佐久間艇長の遺言全文
明治四十三年四月十五日、第六号潜水艇は潜航演習のため山口県新湊沖に進出、
午前九時三十分母艇暦山丸を離れ、午前十時前ガソリン潜航演習を開始した。
しかし、間もなく艇に故障が発生、浸水のため沈没全員殉職した。
ガソリン潜航とは、現代のスノーケル潜航のようなもので、海面上にパイプを出し、
空気を取り入れながらガソリンエンジンにより航行するという、
当時としては斬新な発想であり、同艇はこれを試験中であった。
この種の事故の際、引き揚げた艇内は阿鼻叫喚の状況を呈していたのが
諸外国の例に見られたが、第六号潜水艇の場合は、
総員整然と持ち場に就いたままの姿で発見された。
そのため世界的に大きな反響を呼び、各国の潜水学校では
現在も尊敬すべき潜水艦乗りの姿として教育されている。
以下に、同艇艇長佐久間勉大尉が艇内に於いて死の直前まで書き続けた
遺書の全文を掲げる。
佐久間艇長遺言
小官の不注意により陛下の艇を沈め部下を殺す 誠に申し訳なし。
されど艇員一同死に至るまで皆よくその職を守り沈着にことを処せり。
我等は国家のため職に斃れしと雖も唯々遺憾とする所は
天下の士はこれを誤り以って将来潜水艇の発展に
打撃を与ふるに至らざるやを憂ふるにあり。
希くば諸君ますます勉励以ってこの誤解なく将来潜水艇の発展研究に
全力を尽くされんことを。さすれば我れ等一も遺憾とするところなし。
沈没原因
瓦素林潜航の際過度深入せしため「スルイスバルブ」をしめんとせしも
途中「チェン」きれ依って手にて之れをしめたるも後れ後部に満水せり。
約二十五度の傾斜にて沈降せり。
沈据後の状況
一、傾斜約仰角十三度位
一、配電盤つかりたるため電灯消え、電纜燃え悪瓦斯を発生呼吸に困難を感ぜり。
十五日午前十時沈没す。この悪瓦斯の下に手動ポンプにて排水に力む。
一、沈下と共に「メンタンク」を排水せり、灯消えゲージ見えざれども「メンタンク」は
排水し終われるものと認む。電流は全く使用する能わず、電液は溢るも少々、
海水は入らず「クロリン」ガス発生せず唯々頼む所は手動ポンプあるのみ。
(后十一時四十五分司令塔の明りにて記す)
溢入の水に浸され乗員大部衣濕ふ。寒冷を感ず。
余は常に潜水艇員は沈置細心の注意を要すると共に大胆に行動せざれば
その発展を望む可からず、細心の余り萎縮せざらんことを戒めたり。
世の人はこの失敗を以って或いは嘲笑するものあらん。
されど我れは前言の誤りなきを確信す。
一、司令塔の深度計は五十二を示し排水に勉めども十二時迄は底止して動かず、
この辺深度は十尋位なれば正しきものならん。
一、潜水艇員士卒は抜群中の抜群者より採用するを要す、かかるときに困る故。
幸ひに本艇員は皆よく其職を尽せり、満足に思ふ。
我れは常に家を出づれば死を期す。されば遺言状は既に「カラサキ」引出の中にあり
(之れ但私事に関すること、いふ必要なし、田口、浅見兄よ之れを愚父に致されよ)
公遺言
謹んで陛下に白す
我部下の遺族をして窮するものなからしめ給はらんことを、
我が念頭に懸るもの之あるのみ。
左の諸君に宜敷(順序不順)
斉藤大臣 島村中将 藤井中将 名和少将 山下少将 成田少将
(気圧高まり鼓膜を破らるる如き感あり)
小栗大佐 井出大佐 松村中佐(純一) 松村大佐(竜) 松村少佐(菊)(小生の兄なり)
船越大佐 成田鋼太郎先生 生田小金次先生
十二時三十分呼吸非常にクルシイ
瓦素林ヲブローアウトセシシ積モリナレドモ、ガソリンニヨウタ
中野大佐
十二時四十分なり
佐久間艇長の遺言全文
http://homepage2.nifty.com/12kan/sakuma.htm
なぜ、航空自衛隊のパイロットは「ベイル・アウト(緊急脱出)」を二回叫んだのだろうか。
平成十一年十一月二十二日午後、航空自衛隊入間基地所属のT33ジェット練習機が
埼玉県入間川の河川敷に墜落した際、東京電力の高圧送電線を切断し、
東京・埼玉の約八十万世帯で停電となった事故で
死亡した二人の乗員と管制塔との交信記録が示す疑問である。
今年四月、空自の事故調査委員会が発表した調査結果によると、
パイロットは「ベイル・アウト」を通報した後、十三秒後にもう一回、同じ言葉を叫んでいた。
航空自衛隊関係者は「いったん脱出しようとしたが、
さらにもうちょっと頑張ろうとしたためではないか」とみる。
事故当時、私立狭山ケ丘高校(埼玉県入間市)の校長、小川義男さん(六七)は、
国道16号を車で移動中、突然、停電で信号機が消え、
白バイなどが大急ぎで走り去る中、立ち上る白煙を見た。
その後、校長仲間である私立西武文理高校の佐藤英樹校長が
「あのジェット機は私の学校の上を飛んで河川敷に飛び込んでいった」
と小川さんに語った。
おそらく、最初に「ベイル・アウト」を叫んだ後、航空総隊司令部所属、
門屋義広・三等空佐(四八)と航空幕僚監部人事教育部所属、中川尋史・二等空佐(四七)
の目に映ったのは、住宅街、さらにはそこに点在する
狭山市立柏原小、中学校、西武文理高だったのだろう。
事故機を十三秒間操縦し、住宅地を避けるように東側に進路をとり送電線に接触する直前、
緊急脱出した経緯を事故調査結果はこう記述する。
「継続して操縦し続け、安全な脱出に必要な高度および速度の余裕を失った。
その結果、緊急脱出の際、機体が前のめりになり、
適正な脱出姿勢がとれず、首の骨を折った」
墜落現場から住宅街までわずか五十メートル。
小川さんはパイロットの犠牲的精神をたたえずにはいられなかった。
昨年十二月一日号の生徒・父母向けの学校通信『藤棚』に思いをつづった。
「彼らは、助からないことを覚悟した上で高圧線にぶつかるような
超低空で河川敷に接近しました。
そうして他人に被害が及ばないことが確実になった段階で、
万一の可能性にかけて脱出装置を作動させたのです。
死の瞬間、彼らの脳裏をよぎったのは、家族の顔でしょうか。
それとも民家や学校を巻き添えにせずにすんだという安堵感でしょうか。
他人の命と自分の命の二者択一を迫られたときに、
迷わず他人を選ぶこの犠牲的精神のなんと崇高なことでしょう」
小川さんはさらにこうも訴えた。
「愛の対象を家族から友人へ、友人から国家へと拡大していった人を英雄と呼ぶのです」
自衛隊機墜落
http://www.nomusan.com/~essay/essay_06_tsuiraku.html
大西の最期は壮絶なものであった。
官舎で腹を十文字に切り裂き、頚動脈と胸を刺して自害したものの、
まだ息があった。友人の児玉誉志夫らがかけつけた時は腸がとびだしており
苦悶の表情を浮かべていた。だが大西は介錯を拒んだ。
「これでいいんだ。送り出した部下との約束が果たせる・・・」
そして苦しみの中、笑みを浮かべながら絶命した。
遺言
特攻隊の英霊に曰す。
善く戦いたり、深謝す。最後の勝利を信じつつ肉弾として散華せり。
然れどもその信念は遂に達成し得ざるに至れり。
吾れ死を以て旧部下の英霊とその遺族に謝さんとす。
次に一般青壮年に告ぐ。
我が死にして、軽挙は利敵行為なるを思い、聖旨に添い奉り、
自重忍苦する誡めとならば幸なり、
隠忍するとも日本人たるの矜持を失うなかれ。
諸子は国の宝なり。平時に処し、猶を克く特攻精神を堅持し
日本民族の福祉と世界人類の和平の為、最善を尽されよ。
海軍中将 大西滝治郎 命
http://www004.upp.so-net.ne.jp/kuhiwo/dazai/oonishi.html
∧_∧
(,,゚ー゚)ノシ 新スレヨロ!
拾いモノコピペですが・・・こんなんでもOK?
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多分、雑談スレで拾ってきた話!
2年前旅行先での駐屯地祭で例によって変な団体が来て私はやーな気分。
その集団に向かって一人の女子高生とおぼしき少女が向かっていく。
少女「あんたら地元の人間か?」
団体「私達は全国から集まった市民団体で・・・云々」
少女「で、何しにきたんや?」
団体「憲法違反である自衛隊賛美につながる・・・云々」
少女「私は神戸の人間や。はるばる電車のって何しにここまで来たかわかるか?」
団体「・・・・?」
少女「地震で埋もれた家族を助けてくれたのはここの部隊の人や。
寒い中ご飯作ってくれて、風呂も沸かしてくれて
夜は夜で槍持ってパトロールしてくれたのもここの部隊の人や。
私は、その人たちにお礼を言いに来たんや。
あんたらにわかるか?
消防車が来ても通り過ぎるだけの絶望感が。
でもここの人らは歩いて来てくれはったんや・・・・」
最初、怒鳴り散らすように話し始めた少女は次第に涙声に変わっていった。
あまりにも印象的だったのではっきり覚えている。
団体は撤退。
彼女は門をくぐった時に守衛さんが彼女に社交辞令の軽い敬礼ではなく直立不動のまま敬礼していた。
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泣ける話ではないかもしれませんが… 私がホテル勤めをしていた頃の話。
ある披露宴、新郎が海自の方でした。同僚上司達は制服で出席。
披露宴も御披楽喜に近づき、新郎のおじいさんの挨拶がありました。
一通りの祝いの言葉の後に、
自分が海軍にいた事。孫が艦に乗っている事を誇りに思う事。
自分達の世代の不甲斐なさのせいで今の海上勤務の方達には苦労を
掛けていると思う事。
たとたどしくですが話されました。
同僚達は知らなかったらしく酔っ払っていたのが、段々背筋が伸びていき
神妙に聞き入っていました。挨拶が終わり高砂の席の一人が「何に乗っておられたのだ」
と尋ねると、新郎は小声で「大和です」
それを聞いた海自組一同すっ転ぶような勢いで立ち上がり直立不動で敬礼を送りました。
おじいさんも見事な答礼を返されました。
私はその後は仕事になりませんでした。
ウェイトレスの女の子達は不思議そうな顔をしておりましたが。
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昭和30年5月、ソ連のハバロフスク強制労働収容所へ連行され、強制労働させられて
いた日本人捕虜達のところに、社会党の野溝某代議士他5名が訪れ、代議士らは彼らに
「諸君らの帰還について、できる限りのことをする。」
と話をした。
それを聞いた日本人捕虜達は
「我々は、帰りたいのはやまやまだが、北方領土と我々の帰還を交換条件にするような
ことだけは、断じてしてくれるな。」
と頼んだという。
「たとえ身は異国の土になろうとも、不正に寸土も奪われてはならない」
これが敗れたりとはいえ、日本人捕虜達の共通の願いであった。
>>10 勿論OKです。
>>10-11 やはり自衛隊関係の話は、ジーンときます。
その光景が目に浮かんでくる。
>>12 この気概!
