続 小泉外交 1 1/5 3月10日 一面
文中タイトル(大文字) 「横綱相撲を」米に注文
日米関係は今、「戦後最良」と言われている。
だが、米同時テロやイラク戦争への対応など難題も多かった。
「政治の現場」第7部は、日米関係を中心に、再び「小泉外交」を追う。
「一体、何事か」
その時、ブッシュ大統領は目を丸くした。
2002年9月12日夕。ブッシュが定宿とするニューヨークの
ウォルドルフ・アストリアホテルのスイートルームで行われた日米首脳会談の時のことである。
イラク問題に議題が移ると、小泉首相が突然、立ち上がった。
二、三歩前に進み出ると、両手と両足を左右に開いて身構えた。
(太字)「日本には『横綱』という大相撲のチャンピオンがいる。
横綱は自分からは決して仕掛けない。
相手が仕掛けてきた時に、初めて受けて立つのだ」(太字)
米国は当時、大量破壊兵器開発疑惑を抱えるイラクに対し、
武力行使を辞さない姿勢を強めていた。小泉は、超大国・米国を横綱にたとえることで、
イラクへの先制攻撃を自制し、国際協調体制を築くよう促したのだった。
ブッシュは、真剣に耳を傾けた後、「国際協調の重要性は十分認識している」と語った。
「横綱相撲」発言は、小泉が自ら考えた言葉だった。会談後も一切公表されなかった。
同様の光景は7か月前、東京での首脳会談でも見られた。
イラクを「悪の枢軸」と名指しで批判していたブッシュに対し、小泉はこう力説した。
(太字)「大義なき力は『暴力』だ。力なき大義は『無力』だ。
米国には今、力も大義もある。だからこそ、国際協調を追求すべきだ」(太字)
日本側同席者は、「ブッシュの心に響き、かつプライドを傷つけないよう、
首相が自ら考え抜いたフレーズだった」と解説する。
続 小泉外交 1 2/5 3月10日 一面
2001年9月の同時テロ以降、米国は単独行動主義を強めていた。
日本では、イラクへの軍事行動に否定的は世論が少なくなかった。
小泉は、何とか米国に国際社会と協調する道を歩ませられないか、と必死だったのだ。
イラク戦争後の2003年5月23日、
米テキサス州クローフォードでの首脳会談では、こんな例え話も持ち出した。
(太字)「日本には昔、将軍と天皇がいた。将軍は権力を持ち、天皇には権威があった。
米国は今、極めて強大な力を持っているが、イラクの戦後問題は米国だけでは解決できない。
国際協調のため、国連という権威を使うことが必要だ」(太字)
小泉はイラク問題で、野党から終始、「対米追従」などと批判されてきた。
だが、日米首脳会談の未公表部分を追うと、ブッシュに対し、何度も注文や助言を行っていた。
(太字)「米国にはきちんと言うべきことを言わないといけない。君たちもそうだぞ」(太字)
外務省幹部は、こうした小泉の指示を再三受けたという。
米国が国連不信を一段と強める新たな国際情勢の下で、
日本外交の基本である「日米同盟」と「国際協調」の両立をいかに実現するか。
小泉は懸命にもがいていた。
続 小泉外交 1 3/5 3月10日 四面
文中タイトル(特大文字) 国際協調説く親友役
文中タイトル(大文字) イラク問題「3原則」提案 米も耳傾ける姿勢
(見出し、中文字) 国際社会対イラク
2002年8月27、28の両日、東京・麻生台の外務省飯倉公館で第1回の日米戦略対話が開かれた。
竹内行夫外務次官はアーミテージ国務副長官に対し、イラク問題について「3原則」を提起した。
(太字)一、まず外交的な解決を目指し、全力を尽くすことを忘れてはならない。(太字)
(太字)一、「米国対イラク」でなく、「国際社会対イラク」の構図にする。(太字)
大量破壊兵器開発の問題を国連安全保障理事会に付託し、国際社会と連携すべきだ。
一、仮に米国がイラクを攻撃してフセイン政権が崩壊した場合、中東が不安定化しかねない。
