>>136 つづき
‘悪意的’という表現の適用範囲もあいまいだが、特に‘歪曲報道’の基準をど
う定めているのか問いたい。 ‘歪曲報道’は司法府が判断することであり、政府
当局が自ら判定するものではない。 事実と違う誤った記事が出た場合、訂正報道
の要請や言論仲裁委員会への付託などいろいろな手続きがある。 「歪曲言論媒体
」という烙印が押されれば取材ができなくなる社会を、言論の自由が認められた民
主主義社会と言えるだろうか。 国民の知る権利のために走っている記者を身動き
できなくする反民主主義的策略だ。
政策広報を担当する一線の実務者にとって、この基準は一種の報道指針であると
同時に業務回避用の口実になるという点で憂慮される。 担当公務員が特定懸案に
関する意見陳述やインタビューなど個別的な取材要請を受けた場合、いちいち政策
広報管理室と事前協議をしなければならないうえ、一方的に‘悪意的’‘歪曲報道
の素地がある’と言い逃れればそれで済むからだ。 政府政策を積極的に知らせる
というよりも、消極的に防御するという発想で、インターネット時代の国民をどう
説得するのか心配だ。
メディアを‘悪意的’見解で‘歪曲財団’とする政府は、結局、国民の知る権利
を侵害する過ちを犯すことになる。 称賛するメディアよりも批判するメディアの
方が国民の声をよく反映しているという点は、過去数十年の歴史からも分かる。
政府は後退する広報政策を考え直す必要がある。