帝国軍人には、ただただ尊敬するのみです。
>>12に似ているけど・・・
「ソ連はわれわれを人質にしている。(日ソ国交回復交渉で)われわれのために
国策を曲げるようなことは避けて欲しい。われわれは帰国の望みを捨ててでも
日本の国に損害を与えたくない。そう政府に伝えて欲しい」
昭和30年9月、シベリア抑留者の代表による演説です。
歴史の教科書ではなぜか重要であるにも関わらず深くは取り上げませんが、
通称「玉音放送」と言われる『終戦の詔書』をというものがあります。
以下は産経新聞による現代語訳です
ttp://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/hondana/hondana990817.htm 私は日本とともに終始、東亜の植民地解放に協力した友好国に対して申し訳ないと思わざるを得ない。
日本国民で戦場で死亡し、職場で殉職し、思いがけぬ死を遂げた者、またその遺族のことを考えると
全身が引き裂かれる思いだ。さらに戦場で負傷し、戦災にあい、家や職場を失った者の再起については
私が深く心配するところである。思うにこれから日本の受けるであろう苦難はいうまでもなく、大変なものになる。
国民のほんとうの気持ちも私はよく知っている。しかし、私はこれから耐え難いことを耐え、
忍び難いことを忍んで将来のために平和を実現しようと思う。
私はここに天皇が存在する国の在り方を守り通して、あなた方忠義で善良な国民の真心を信頼し、
いつも国民とともにある。もし、感情的になって争いごとを構え、国民同士がいがみあって、
国家を混乱に陥らせて世界から信用を失うようになることは私が最もいましめたいことだ。
どうか、団結して子孫ともども固く神の国である日本の不滅を信じ、道は遠いが責任の重大さを自覚し、
総力を将来の建設のために傾け、道義心や志、操を固くして、日本の栄光を再び輝かせるよう、
世界の動きに遅れないように努力しなければならない。
国民の皆さん、どうか私の気持ちを汲んで理解して欲しい。
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先帝が予想した通り
「もし、感情的になって争いごとを構え、国民同士がいがみあって、
国家を混乱に陥らせて世界から信用を失うようになることは私が最もいましめたいことだ。」
という事が現実に何度も起こっていて、しかもそれらの勢力は「日本の栄光を再び輝かせる」なんて事は
全く思っていません。逆に「日本の栄光が二度と来ない」様に暗躍してる様に見えます。
日教組が太平洋戦争を負の面でしか総括せず、終戦の詔書も教えないのは当然なのでしょう。
【地政学名言集】
一、隣接する国は互いに敵対する。
二、敵の敵は戦術的な味方である。
三、敵対していても、平和な関係を作ることはできる。
四、国際関係は、善悪でなく損得で考える。
五、国際関係は利用できるか、利用されていないかで考える。
六、「優れた陸軍大国が同時に海軍大国を兼ねることはできない(その逆も然り)」
七、国際政治を損得で見る。善悪を持ちこまない。
八、外国を利用できるか考える。
九、日本が利用されているのではないか疑う。
十、目的は自国の生存と発展だけ
十一、手段は選ばない
十二、損得だけを考える。道義は擬装である。
十三、国際関係を2国間だけでなく,多国間的に考える。
十四、油断しない
十五、友好,理解を真に受けない
十六、徹底的に人が悪い考えに立つ
十七、科学技術の発達を考慮する
「国家に真の友人はいない」 キッシンジャー
「隣国を援助する国は滅びる」 マキャべリ
「我が国以外は全て仮想敵国である」チャーチル
なんだかなぁ・・・国旗掲揚の意味を勘違いしてるとしか。。。>複数国旗掲揚
そもそも壇上正面に日本国旗と校旗を掲げるのは、国の税金で義務教育を
受けさせてもらったこと、(高校だって公立なら助成金でてるんだし)
校旗は勉強を教えてもらった学校、そして恩師に敬意を表するためにあるもんだろ。
生徒に対して「君たちが卒業できたのは日本国と学校、先生のおかげ、
自分ひとりで何事もできるとは思わない謙虚な心を持とう」
という気持ちを持たせるためにあるものだと思う。
たとえ国籍は違っても、日本国の義務教育の恩恵を受けて
勉学できたんだから、卒業式くらい日本国に敬意を表してもいいだろ。
だれも永遠に日本に忠誠を誓えなんて言ってるわけじゃないんだから・・・
---------
卒業式に国旗を掲げるのは
日本国に対して「教育を受けさせてもらって卒業できました。ありがとうございます。」
という感謝の気持ちで敬意を表するために掲げるもんだと思う。
これは校旗を掲げるのも同じ。学校に対し「勉強させてもらってありがとうございます。」
という感謝の気持ちをこめるべき。
それと生徒の中に外国人がいるからとかいうのは別問題であって、
外国籍の子供であろうと、日本国の税金で教育を受けさせてもらっているのだから
国旗や校旗に敬意を表するのは当然。そういう意味をきちんと子供に教えるべき。
校長としては粋な計らいのつもりだろうが、根本がずれていると思われ。
そういうのは式の後の謝恩会みたいな場でやるべきでは。
教育を受ける権利だとか国としての教育を受けさせる義務だとか
「権利は与えられて当然」みたいな思考の子供にすべきではない。
人間は一人だけで生きているのではなく、親がいて先生がいて
社会の人々がいてそして国家があって「生かされている」ということ。
そういうのを教えないから、成人式で暴れるDQNみたいなことが起こるんだと。
せっかくなのでアサヒが卒業式の日の丸掲揚反対について突っ込まれたときの各社社説コピペ。参考にどうぞ。
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
キョーセイ スルナ!!(@Д@#) < 卒業式で日の丸を掲げるな、君が代を歌うな、
φ 朝⊂) | などと言っているのではない。
/旦/三/ /| | 処分という脅しをかけて強制するのは行きすぎだ
|思想及び ̄| .| | と主張しているのだ。
|良心の自由|/ \_______
_________
∧_∧ ∬ /
ミ,■Å■ノ,っ━~ < 教師が卒業式で起立を拒否するのは、高校野球の開会式で、
_と~,,, 読~,,,ノ_. ∀ │ 運営に当たる大会役員が国旗に背を向けるのと同じだ。
.ミ,,,/~), .| ┷┳━ | 許されることではない。
 ̄ ̄ ̄ .し'J ̄ ̄|... ┃ \_________
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ .┻
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( *・ー・)彡< 学校の入学式や卒業式は、教育の場にあっては大事な節目であり、
⊂ 産 つ | 欠かすことのできないけじめである。
人 Y | その儀式に立つ教師はもはや私人ではなく、れっきとした“公人”である。
し (_) | 自分勝手な甘ったれは許されないのだ。
\_____________________
なぜか朝日に追い討ちw
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
アサピー ヲ (´m` ) < 教師については政府は、国旗・国歌法制定時から
タスケニ…. φ毎 ⊂) | 「国旗・国歌の教育指導は教職員の責務であり、従わない場合は、
/旦/三/ /| | 地方公務員法に基づき懲戒処分を行うことができる」としてきた。
|不毛な ̄ ̄| .|●~| 公務員にも内心の自由はあるが、政府見解の通りだとしても・・・
| 空中戦 |/ \_________________
仮面ライダーの藤岡弘、っていいこと言うな・・・
●難民救済活動でいろんな国へ行きましたが、女子供、老人たちが
見るも無残な難民となって、彷徨う姿を見るたびに、
国や民族が滅びるとはこういうことかと、とても悲痛な思い駆られます。
だから私は、「自衛力なき民族は滅びる」という言葉を実感として
うけとめられるのです。
●戦後半世紀の平和は、
「平和憲法」によってもたらされたものではなく、最悪の戦いのなかで、
究極の武徳を示してくれた英霊のお陰だと私は思っています。
逆説的ですが、戦う力をもってはじめて、『孫子』にある
「戦わずして、人の兵を屈するは、善の善なる者なり」が果たせるのです。
戦後の日本人はこの逆説がまるで分からなくなってしまった。
●それに私は世界中を回って、共産主義というものがどれほど嘘で、
どれほど裏のあるものかということを実見してきた。
スローガンの”平等”は実現されず、一部の特権階級だけが潤っている。
粛清された大勢の遺骨の山とは、悲惨な現実を見せられたら、
日本で共産主義を信じて私を排除することに汲々としている人が
哀れに思えてきたくらいです。
●避けえないとなったときに、祖国のため、先祖、子孫のために、
戦いの場に赴いた戦士たちを、後世の人間が敬意をもって遇しないとしたら、
その国はやがて滅びるだろうと私は思います。
<日本軍のミステリー>
日本刀で100人斬り殺せるほどの戦闘力をもち、
銃剣と単発銃のみで40万人殺すなど原爆以上の破壊力を持つ携行兵器を誇り、
各植民地で無駄に現地人を殺してまわるほど武器弾薬が余っていて、
揚子江の川幅を2m以下にしたりするほどの高い土木技術を持ち、
沖縄で米軍上陸後も市民に玉砕命令が出せるほど命令系統がしっかりしていて、
日本兵の数を上回るほどの従軍慰安婦を一日に一人あたり何十人も暴行するほど体力と食料があって、
開戦前からオランダ占領時のインドネシアにも日本軍用の慰安婦を送り込むほど先見性があり、
AVが無かった時代にも関わらず慰安婦に顔射するほど独創性に富み、
韓国で文化施設はもちろん 一般家庭にある辞書から料理本に至るまで処分してまわるほど暇で、
保護するために植民地ではなく併合したにも関わらず、
韓国の運気を捻じ曲げるために、山の頂上に鉄杭を埋め込むほど風水に明るく、
当時の朝鮮の人口のおよそ半数近くを日本へピストン輸送するほど燃料と船舶が豊富で、
中国で家々に火を放ちまくり無駄に虐殺した民間人の死体を一カ所に集めて、
たっぷりとガソリンをまいて燃やすほど石油資源に余裕があり、
韓国の優れた建築施設・街・鉄道を全て接収することなく破壊し尽くした上、
新たに日本の駄目な建築物に建て替えるほど資源と資金が有り余っていて、
11歳が戦場で暴れ回るほど若い内から逞しく、
終戦後になぜか強制連行を行いまくるほどの軍備と余裕があり、
圧倒的科学力を誇る朝鮮の反日勢力になぜか圧勝するほど運がよく、
朝鮮人を殺しまくりながら人口を2倍にするという魔術を持ち、
敗戦国でありながらGHQを手玉にとって朝鮮戦争を起こすよう コントロールするほど
政治力と外交能力に長けた日本が敗戦したことは歴史上最大のミステリー。
23 :
日出づる処の名無し:04/10/15 01:06:48 ID:+U22pj0A
>>21 <ヽ`∀´> <だいぶテンプレが増えたニダネ
24 :
日出づる処の名無し:04/10/15 01:17:20 ID:+U22pj0A
25 :
すまん:04/10/15 01:36:05 ID:6Gbl6rmD
速報/米軍がカンダハルを攻撃
(AFP発共同)米国のラムズフェルド国防長官は本日未明、
タリバンの本拠地カンダハルと間違えて
神田ハルさん(89)=神奈川県在住・要介護5=宅を攻撃したと発表した。
神田さんは突入してきた米軍兵士に対して竹やりで応戦し、
米国側に6人の死者を出した。政府は 「要介護5で
これほど動けるのはおかしい。認定取り消しの方向で
検討している」とコメントした。
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南京大虐殺か…
罪もない女子供を何万人も…何百万人? も殺すための武器弾薬があったなら、
どうして私の祖父は弾の切れた銃を抱えて砲弾の嵐をくぐりぬけ、
亡くなった戦友や敵の銃を拾ってそれで応戦してたんだろう。
笑いながら遊びで100人斬りに賭け事に興じるほど兵が余ってたなら、
どうして私の祖父は、亡くなった戦友に銃を構えさせ、生きてる兵士が多いように
必死に偽装したんだろう。
どうしてですか、本宮先生。
祖父は前線で命を懸けて戦って、走れなくなりました。
遠泳と剣道が自慢で、いい月夜には家族で縁側に出て、全員で和歌を詠むのが好きな、
孫に大きな声を出したこともない祖父でした。
本宮先生はご自身を仮託した妄想キャラクターをかっこよく見せるためなら、
本当に命を懸けて戦った人の名誉も人格も踏みにじって平気なんですね。
それがあなたの男らしさですか、そうですか。
一生許さない、集英社
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おばあちゃんの言葉
「日本人はな、お互い様やねん。相手に一回譲ってもうたら、
今度は自分が譲るねん。そうやって、うまいこと回っていくねんけど、
『あの人ら」は違う。一回譲ったら、つけこんできて、こっちは
ずっと譲らなあかん羽目になる。それでも『あの人ら』は平気なんや。
カドたてんとことおもて譲り合うのは、日本人同士だけにしとき。
そうせんと、『あの人ら』につけこまれて『ひさしを貸して母屋を
盗られて』、日本がのうなってしまうからな」
差別 母子の会話
「ねぇお母さん、あの人たちは僕たちと違うの?」
「ええ、あの人たちは差別されてる人たちなの」
「僕たちは、差別されてない人たちなの?」
「ちょっと違うわ、私たちは差別してる人たちなの」
「差別されてる人たちって強そうで威張ってるね」
「そうね、差別してる人たちは差別されてる人たちに何を言われても、されても我慢しなきゃいけないのよ」
「じゃあ差別しなければいいね・・そうすれば僕たちも強くなれるから」
「でも、私たちが強くなると差別になっちゃうでしょ?」
「?????」
「ねぇお母さん、<差別>って何?」
「それはね、差別されてる人たちにしかわからないものなの。差別する人たちが決めることじゃあないのよ」
「じゃあ、差別されてる人たちに<差別>をなくすようにお願いしてくるよ。だって、差別されてる人たち怖いもん・・」
「あなた何いってるの、差別をなくさなくてはいけないのは私たちなのよ・・」
「でも<差別>を決めるのはあの人たちでしょ?」
「そうよ、でもそれを無くすのはわたしたちなの」
「ねぇお母さん、自分が何言ってるかわかってる?僕はよくわからないのだけど」
「・・・・・わからない(^_^;)」
税金と参政権については、確か朝日で石原が一刀両断してたな。
税金を免除されている身体障害者に参政権があるのは
日 本 国 民 だからだ。
水前寺清子の365歩のマーチで
ヨミウリは 勧誘が強引 拡材山積み 今日も行く
一日一軒 三日で三軒 新規の拡張 ヤクザ並み
ヨーミウリは 広くて浅い だーけど部数は 世界一
憲法改正 したいけど 世論はいまいち 盛り上がらーん
チケット撒け 部数伸ばせ ワンツー ワンツー
巨人はふ・め・つー
アーサヒは 自民がキライ だから偏向 当たり前
一日一本 三日で三本 三本載せて 二個は虚報
アーサヒーは 資本家キライ マルエン全集 必読書
地上の楽園 北朝鮮 さんざん勧めて ほっかむり
ガセを流せ サンゴ壊せ ワンツー ワンツー
庶民はバ・カ・だー
マイニチは お医者がキライ とにかくお医者が 大キライ
一日一回 三日で三回 三回通って アラ探し
マーイニチは 社長もキライ 叩いて潰して 大満足
アサヒに追いつき 追い越したい いまいち及ばず 悔し泣き
喫茶店で 取ってくれる ワンツー ワンツー
半端にア・カ・いー
サンケイは アカがキライ だから紙面が アオいのね
一日一回 三日で三回 アカを叩いて ウサ晴らし
サーンケイは デザイン悪い どうしてこんなの 作ったの
電車でたたんで 持ってると まーるでスポーツ 新聞だ
ネット界に コビを売って ワンツー ワンツー
団塊は要・ら・なーい
>>30 セイキョーは 日顕キライ とにかく毎日 叩くのさ
一日一叩 三日で三叩 三度叩いて また叩く
セーイキョーは 一面目が池田 なーにがあっても 譲らない
世界で表彰 受けまくり 聞いたことある賞 ないけれど
仏壇買え 脳を洗え ナンミョー ホーレン
信者をふ・や・せー
アカハタは とにかくアカい 読んでる人は アカだらけ
一日一軒 三日で三軒 公安廻って チェックする
アーカハタは とにかくアカい マルクスレーニン 素晴らしい
労組も日教組も みな取るが 読んでる人は あまり居ない
日本潰せ 革命だぜ ワンツー ワンツー
アサヒはア・マ・いー
妻への書簡
情勢次第に悪化しパラオ島防護の為
昭和十九年七月七日名誉の召集令状を受く
男子の本懐之に過ぐるものなし、又家門の誉なり
勇躍入隊 大君の醜の御楯として米英軍を撃滅せん
戦死の報ありとても決して取り乱さざること
魂は靖國の神として永久に皇國を守る
会い度くば靖國神社へ来れ
お前の身のことについては父とよく相談せよ
軍人の妻としての体面を保て 父母に孝養を頼む
身体に気をつけて朗かにくらせ
ながらくのお世話ありがたう 深謝す
昭和十九年七月八日
陸軍軍曹 仲西貞夫 命
昭和二十年七月十九日 パラオ島にて戦病死
三重県出身 三十二歳
両親と面会
遥かな旅の疲れの見える髪と眼のくぼみを、私は伏し拝みたい気持ちで見つめた。
私の為に苦労をかけた老いが、父母の顔にありありと額の皺に見られるような気がした。
何も思う事が云えない。ただ表面をすべっているにすぎないような
皮相的な言葉が二言、三言口を出ただけであり、
剰へ思う事とは全然反対の言葉すら口に出ようとした。
ただ時間の歩みのみが気になり、見つめる事、眼でつたわり合う事、
眼は口にだし得ない事を云って呉れた。
母は私の手を取って、凍傷をさすって下さった。
私は入団以来始めてこの世界に安らかに憩い、
生まれたままの心になってそのあたたかさをなつかしんだ。
私はこの美しい父母の心温い愛あるが故に君の為に殉ずることが出来る。
死すともこの心の世界に眠ることが出来るからだ。
僅かに口にした母の心づくしは、私の生涯で最高の美味だった。
涙と共にのみ込んだ心のこもった寿司の一片は、母の愛を口移しに伝えてくれた。
「母上、私の為に作って下さったこの愛の結晶をたとえ充分戴かなくとも、
それ以上の心の糧を得ることが出来ました。
父上の沈黙の言葉は、私の心にしっかりと刻みつけられています。
これで私は父母と共に戦うことが出来ます。
死すとも心の安住の世界を持つことが出来ます。」私は心からそう叫び続けた。
戦の場、それはその美しい感情の試練の場だ。
死はこの美しい愛の世界への復帰を意味するが故に私は死を恐れる必要はない。
ただ義務の完遂へ邁進するのみだ。
一六〇〇、面会時間は切れた。再び団門をくぐって出て行かれる父母の姿に、
私は凝然として挙手の礼を送った。
海軍大尉 安達卓也 命
神風特別攻撃隊第一正気隊
昭和二十年四月二十八日 沖縄方面にて戦死
兵庫県出身 二十三歳
遺詠
出撃に際して
懐かしの町 懐かしの人
今吾すべてを捨てて
国家の安危に
赴かんとす
悠久の大義に生きんとし
今吾ここに突撃を開始す
魂魄国に帰り
身は桜花のごとく散らんも
悠久に護国の鬼と化さん
いざさらば
われは栄えある山桜
母の御もとに帰り咲かなむ
海軍少佐 緒方襄 命
神風特別攻撃隊神雷桜花隊
昭和二十年三月二十一日 沖縄方面にて戦死
二十三歳
「私は情報将校としてこの攻撃を目の当たりにしました。同じ日本人の血が流れている者として突っ込
んでくる勇気に涙しました。特攻を見ての衝撃は私の人生を変えました」by Cappy Harda
水平飛行で突っ込んでくるゼロに浴びせる銃弾はありません。フレンドリーファイヤー(同士討ち)を
引き起こします。もう見守るしかありません。これで終わりかと思ったとき波が翼にかかったのです。
ゼロが波間に横転したのです。
私は死んだであろうパイロットに敬礼しそうになりました。しかし、米軍の将校としてそれは出来ま
せんでした。と、双眼鏡を覗く監視員が、パイロットが生きている、というではないですか。私は思わ
ず撃つなと叫びました。憎悪と恐怖で撃ってしまうのではないか、と恐れたのです。
でも、それは杞憂に過ぎませんでした。パイロットは沈み行く愛機に乗って、米軍艦に敬礼している
というのです。そのパイロットを撃つアメリカ軍人はいません。救助してくれと私は懇願しました。も
ちろん米軍はそのつもりでした。しかし、パイロットは愛機とともに運命をともにするつもりでしょう
。時間がない。銃で撃って傷つけてでも救うかという意見が出た。その時、パイロットの意識が切れた
のか敬礼しなくなった。ボートが出されパイロットが拾われた。驚いた。少年兵だった。
情報将校である私の前に連れてこられた少年航空兵はしくじったことを泣きました。タバコを与え、
落ち着くのを待ちました。しかし、拳銃を貸せと言いました。どうすると聞くと自決するというのです
。それから号泣しました。翌日の尋問も同じでした。鎮静剤を与えました。
三日目、もう生き残ったのだ。これから生きると言うことを考えたらどうだ、と言いました。すると
、存分に生きた、というではないですか。そして、もう一度、生きるなら飛行機を一機くれ、と私に言
いました。何に使う? もう一度、特攻をかける、そして戦友の後を追う。悠久の大義に生きる、と言
ったのです。私は衝撃に震えました。その日から、私はCappy Haradaから原田恒男に戻ったのです。
続く
戦後、私は東京に進駐しました。そして日本のプロ野球を復興させていただいた。高校野球を復興さ
せてもらいました。戦後初めて、後楽園に日章旗と君が代を甦らせました。私の耳には、もう一機、飛
行機をくれと言ったレイテでの少年兵の声が今もあるのです。
生き残った私はイチローを追い、松井を追いかけています。でも、目をつぶるとこの若者と少年兵が
重なります。カモン・ジャパンボーイ。私の誇りだ。by Cappy Harada.