(太字)穏健で民主的な国家を作る「ザ・デイ・アフター」(戦後)の青写真を考えるべきだ。(太字)
米国にとって、耳障りな注文とも受け取れる内容だった。
しかし、知日派の代表格であるアーミテージは、むしろ歓迎した。
(太字)「日本のメッセージはよく分かった。
まさに我々も国際社会との協調に努力しているところだ」(太字)
アーミテージら国務省幹部は当時、イラク問題で国連安保理決議の採択を目指していた。
単独攻撃も排除しない構えの国防総省とは、激しい路線闘争をしていた。
アーミテージは会談後、直ちに竹内の発言内容をホワイトハウスに伝えた。
同盟国の助言として、ブッシュ大統領を説得する材料に活用するためだ。
この時、ブッシュは国務省に軍配を上げた。当時は、国際協調路線を取ることを決断したのだ。
続 小泉外交 1 4/5 3月10日 四面
(見出し、中文字) アドリブ演説
戦略対話の約2週間後。9月12日のブッシュの国連演説の前日、
ニューヨーク入りしたパウエル国務長官はワシントンのアーミテージに弾んだ声で電話した。
(太字)「今、大統領と一緒だ。大統領は演説で新決議に言及することを了承した」(太字)
ところが、当日、ブッシュが演説時に見るプロンプター(透明板に原稿を映す機器)の文章には、
なぜか決議部分が欠落していた。ブッシュは、とっさのアドリブで、
(太字)「我々は安保理とともに必要な決議を用意する」(太字)
と述べた。パウエルらは「心臓が止まる思いがした」という。
この年の11月8日には、
イラクに大量破壊兵器査察の全面的受け入れを迫る米英提案の国連決議1441が採択された。
アーミテージは12月の第2回戦略対話で、竹内を最大限持ち上げた。
(太字)「新決議の採択は、8月の戦略対話が大きな転機となった。
米国はあなたの試験に合格したでしょ」(太字)
(見出し、中文字) 大義は国連
その後も、日本は様々なレベルで米国に国際協調を働きかけた。
イラク戦争直前の2003年2月7日、川口外相はパウエルとの電話会談で訴えた。
(太字)「世界が『ブッシュ対フセイン(イラク大統領)』の構図と見ることは、物事の本質ではない。
本当の構図は『大量破壊兵器疑惑があるイラク対国際社会』だと、
世界に理解してもらう努力が必要だ」(太字)
この年11月、対イラク強硬派で知られるラムズフェルド米国防長官が来日した時には、
小泉自らが国際協調の重要性を説いた。
(太字)「物事には大義が必要だ。日本では幕末のころ、倒幕派が天皇を『錦の御旗』とすることで
民衆の支持を得ようとした。米国も国際協調を尊重し、国連を大義にすべきだ」(太字)
小泉は「大義」という言葉をことのほか気に入っていた。
会談前、通訳に「大義」の英語訳を尋ね、
「そうか。グレート・コーズ(great cause)と言うのか」と深くうなずいた。
続 小泉外交 1 5/5 3月10日 四面
(見出し、中文字) 米英同盟と日米同盟
もっとも、日本の一連の働きかけが米国に実際に与えた影響は限定的だった、との見方も少なくない。
イラク戦争前には、英国も米国に国連決議の採択を求めていた。
英国内で戦争に反対する世論が強かったためだ。
ともにイラク戦争を戦う英国の主張を米国がより重視していたのは、言うまでもない。
実際、2002年9月12日の国連演説で「ブッシュが新決議に言及する」
との第1報を外務省が入手したのは、米国ではなく、英国経由だった。
9月7日の米英首脳会談の内容を在英日本大使館員がブレア首相周辺から聞き出したのだ。
(太字)「日米同盟は米英同盟をモデルとすべきだ」(太字)
2000年10月のアーミテージ報告はこう提言するが、憲法上の制約を持つ日本が、英国並みの同盟国となるのは簡単ではない。
(敬称略。肩書は当時)