に朝鮮
側が何の反応も見せないことから、黒田がかつての仏米の艦隊のように何ら成果も
出せずに撤退することになるのを恐れ、大部隊を以って江華島を占拠してでも談判
に及ばんとの意を政府に上申したものである。しかし、三条太政大臣の返事はノー
であり「今さら多数の兵隊は出せない。とにかく内諭にそうて話し合いせよ」と。
そのやり取りは次のもの。
「黒田から三条太政大臣への途中報告」
表題:黒田全権弁理大臣朝鮮国ヘ出発并ニ途中ヨリ報告
コード:A03023624800
内容「朝鮮政府が何の反応も見せないことから、果たして談判に応じるかどうか分
からず、このままでは仏米の艦隊と同じ轍も踏みかねないから、江華島を占拠して
でも談判に応じらせるために2大隊増援を求める、という三条宛ての手紙。」
なおこれは
>>10の簿冊の中のひとつ。
それに対する返事は以下のもの。
「黒田の増援部隊派遣の要請に対する三条太政大臣の返事」
表題:外務権大丞野村靖朝鮮国ヘ派遣附三条太政大臣ヨリ黒田弁理大臣ニ贈ラルヽ
書翰并ニ野村大丞ノ報告書
コード:A03023625200
内容「兵隊は送れない旨を野村大丞に手紙として持たせるから当人から詳細を尋ね
よ、というもの。」
「儀仗兵といへども今にな里(り)俄かに多数の兵員を繰り出しかた志(難し)。
・・・先ず兵隊を派送す事は見合をいたし」として兵隊の代わりに野村大丞を派遣
した。
なおこのファイルは次の簿冊の中のひとつ。
公文別録・朝鮮江華島砲撃始末・明治八年・第二巻・明治八年
A03023625100
内容「黒田全権派遣関連の簿冊その2。開けば関連ファイル 38個がある。」
上記三条大臣の手紙のみならず、中でも「在北京森全権公使ヨリ達スル機密報告書」
は朝鮮の属国問題詳細が記されていて興味深い。
そういや日本が開国したあとに朝鮮に使節を二人送ったら
耳と鼻を削がれて送り返されたって話聞いたことあるんだけど
それってソースあるの? ほんとの話なら、なんで有名にならないんだろ?
日朝談判の成果である日朝修好条規と朝鮮政府の謝罪文。
表題:1.黒田弁理大臣使鮮始末 正本/4
コード:B03030146200
内容「日朝修好条規p1と書契拒否と雲揚号事件についての朝鮮政府の謝罪文p16。」
このファイルは
>>14の「対韓政策関係雑纂/黒田弁理大臣使鮮始末」の中の一つ。
謝罪文の日本語訳文は次の中にある。
表題:朝鮮尋交始末(下)
コード:A03023622400
内容「明治9年5月までの日朝交際総集編の下巻」
明治維新からの日朝交際総集編である「朝鮮尋交始末」の上中下巻の内の下巻であるが
、複写が悪く読みにくい。また文章も読みにくいもの。謝罪文(議政府照会書)の日本語
訳はp56にある。またp57には謝罪としては不充分であるが、「この書を接受して以って彼
(朝鮮)が謝辞を致すの名を存せり。」とある。
つまり朝鮮政府は謝罪せねばならないような態度を長年とっていたり、事件を起こした
ことを自ら認めたということである。