190 :peachboy :04/05/19 02:07 ID:feRUjyhW
ID:5z4wVq2Mさん。よくぞ見つけてくれましたた。Cappy Haradaは日本のプロ野球を復興させた男です。
マッカーサー元帥の側近。現在、83歳。まだ元気。昭和24年に後楽園で初めて日の丸を揚げた男で
もあります。当時の観客はみんな泣きました。
それから巨人軍の監督を長くつとめた水原茂をシベリアから奪還。連れて帰ります。そして、あの感
動的な「水原、ただいま還りました」を現出させます。私の父は号泣しました。
それから書くと約束した「NAVER戦記」、編集者の手に渡りました。みなさんのHN勝手に使わせてもら
ってます。「後楽園に日章旗を揚げた男」と同時発売を希望しています。
それからpeachboyは50代ではなく、60代になりました。長文失礼。
差し入れてもらったおにぎりを食べられなかった日本人兵士の話
そのうちの一人の兵隊がなぜか憑かれたように立ち上がり、傍に建てられた粗末な墓に握り飯を
添えて、 全身をふるわせながら「オレにはこの握り飯は食えない」と慟哭するのである。
どうしたのですか?福島報道班員はきいた。傍の兵隊が、それを説明した。
あの墓には、Bという高砂義勇隊員が眠っているのです。ニューギニアの作戦の当初から、
われわれはBとともに戦ってきました。食料のない日が何日も続きました。
ある日、Bはずっと後方の兵站基地にさがって、食料を運ぶことになりました。
ところが、その次にBに出会った時には、Bは死んでいました。
五十キロの米をかついだまま、 Bはジャングルの中で飢え死にしていたのです。
背中の米には一指もつけずに・・・・・・
なんと責任感の強い、大東亜共栄圏の構想はそこまでに人を魅了するものだったのか…
>39
バカチンですね。
お米は生じゃあ食べられないんですよ?
>38-39
言いだしっぺ自身が何一つ信じちゃいなかった「理想」なのにね。
「戦争被害者」を名乗る乞食連中にはビタ一文やれんどころか
戦後の日本の足をさんざんひっぱったことに対する損害賠償を請求したいくらいだが、
こういう「日本の手前勝手なハッタリ」のために命を落とした人々に対しては
国籍がどうあれ日本国民と同等の補償および生活保障をするべきだな。
>40
炊飯器無しじゃコメひとつ炊けない人ですか?w
火をおこせば背中のコメが食える、食えば生き延びられる。
当時の人間でその程度のことを知らない奴はひとりも居ない。
だから荷物をほどいていて当然だったろうに、その男は荷物に手をつけなかった。
そういう話におまいさんみたいな感想つけられる奴ってのは、
「コメを炊くことが出来ない、炊き方も知らない」奴だけ。
4月21日 はっきりいうが俺は好きで死ぬんじゃない。何の心に残る所なく死ぬんじゃない。
国の前途が心配でた
まらない。いやそれよりも父上、母上そして君たちの前途が心配だ。心配で心配でたまらない。・・・
4月28日 ・・・大東亜戦争の必勝を信じ、君たちの多幸を祈り、今までの不幸を御詫びし、
さて俺はニッコリ笑って出撃する。
今夜は満月だ。沖縄本島の沖合で月見をしながら敵を物色し徐(おもむろ)に突っ込む。
勇敢にしかも慎重に死んでみせる。
大塚晃夫(23歳)4月28日戦死
水も釜も火もナシにご飯を炊けって?
そういうアホな兵站しか整えずに戦争をおっぱじめたバカを罵れよ。
感動の話じゃないぜ、これ。
45 :
42に捧げる:04/10/17 00:16:55 ID:k2A+ID3N
「本当の戦争の話というのは全然教訓的ではない。
それは人間の徳性を良い方向に導かないし、高めもしない。
かくあるべしという行動規範を示唆したりもしない。
また人がそれまでやってきた行いをやめさせたりするようなこともない。
もし教訓的に思える戦争の話があったら、それは信じないほうがいい。
もしその話が終わったときに君の気分が高揚していたり、廃物の山の中から
ちょっとしたまっとうな部品を拾ったような気がしたりしたら、君は昔から
あいも変わらず繰り返されている酷い大嘘の犠牲者になっているのである」
――『本当の戦争の話をしよう』ティム・オブライエン(文春文庫)
またオブライエン厨か
また謝罪厨か。
「精神」の腐敗の象徴ですね、飯は炊かなくても食えますよ、餓死するほど空腹ならあれほど旨いものはない。
大東亜共栄圏という理想を掲げた結果各国が独立したんだからな、何もできなかった世界同時革命よりはマシだよな?
なぁ、アナーキスト気取りのアカ野郎共よ?
オブライエンの語ることが本当に普遍の真実なのか俺には分からないのだが。
オブライエンはベトナムに一年従軍した体験に基づいた戦争観を前提に
>>45のような言葉を
語るのなら笑止ではないか。
ベトナムにしろヨーロッパにしろアメリカは別に戦争に負けたところで家族や友人の生命が
危殆に瀕するような状況に追い詰められたことは近代戦において無かったが、大戦時の日本は
負ければ白人の有色人種に対する苛烈な扱いを知っていたからこそ必死で戦ったのだろうし。
充分に休養と補給を取り戦場に残飯の山を築いて戦争をする国もあれば飢餓と疫病に苦しみ
死ぬまで戦うしか無かった兵士も居た。立場が違いすぎてここでそういう引用は意味を為さない
のではないか?
兵士としての戦争感でしょ。戦争はひでえもんだ、っていう。
それを虚飾して宣伝してる香具師を許せないってことだろ。
それに従軍した兵士は生きて帰る事しか考えてないよ。
大状況なんて末端の兵にはわからんもんだ。
>49
少なくとも、オブライエンの求める理想は
「戦争という歴史的事件に関わった者はすべて貶められなければならない」というものではなかろう。
今回の話で言うなら、高砂義勇兵の青年の命がけの責任感は賞賛されて当然だし
そういう立場に彼を追い込んでしまった兵士の悔悟の念もまた心を動かされるに足る。
問題はその美的価値をすべて「大東亜共栄圏」というプロパガンダに帰してしまう>39のような態度であり、
また、問題の切り分けという自分の頭を使う知的作業を厭い、
筋違いの非難をするために見当違いの文章を引用してきた>44-45の態度。
51 :
日出づる処の名無し:04/10/18 02:31:45 ID:fT6WeYKp
>50
その「心を動かされる」てのが既に
「大嘘の犠牲者」
なんじゃないの?
戦争をクソったれな出来事だと体験して思い、空虚な美談仕立てのファンタジーには
ヘドぶちまけてやる、てのがオブライエンの立場なわけで。
>51
つまり「戦争に関わった」時点で、
その参加者の個人としての行動はすべて消滅してしまい
戦争という多面的にして複雑な歴史的事件を考える視座は
「戦争は権力者の嘘によって起こる」という観点以外許されない、っていうのが
あなたの考える「オブライエンの立場」なわけだね。
それが事実なら、オブライエンという人には「作家」を名乗る資格は無いね。
「精神」としては称賛に値するが、「大東亜共栄圏」は絶対に認めない、と
反日ブサヨのニュースタンスか?
54 :
日出づる処の名無し:04/10/18 12:27:58 ID:8LKZfZA3
ただのお題目だろ?
そのために死ぬのは馬鹿らしいし
半世紀過ぎたのにいまだに騙されてるのはもっと笑えねえ
>53
当の日本そのものが「大東亜共栄圏の理想」なんて信じちゃいなかったのに?
戦争遂行の方便でしかないものを「そのために日本は戦った」などというのは
歴史というものに対する侮辱であり、重大な欺瞞。
個人として「大東亜共栄圏」の理想面を信じた人間が居たことはまったく否定しない。
そういう構想を評価するに足るだけの事実があったこともまた事実。
だが、個人の行動で国家戦略レベルでの欺瞞を無かったことにできない、ってのは
反日うんぬん以前の、あたりまえの常識。
そこをわきまえない>53はオブ厨と頭のつくりがまるでいっしょ。
>54
何故「大東亜共栄圏」なる何をどうみても嘘っぱちにしか思えないホラを
信じた奴が居たのか、そこんとこを考えれ。
聞く側に共鳴する理由が無ければいくら宣伝しようが現実の動員力にはならん。
それを「馬鹿らしい」と一刀両断するのは、史学に対する敬意を知らない人間。
>>55 戦争の大義なんていつでもそんなもんだ。
俺的には大東亜はまだマシに見えるが。
それに話題になってる高砂兵は大東亜の理想に共鳴した志願兵だったのは事実。
五族協和の理念に基づいて同盟国ドイツに逆らってまでユダヤ人を保護したのも事実。
お題目に過ぎなくてもそれを実効した側面もあるわけだ。
しかしなんでこんなに人を小馬鹿にできるのか。
掲げたのは事実、それによってたくさんの国々が独立したのも事実
信念の自由だべ?
バカサヨは信念の自由すら認めないのか?
58 :
日出づる処の名無し:04/10/18 14:25:20 ID:bEQPqMaG
ユダヤ人保護?
杉原領事の事ならあれは彼個人の善意と良心によるもので
日本政府は許可してないから。
てか、「誰も信じちゃいない」
とか言い切れる所が非常に香ばしい
たぶんソースの水掛け論で泥沼化を狙ってるんだろうけど。
これ素で言ってるとしたら少々頭が弱いとしか思えない。
>56-57
頭悪いな。 「大東亜共栄圏」の理想面を信じた人間がときに美しい行動をしたことをいつ否定した?
俺が非難してるのは、その「個人の行動」で「大東亜共栄圏構想」のプロパガンダ的側面を
まったく無かったかのように扱う連中と
戦争非難のあまり個人の努力や献身まで無価値と断じる連中。
ずっとその線は変わらず主張してんのに、全肯定か全否定かどっちかしかないのか? ここの人間の発想は。
気に入らない文面に見えたとたんに内容を精査する努力を放棄しちまうのは、
とうていまともな精神年齢の人間の行動にゃ思えないがね?
>57
まあ信教の自由は憲法で保障されてるしね。
何を信仰するのも自由。
池田大作でも文鮮明でも大東亜共栄でも。
haihai,soryayokatta.
63 :
日出づる処の名無し:04/10/18 16:52:08 ID:7g4g5Lfm
まあ兵士が命を賭けるには何かしらの幻想が必要なわけで。
アーリア東方生存圏の獲得とか
自由と民主主義のためにとか
アジア解放五族協和とか
誰も「豊かな生活のために!」みたいなスローガンじゃ
命をかけたいとは思わないしね。
>>60 あんかーをつけようね、きみがどのはつげんをしたかわからないよ?
>>60 人に判ってもらうためには、それなりの努力が必要なの。なんで他人が
あんたの考えを理解するために努力しなくちゃいかんの?
思わず引き込まれるような文章か、あっと驚く新しい切り口でも身に付けな。
てか、今まで大東亜共栄圏構想を「日本人も信じちゃいない」
とか言ってたのは
>>60?
67 :
日出づる処の名無し:04/10/18 19:00:43 ID:8cV1pCn2
>>60 あんたの言う「プロパガンダ的側面」ってどういう意味だ?
本音では日本も欧米のように、アジア諸国を植民地化して搾取しようと
思ってたってことか?(違ってたらsmn)
当時日本は、白人達に囲まれリンチされる寸前だったのに、他国を侵略
するほどの余裕はなかったと思われるが。(自衛のため資源を求めて進出はした)
実際日本のアジア諸国への支配は、欧米の植民地支配に比べて、遥かに
人道的なものだったし、結果として多くのアジア諸国が独立したこと
を考えれば、おれは全肯定とまでは言わないが「大東亜共栄圏」という
スローガンには大きな意義があったと考えている。
68 :
日出づる処の名無し:04/10/18 19:05:49 ID:yjS+bumU
そんなお題目信じてた香具師はよっぽどの純粋真っ直ぐ君だけだろ。当時でも。
大人なら本音と建前が違うのは知ってるさ。
>68
ふーん。
ニヒルだね、かっこいいね
大人なワテクシカコイイ!ですか?
特攻や高砂兵が純粋まっすぐに見えるなんてね、とりあえず君には『英霊の言の葉』を購入して読むことをお勧めするよ
彼らがどのような思考プロセスを踏んで一見純粋まっすぐ君になったかがよく分かる。
それに、純粋まっすぐに左翼に走ったやつらの国はみんな崩壊してる、それだけじゃない
日本の場合、アナーキストだった団塊の人間はなんら社会に貢献せずに後世から煙たがられるだけ。
偉業が語り継がれるっていっても結局は特定の左傾化出版社からの自画自賛本にしか名前は残らない。
それに比べて高砂兵や特攻の奴らは、これだけ左傾化した報道体制にもかかわらず
半世紀たった現在でもその偉業が海外のメディアに取り上げられたり、国内でも『特攻』という言葉はまだ語り継がれている
もちろん「革マル」や「全共闘」なんて言葉は聞かないし、それを口にすることを恥じる団塊の人間が多い。
大人なら分かるだろ、後世に残ったもの勝ち、功績を遺したもの勝ち
洗脳でしか生き残れない左翼プロパガンダと、脈々と語り継がれてゆく特攻や戦士たち。
どっちが功を遺したか、それは明白だろ?
大人だから分かるよな。
拉孟を攻略した中国栄誉第1師団・李密師長の訓示
「私は軍人としてこのような勇敢な相手と戦うことができて幸福であった。
この地を守った日本軍将兵は精魂を尽くした。
恐らく世界のどこにもこれだけ雄々しく、美しく戦った軍隊はないだろう。
(中略)この将兵たちの祖父や父は、国父孫文先生を励まし、民国の革命達成に
力を貸してくれた。その恩人と戦い、血を流すことは、何と愚かなことであろうか。
(中略)拉孟における日本軍将兵の最後の姿を私は蒋総統に伝える。
我々はこれから、日本軍戦死者を丁寧に葬らねばならない」
/⌒ヽ
/ ´_ゝ`)
| / 荒れてきたのでちょっと雰囲気を戻しますよ・・・
| /| |
// | |
U .U
71 :
日出づる処の名無し:04/10/18 23:41:47 ID:9pvK9K0z
>69
ん?
真っ直ぐなのは義勇兵じゃなくて
「お題目を信じてる今のコウ゛ァ」
なんでないの?
