【極東】北朝鮮総合スレ(旧北朝鮮実況)part916

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298日出づる処の名無し
>>271-273
北に拉致の韓国人漁師、30年ぶり帰国…家族と再開   読売 8月12日 18:31
ttp://news.goo.ne.jp/news/yomiuri/kokusai/20050812/20050812i211-yol.html
 【ソウル=中村勇一郎】1975年に北朝鮮に拉致された韓国人漁師・高明燮(
コミョンソプ)さん(61)が北朝鮮を脱出し、12日、30年ぶりに故郷の韓国
・江原道江陵市で家族との再会を果たした。
 北朝鮮に拉致された韓国人が脱北して帰国するのは2003年5月以来4人目。

 高さんは75年8月、イカ釣り漁船「チョンワン号」で韓国東岸の日本海を操業
中、乗組員30人とともに北朝鮮に拉致された。2000年に韓国に帰国した拉致
被害者が「チョンワン号の乗組員が北朝鮮に拉致され、暮らしている」と証言。母
親が「どうしても会いたい」と、拉致被害者の家族でつくる「拉北者家族の会」に
救出を要請していた。

 高さんは北朝鮮で結婚し、3人の子どもがいたため、当初脱北を拒んでいたが、
家族の会が持ち込んだ携帯電話で母親の声を聞き、帰国する決意をしたという。今
年3月に家族の会の支援で、鴨緑江を渡って中国に脱出。先月20日帰国し、政府
の調査を受けていた。

 再会に立ち会った家族によると、高さんは母親と抱き合って喜び、帰国を待ちわ
びていた母親も「生きて会えてよかった」と、感無量の様子だったという。
299日出づる処の名無し:2005/08/13(土) 08:36:09 ID:owlWDr0Z
>>298
30年ぶりに呼んだ「お母さん」、拉致被害者が帰国   中央日報 08.12 19:36
ttp://japanese.joins.com/article/article.php?aid=66595&servcode=400§code=400
「あまりにもやせていてミョンソップに見えない。 本当にお前がミョンソップか」。
「お母さん…」。
未婚の32歳のとき「お金を稼ぐ」と言いながらイカ釣り船に乗って出ていき、
北朝鮮に拉致されたコ・ミョンソップさん(62)が、12日、故郷の江原道江陵
市注文津邑(カンウォンド・カンルンシ・チュムンジンウップ)の家で母のキム・
ヨンギさん(84)に再会した。
還暦を超えて帰ってきた息子を抱きしめながら、母のキムさんは何度も「夢なの
か現実なのか分からない」と言いながら喜んだ。 コさんは「お母さん、お母さん
…」と呼びながら号泣した。
北に拉致されたコさんは、平安南道成川(ピョンアンナムド・ソンチョン)の養
鶏場で働きながら70年代後半に結婚、息子1人、娘1人の家庭を築いた。
キムさんはその間、息子の生死も知らなかったという。 コさんの兄が7年前に
亡くなってから、母のキムさんはコさんも死亡していると考えて法事を行ってきた。
しかし97年、北側から突然、コさんの手紙1通が届き、家族らは興奮しながら
01年と03年に離散家族の再会を申請したが、政府からの回答はなかった。
拉致被害者家族会がコさんの脱北支援に乗り出し、3月24日、コさんは平安南
道成川を出発、新義州(シンウィジュ)を経由して同月28日、中国丹東に到着し
、北朝鮮脱出に成功した。
コさんは北朝鮮に残してきた家族のことを思い「北に戻る」と主張してきたが、
母のキムさんが強く説得し、7月12日、仁川(インチョン)空港を通じて入国した。
300日出づる処の名無し:2005/08/13(土) 08:37:45 ID:owlWDr0Z
>>271-273>>298>>299
北朝鮮拉致被害者の高ミョンソプ氏、30年ぶりに帰郷  東亞日報 08/13 03:07
ttp://japanese.donga.com/srv/service.php3?biid=2005081323288
ベトナム戦争に出征し1973年に除隊した高氏は、1975年に故郷に戻り、2
度目の漁に出た時、北朝鮮に拉致された。高氏はその後、北朝鮮で結婚し、平安北
道成川(ピョンアンプクト・ソンチョン)の養鶏場で労働者として働いた。高氏の
韓国にいる家族は、北朝鮮に拉致されたという確信はあったが、法的には行方不明
と処理された。
しかし、1997年に仁川(インチョン)で旅館を経営している女性から、「中国
と北朝鮮を行き来して商売をしている弟が、手紙の伝達を頼まれた」と、高氏の家
族に連絡してきた。京畿道富川市(キョンギド・プチョンシ)に住む高氏の妹は仁
川に駆けつけ、兄の手紙を確認した。弟のマンヨン(44)氏は、「手紙に、姉と
私が幼いころ、故郷の家で遊んだ話が詳しく書いてあり、すぐに兄が書いたとわか
った」と、当時を回想した。
高氏の家族は01年と03年に、母親の名前で離散家族の再会を申し込んだが、「
確認不可」という返答を受けた。
家族は、政府に頼ってばかりではだめだと考えて、高氏を韓国に連れてくる計画を
立て、拉致被害者の家族会の崔成竜(チェ・ソンヨン)会長に助けを求めた。
02年6月、ついに高氏を中国の国境地帯まで連れてくることに成功した。家族は
高氏に会うため、母親とともにソウルで待ったが、高氏の北朝鮮脱出は成功しなか
った。その後、高氏の便りはしばらく途切れ、家族は心配していた。
高氏は2度目の北朝鮮脱出を試み、3月24日に成川を発って、同月26日、新義
州(シンウィジュ)に到着、28日に国境を越えて中国丹東に到着した。彼は北朝
鮮脱出後、しばらくは北朝鮮に残した妻と子のことを考えて、「北朝鮮に戻る」と
言い張った。
301日出づる処の名無し:2005/08/13(土) 08:39:12 ID:owlWDr0Z
>>300 つづき
しかし、「お前に会わずには死ねない」という母親の言葉を携帯電話で聞いた高氏
は、同月31日、中国瀋陽の韓国領事館の門をくぐり、家族再会に向けて一歩を踏
み出した。高氏は7月20日にソウルに到着し、関係機関の調査を受けた。
高氏の家族は、「明らかに生存が確認されたにもかかわらず、政府が知らない振り
をしてきたことが許せない」と、これまでの心情を吐露した。
母親の金氏は、「北朝鮮に残した子を心配する息子を思うと、胸が痛む」と、長い
ため息をついた。
同日、高氏の故郷の家には、親戚や住民、00年に帰還した拉致被害者の漁師・李
ジェグン氏、チョンワン号拉致船員の家族、北朝鮮拉致被害者の家族会の会員など
約50人が訪れ、高氏の帰還を祝った。
チョンワン号拉致船員の一人である李へウン(当時20歳)氏の母親のソン・ポン
ニョ(79)氏は、「どうして私の息子も連れてこなかったのか」と泣き、周囲を
沈黙させた。李氏は、「1年だけ船に乗って、金を稼いで高校に通う」と言って、
漁に出た。
また、他の拉致船員チェ・ウクイル(66)氏の夫人ヤン・チョンジャ(65、京
畿道安山市)氏は、「南北の関係がよくなりつつあるので、一日も早く拉致船員た
ちとの再会を進めてほしい」と政府に訴えた。