中国の人肉食文化を真剣に議論するスレ

このエントリーをはてなブックマークに追加
116日出づる処の名無し
隋末期の武将、朱粲は人食い大魔王とでも言うべき人物だった。
当時、襄陽あたりは飢饉に見舞われ、六十gの米が一万銭でも買えない状態。
朱はこれに乗じて兵をおこし、言った。
「この世で人肉ほど美味い物があろうか。しかも国中何処でも人間が居る
兵糧の心配など何もない。」
朱は部下に命じて女子供を捕まえさせ、蒸し肉に加工して兵糧として配給した。
また、城市を占領しては各部隊に男女を食糧として分け与えた。
のち、唐に投降したのちに唐の武将、段確に宴会の席で尋ねられた。
「人肉が好みだそうだが、どれほど美味な物かな?」
朱粲は答える。
「酒を飲んだ後の人間ならば、『粕漬け豚肉』ですな」
段確は怒って叫んだ。
「この恥知らずが!唐に降った囚われ人のくせにまだ人を喰らうつもりか!」
これを聞きつけた朱は部下に段確を殺させ、その肉を煮て喰った。

五代十国時代の趙思綰が長安を占領した際、城内は食料が尽きていた。
そこで趙は部下に男女を捕らえさせて食料とした。戦のたびに数百人が
食べられたという。
特に趙は肝が好物、まだ生きている人間を柱に縛り付けて腹を裂き、肝を取り出すと
じっくりと炒めて食べた。
彼が敗死するまでに、「六十個以上」の人肝が喰われたという。