義勇兵も特攻隊も(お題目は)信じてなかった、て意味でしょ?
>>58 日本政府が許可しなかったのは。彼らが難民だったんで、
事務手続き上許可出来ないという、非常にお役所的な理由なんだよね。
でも、その彼らが満州まで来たときに入国を許可したのが、東条英機外相だっけか。
>69
オレも>68は「特攻隊員は大東亜開放の理念を信じてはいなかった」って
意味にしか見えないんだけど。誤読して暴走するのはカッコ悪いぞ。
あと、君がサヨクが大嫌いなのはよくわかった(w
わざわざ一日越しでの自演ご苦労。
>73
>そんなお題目信じてた香具師はよっぽどの純粋真っ直ぐ君だけだろ。当時でも。
>大人なら本音と建前が違うのは知ってるさ。
君はこの二文節だけでそこまで深読みができるのか、もはやエスパーだな。
「当時でも」
良スレを荒らすクソは
右翼左翼関係なく氏ね
今日まで、気の張りつめでした。頑張る、頑張る、でやってきました。家族をギセイにし、
家をギセイにして、そして、でも、日本一の航空機部を作りました。誰が追随できるでせうか。
決して、決して、政治家の力を借りた訳ではないのです。つきあいはありました。でも、
その力を借りるという事は、期待できますでせうか。それはない。自分の力、それ以外に何が
ありますか。政治家は便乗、役に立たない。本当の力は私達でした。誰もが納得できるものを
推す事が、私達の戦術です。
E2C然り、他に何にがありますか。対抗機は?
F4EJ、他に何がありますか?
F15、他に何にがありますか。対抗機は?
良いものは、良い。必要なものは必要なんです。政治家は便乗、でも良いものは良いのです。
それに筋つけて、インネンつけるのは、おかしいです。私は飛行機に生命をかけて来ました。
生命をかけてきたものが、採用されて何にが悪いんでせうか。
他に何にがあるんですか。私は確信しているのです。国防を考えない人は、何にか言います。
チョコレート兵隊でも良いと、・・・それが本当に防衛庁の声でせうか。防衛庁は国を守るのが目
的です。おかしい。国を守る事が本当に考へられているでせうか。淋しい事です。
何にが何んだか解りますか。唯金だ、政治家だと言ふ事で、国会は大さわぎ、本当に日本を
考えている人は誰でせうか。事なかれ主義、それは、国、会社、組織をだめにします。こんなん
では日本は保てないと思います。
(遺書とは別にフェルトペンで便せんに書かれていた言葉)
島田三敬(1979/02/01)
F4はともかく、F15だってF14という対抗馬がいなかった訳じゃない。
でもF15の方が妥当。
しっかしE2Cに代わる機なんて当時はありゃしない。
EC121なんて買ったら馬鹿だし、E3を買うには早いし高い。
早期警戒機の配備は急務だつたのにも関わらず、この事件で延び延びになるとわ。
許し難いったらありゃしない。
佐高信は許し難いことを書いてるし・・・・・一度でいいから死と同衾してから書きやがれ
こんな遺書書いて自殺するほうがイメージダウンになると思う。自殺を考えるように
なると、正常な感覚も無くなってくるのだろう。
http://www.geocities.jp/uwasano/19870531.html
マルカム・ハーバート・マックガン大尉(護衛空母「サンガモン」乗組パイロット)
炎上中の特攻機を海中に投棄するのを手伝ったマックガンは、ずっとのちになって、
日本軍パイロットを賞賛して、「わが艦の飛行甲板を突き抜けたあの男は、私より立派だ。
私には、あんなことはやれなかっただろう」と語った。
ジョン・S・サッチ大佐(第38機動部隊指揮官マッケーン提督の作戦幕僚)
一国が何かを入手するたびに、他国が間もなくそれを保有する。
一国がレーダーを入手すると、間もなくすべての国がレーダーを保有する。
一国が新しいタイプのエンジンか航空機を得ると、その後他国がそれを手に入れる。
だが、日本軍は神風パイロットを手に入れたが、日本以外には誰もこれを得られそうにない。
なぜなら、日本人以外の連中は、そのような性格に作り上げられていないからである。
ヤスクニオバアサンのこと
今回お参りして、参拝者の多くがお年寄りたちであることにも心を痛めた。
祀られているのが戦没者であり、参拝者はその遺族や同年兵だからそれも仕方がないかも
しれないが、国に殉じた人々に対する敬愛の念は、若い人たちにも失ってほしくないのだ。
日本の大臣たちが外国を訪れると、必ずその国の戦没者を祀った墓に敬意を表してくる。
それがどこの国にも共通するマナーであるということを知っていながら、大臣たちは、外国の
賓客を迎えてもそれをしようとはしない。
これは神道だとかキリスト教だとかいう宗教の問題ではないのである。祀り方はその国の
文化背景によってそれぞれ異なっているが、国のために亡くなった人を大事にするというのは、
万国共通のことだ。
戦後、ヤスクニオバアサンと呼ばれた婦人がいた。掃除をする人がいなくて荒れていた
この神社を、彼女は毎日清掃の奉仕をしていたのである。
オーストリア人だった。
彼女が病に伏したということを新聞で知って、私は見舞いに行った。
そこで、私は「異国のために身を捨てて尽くし、英霊に心から奉仕された方が年を重ね、
病を患い、淋しい思いをし、因っているなら、その力になることができなければ日本人の恥だ、
できるだけのことは尽くしたい」と申し上げた。
外国の方でも日本人ができないことを懸命に尽くされる。感謝の念で一杯だったことを今でも忘れられない。それが世界の常識である。
85 :
日出づる処の名無し:04/11/06 08:21:00 ID:uCMb9sFy
保守してみようh
132 名前:名無しさん@5周年[] 投稿日:04/11/07 08:57:52 ID:NnJuJBW2
氏は土地の青年によってかつての激戦地に案内される。
ナガ族の青年は途々賞讃をこめて語りかけるのである。インドにおける対日世論調査
日本兵が勇敢であったこと。
彼らは英印軍の圧倒的に優勢な武器をものともせず、戦車に
銃剣一つで立ち向かっていった。
死を少しも恐れていなかった。
そして、なかんずく軍律が厳しかったという事実を。
戦後しばしば聞かされていた日本陸軍の、中国大陸やフィリピン、
マレーでの非人間的な戦争犯罪の話を思い出し、思わず「軍律が?」
と中根氏は尋ねた。青年は答える。
「日本の兵隊は私たちの婦女子にけっして悪いことをしませんでした。
・・・英印軍のなかには私たちの婦女子にずいぶんひどいことをしたのも
少なくありませんでした。私たちは、敗けたとはいえ、日本軍のあの
勇敢さと軍律の厳しさを、今でも尊敬しているのです」と。
「列伝 太平洋戦争」半藤一利
宮崎繁三郎中将--インパール作戦の鬼将軍
152 名前:名無しさん@5周年[] 投稿日:04/11/07 09:05:38 ID:9HlyZI6Y
出撃前に旧知の仲だった運送艦「野島」の艦長が
「足の遅い『野島』はきっと敵にやられてしまうだろうから骨だけは拾っ
てください」と言ったのに対して
「いや、『朝潮』が護衛している限り見殺しにはしない。必ず助けに行く」
と佐藤大佐は約束した。
そしてダンピール海峡にて輸送船団は文字通り全滅。護衛の駆逐艦も「白雪」
(3水戦旗艦)「荒潮」「時津風」を失い3水戦司令部は残存各艦への北方へ
の退避を命じる中、
「ワレ『野島』艦長トノ約束アリ。『野島』救援ノ後ニ避退ス」と信号する
と「野島」の方に向かい、ただ1隻敢然と「野島」や僚艦「荒潮」等の漂流者
を救助の後、4隻の後を追い北方に避退するも敵の追撃を受け「朝潮」は沈没。
このとき「朝潮」「荒潮」両艦長は戦死するも生き残った佐藤大佐は部下の懇
願を断り一人艦に従容として艦と運命を共にした・・・。
この話が大好きな為 慨出かもしれないが敢えて貼らして頂く。
日本海軍は北洋警備−北洋漁業保護の為に、最旧式駆逐艦を以て編成する駆逐隊の一隊(定数四隻 司令は大佐または古参の中佐)を毎シーズン派遣しておりました
國民性なのでせうか、蘇聯は昔から露骨な國で、我が駆逐隊が漁業海域に到達し警備任務に就くや、日頃横暴なる蘇聯艦艇も、途端に猫の如く大人しくなりました
だから駆逐隊は毎度漁民から熱狂的大歓迎を受けたものですが、必要に応じ、戦隊若くは艦隊を神速に
派遣することも行はれたやうです
父の友人に「ひうらさん」といふ越後人がありました
生きて居られればゆうに百歳超えませう
明治の御代に雪の越後を後にして、刻苦勉励、数多辛酸を嘗め、戦後は小金持になり、銭湯など経営して世を終へられました
この御仁が、大正の末か昭和の初め、蟹工船に乗組んで北洋漁業に従事してゐた時の話です
氷濤の中、果敢に操業してゐた或日、突然蘇聯の警備艦艇に謂れ無く拿捕され、乗組員一同、浦塩に聯行、
抑留されました
此処までは今日と同じです
取調べは惨たらしいもので、生きて再び日の目を拝めるかと思った程ださうですありもせぬ犯罪事實の自白を強要され、半殺し状態で朝を迎へ、再び鐵格子の中から引き出されました
いよいよ殺されるかと半ば覚悟した途端、何故か赤魔官憲の態度が掌を返す如くに豹変し、捜査は打切り、無罪放免
露西亜紅茶まで振舞はれてにこやかに釈放するではありませんか解き放たれたひうらさん達は警察署だか獄舎だかの外へ出ました
天然の港町なら大概、地形的に港へ向って傾斜し、海側の眺望が開けているものです、半信半疑の儘、ともかくも港へ向はむとふらつく脚を海へ向けました
その瞬間、何故、助かったかが判りました
89 :
続き:04/11/08 19:08:28 ID:DHQzizDT
沖には日本海軍の大艦隊が間近く展開し、旗艦たる巡洋艦以下、各艦砲身を陸に向け、砲門を開き、その強大な攻撃力は毎分幾百幾千發ぞ
陛下の赤子にかすり傷だに負はせなばウラジオストックそのものを消滅させんばかりの圧倒的武威を以て、ソヴィエト社會主義共和國聯邦を威圧して呉れてゐたのです
旭日の軍艦旗の何と美しく、浮かべる城の何と頼もしかったことでせう
皆、感泣しました
鋼鐵の艦体に頬ずりしたい思ひで‥‥
ひうらさんは無事、日本に帰りました
取るにも足らぬ漁舟の、僅かな人数の乗組員の為に、大國相手の戦争をも辞せず、
瞬く間に艦隊を繰り出して救出してくれた祖國日本の親心に酬いる為にも、なほ一層仕事に励み、三代の御代を生き抜き、東京都江戸川区小岩の自邸で、四半世紀ほど前に大往生を遂げられました
勤倹貯蓄、關東大震災の前の歳に買ったといふ革靴を、靴底だけ張替へ張替へして
生涯穿き続けました
「贅澤をする金があったら海軍に献金でもせい!」
(以上の話には良く判らない点もありますが、今となっては確かめやうも無く、聞い
た侭に記しました)
過去から現在を通じて世界最強の傭兵と謡われる英国特殊部隊・王立グルカ連隊。
高山に住むため肺活力がある、ネパールのグルカ族により構成された傭兵団だ。
彼らは、ククリ(グルカナイフ)と呼ばれるマチェットを駆使し、多くの戦場を縦横無尽に
駆けて敵兵を狩りまくった。
そんな彼らの最大のライバルが、日本帝国陸軍に所属していた、高砂義勇兵である。
台湾の先住民族の志願兵により構成された高砂義勇兵は、日本軍が苦戦していたグルカ兵の
待ち伏せや奇襲攻撃に対して斥候を買って出た。
逆に樹上で逆待ち伏せをして撃退したり、夜間の斥候でグルカ連隊の意図を察知したり、
ジャングル戦でグルカ兵と対等に 戦った部隊である。
・山地でのサバイバル能力に長けた彼らは、ジャングルでの行軍が不慣れな日本軍の先頭に立って
密林を切り拓いたり、 いつ敵の襲撃があるか知れない状況の中、負傷した上官を病院船まで
運んだりと、己を顧みず奮戦した。彼らの忠誠心と純朴さは際だっていたという。
・「戦友に食べさせる食糧を探しに出たまま所在不明になった高砂義勇兵が、後にジャングルで
遺体で発見されたとき、両手に食糧を抱えたまま「餓死」していた・・・
どんなに腹が減っても戦友の食糧には手をつけず、帰り道を見失う中で餓死してしまったというのだ」
(産経新聞「日本人の足跡」第203回)
。・゚・(ノД`)・゚・。いい・・・
hosyu
保守!
94 :
日出づる処の名無し:04/12/06 20:58:37 ID:5kffwMRX
保守〜
保守!
ほしゅ
つ〜か、「保守」しか書き込むことが無いってことはネタ切れか?
