【世界の】南京大虐殺はウソ【常識】15次資料

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514K−K@南京事件資料集
第66連隊の捕虜虐殺命令について議論が行われているということなので、こちらにお邪魔になろうと思ったのですが、ちょっと出遅れたようです。
一応、反論をしてみましょう。

>>155
>114師団127旅団66連隊第1大隊の戦闘詳報につきましては
>、東中野修道著「南京虐殺の徹底検証」第5章争点の解釈(1)で
>、詳しく吟味されています。
>結論としては、「捕虜は全部殺すべし」という旅団命令は、架空の
>命令で存在せず、捕虜の監視護送中の 反抗的な捕虜の処刑を、12
>月末に戦闘詳報を書く段になって、そのような表現にしたものと推
>定される、ということです。

東中野説は、端的に言って第1大隊の連隊命令・旅団命令の捏造説ということです。
同論文を読むとわかりますが、この説を具体的に裏付ける史料は存在しません。
一方、この説は、論理的な矛盾が存在します。【つづく】

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南京事件資料集
http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/
南京大虐殺 論点と検証
http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/aandv/
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515K−K@南京事件資料集:2005/08/11(木) 00:52:00 ID:hNatk7S6
>>514 つづき】
東中野が多く依拠している小宅伊三郎も証言しているように、捕虜を殺害するという行為は、本来的に大隊が独自に行うようなことはあり得ません。
もし、上部組織の意向を無視して捕虜殺害を行った場合、重大な軍紀違反となります。
東中野説では、この軍紀違反行為を隠蔽する為に、旅団命令・連隊命令を捏造したということですが、もちろん、命令を捏造するということも、重大な軍紀違反となります。
つまり、東中野説では、第1大隊は重大な軍紀違反を行ったことになります。

ところが、この重大な軍紀違反行為を行った理由というのが、「暴れだして統制がきかなくなり」「已む無く…処刑」したということです。
もし、捕虜処刑の理由にこのような正当な理由があるならば、どうして、上記のような重大な軍紀違反行為を犯す必要があったのでしょうか?
戦闘詳報には命令を捏造するまでもなく、”暴れだし統制がきかなくなり、已む無く殺害した”旨を書けば何の問題もありません。【つづく】

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516K−K@南京事件資料集:2005/08/11(木) 00:54:37 ID:hNatk7S6
>>515 つづき】

また、第1大隊戦闘詳報は、そもそも連隊に提出するものです。提出する相手である連隊のまったく預かり知らない命令が書かれていれば、命令の捏造であることはすぐバレてしまうでしょう。
このような行為は、非常にリスクが高いものと言わざるを得ません。

このように、東中野説における命令捏造説は、合法的な理由があるにも関わらず、わざわざ命令を捏造するという非常に高いリスクを犯す、一方で、そのリスクを犯すメリットが一つも無いという珍妙な説だと言えるでしょう。

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517K−K@南京事件資料集:2005/08/11(木) 01:15:39 ID:hNatk7S6
>>155
>捕虜の監視は第4中隊に任ぜられたが、中隊長は負傷し、更に中隊長代
>理も負傷し、小隊長代理小宅伊三郎曹長 (小隊長が負傷したため)が、
>中隊長を実際には指揮していた。
> 小宅証言などから状況が推定されています。

小宅証言には、いくつか問題点がありますが、この中隊を指揮していたという点もその一つです。
この点は、阿羅健一「兵士たちの南京事件 城塁」において証言しています。該当部分を引用しましょう。

阿羅健一「兵士たちの「南京事件」 城塁」連載第第19回(『丸』1990年7月号)
十二月十二日、第四中隊の戦力は半減していたが、第一線で戦って
いた第三中隊の右側に進むように命令を受けて、私は第一小隊、第
三小隊、指揮班の計六、七十人を指揮して第三大隊の掩護に向かっ
た。ですから、当時の第四中隊は私が指揮していたことになります


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518K−K@南京事件資料集:2005/08/11(木) 01:16:41 ID:hNatk7S6
>>517 つづき】

実は、小宅伊三郎は、この阿羅インタビュー以前に、栃木新聞「野州兵団の軌跡」(栃木新聞、昭和54年〜55年)にも証言しています。この「野州兵団の軌跡」は後に『野州兵団奮戦記』として出版されています。
この時のインタビューにおいても、上記と同様の場面、つまり12月12日「第三中隊の右側に進むように命令を受け」た場面の状況を証言しています。

高橋文雄『野州兵団奮戦記』(中央通信社、1983年)p268
そのとき、第四中隊は第三中隊の右翼に進出せよとの大隊命令を受
けた。攻撃前進を始めたとたん、中隊は乱戦にまき込まれ、うちの
小隊は中隊主力から孤立した。各個躍進する小隊の先頭に立った私
は、着剣した小銃を握ったまま戦死している戦友を発見した。

【つづく】

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