>>892 別の意味で勇ましいな
漏れの祖父の義兄は、広島で被爆
100キロ離れた実家まで戻ってきて3日後他界
そのときの話や写真を見て育ったので、心情的に核だけは認められん
周囲の国がきな臭いから仕方ない部分もあるとは思うがな
894 :
日出づる処の名無し:04/12/01 21:16:22 ID:0hE+YbCa
>>893 被爆者の方の経験には今の僕らには想像できないものがあると感じているが、核兵器の怖さを知っているからこそ
核保有に踏み切るということもありだと思うが?
父方のジーちゃん、徴兵されて中国に行ってたらしい
戦争のことはあまり話してくれなかったな・・・・
て言うか話したがらなかったな
母方のジーちゃん、陸軍に入隊するも根室で終戦
「後少し遅かったら千島のどこかの島で確実に死んどったな」
って笑ってた、あと
「グラマンに鉄砲(小銃?)撃ってやったが、あら、当たらんな」ていってた
父方ジーちゃんの弟はニューギニアのビアクってとこで餓死したらしい。
ジーちゃん達ご苦労様、つらいこと一杯あったかと思うと素直にそう思うよ
897 :
日出づる処の名無し:04/12/01 22:56:32 ID:sG2aFb+m
大陸に行った父方の爺さんは「食料調達係り」だったと冗談交じりに話してくれます。
戦争中の話も食べ物の話が多く
飯盒の中に食用蛙を隠していたのが、夜中に蛙が鳴いてばれてしまったり。
ふんどし一つで蓮根を掘りに行って敵兵に穴を撃たれたり(勲章をもらったそうですw)
卵を盗んでる時に飛び出てきた中国人の婆さんを銃剣で突いてしまったり(さすがにこの話のときは泣きそうな顔をしていました、驚いて思わず刺してしまったそうです)
特に食料に困っていたわけではなかったそうですが、毎日乾パンとかでは飽きてしまうそうです。
南京攻略にも参加して「中国の人には悪いことをした」といってる爺さんですが、
うちの食器棚には満期除隊のとき大陸から持ってきたという食器がいくつかあります。
>574
祖父は双方とも日本人です。
満州国軍では「佐官」を「校官」と称しており、中校は中佐に相当します。
祖父の葬儀のときにまさか中国から弔電が届くとは思わなかった。
発信者は愛新覚羅溥傑その人。
899 :
九州男児@鄭成功生誕之地:04/12/01 23:06:07 ID:o9khyOJ9
>>892 君には本当に申し訳ないが、そんなやつにはマジでくたばれって思って
しまう。
>>898 げ〜っ!!溥儀の弟君。確かこの人は大行だったんだよね。
学徒動員で、船に乗ってたらしい。で、船が沈められて海を漂ってたらしい。
お疲れ様です。
あのときの犠牲になった人のお陰もあって今の日本があるわけだね。
>>892 本当かもよ。
朝鮮人は、戦時中は日本人として戦地に派遣されたんだからな。
うちの爺さんは将校として潜水艦に乗り、ミクロネシアへ
行っていたらしい。
海軍での生活、当時の呉の街、狭くて蒸し暑い潜水艦の内部、
戦艦・・・幼少時から色々と教えてもらった。
83歳で亡くなるまで、雑誌「丸」を毎月欠かさず読んでいた・・・
>>901 お前のその台詞は神風特攻で死んでいった朝鮮の方々を冒涜することにもなる
>>570 うちの親もそう。両親は対岸に、「日本で一番西にある駅」があった島
の生まれ。戦中も戦後も食生活に戦争の影響は感じられなかったそうだ。
ところでうちの爺さんは2人とも戦争には行っていない。
丁種合格くらいだったんじゃないか。
スレタイと違うが…。
母の話では海岸に兵隊さんや民間人の死体が、しょっちゅう流れ
着いてたらしい。漁網にもよく引っかかったそうだ。
母は子供だったので大人が近づくのを許さなかったそうだ。
(腐乱死体を近くで見たかったってことか?)