既出でいいんではってこ〜よ。
98 :
日出づる処の名無し:04/12/09 17:20:14 ID:n5lgTcSM
じゃ、俺が。泣ける話かどうか保証できんけど。
ちと長いぞ。
第26練成飛行隊マラン会文集(昭和55年5月5日)より
( 略 )
戦犯容疑者の容疑内容は全く問題になる様なものでなく戦斗後の報復以外の
何ものでもないものであった。チヤンギーゼールに収容された容疑者の
多数の若い日本の兵隊達が不充分極りない一方的型式だけの裁判の結果、
絞首刑となりチアンギー刑務所の刑場の露と消えていった。身に覚えのない
理由で若き身でこゝ南国の果てに散っていった人達は実にあはれでならない、
戦い終わって祖国帰還を身近に感じ始めた時、父母、妻子を残してと云う
ことを思う時その感を一層深くするものである。これ等の人々は正に難に
殉じた烈士である。こゝにその実体を示す資料があるのでその一部を原文のまゝ
人名は本名のまゝ記載してみたいと思う。これは当時シンガポールに居られ
現在沼津在住の渡辺実元少尉が持って居られるものである。刑務所内に
収容されてゐる人達に、辯護士、教誨師其の他が限られた面会の際に本人が
紙屑に書き留め、丸めて棄てるそれを拾って看守の目をかすめて持ち帰った
ものである。渡辺氏はその紙屑のしわを伸し、キャンプの灯の下で書き直し
帰国時はリュックの負い紐の中に縫い込んで持ち帰られた。従って
今あるものは本人の直筆ではないが内容に変わりはない。
(つづく)
其の一 所属 鉄五聯隊第六中隊小隊長
陸軍中尉 阿 部 宏
( 略 )
話が横道にそれました、私が若し確定した時果して冷静な気持で遺言の一つも
書く事が出来るかどうか甚だ疑問でありますので同期生宛にぼつぼつ書くことの
すべての遺言と思って下されば結構です。
今二十三日午后五時です。明日死ぬ人達が最後の宴会で存分に飲み喰ひ歌い
吸って此の夜の名残りを惜んでゐいます。此がやがて私にも来る運命です。
賑やかな彼等の歌声を聞きながら今夜は最も何か書けそうなので鉛筆を握って見ました。
いくら惜しんでも足りぬ程の名残りを唯口から出るまゝに歌ふ彼等の姿、
彼等の心はかっての楽しき想出を呼び起し又懐しの故郷にとんで現在の悲境を
歎いてゐるものは一人も居ません。無限の怨を固く胸に秘めて唯笑ってゐます。
之丈申し上げれば彼等の気持ちは察して頂けると思ひます。送る私達は唯涙あるのみ、
だんだん夜が更けて時を告げる鐘、否命を刻む鐘の音が実に陰惨な響を伝へて
参ります。あと十二時間ばかりが彼等の最後の時間です。皆夫々の独房に入り
最后の夢を結ばんとしてゐますが果してよく眠れるでせうか。恐らく尽きぬ想が
胸中を去来してゐることでせう。何の罪もないものを可愛想に。いつのまにか
眠って朝が来ました。吾々残される者は外へ出して呉れません。彼等丈が朗らかな
顔をしてとび出しました。
(つづく)
吾々の房に朝食が配られました。昨日の彼等の御馳走の相伴で美味しいものが
たっぷりあります。実に複雑な気持で食事が終ると間もなく坊さんの読経の
声が聞えて参りました。私は房の中で合掌して彼等の門出を祈ってゐるばかりです。
突然、「海征かば」「君が代」「蛍の光」が歌はれ続いて万才の叫びがあちら
こちらの房から起りました。でも未だ時間は少々ある様です。しばらく静かな
時が続きます。扉の丸い小さな穴は外からふさがれてゐて外の様子は全く
判りません。全神経を耳にあつめて私は注意してゐます。警戒兵の靴音と
逝く人達がお互いに別々の房から大声で話してゐます「オイ準備はOKか」
「ウン良いぞ先に行くぞ」聞くだけでもいやな刑がこゝからすぐ近くの
(十米もはなれぬ所の)刑台で行はれる様な気が全々しません不思議な
気持です。彼等が拍子をとって白頭山炭坑節を歌ひ出しました、あとから
あとから歌声が起り誰か和するともなくそれに続いて朗らかな歌が
又起こります。刑台の準備をするらしい忙しい靴音が入り乱れてそれを
消す様に歌声、どちらが幸福か分からなくなって来ました
「ヤツトナーソレヨイヨイヨイ」まだ続いてゐます串本節も出て来た。
突然「ゆくぞ」と声がしました、又「何も云ひ残す事はありません」と
云ふ低い声がきこえます。「元気でゆけ」と応へると万才の絶叫、
三人連れ出された様であります。刑台上で絶吐する万才の声が
消えかゝるローソクの炎の如き感じを以て聞こえます、一瞬あの吾々が
よく耳にせる転轍器を反す様な音、とたんに万才の声が途絶えました、
行はれたのです。先づ最初の三人が昇天されたのです。
(つづく)
一度にホール内が静寂になりました。するとその静寂を破る様にあとの六人が
唄ひ出しました、最初の「ゆくぞ」の声がきこえてからここまでに約三十秒位
だったでせう。約三十分宛の間隔をとって次々と昇天されました、私は初めての
刑の執行なのでその瞬間々々のたまらぬ気持はとてもよく書き表すことは
出来ません。そして恰も吾々の目前でやって見せる様なあくどい精神的虐待に
対し英国に対する深い憎悪の念が湧いて来ます。宗教も何も超越した憤りです、
こんなひどいやり方が何所にあるでせう、これだけは全世界に向って知らせて
やり度い事実です。然し吾々はこれには負けません。十一時十分頃第三回目を
終ってやっと重苦しい気持ちが去りました、歯が抜けた様な空漠たる気持が
中庭を包んでいました、執行と減刑で十五人も二日間で減ったのですから
たまりません。一番あとに残る者の淋しさ(必ずあり得ることです)が一人
思ひやられるものがあります。味気ない昼食を食べてゐる時彼等九名が最後の
一夜を過した室を開けて見せて呉れました。
驚くべしそこに何が見られたでせうか、各房とも塵一つ止めぬ清潔さその中に
寝台の上にきちんと整頓された遺書と苦心して作った位牌と十字架、
ドアを開けて入らんとした警戒兵が思はず息をのんで後ずさりしました、
彼等もその跡のあまりにも見事なものが分ったものと見えます、吾々も
思はず驚歎の声を挙げ、そして「よかったなあ」と話し合ひました。
(つづく)
何か美しいものたった今悲しげに去って行った美しいものを追ふ様な目付で
彼等の残りを発見しようと中庭のあちこちをきょろきょろしながら歩きました。
「あゝ善は屍と共に滅びぬ」あゝ誰かこの事を告げん、九人の人々があまり
にも見事な最期だったので途中の悲惨な光景をそのまゝ記録して誰彼となく
話すつもりで認めました。
註)此の手記は、自らも死の判決をうけた阿部中尉が同室の友の逝く
姿をまざまざと書き記したものである。
(おわり)
ゴメン、最初上げてしまった。
>>98-102 乙。
泣ける話っていうより、なんかこう、ぐっと来るねぇ・・・。
保守がてらコピペ
戦争が終わり、年が変わって昭和21年。
知覧飛行場で最後の特攻機が燃やされた際、
トメは近くに落ちていた棒杭を地面に立てて、娘たちにこう言った。
さ、これがきょうからあの人たちのお墓の代わりだよ。
たった一つしかない命を投げ打って死んでいったんだよ。
それを忘れたら罰が当たるよ。
日本人なら忘れてはいけないことなんだよ。
特攻隊を称えるだけで「軍国主義者」のレッテルを貼られる時代だった。
墓など作ったらすぐ壊されてしまう。
こんな棒杭なら壊しに来る人はいないだろう。
その代わりに毎日お参りにくるから許してくださいね、
とトメと娘たちは手を合わせた。
ttp://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h14/jog253.html
107 :
日出づる処の名無し:04/12/18 12:35:37 ID:9mRImNn0
昨晩のNHKアーカイブスで、
自衛隊がカンボジアPKOに行くまでの100日間を追った番組を見たんだけど。
番組の最後、出陣式(でいいのかな?)での隊長の挨拶が泣けた。
大体こんな感じ・・・
「・・・我々のことは心配には及びません。
桜の花が散る頃には、任務をやり遂げ、全員無事に戻ってまいります。
しかし万が一、我々の家族が苦しむような時があった場合には、
みなさま、我々の家族をどうかよろしくお願いいたします。
くり返しますが、我々のことは心配いりません。」
ビデオに録っときゃよかったよ・・・
>しかし万が一、我々の家族が苦しむような時があった場合には、
「悲しむ」ではなく「苦しむ」と言っているところに
深い意味が込められていると思った。
たぶん残された家族への誹謗中傷なんかも心配していたのかも・・・
自分達はこれから死地に赴こうってのにさぁ(泣)
112 :
日出づる処の名無し:04/12/29 02:03:13 ID:iKYYBwK7
★インド洋津波:「日本の防波壁が首都を守った」モルディブ
災害対策本部の置かれたマレ市の小学校校庭でボランティア活動を指揮
するフセイン・ハリームさん(35)。彼になぜマレは3分の2が冠水しながらも
死者が出なかったのだろうと尋ねた。するとすぐに答えが返ってきた。
「10年以上かけて作った防波壁が大いに助けになった。日本の援助の
おかげだと聞いている」
その防波壁を見たくて市南部の海岸まで案内してもらったタクシー運転手の
アハメド・シャフィールさん(30)も「日本が作ってくれたあの壁がなかったら
今ごろマレはもうない」と語り、「助けてくれた日本人からこんな時に金を受け
取るわけにはいかない」と決して料金を言ってくれなかった。
ttp://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1104248075/
>>108 隊長は言葉に詰まっていたよ。「我々の中に生きて帰ってくることができない人間がいるかもしれない。
その時は、甘いかもしれないが残された家族のことを頼みます」ということだろ?
涙が出たよ。
★インド洋津波:「日本の防波壁が首都を守った」モルディブ
・「日本の支援がなかったら、マレはなくなっていただろう」。モルディブの
人口の約3分の1が住む首都マレでは、日本からの公的支援で建設された
防波壁が、島を津波の大惨事から守ってくれたとの見方が広がっている。
海抜1メートル程度しかない約1200の島々から成る同国は地球温暖化の
進行で国全体が沈みかねないとの不安を抱え、常に海面上昇への恐怖と
隣り合わせで生きてきたが、88年以降、進めてきた首都の護岸工事が
壊滅的な被害を回避するのに貢献したと、島民は口々に語った。
災害対策本部の置かれたマレ市の小学校校庭でボランティア活動を指揮
するフセイン・ハリームさん(35)。彼になぜマレは3分の2が冠水しながらも
死者が出なかったのだろうと尋ねた。するとすぐに答えが返ってきた。
「10年以上かけて作った防波壁が大いに助けになった。日本の援助の
おかげだと聞いている」
その防波壁を見たくて市南部の海岸まで案内してもらったタクシー運転手の
アハメド・シャフィールさん(30)も「日本が作ってくれたあの壁がなかったら
今ごろマレはもうない」と語り、「助けてくれた日本人からこんな時に金を受け
取るわけにはいかない」と決して料金を言ってくれなかった。
大統領府によると、日本はモルディブ最大の援助供与国で13年をかけた
防波壁工事の費用6600万ドルの主要部分を日本の援助が支えたという。
南部の海岸通りには、「日本とモルディブの友好のため日本政府が提供した
支援で作られた」と消波ブロックに記した記念碑が海に向かって建っていた。
某半島の国が安普請で架けた橋が堕ちたのと較べると・・・・
2つ前のレスも読まんのか・・・
なんだか泣けてきたよ。
116 :
日出づる処の名無し:05/01/03 14:00:37 ID:z3SNuAlx
新年保守
117 :
日出づる処の名無し:05/01/03 14:30:19 ID:eWtIN5QD
118 :
日出づる処の名無し:05/01/04 04:33:34 ID:XpZeg0NU
<丶`∀´>これが東京ニダか・・・
(´・ω・`)もうその仮面は外して良いんだよ
<丶`д´>えっ!?
・・・
(´・ω・`)おかえり・・・
(´;ω;`)・・・た・・だ・・いっ・・・ま・・・に・・・ほ・・ん・・・
【内親王即位】陛下たんスレ☆5【(´▽`*)】より
873 名前:日出づる処の名無し メェル:sage 投稿日:04/12/27 00:05:16 ID:5X/9Xlkp
侍従たん(つД`)
陛下たん「どうしたの?」
侍従たん「あ、陛下…」
陛下たん「あーっ!!またパソコンでいんたぁねっとしてる!側仕えたんを呼ぼうかなぁ」
侍従たん「あわわわわ」
陛下たん「あれぇ、これってめでぃあぷれーやーだよね?なに見ていたの?」
侍従たん「いやこれはそのぅ」
陛下たん「ぁゃιぃ…」
侍従たん「そんなものじゃないです」
陛下たん「じゃぁ見せて」
侍従たん「あっ」
ttp://anchors1942.net/bf1942/ouka.mpg 陛下たん(つД`)・゚・。・゚゚・*:.。..。.:*・゚
侍従たん「…すみません」
陛下たん「侍従たんが謝ることじゃないよ…」
侍従たん「…すみません」
陛下たん「侍従たん…」
121 :
QA:05/01/07 20:18:22 ID:Cmr/2M7y
軍事板の「泣ける話」スレから転載します。
沖縄戦で奮闘した海軍陸戦隊を率いた太田少将の決別電報です。
左ノ電文ヲ次官二御通報方取計(とりはからい)ヲ得度(えたし)
沖縄県民ノ実情二関シテハ県知事ヨリ報告セラルヘキモ 県ニハ既
二通信力ナク 32軍司令部又通信ノ余力ナシト認メラルニ付 本職県
知事ノ依頼ヲ受ケタルニ非(あら)サレトモ 現状ヲ看過(かんか)スル
ニ忍ヒス 之二代ツチ緊急御通知申シ上クーー
ーー若キ婦人ハ率先軍二身ヲ捧ケ 看護婦烹飯婦ハモトヨリ砲弾運
ヒ挺身斬込隊スラ申出ルモノアリ 所詮(しょせん) 敵来リナハ老人子
供ハ殺サレルヘク 婦女子ハ後方二運ヒ去ラレテ毒牙二供セラルヘシ
トテ 親子生別レ 娘ヲ軍衛門二捨ツル親アリ 看護婦二至リテハ軍移
動二際シ 衛生兵既二出発シ身寄リ無キ重傷者ヲ助ケテーー
ーー沖縄県民斯(か)ク戦ヘリ 県民二対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ラン
コトヲー―
これは後日談。
109 名前: >60 投稿日: 01/11/02 17:05 ID:bygkbzuW
沖縄県民と太田中将といえば、その息子(養子)で湾岸戦争後の掃海艇派遣
部隊指揮官だった落合海将(退役)は、自衛隊に対して手厳しい沖縄の地連
に赴任したときはたいそう歓迎されてとか。
また、湾岸派遣時の体験を語る講演会で、平和団体の妨害行動が地元の古老
の「彼は太田中将の息子さんだ」という一言によって諫められた、という話
がある。
122 :
日出づる処の名無し:05/01/08 20:55:04 ID:8nQx0oQx
2004年6月9日 産経抄
帰国した陸上自衛隊第一次イラク復興の番匠幸一郎支援群長(一等陸佐)が
本紙のインタビューで語ったが、宿営地近くに迫撃砲弾が落ちた時も「予定通り
任務を完全遂行していた」と。「活動は一日も休まなかった」そうである。
▼情勢が緊迫するや、自衛隊は業務を中断して“穴ごもり”をしたごとく
伝えられていたが、その一部報道は「全く事実に反する」。“籠城(ろうじょう)”
などは一日もしておらず給水活動も続けていた。いくら説明しても誤報が
流れ「心外で、悔しかった」という。だれが誤りを伝えたのか、おかしいことだった。
▼番匠群長らは武士道とともにGNNをモットーにして活動したというのが
愉快だ。GNNとは義理と人情と浪花節だとか。『上を向いて歩こう』など
日本の歌をバンドを組んで流し、ユーフラテス川上空に鯉(こい)のぼりの
大群をあげたという。
▼そもそも水の中に棲(す)む魚を中空高く泳がせる。日本人の卓抜な奇想は、
イラク人を文字通り仰天させたに違いない。「郷に入れば郷に従え」はもちろん
移住の基本だが、相手も最古の文明を生んだ地の人間である。以心伝心
ということもあるはずだ。
▼イラク派遣の当初は「イラク人を敵に回すことになる」などと不安をあおる
マスコミや評論家が少なからずあった。しかし日本人人質事件後の世論調査では、
日本政府の対応を支持する人が68%になり、自衛隊派遣の容認がついに
過半数を占めた。
▼五月下旬、サマワがあるムサンナ県のシーア派宗教指導者アルワエリ師ら
要人が来日し、小泉首相と会談して要求したことは「自衛隊の撤退ではなく、
逆に増派してほしい」ということだった。 ごくろうさまでした。
自衛隊の奮闘はみごとにサマワの信頼と友情をかちえたのである。
.
125 :
日出づる処の名無し:05/01/15 17:20:54 ID:2eugXmBr
保守
126 :
日出づる処の名無し:05/01/16 14:11:50 ID:y3NpnR9x
保守でいいんだよな?
128 :
日出づる処の名無し:05/01/18 01:05:09 ID:UAAT4HTx
保守
129 :
日出づる処の名無し:05/01/20 00:40:18 ID:YiPFNnjI
/ _,,.-''゙/ ストレイト・クーガーが
//,.-‐''"´,.-'゙:/ _,,.., 超良速で余裕の2Get!!
<.r'゙___,,..'r":::/ ,..,__,.r'"ノ:::/ `ヽ.
l、_,.-''゙、.r‐゙''┬'"::::j::::`´,-''、 l,
'-、''j 〉! |:::-‐'''"´:< ゙l l ,.、--――--、
>>3 これが向こう側を見たお前の力か!
`j゙/‐'-、 '‐-、:::::::::::::`ヽ、_l._l _,.、‐''",.:-‐‐'''‐=‐-、ヽ, だが、まだ足りない!!
´ ヾ、''゙´`'‐---、 r'-、/`''"::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::/`
>>4 情熱が足りない!!
ヽ‐''‐-、゚ ゚ `'‐゙uulj:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::l ――
>>5 思想が足りない!!
``''‐、.__ `ヽ、:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::l
>>6 理念が足りない!!
