〓〓外国人参政権〓〓

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618蛆虫の無知を笑う会【蛆虫敗北記念】
蛆虫の主張:
「民主主義の理念は治者・被治者の自同性」だから「被治者たる在日の参政権は認められるべき」というもの。民主主義の理念から演繹して、在日の参政権が自動的に認められるべきだ、というわけだ。
これが蛆虫の屁理屈の大前提となる。この恥ずかしい間違いを前提として、「国籍」や「国民」がど−たらこ−たらと偉そうに語っている。でも、前提が間違ってるのだから意味が無い(笑)。
で、この爆笑理論は、民主主義の本質に遡って議論を展開する私からすれば、ウスラバカの思考停止理論としか言いようが無いものとなる。


私の主張:
民主主義の理念を踏まえつつ、民主主義が歴史的所産であり、歴史的変遷を繰り返すものという本質にも言及して論を展開している。
そうすると、民主主義はどうあるべきかという問題は、その時々の人民が、その時々の社会情勢等を踏まえて、「(例:在日に参政権を認めること)が民主主義の理念に合致するか」という判断をすることによって解決していくもの。
で、在日に参政権を与えるべきか、については、今日の日本においてはそのような社会的合意は形成されていない(※)、という話。

私の主張は民主主義の基本を踏まえた常識的なものであり、蛆虫のような頭に蛆が湧いた救いようの無いウスラバカであっても理解できるはずのものである。
でも、蛆虫は理解できない、という理解しようとしない。
それはどうしてかと言えば、蛆虫は、在日参政権の議論をするときに上記で私が指摘した(※)のような話を避けたい気持ちがあるから。
民主主義の本質からして、本当に大事な議論は、「在日に参政権を与える土壌が日本で形成されたの?」という点にあるのは明らかであるが、こういう話になると、蛆虫にとって都合が悪いわけ(笑)。
在日の凶悪犯罪とか、反日教育の実態、拉致に関与した在日、拉致被害者家族に組織的嫌がらせをする在日、こういう話になっちゃうからね。
「民主主義の理念からして在日に参政権を認めるのは当然。以上。」。これだけ主張していれば都合の悪い話を避けることができる。しかし、この理論のアホさは既に論証済み。