いつも、大人たちが丁重に埋葬していたようです。
村にはラジオが1台きり。玉音放送の次の日にはお墓の前で
号泣する人が何人かいたそうです。
905 :
日出づる処の名無し:04/12/02 00:20:40 ID:xRciA9LW
父方の祖父の兄は朝鮮か東北のほうにいたんじゃないかな。戦後シベリアに抑留されてたから。帰ってきたとき赤化思想が入ってて、赤狩りにあって仕事をなくしたことがあったそうな
906 :
日出づる処の名無し:04/12/02 00:23:46 ID:QWhYjtmq
舞鶴の海軍兵学校で終戦
907 :
Dr.NO:04/12/02 00:25:32 ID:nq9bKxBJ
>>905 はっきり満州といってくれよ。
日本の東北にいてなんでシベリア?と思っちゃったよ。
908 :
日出づる処の名無し:04/12/02 00:44:23 ID:H1sqWcCg
うちのじいちゃん(母方)は鉄工所勤務していたので、徴兵はされなかったそうな・・・
父方のじいちゃんは戦死なんだけれど、どこで戦死したのかは聞いていない、
ただ親父が樺太で生まれて本土に引き上げてきたっていう事は聞いた。
909 :
日出づる処の名無し:04/12/02 00:46:13 ID:rwXHqWC9
>>892 へー。やっぱそういうの多かったんだね。
うちの父方の、ひい爺ちゃんが満州に遠征したときも、
毎日現地人の娘をサラって輪姦したあと、殺して埋めてたそうだから
どこでもあったんだなぁ。こら恨まれて当然だわな。
日本兵ってとんでもなく野蛮で無軌道なんだね。
910 :
日出づる処の名無し:04/12/02 00:48:39 ID:H1sqWcCg
>>909 その日本兵には君の同胞も入っていたんだから、
脊髄反射のレスはやめておこうね。
911 :
日出づる処の名無し:04/12/02 00:53:10 ID:kF7eu4nS
サンタマリア島で轟沈。
正確にはばーちゃんの弟。
後継ぎが亡くなったのでばあちゃん旦那が亡くなったついでに帰郷して家を継ぐ。
そんな苦労をして継いでくれた家が私のせいで存続の危機。・゚・(ノд`)・゚・。
書きこんでから眺めてみれば
なんか半島の工作員みたいなのが多いな・・・・・
>>895 俺の爺さんも戦争中のことをあまり話したがらなかった。
戦争の話を聞こうと思って話を振るといつも同じ話で、
満州で真っ暗闇の中、敵に見つかりそうになり、穴(塹壕?)の中に隠れてやり過ごした時のこと。
敵は隣の穴まで確認にきて、爺さんが隠れていた穴まできたら召集がかかって去っていったそうだ。
俺が小学生くらいのときはわくわくしながら聞いていたが、今思えばとんでもない緊張感だったんだろうなと。
あの時見つかっていたら俺もいなかったんだもんな。
余談だけど、父方の祖父・祖母ともに農家だったので戦時中でも食べ物には困らなかったらしい。
TVや本でよく聞く戦時中の話とかでは食べ物に困って・・・。
ってのが多いからこの話を聞いたときはちょっと驚いたなぁ。
身近に実体験者がいたのに最近まで事実を知らなかったんだから恥ずかしい。
915 :
日出づる処の名無し:04/12/02 09:58:30 ID:k1ubzlmt
>>913 田舎の農家の人は食料に困った事なんて無かったらしいよ。
疎開してきた人にお金や宝石と食料を交換してあげたとか聞いたよ。
田舎の子供はm疎開してきた女子たちがあまりにも自分の周りの女と比べて
綺麗なのでびっくりしたらしい。
916 :
日出づる処の名無し:04/12/02 10:14:04 ID:jz+uhZ19
>ウチの爺ちゃん、フィリピンに派遣されたけど、
毎日現地人レイプして歩いたって。
だから、おまえの親戚がフィリピンにはたくさん
おるかもしれんぞ!カハハハと笑ってた。
死ねばいいと思った。
でも、レイプされて生まれたという人は、聞かないな。ベトナムには韓国兵の
レイプによって生まれた混血児が結構いるけど。
917 :
日出づる処の名無し:04/12/02 10:27:33 ID:HyoIWgoJ
北支のピー屋ではやりたくてやりたくてしょうがない
長蛇の兵隊たちがズボンずりさげて順番を待っていた。
中には堪らなくなって柱に抱きついてピストン運動し出す奴も・・・
北京で現地応召した小父さんの話し。
しょうがないと諦観したものの、あまりに浅ましい風景だった
としみじみ語ってくれた。
人間だから性欲処理の問題は永遠の問題だし、まして異国に
侵攻・駐留展開する軍隊の性処理は難問中の難問。
アメリカに占領され、それまで鬼畜扱いの米兵に股開いたパン助が
群がった日本は、占領しやすい国だったんだなあ。
うちの爺ちゃんは中学(旧制)時代は陸上の選手で、会社に入ってからは相撲部に入って相撲
ばかりとっていたそうです。食い物も家が農家で米をたらふく食っていた。
爺ちゃんは次男坊で形だけ東京の親戚の養子に入っていたので(一人だけ兄弟と苗字が違った。)、
東京で兵隊検査を受けた。その頃は東京ではもう食糧事情が悪くなっていて、検査に来た連中は
もともと都会人でひ弱そうなうえにヒョロヒョロ痩せているのが多かった。
爺ちゃんはその中で目立ち、検査の後まえに出されて「日本男児たるもの、お国にご奉公しよう