,.-''":::::`ヽ、 `ヽ、::::::::::::::::::::::::::::::::,゙ ――
>>7 頭脳が足りない!!
__/ __/ `ヽ、 ``ヽ、:::::::::::::::::/
>>8 気品さが足りない!!
/ ̄ ̄ ,.:-'" ―― `ヾ、-、 `'‐-、:;;/ ――
>>9 優雅さが足りない!!
―――‐‐/――,.-'"___,,,,,..lヽ__ \::`''''‐-、/
>>10-1000 三三' _,.-'"´` ̄、,.、,.、_ //゙:::l ― \_:::::::::`ヽ、=―― そして何よりも速さが足りない!!!
ヽ、‐''゙_,,.、-‐‐‐‐‐‐‐-、.i,i,r'"´`''‐-、 `ヽ、:::::::::\≡≡=―
 ̄ ――――― `ヽ‐-、‐-ヽ、 `ヽ、::::::\
――――― `'''''''゙―― \::::: ===―――――
355 名前:名無しさん@5周年[] 投稿日:05/01/20 21:08:40 ID:clIxtOoJ
平成3年、日本傷病軍人会代表団が戦時は敵国であったオランダを訪問した際、同国の傷病軍人代表と共に聞いたアムステルダム市長の挨拶が、以下のものである。
「貴方がた日本は、先の大戦で負けて、勝った私どもオランダは勝って大敗しました。
今、日本は世界一、二位を争う経済大国になりました。
私たちオランダはその間屈辱の連続でした。即ち勝ったはずなのに、世界一の貧乏国に
なりました。
戦前はアジアに本国の三十六倍もの大きな植民地インドネシアがあり、石油等の資源産物で
本国は栄躍栄華を極めていました。
今のオランダは日本の九州と同じ広さの本国だけとなりました。
あなた方日本はアジア各地で侵略戦争を起こして申し訳ない、諸民族に大変迷惑をかけたと
自分をさげすみ、ペコペコ謝罪していますが、これは間違いです。
あなた方こそ自らの血を流して東亜民族を解放し、救い出す、人類最高の良いことをしたのです。
何故ならあなたの国の人々は、過去の歴史の真実を目隠しされて、今次大戦の目先のことのみ
取り上げ、或いは洗脳されて、悪いことをしたと、自分で悪者になっているが、ここで歴史を
ふり返って、真相を見つめる必要があるでしょう。
本当は私共白人が悪いのです。百年も三百年も前から競って武力で東亜民族を征服し、
自分の領土として勢力下にしました。植民地や属領にされて長い間奴隷的に酷使されていた
東亜諸民族を解放し、共に繁栄しようと、遠大崇高な理想をかかげて、大東亜共栄圏という旗印で
立ち上がったのが、貴国日本だったはずでしょう。
本当に悪いのは侵略して権力を振っていた西欧人の方です。
日本は敗戦したが、その東亜の解放は実現しました。即ち日本軍は戦勝国の全てを東亜から
追放して終わりました。
その結果アジア諸民族は各々独立を達成しました
。日本の功績は偉大です。血を流して闘ったあなた方こそ最高の功労者です。
自分をさげすむのを止めて、堂々と胸を張って、その誇りを取り戻すべきです。
保守
今、行政改革でどんなにムダを削っても、どんなに合理化していっても、
この国を守るという仕事は根本の問題で中心に置いとかないといけない。
それくらい国を守る、あるいは国民の皆様に安心してもらう仕事は国の
要諦なんです。その仕事に自衛官の諸君は携わっているわけです。
その家族の皆さんにぜひとも申し上げたいのは、こういう崇高な使命に
携わっている御主人や御子息を誇りに思って大切にしてあげて
もらいたいということです。防衛庁長官の仕事の一つは、隊員の安全
確保ですから、隊員の活動の安全性は我々が一所懸命努めていきます
ので、どうか安心して下さい。
大野功統長官
ttp://www.mil-box.com/news/2005/20050115_6_7.html
オランダにそういうこと言う人がいることに感動した
136 :
日出づる処の名無し:05/01/21 18:45:53 ID:GlnpOCCk
保守。最近上げ荒らしが酷いからdat落ちしかねない。
泣けたよ……
俺も頑張って、先人達に顔向けできる様に
生きていこうと思う
ううむ、オランダというと欧州一の厨房国家というイメージが強いが
半分はリップサービスとしてもなかなか言えることではないな
■1.前代未聞の感謝デモ■
イラクでは噂が伝わるのが速い。昨年12月14日の自衛隊
の派遣期間が終わりに近づき、またロケット砲が打ち込まれる
という騒ぎが起こると、「自衛隊は帰るのか?」という懸念が
瞬く間に広まった。
すると140人の老若男女からなるデモ隊が「日本の支援に
感謝する」と自衛隊宿営地に詰めかけ、口々に「帰らないで」
と懇願した。同時に「自衛隊の滞在延長を願う署名運動」が展
開され、2日間で1500人もの署名が集まった。[1]
実は感謝デモはこれで二度目だった。4月に2度、自衛隊宿
営地そばに迫撃砲が撃ち込まれると、サマーワ市民による百人
規模のデモ行進が行われた。スローガンは「日本の宿営地を守
ろう」というものだった。さらにいろいろな人が宿営地に来て、
「申し訳ない。あれは一部のはねっかえりで、イラク国民の意
思ではない。どうか帰らないでくれ」と陳情した。[2]
前代未聞のデモに、英米オランダ軍も驚いて、自衛隊に矢継
ぎ早に問合せをしたほどだが、迫撃砲を撃ち込んだテロリスト
達もこれでは逆効果だと思っただのろう。その後、派遣期間終
了の近づく11月まで動きはなかった。
もっともこうした事実は、日本のマスコミはほとんど伝えな
かった。
>>106 Flashで目頭が熱くなることは良くあるが、号泣させられたのは初めてだ・・・。
134 :M7.74 :04/11/11 23:57:14 ID:xtl17gRB
阪神・淡路大地震のあと、阪急電車の復旧を沿線の人々は待ち望んでいた。うちもその一軒。
夜を徹して行われる作業、騒音や振動をこらえてくださいと、電鉄会社の人が頭を下げに来た。
「何を言ってるんだ?我慢するに決まってるじゃないか。それよりも一刻も早い復旧を。」
うちも含めて、沿線の人々はみなそう言って、電鉄会社の人を励ました。
阪急は国の補助も受けず、少しづつ復旧・部分開業していった。
そして最後に残された西宮北口〜夙川間の高架部分の再開によって、
ついに神戸本線は全通した。
再開の日に、もちろん漏れも乗りに行った。神戸で逝った友のもとへ行くために。
運転台の後ろは人だかりだった。みな静かに鉄道の再開の喜びをかみ締めているようすだった。
夙川を渡るそのとき、川の土手に近所の幼稚園の園児たちが立ち並んでいるのが目に飛び込んできた。
手書きの横断幕を持って・・・。
「あ り が と う は ん き ゅ う で ん し ゃ」
運転手が普段ならしないはずのそこで敬礼をした。
そして大きく「出発進行!」と声を上げた。
その声は涙声になっていた。漏れも泣けた。
110 名前:日出づる処の名無し 投稿日:05/01/26 14:19:44 ID:XSkyF6GX
こんなん見つけた。
「この国の国民でよかった」馳浩の永田町通信
http://www.apa.co.jp/appletown/nagata/nt0501.html 香田証生さん誘拐事件のあらましと、マスコミが伝えないご遺族の言葉を
谷川秀善外務副大臣の談話として伝えている
ヨルダン国王の協力で、誘拐犯2人が判明して、交渉していたこと。
しかし香田さんは最悪の組織に売り渡された後で、交渉に応じなかったこと。
------------------------------------------------------
前略)
外務省としても出来る限りのあらゆるルートを使って努力をしましたが、本当
に残念です。その後、私たちはご遺体を収容し、香田さんのご遺族に届けました。
私も同行し、親御さんに対してごあいさつをして参りました。その時、対応していただ
いたご両親のお言葉を、ぜひ皆さんに伝えたいのです。マスコミには何度も報告して
いるのに、取りあげてくれません。皆さんの口から、有権者に向けて発信してほしい
のです」
参加議員はさらに身を乗り出した。
「ご両親はこうおっしゃいました。ふつつかな息子が、勧告を無視してイラクに入国した
がために、日本政府に大変ご迷惑をおかけし、多くの国民にご心配をおかけしたことに
おわび申し上げます。私の息子のために、本当に寝食を問わずに対応していただいた
全ての方に感謝申し上げます。私の息子は本当にこの国の国民で良かったと思って
います。日本の国に生まれたことを誇りに思います……。私は副大臣として、ていねい
に対応したつもりですが、こうしてご両親が感謝の意を表して下さり、日本の国民に生
まれて良かったと面と向かって伝えていただき、本当に心を動かされました。マスコミは
自衛隊派遣の是非や、撤退の賛否などについてばかり論評を費やしておりますが、香
田さんのご両親の肉声を大きく取りあげてはおりません。どうぞ、真実の声を、無念の
想いを皆さんもご理解下さい」
と、静かに発言を結ばれた。
(以下略
。・゚・(ノД`)・゚・。ウエエェェン
>142
だが、今の日本の現状だったら報道されなかったほうがよかったのかも。
「そういう風に言わされた」「言わないと生きていけない社会になった」などと
何がなんでも政府への悪罵にすりかえたい連中(=マスコミ)に叩かれ、
遺族の気持ちなんか平気で踏みにじられるに決まってるんだから。
マスコミとは事実を伝えるんじゃなく、
「マスコミの中の人が真実だと思いたがってることを伝える」もの。
世論によってしか指弾されず、
そして彼らは世論を動かす権利は自分たちにしかないと思い込んでる。
結果、彼らはまったく首輪をつけられない第四権力と化した……
145 :
日出づる処の名無し:05/01/28 19:32:59 ID:Zn9woo8s
保守age
>>144 その第四の権力様を叩き潰すチャンスだよ。
>>144 >「そういう風に言わされた」「言わないと生きていけない社会になった」
そう考える香具師らが、単に自分の考えに凝り固まってるだけだ。キニスンナ。
>>146 時あたかも、NHK対朝日全面戦争ですからな。
これを機に、不偏不党の幻想を洗いざらい検証して欲しいものです。
>219
いやぁ、んなこと言う連中の口からは、
口臭ならぬ煽動臭がぷんぷん漂ってきてますから。
ただ、そんな連中の道具にされたただの人が、
自分の言葉が捻じ曲げられ曲解されて伝えられる状況を見て
心を痛めるんだとしたら、それが辛いな、って話。
このスレに居るからこそ、ひと一人の心の価値ってものを大事にしたいしね……。
149 :
日出づる処の名無し:05/02/01 19:21:27 ID:99M+wrDG
щ(゚Д゚щ)新ネタカモォォォン!!
150 :
日出づる処の名無し:05/02/01 19:24:49 ID:WSBJKYYc
祖母がスマトラの災害を見て「東京の空襲はこんなに酷くなかったよ」と一言。
。・゚・(ノД`)・゚・。
うちの母方の祖母は、空襲で防空壕に避難したとき、自分の息子(伯父)が泣き出したら
兵士に「(子供を)殺せ!!」って怒鳴られたって言ってたな。殺さなかったけど。
こんな思いまでして守った息子との関係が、今では冷めてるってのが一番泣けるが。
空襲?
敵は空の彼方なのに?
506 名前:専守防衛さん[] 投稿日:04/09/12 01:09:37
俺が入隊した頃の関西は、とても制服で外出できるような雰囲気ではなかった
入隊後転々とした街は、それなりに自衛隊の街
数年後、NA勤務だった俺は妹の結婚式出席のため帰省した
関西空港を降り立つあたりから、違和感があった
空港の係官が敬礼してくる・・・訳も解らず答礼する・・・
電車に乗ると騒いでたDQNっぽい学生のうち一人が俺を見て、「おい止めろ」と仲間を静かにさせる・・・・
改札を出るときにも駅員が敬礼する
街を歩いてても、ガードマンが敬礼してくる
俺の中では、この町はブサヨに侵された街。不気味だ。
何とか時間に間に合って、式場の神社に着く。
親戚筋に教育関係者が居て、参列者には○○教職員組合の連中もいる
制服での参列について、この点で迷惑をかけないかが心配だった。
その親戚や妹とも事前に相談したが、心配ないから制服で来てくれとのことだった。
無事式が終わったのち、見知らぬおっさんが声をかけてきた。
組合の役員だという。
やっぱり来たか・・と身構えると・・・
「震災の時に世話になった。これからも体に気を付けて勤務に精励して欲しい」との話。
自衛隊が変わっていくのを実感した
当時、身の危険を顧みず、国民の負託に身をもって応えたMA諸官に感謝
507 名前:専守防衛さん[sage] 投稿日:04/09/12 02:33:52
1年前の成人式の話
自衛隊に入った同級生が制服で式に参加した。
外で晴れ着姿を見るために駆けつけたおばちゃんたちがたくさん。
制服姿を見たおばちゃんたちがこぞって駆けつけ同級生を囲んだ。
文句の雨嵐、仲間がすぐに助けに行った。
もともと気の弱い奴で、泣きそうな顔をして会場に入っていった。
奴が座ったのは最前列、町長の演説の時に散々自衛隊を非難される。
奴は黙ったままだったが、仲間がぶちきれてステージに乱入。
「おい!こいつにこんなに言わせておいていいのかよ!?」と自衛官の同級生に怒鳴りつける。
その自衛官は姿勢正しくステージに上りマイクを持ってこう言った。
「私の友人がこのような事をしてしまい大変申し訳ありません。
ですが、町長の自衛隊に対する言葉に対して一言口を挟ませていただきます。
508 名前:専守防衛さん[sage] 投稿日:04/09/12 02:45:30
続き
私は、○○普通科連隊所属、T1等陸士であります。
私個人に対して、文句を言っているのなら構わない。
ですが、私の所属する部隊、自衛隊の仲間に対しての文句は許せません。
私たちは、雨の日も風の日も 万が一のために備えて、自分のためでなく国民のために自分を鍛えております。
私は、自分の部隊また自分の職業を誇りに思っています。
人を救う仕事に就くことが私の夢でありました。
やりたい放題やってきた私ですが、こんな私でも人のために働ける職業、自衛隊を私は愛しています。」
町長に敬礼して舞台を降りてきた彼に会場中から拍手が贈られた。
その後彼はモテモテでした
>>154 T1等陸士(・∀・)カコイイ!!
本音でこういうことを言える人がうらやましい。
>153-154
成人とは「社会のルールを守って自らの意思を表明できる者」とも言えますな。
そういう意味では彼は見事に「成人式」を済ませたということですな。
いい話ばかりだ・・・まだ日本は大丈夫かもしれない
>>157 ここはそういうスレだ。>いい話ばかり
逆のスレが存在すれば「日本は死んだ」と思うかも知れんぞ。
バランスが大事なんだ・・と思う。
159 :
日出づる処の名無し:05/02/07 21:29:01 ID:dI9nyNQR
保守するのら〜
160 :
日出づる処の名無し:05/02/07 21:36:24 ID:FVTjpjGb
>>158 わざわざスレなんか立てなくても、マスゴミの皆さんがこぞって
日本はダメだと大合唱してくださってますよ。
良質フラッシュ、真実はどこに…を文字おこしした物を。
『真実はどこに…』
昭和19年
祖父はフィリピンにいました。
私と同じ23歳の祖父です。
フィリピンは日米の戦争に巻き込まれていました。
連日、海にはアメリカ艦隊の大群が押し寄せたそうです。
ミッドウェー海戦以降の日本軍は大東亜戦争初期の勢いは無く、
豊富な物資と強大な工業力を持つ米軍に徐々に追い詰められて行きました。
そんな中昭和19年6月15日、
本土防衛の為の重要拠点であったサイパン島が米軍に攻略された。
これによりB29による本土爆撃が可能となった。
フィリピンは日本と南方の石油を繋ぐ戦略的な要所であり、
米軍が獲得に動いた。
フィリピンを守る第一航空艦隊の当時の戦力は
零戦約40機しかなかった。
これだけの戦力では通常の作戦ではどうしようもないということは明らかと思われた。
大西中将はついに
『零戦に250Kg爆弾を抱かせて体当たりをやるほかに、
確実な攻撃法はないと思うがどんなものだろう?』
と体当たり攻撃を部下達に提案した。
この時、全員が両手を上げてこの作戦に賛成した。
当時の戦況、そして搭乗員の士気というのはそのようなものであった。
神風特別攻撃隊の編成
攻撃隊が結成された翌日、戦闘機の整備兵をやっていた祖父に
特別攻撃隊の友人が語った言葉です。
『もう戦争は続けるべきではない』
しかし、敵を追い落とすことができれば七分三分の講和ができるだろう。
アメリカを本土に迎えた場合、恐ろしい国である。
歴史に見るインデアンやハワイ民族のように闘魂のある者は次々各個撃破され、
日本民族の再興の機会は永久に失われてしまうだろう。
このためにも特攻を行ってでもフィリピンを最後の戦場にしなければならない。
しかしこれは、九分九厘成功の見込みはない、
では何故見込みのないのにこのような強行をするのか。
ここに信じてよいことがある。
いかなる形の講和になろうとも日本民族が将に滅びんとする時に当たって
身をもってこれを防いだ若者たちがいたという歴史の残る限り
五百年後、千年後の世に必ずや日本民族は再興するであろう。
『大空に雲は行き雲は流れり
すべての人よさらば 後を頼む
征って参ります』
『人は一度は死するもの
微笑んで征きます
出撃の日も そして永遠に』
『イッテマイリマス
ノチノニホンニエイコウアレ』
私が高校生の時、祖父とフィリピンに行きました。
『神風特別攻撃隊』をはじめ戦没者の慰霊祭に参加するためにです。
フィリピンの方々が日本国旗を振ってくれました。
東南アジアの国々から常に戦争の責任を追及されていると思い込んでいた私は驚きました。
神風特攻隊は戦後の日本では『戦争の悲劇』の代名詞としてしか語られていません。
しかしフィリピンでは捉え方がまったく違っていました。
式でのフィリピンの方のスピーチです。
当時、白人は有色人種を見下していました。
これに対して日本は、世界のあらゆる人種が平等にあるべきだとして
戦争に突入していったのです。
神風特別攻撃隊は、そうした白人の横暴に対する力による
最後の『抵抗』だったといえましょう。
そして、アジア内で唯一、抵抗してくれたのです。
かつて日本の統治を受けた台湾や韓国を見てください。
立派に経済的な繁栄を遂げているでしょう。
これは日本が統治下で施した『教育』の成果です。
ですが、アメリカの統治を受けたフィリピンでは、
自分たちでモノを作ることを学ばせてもらえなかった。
人々は鉛筆すら作ることができなかったのです。
アメリカが自分達の作ったものを一方的にフィリピンに売りつけてきたからでした。
フィリピン人は日本で伝えられているような『反日』などではなく、むしろ親日的です。
フィリピンの人々は戦争に対しては日本人よりもリアリストです。
戦争があれば多少なりとも悲劇はあると、現実的な考え方をしています。
ですからフィリピンの人々は日本を責めようなどとは思っていません。
フィリピン国家にも
『誉れ高い英雄達の生まれた国を崇めよ』
という一節があるくらいです。
欧米人のアジア観に多大な影響を与えた神風特攻隊は、フィリピンの人々に敬われ、
そしてその勇気が称賛されている。
日本人はこうした現実にも認識する必要があります。
今、自由に発言できること、ご飯を食べられること、感謝しましょう。
そして日本人が日本を好きになってほしい。
じいちゃんは小さい肩を震わせて泣いていました。
私は一つ、真実を知ることが出来ました。
>長文スマソ
>>161 7レス目でもう見るのが嫌になった・・・orzもうダメぽ
>>162 前にフラッシュで見た時、すごい泣けたけど今読んでもジーンとくる。
169 :
日出づる処の名無し:05/02/08 00:27:06 ID:geh2+5qV
カゼラさん、乙。
実に良スレ!
泣ける・゚・(ノД`)・゚・
171 :
日出づる処の名無し:05/02/10 18:21:45 ID:khH1dzD1
>122
「いくら説明しても誤報が流れ「心外で、悔しかった」という。だれが誤りを伝えたのか、
おかしいことだった。」
まったく日本のマスメディア は 糞 都市化言いようが無い。「報道2001」までもが
そのまま垂れ流してた。
おっと…コテ忘れてた…
日頃の自衛隊の皆様の活躍を思い出すためにも貼っておこう…
多分既出だけど。
「君達は自衛隊在職中、決して国民から感謝されたり、歓迎されることなく自衛隊を
終わるかもしれない。きっと非難とか叱咤ばかりの一生かもしれない。御苦労だと思う。
しかし、自衛隊が国民から歓迎されちやほやされる事態とは、外国から攻撃されて
国家存亡の時とか、災害派遣の時とか、国民が困窮し国家が混乱に直面している時
だけなのだ。言葉を換えれば、君達が日陰者である時のほうが、国民や日本は
幸せなのだ。どうか、耐えてもらいたい」
吉田茂 (昭和32年防衛大学第1回卒業式にて)
174 :
日出づる処の名無し:05/02/10 19:11:33 ID:7KUh0BAx
>>173 哀しすぎる…
。・゚・(ノД`)・゚・。 ウワアアアン
母を慕いて
母上お元気ですか
永い間本当に有難うございました
我六歳の時より育て下されし母
継母とは言え世の此の種の女にある如き
不祥事は一度たりとてなく
慈しみ育て下されし母
有り難い母 尊い母
俺は幸福だった
遂に最後迄「お母さん」と呼ばざりし俺
幾度か思い切って呼ばんとしたが
何と意志薄弱な俺だったろう
母上お許し下さい
さぞ淋しかったでしょう
今こそ大声で呼ばして頂きます
お母さん お母さん お母さんと
相花信夫 少尉 第七十七振武隊
昭和二十年五月四日出撃戦死 十八歳
遠い祖国の若き男よ、強く逞しく朗らかであれ。
なつかしい遠い母国の若き女達よ、清く美しく健康であれ。
〔海軍軍属 石田政夫 三七歳 昭和一九年八月八日、グアム島にて戦死〕
178 :
日出づる処の名無し:05/02/12 21:03:28 ID:CJxosauo
保守ニダ
179 :
日出づる処の名無し:05/02/12 21:06:38 ID:dpe8d2lR
>175
逃走した中国強盗団と命がけで格闘して逮捕してもマスコミ、市民に罵声ばかり浴びせられる警察の為に、たまには泣いてほしい(´д⊂)
hosyu
母上様に告ぐ
お母さん、首里の都もたうとう戦の庭と化しまして、
自分たちも鉄血勤王隊として軍服姿に身を固め、
英米撃滅に邁進したのであります。
沖縄の戦場もいつかは勝ち戦の時期が来るのですから、
母上様には御体を大切にされまして、勝ち戦を待っていて下さい。
自分のことはいかなる時にも御心配しないでください。
そして、小生を御国のために働かして下さい。
自分も良き死に場所を見つけて、御国に御奉公するつもりです。
お母さん、自分の働きぶりを見て下さい。
九段の御社で、母上様さやうなら。
散るべき時に散つてこそ
男と生まれし甲斐はありけり
豊里陳雄命 沖縄県立第一中学校3年 15歳
実話ではないんだけど
福井晴敏の「終戦のローレライ」の終章でボロ泣きした
183 :
日出づる処の名無し:05/02/16 21:15:42 ID:Xxf9DpYJ
捕手
184 :
日出づる処の名無し:05/02/17 23:49:35 ID:Hl0rB94n
爺様は広島で徴兵された
徴兵先で腕っぷしが強く、先輩面吹かして威張り散らしてた人がいたらしい。
皆が辟易してて、柔道4段の爺様にどうにかしてくれと頼んできたみたい
んでタイマンしてその人は爺様にボコボコにされた、、、、
その後バラバラになって
戦後すぐ爺様が大阪の片田舎で商売を始めた時、
店に電球を売りに来た人がいた。
その人がなんとタイマンした人。
まさか広島でもなく大阪市内でもなく、大阪の片田舎で会うなんて、。
昔のイザコザなくお互い「生きてたのか」って抱き合って涙したらしい
仕事後、爺様はその人を家に呼んで朝まで二人で飲み明かしたらしい
爺様は現在82歳で170cm90kgと巨漢で未だ元気
泣ける話じゃないけどスゴイ偶然もあるもんだとビックリした
185 :
日出づる処の名無し:05/02/18 00:09:19 ID:Ym0gofq6
186 :
日出づる処の名無し:05/02/18 00:13:29 ID:IiuZxmut
>>187 ROM暦余年、自分は韓国・韓国人のことは分かっていると思っていた。
信じられない。許せない。
ここ最近は笑韓気味だったけど、そんな気持ちが吹き飛んだ。
>>188 >
>>187 > ROM暦余年、自分は韓国・韓国人のことは分かっていると思っていた。
分かっているつもりなら、こんなことは「ありえる」と思わねば。
まだまだ、戸口にも入ってない。
笑韓の「笑」は、悲哀を込めたシニカルな笑いなのだよ。
っていうか、一番信じられないのは
自分とこの社員を勝手に見合いさせてしまう日本人の常務だろ、これ……
履歴書相手にあっさり渡すって、何考えてるんだこのクソバカ。
自分とこの女子社員を行きつけのクラブのねーちゃんと同レベルにしか考えてないんじゃん。
韓国人相手にそんなことしたら、あっちが勘違いするのも当然だろ。
敵は韓国人「だけじゃない」。日本国内の「良識派」こそ、本当に恐ろしい敵。
彼らを潰せば韓国人は負け犬に戻る。 いわば「良識派」が狂犬病ウイルスだ。
191 :
日出づる処の名無し:05/02/20 20:27:44 ID:jRRRmVFV
華麗にサヨクの俺様が保守
>>187 356嬢が無事で本当に良かった゚・(ノД`)・゚・
193 :
日出づる処の名無し:05/02/22 19:56:51 ID:ZVoLSRlF
帝國海軍の潜水艦が映画化になる
194 :
コピペ:05/02/24 21:10:19 ID:pIWG0DH7
太平洋戦争の時に日本軍の部隊が敵に包囲されて
名誉の戦死より 捕虜になってでも生きて祖国に戻る事を選んだ部隊長が
部下の命を助けてくれたお礼と 降参の意をこめて
家宝の佩刀を米軍の仕官に渡した話をどっかで聞いたことがある
米軍仕官は単なるお礼として受け取って家に飾っていたんだけど
何年かして家にきた日本好きの友人がそれを見て
「侍にとって刀は魂と同じで 命よりも大事なものだ それを手放すことは大変なことなんだぞ」
と 教えられ 仕官はビックリ
それから武士道の事を勉強し、大変な物を貰ってしまっことに気付いて
刀を返す為に当時の日本兵を必死に探したらしい
その後、戦後何十年も経って 二人はようやく再開して刀を返還したそうな
えー…ちょうど産経の方で面白いネタがあったので。
第2次世界大戦中、南太平洋のパラオ島(現パラオ共和国)沖で沈没した旧日本海軍の
給油艦「石廊(いろう)」に眠る200体近くの遺骨の引き揚げが、3月上旬にも
行われる見通しになった。同艦の生存者で、昨年は水中慰霊を行った三重県桑名市の石川
富松さん(86)らの要望を受け、厚生労働省がパラオ政府と最終調整している。
石川さんは「60年間、胸につかえていたものがやっととれた。無念の思いで異国の海底に
眠る戦友たちも浮かばれる」と話している。
石廊は昭和19年3月30日、米軍機の爆撃を受け沈没。乗組員約200人の大半が
死亡した。大火災を起こした船内から必死の思いで海上に逃れ、生存した石川さんは
沈没からちょうど60年目の昨年3月、石廊が眠る海にダイビング。甲板に花を手向け、
戦友の冥福を祈った。
その後、厚生労働省に遺骨収拾をかけ合い続けた努力が実り、今月初め、同省は遺骨
収拾のための調査の許可をパラオ側に申請した。許可が下りれば来月4日から4日間
程度、調査と遺骨収拾を行う。
戦争による沈没船からの遺骨引き揚げは、やはり南太平洋にあるトラック諸島沖に
沈んでいた9隻の艦船を対象に、平成6年度から2年かけて行われて以来という。
石川さんは、「南洋には、まだ何十万という戦死者が眠っており、これで終わりには
したくない。遺骨収拾の訴えを続けたい」と訴えている。
http://www.sankei.co.jp/news/050224/sha091.htm
>>194 いい話だなあ、webのどっかにないですかねえ・・
>>195 この人は85歳でダイビングしたわけですか!
すごいなあ。
>>195 石川さんのドキュメンタリーを見ました。
石川さんの思いが通じて良かった。
198 :
日出づる処の名無し:05/02/26 21:22:12 ID:0GZuFZNf
保守本流
200 :
196:05/02/26 21:48:09 ID:Yg9qCpmh
>>199 どうもありがとうございます。息子さんに教えられたんですね。
ええ話や。
救援派遣の海自隊員、アチェ空港近くで旧海軍の碑発見
インドネシア・スマトラ島沖地震と津波被災地の支援で自衛隊が派遣されているバンダアチェの空港付近で、
海上自衛隊員らが26日、第2次大戦中に旧日本海軍によって建てられた石碑2基の清掃作業をした。
派遣隊員が19日に空港を訪れ、空港関係者に案内されて碑の存在を知った。
碑の1つには「忠魂碑 海軍澁谷部隊」「昭和19年10月建立」と刻まれ、別の碑は現地労働者のための慰霊碑だった。
防衛庁によると、碑に名が刻まれた部隊は、インドネシアが旧日本軍の軍政下だった1943―44年、同島に
飛行場建設のため派遣された施設部隊で、戦闘に参加した記録はないという。
石碑の1つは倒れ、ペンキで汚されるなどしていたため、インドネシア軍が修復に協力し、海自隊員は、
碑周辺の清掃や草取り、整地などをした。
(2005/2/26/22:16 読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20050226i512.htm
…ニューギニアのブナにおける戦闘では、陸軍大佐・山本重省が、勇敢に戦った高砂
義勇隊の活躍に感謝を込めた遺書を残して玉砕しているほどで、その名声は南方で
戦う前線の日本軍兵士の間に広く知れ渡った。
彼らは、先祖伝来の「蕃刀」をもって、ジャングルを切り拓き、台湾山地の密林で培わ
れた鋭い感性をもって深い密林の中で日本軍の先頭に立った。そしていざ会敵すれ
ば、日本軍兵士に優るとも決して劣らぬ勇敢さで敵に敢然と向かっていったのである。
”南方のある戦線では、高砂義勇隊の兵士が、日本の戦友達に食べさせる食糧を探し
に出かけたが、いくら待ってもその兵士はジャングルから戻らず、おそらく戦死したもの
と考えられていた。ところが後に発見されたとき、その兵士は両手に食糧を抱えたまま
「餓死」していたのである。日本の戦友に食べさせる食糧にはいっさい手を付けずに
餓死を選んだのだった。 ”
”高砂族のある古老は日本語でこう語ったという。
「我々は台湾に来たオランダにも鄭成功にもそして清国に対しても屈従しなかった
しかし日本だけは別だった
それは大東亜戦争の魅力には勝てなかったからだ」
大東亜戦争の魅力・・・・・ それこそ白人の植民地支配からのアジアの開放と
いう大義に他ならず先住民以外の台湾人も志願に殺到したのである”
このように大東亜戦争に戦地に赴いた台湾人は20万7千人、戦死者は3万300人、
その1割が高砂兵であった。
http://www.geocities.jp/kamikazes_site/tokko_episode/kaoru_kuteitai.html
ガイシュツだけど高砂族に敬意を表して。
平成14年の四月三日、
見なれない民族衣装を纏って靖国神社に参拝する一行があった。
一行の先頭には「高砂挺身報国隊」と右から左へ記された日の丸の旗があった。
彼らは当時、高砂族と呼ばれた台湾先住民族で、
靖国神社に奉られている戦友や父・兄に会いに遥々やって来たのだ。
高砂義勇隊の戦士達は勇敢にして純真、そして責任感が強かったという。
ジャングルでは方向感覚抜群で聴力に優れ、夜目も利く。
潜入攻撃はお手のものだったらしい。
最後の皇軍兵士こと中村輝夫一等兵(スニヨン氏)という存在もあった。
一行の一人、回天特攻隊の生き残り、日本名、古田栄一氏はこう話す。
「なぁ〜に 回天10隻もあれば、アメリカの空母もやってみせますよ。
私ね、ただ一つだけ・・・靖国神社に入ることが出来なかった事、
其れが残念でなりません。
今からでも、私が死んだら靖国神社に入れますか?」
真剣な眼差しで問い掛ける氏の目には泪が溢れていた。
「太平洋には私の戦友が眠っとるんです。
私が死んだら遺灰を海にまいて欲しい。
私は海の男だからね。
けれど魂だけは、靖国神社に・・・」
声を詰まらせた氏はもはや其れ以上を言葉に出来ず、
こみ上げる泪を腕で拭うのみ・・・・・。
戦後、日本国籍を持たない彼ら元皇軍に、日本政府は冷たい。
軍人恩給がつかない事は、反日運動の材料とされる事もある。
・・・・・そんなことはどうでも良い。
俺は、彼らを最敬礼で迎え入れる事が出来ない「日本の社会」を恥じる。
もういっちょ。
昭和四十年頃のことである。
蒋介石が新東宝映画「明治大帝と日露大戦争」を見て感激し、
「一般に公開せよ」と命令した。
台湾各地で上映されたのだが、すぐに上映禁止になった。
というのは、高砂族の人々がどっと映画館に繰り出し、
嵐寛寿朗扮する明治天皇が画面に登場されるや、
必ず全員が起立して敬礼するからだった。
日本人と高砂族、どちらが歴史に忠実と言えようか。
――「台湾と日本・交流秘話」(展転社)より――
975 名前: 名無しさん? [sage] 投稿日: 05/02/27 21:30:12 ID:???