というならこういう体をしていなければならない。」と褒められたそうです。
もちろん甲種合格。即入営。「俺は現役兵だから」というのが爺ちゃんの自慢です。
検査の話で面白かったのが痔の検査。軍医の前で回れ右してケツを突きだして肛門を見せる
そうだが、爺ちゃんの前の奴が朝ケツをよく拭いてこなくて糞が付いていたので、軍医に
顔が腫れ上がるほどぶん殴られたそうです。
軍隊の訓練もなんてことなかったと言っていました。
それについてはまた今度。
919 :
日出づる処の名無し:04/12/02 10:37:48 ID:jYrNoVuR
やっぱ甲種合格ってのは大都市じゃないところでは一人前の男の
証みたいな扱いだったのかね。
>>917 >それまで鬼畜扱いの米兵に股開いたパン助が
>群がった日本
これはどうかと。
素人に手を出されないように玄人さんが頑張ったのが本筋ではないかと。
921 :
日出づる処の名無し:04/12/02 11:02:42 ID:k1ubzlmt
>>920 ばぁちゃんは普通の田舎の娘だったけど
アメリカの兵隊さんは人気あったみたいだよ。
ベッカムが好きなのと一緒な感じらしい。
汽車に乗って、席を譲ってくれたり優しくてびっくりしたらしい。
922 :
日出づる処の名無し:04/12/02 11:05:42 ID:j68RWa1E
随分玄人さんがいたんだね。
日本人女性のそこらへんに関しての嗅覚はかなり洗練されてると思うな。まあ、自嘲交じりだけど
>>919 なんかこいつ自分の体格にコンプレックスありそう(W
927 :
日出づる処の名無し:04/12/02 12:53:02 ID:OSE3c1z4
うちのおじいちゃん(明治43年生れで雑誌の編集やってた)は若い頃から共産党員だった。特に戦時中は憲兵や特高どもにマークされて色々と大変な思いをしたと親から聞いた。
亡くなるまで生粋の左翼だったよ。
928 :
日出づる処の名無し:04/12/02 13:30:40 ID:PZJvt42G
>>892 >>909 お前らの言うことがもし本当なら、ジイサンたちに人間的欠陥があるな。
どこの祖父が、孫にそんな話する?
「オレが強姦した」「殺して埋めた」
いくら戦場だといっても、まともな人間なら死ぬまで秘密にして、墓場に持っていくはず。
ということで、ネタに決定。
ホロン部はやることが単純で笑えるね(w
930 :
日出づる処の名無し:04/12/02 14:17:20 ID:QWhYjtmq
931 :
日出づる処の名無し:04/12/02 14:39:35 ID:/o7saP9I
>>922だが
東京周辺でも福生、横須賀、六本木辺りでは
今もぶら下がりをいっぱい見かけるが
あれも玄人と考えていいの?
>>929 でも、このスレはマジメな人が多いから・・・(ry。
933 :
日出づる処の名無し:04/12/02 16:30:22 ID:jz+uhZ19
米軍の評判がよかったのは、GHQの検閲制度と情報操作のせい。結構凶悪犯罪
が起こったけど殆ど報道される事も無かったし、被害者も泣き寝入り状態だった。
934 :
市民派護憲教師 ◆3grbnDCXXQ :04/12/02 16:33:32 ID:boeaqUtR
日本軍よりはマシですよ。
>>934 うむ、確かに君よりははるかにましだろうな。
936 :
日出づる処の名無し:04/12/02 17:25:42 ID:8v1dXN4o
>>934 性同一性障害者を「変態」と呼び、「収容」しろと唱える貴様よりは
はるかにマシだろうなぁ。
もう、「ら抜き言葉」以外で書き取りができるように成ったのか、差別教員よ。
かまって君キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
>>936 このセンセは教師じゃないですよ。ただのかまって君です。
元祖のセンセがいなくなった後で出てきた荒らしです。
939 :
市民派護憲教師 ◆3grbnDCXXQ :04/12/02 18:16:52 ID:boeaqUtR
>>936 しつこいですな。私は性同一性障害は百歩譲ってあげて、変態とは言いませんでしたよ。あなたのようなオカマやホモが『変質者で変態で異常性欲者』だと述べただけですね。社会を守るためには収容は妥当な措置です。
自分の爺様二人の事は以前に書いたので今回は高校の先輩について。
もう20年も前のこと、高校の卒業式の後に同窓会名簿が配られました。
家に帰ってつらつらと眺めていると、旧制中学時代の一学年全員がそれほどの
年齢でもないのに全員物故者でした。
最終卒業校と現住所等の欄には、海軍兵学校・比島沖戦死などと、全員が軍関
連の学校と戦死した地域(一部「諸事情により不明・戦死」の記述あり)が記され
ていました。
個人的な感想は省略しますが、その後、色々と考えを新たにして防府に航空学生
として着任しました。責任感ある航空機搭乗員となろうと。
かまって君こと、市民派先生が登場か。
このスレが、ほっとけないほどの良スレである証拠だな。w
祖父が所属していた隊は20人いたらしい。
で、その生き残りは俺の祖父だけ。
首の下あたりに銃で撃たれたあとがある。