>>968 禿同
何というか、戦争とかの映像が流れると「すげぇ…」というのと、爺様がガタルカナルの生き残りで、
子供の時に泣きながら戦争の話ししてくれた時の事思い出して、涙が出て止まらなくなる。
「空から炎が落ちて、目の前の友達の体がブドウの房のようになった」
「走り続けても、聞こえるのは、肉がひしゃげる音と爆発音だけ。死にたいけれど、足が止まらない」
「相手の兵隊さんを撃つ時、兵隊さんが微笑んで「センキュー」と言っていた。その兵隊さん、下半身がなかったからなぁ」
全ての話しが、今思い出すと地獄のような出来事だったんだなぁ…と思う。
>>204 ・゚・(ノД`)・゚・。 ウワァァン ええ話やー。
映画を輸入した蒋介石、銀幕の明治帝に敬礼する高砂族、どちらにも男気を感じる。
…考えてみれば台湾から見た日本って、政府にとっては旧敵国、先住民にとっては旧宗主国なんだよな。
なんて複雑極まりないんだ。
泣ける・・・ ・゚・(ノД`)・゚・
良スレだなぁー。
209 :
日出づる処の名無し:05/03/02 05:39:20 ID:Wm13oo0I
某架空戦記潜水艦邦画とはえらい違いだ・・・
>209
こんなこと考える香具師はクズだな…
>>211 (´・ω・`)?
具体的になにがどうクズなのか詳しく。
【社会】英国女性 日本兵の「心」忘れない 来日、遺族と面会へ
第二次世界大戦中、日本が占領したビルマ(現ミャンマー)で、敵国人として抑留生活を送った英国人女性が当時、
心を通い合わせた日本兵がいた。60年以上を経ても忘れることのなかった兵士を、女性は一葉の写真だけを頼りに捜した。
既に亡くなっていたが、遺族が東京にいることが分かった。7日に来日し、面会する。兵士の子供たちに「素晴らしい人だった」と伝えるつもりだ。
女性は英国・ランカシャー在住のシーリア・ミードさん(66)。当時、父が政府職員として英国領だったミャンマーで勤務しており、ミードさんはそこで生まれ育った。
日本軍のミャンマー進攻は1942年1月。「爆弾で家を破壊され、避難先の防空壕(ごう)もやられた」とミードさんは言う。間もなく家族は抑留生活を強いられ、
1歳になったばかりの弟を亡くす。
日本兵との出会いはそんな時だった。英語で話し、食べ物をこっそり差し入れてくれるなど気遣ってくれた。
ある日、兵士は「別の場所へ移動する。そこは戦闘が激しく生きて帰れないかもしれない。戦争が終わったらぜひ日本へ桜を見に行ってほしい」と語り、
出征する兵士の無事を祈る「千人針」を手渡してくれた。それが最後だったという。ミードさんは当時5歳か6歳。だが兵士との交流は幼い心に深く刻まれた。
45年、戦争が終わり、ミードさんは本国に帰ったが、兵士からもらった写真は大切に保管していた。昨年、日本軍の捕虜だった元英国兵士らも加わる英国の
慈善団体の旅で、日本を訪ねることになったのをきっかけに、兵士のことを団体に相談。写真の裏に書かれていた「東京淀橋区(現新宿区)」という住所や、
表の名前から昨秋、兵士が加藤克正さんと判明した。
加藤さんは無事復員して、貿易関係の仕事に就き、3人の子供にも恵まれたが、79年に67歳で亡くなっていた。このため、加藤さんの子供と孫の計5人が
ミードさんと19日に東京で面会する。
長男晴弘さん(51)は「父は戦争のことをほとんど語らなかったのでとても驚いた。父のアルバムを持って行き、話を聞きたい」と言う。
ミードさんは「自分の千人針まで私にくれた。親切に接してくれた加藤さんの人柄のすばらしさを伝えたい」と語っている。
【西脇真一】
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20050305k0000e040045000c.html http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1110014467/l50
ある海軍大佐の秘密 国際法違反は日本のため
[1999年02月20日]
司馬遼太郎の「坂の上の雲」が今、本紙で再連載されている。
今週はまだ明治二十年代。若き日の秋山真之の学ぶ海軍兵学校が江田島に引っ越したころの話だが、
そういういく筋ものエピソードがやがて一本の奔流となってクライマックスを迎える。
明治三十八年五月二十七日の日本海海戦である。日本の連合艦隊はこの日、四十隻を超えるロシア・
バルチック艦隊を対馬沖に迎え撃ち、沈まないのが世界の常識だった主力大型戦艦七隻と、ついでに
巡洋艦も海防艦もまとめてすべて沈めてしまった。
それがいかに信じられない勝ち方だったかは、ニューヨーク・タイムズをして「ロシア艦隊で水兵の反乱が
起こり、キングピンを抜いたとの情報もある」とウソ記事を書かしめたことでも分かる。
司馬遼太郎はこの海戦について海軍軍令部編「明治海戦史」やロシア水兵プリボイの書いた「ツシマ」などを
渉猟している。おそらく英国の観戦武官ペケナムの報告書も見たと思う。
しかし、もう一人、外国人武官がもっと精密な報告書を作成していたことは知らなかった。
アルゼンチン海軍大佐、ドメク・ガルシアで、彼は「三笠」を旗艦とする第一艦隊の殿(しんがり)艦となる
「日進」に乗り、東郷平八郎の敵前回頭のスペクタクルを含めた二日間の激しい戦いをくまなく目撃していた。
この体験をまとめたのが今でもアルゼンチン海軍士官学校の教典として使われている「海戦記」である。
この国は海軍国家という自負があり、エスタブリッシュメントは海軍出身者が多く、偉い人はだれもが
ガルシア大佐の教典を読み、東郷の名にも親しんできた。
実はこの話も駐日アルゼンチン大使に教えてもらった。うれしくなってブエノスアイレスにいって大佐の
孫ホラシオ氏にも会ってきたが、大佐の著作の方も同大使の助力で翻訳され、「アルゼンチン観戦武官の記録」
のタイトルで刊行されたばかりである。
大佐の記録は日本や当時の政治環境にも触れる。例えば、英米など十三カ国から四十二人もの海軍武官が
東郷艦隊で観戦する予定だったが、米国の三人全員を含め「四十人がコワくなって逃げた」。日本海軍のそれが
当時の評価だったといった観察だ。
ただ、それほど緻密な海戦記録にも少し妙なところもある。
ガルシア大佐は第一艦隊の殿艦に乗った。陸でも海でもしんがりは旗艦に次ぐ重要な役割を持つが、同時に損な役回りでもある。
例の敵前回頭でも殿艦の番になるころにはロシア艦隊の照準も合い出して集中砲撃を食らう。
その一発が「後部砲塔に命中し、熱い細粉が司令塔のスリットに吹き込み、提督と副官は一瞬にして視力を失った…
さらに同じ砲弾は艦橋も襲い、艦長と砲術士官は甲板上に投げ出された」。
艦長のけがは詳述されていないが、いずれにせよ「日進」の指揮系統は大きなダメージを受けたという記述がある。
しかし「日進」は何ごともなかったようにその後の作戦をこなし、翌二十八日にはネボガトフ艦隊を捕捉する。
「東郷艦隊が北方沖合に現れたとき旗艦ニコライI世号の艦長の戦意はまったく失われた。きのう飽き飽きするほど見せつけられた陣容であり、驚いたことにどの艦の外観も変化していなかった」(「坂の上の雲」から)。
つまり「日進」の操舵と砲撃をだれが指揮したのか、それがすっぽり抜け落ちているのだ。
実はこの疑問にこたえる一葉の写真とメッセージがホラシオ氏から届けられた。写真には「下賜された」菊のご紋章入りの一輪挿しと、
金蒔絵の文箱が写っている。
メッセージは「被弾後、砲術士官だった祖父が実は指揮を執って戦闘を続行した」。これは観戦武官に許されない国際法違反の行動だが、
「祖父は日本を知り、この戦争の意味を知っていたからこそ、信念をもって協力に踏み切った」という。
これが今まで公表できなかった理由で、明治天皇はその辺の事情を考慮して「感謝の気持ち」を贈り物に託したと解釈できる。
「わたしはこの秘話を祖父のひざで聞いた。国際法違反もそろそろ時効と考え、祖父の記録が日本で刊行される機会にお話ししておきたかった」
と結んでいる。
あちらの教科書を見たことがある。「日進」がアルゼンチンから日本に譲られた艦といういきさつがあり、東郷の名とともに日露戦争が
二ページもさかれていた。この戦争が列強の世界支配にブレーキをかけ、「世界の流れを変えた」という記述もある。
一方、日本の教科書は「日本海でも両国艦隊が戦い、日本軍が勝った」の一行だけ。あとは幸徳秋水や内村鑑三が戦争に反対し、
与謝野晶子の「君死にたまふこと勿れ」で終わる。
ガルシア大佐が国際法違反を覚悟してまでやってのけた情熱は今の日本にはどうも伝わりそうもないようだ。
219 :
日出づる処の名無し:05/03/06 09:15:03 ID:C77yj5CV
保守がてらコピペ(=゚ω゚)だょぅ
>216-218
目的さえよければ法など踏み越えてよい、という観点でこの事実を描写してしまうと
半島の人々と同レベルに堕しますよ。
よほど気をつけて取り扱わないと、狂信的パトリオティズムに陥りかねないケースです、これ。
>>194 武士の精神を理解し、刀を返そうと努力を続けた米軍士官の男気にも感動した。
この米軍士官も立派な侍だ。
漢に国境は無いな。
http://webnews.asahi.co.jp/special/tele/ 2002年8月、真珠湾沖の海底でハワイ大学の深海探査艇が旧日本海軍の特殊潜航艇を発見した。
真珠湾奇襲攻撃に参加した5隻の一つだ。
潜航艇部隊の生き残り、宇野真さん(島根在住85歳)は整備兵として潜航艇の発進作業を行い最後に見送った。
彼は、戦死した5隻9人の友を思い、時には生き延びたことに戸惑いを覚えながら戦後を過ごしてきた。
毎日写経を欠かさない。取材班は、深海探査艇に乗り、海底406mに横たわる潜航艇に到達、撮影に成功する。
太平洋戦争の緒戦、真珠湾攻撃から64年が経つが、戦争は今も人々の心に重くのしかかっていた。
関西圏ではもう放送されました。
泣けた・・・
ここらで保守。
ここももうすぐ落ちるな。
>>220 > >216-218
> 目的さえよければ法など踏み越えてよい、という観点でこの事実を描写してしまうと
> 半島の人々と同レベルに堕しますよ。
> よほど気をつけて取り扱わないと、狂信的パトリオティズムに陥りかねないケースです、これ。
確かに法を踏み越えては居るが、その根本にあるものが半島人みたいなエゴイズムでは無いよ。
現実には観戦武官が戦術を指南することは珍しくはなかったし。
>225
「エゴじゃないから法を超えてもよい」ってのがヤバイのさ。
保守
228 :
日出づる処の名無し :05/03/14 21:42:09 ID:DVYkbRCO
良スレage
229 :
日出づる処の名無し:05/03/14 21:56:46 ID:CFsq3NxG
目の前に果たすべき役割を突きつけられて、
それを無視するには、よほど信念が必要だ。
あるいは、まったくの無能ならば可能かもね。
果たすべき役割ってのは「観戦武官の立場を踏み越えること」じゃないぞ。
自分の立場を守り、生きた情報を仕入れてくることこそが「果たすべき役割」であって
それを逸脱した行為を罪として指摘できないのは、
肝心の「条理」を無視した人治国家として馬鹿にされても仕方がない。
「当時の日本がそれほど期待されていた」という文脈で描くのならまだしも、
「日本を助けてくれたから善行」なんて描き方したら
帰化先を裏切って何一つ罪の意識を持たなかった「ロバート・キム事件」で示された
韓国の民度と同レベルであることに、なってしまう。
>>226 「エゴじゃないから法を超えてもよい」ってのは確かにヤバイけど
225は「法を超えてもよい」とは言ってないぞ。
国際法違反の観戦武官の行為に感動し尊敬すら感じてしまい、
半島人の違法行為にそれを感じないのはなぜだろう?
法律は守るべきものだが、完全なものではない。
時として己の信念に基づく行為が法に触れてしまう事もあるだろう。
その際問われるべきは、その信念、志の質なのではないか。
そこの所が判らないと、この美談を
「目的さえよければ法など踏み越えてよい」などという観点でしか捉えられないことになってしまう。
>これは観戦武官に許されない国際法違反の行動だが、
>「祖父は日本を知り、この戦争の意味を知っていたからこそ、信念をもって協力に踏み切った」という。
この行為に対し明治天皇は感謝の気持ちを込めて贈り物を贈ったのである。
まとまりの悪い文章でスマソ。
232 :
日出づる処の名無し:05/03/14 23:53:29 ID:CFsq3NxG
つか、どっちにしても、
公には出来ないけどね。
>231
だから、「よほど気をつけて取り扱わないと」って言われてるんですよ。
「志」は罪を棄却しません。 ガルシア大佐が祖国を重大な危険に晒したことはれっきとした事実なんです。
その事実を踏まえた上で、「そういうふうに日本に期待してくれた人がいた」ことを覚えておくのは
日本人である我々の責務でしょうが
「日本に肩入れしてくれたから」彼が祖国に対して犯した罪を無かったことにする、というのは間違い。
全肯定しなけりゃ納得できないという人が語るには、あまりにも難しすぎるケースです、コレ。
234 :
日出づる処の名無し:
公式には、無かった。
でも、忘れない。