馬鹿サヨのカキコは、馬鹿以下!!part2

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9サヨDEF
以下僕のレスです。

>>980
>そのブルジョア的な法秩序にたいして、市民(プロレタリアート)が満足してるとしたど〜するの。

たしかに戦後の経済的高度成長とアメリカから輸入された「民主主義」的意識の定着は、資本主義の
全的否定としてのマルクス主義の無効を告げ知らせるものであるかのような認識の原因となった
ということは間違いないでしょう。
当のサヨ自身が皆そういうふうに考えて路線の変更、修正に血道をあげていたわけですから。

僕らもまさにそうした価値観のなかで育ってきた世代です。この世の持続的発展を信じて受験勉強に
埋没し、模範的「市民」となることを夢見ておりました。
しかし今や、若い世代は苦労して大学を卒業してもなんら未来は保障されず、働き盛りの世代は
死ぬ思いで払い続けた住宅ローンがリストラによっていつムダとなってしまうかという恐怖に常に怯えねば
ならず、老いたる世代は度重なる福祉の切り捨てに自殺すら真剣に考えなくてはならない、このような
社会にもはや「市民が満足している」と言いうるかどうかということではないでしょうか。

まず、僕自身が「満足」していませんし、僕の周辺にも「満足」している人など皆無といっていいのは
僕のおかれた環境が単に特殊なだけなのでしょうか?皆漠然たる将来への不安に怯え、戦後的な平和の
終焉を身を持って感じはじめているというのが実際ではないですか?

革命とは、労働者階級の革命的階級としての自己形成と、客観的な情勢の成熟があいまってはじめて
勝ち取られるものです。
社会への不満は明らかに増大しているし、それをどのように発散するべきかという人々の言い知れぬ声
というものを僕は日々体感しています。僕のような世代が革命的思想に感化されるということも永らく
なかったことなのでしょうが、友人たちも含め、同世代が社会の持続的発展などというものをもはや微塵の
信じておらず、来るべき破滅を回避するためになにをなすべきかということを真剣に考えはじめている
ことも事実なのです。
10サヨDEF:04/05/12 15:33 ID:qyOtUCfS

>どの部族が戦争も喧嘩もなく存在してるのか、具体的な例示をキボンヌ。

民族学者の未開社会へのフィールドワークが一般化したのは60年代になってからのことにすぎませんが、
僕が読んだ多くの著作にそうした叙述がみられました。
レヴィ・ストロースの『悲しき熱帯』は彼のフィールドワーク体験を随筆風に記録した傑作であると思い
ますが、南米アマゾンの奥地に暮すナンビクラワ族との生活のなかで、彼らの社会意識の変移をストロース
は神話の分析をもとに後づけています。ストロースが訪れたときにはすでにキリスト教宣教師がそこを訪れた
後であり、文明との接触が未開社会にいかなる影響を及ぼすかを推論しました。

温暖で凍えることもなく、豊富な食物に囲まれてくらす彼らの社会関係にはながらく搾取があらわれることは
ありませんでした。原始以来の未開生活を維持しえたのも、そこに生産力が発展せずとも争うことなく平和に
暮すことのできる環境があってのことです。しかし、宣教師によってパンツを履くことを教えられ、
様々な文明が彼らにもたらされることによって、それまでなしえなかった新たな生産様式が彼らの社会に
根付くようになり、階級分化が結果したわけです。

思い付きの羅列のようで申し訳ありませんが、もう一例。
僕がタヒチを旅行した際の体験いおいても同様の事例を目の当たりにしたことがあります。
ポリネシアでは多夫多妻の婚姻形態が今でも続いているのですが、それはまさに相続というシステムが社会的に
まったく必要でないほど彼らの生活環境が恵まれているということに起因しています。
しかし、近代においてはそれも徐々に崩壊しつつあると僕の知り合った長老は嘆いていました。
彼らの伝統的秩序は外からの秩序に駆逐され、民族全体が支配される階級と成り果ててしまったのです。
それまで全く社会的対立というものと無縁だった彼らのもとに、外からもたらされた種々の生産力は彼らの生活
を一変させ、今や島の経済はその90%が華僑によって牛耳られています。

その他枚挙にいとまがありませんが、人間の社会的対立というものが階級の分化とともにあるということは、
紛れもない事実です。それは普遍でもなければ人間本来の性向でもないということです。

11サヨDEF:04/05/12 15:34 ID:qyOtUCfS

>オマイさんはその処方箋としてマルクス主義があると考えてるんだろ〜が、各部族(組織)ごとに完結した
>宗教観などの価値基準を完全に放逐はできないだろ。

自然への畏怖が社会意識として根付いた原始宗教は別として、宗教の歴史はそのまま階級社会の歴史です。
宗教という社会意識も下部構造に根ざすものである以上、その経済的必然性を失えば自然と淘汰されるものに
すぎません。「完結した宗教」などという見方はあまりに形而上学的と言わざるをえません。
付言すれば、マルクス主義は宗教や「価値基準」そのものを「放逐」しようなどとするものではありません。
そんなことは不可能だし、無意味だと考えています。なぜならそれらは階級社会が生んだ倒錯した意識であるに
すぎないからです。倒錯そのものを駆逐するんではなく、倒錯を生むシステムを駆逐するのでなければならない
ということです。

>完全なる共同体を越えた価値観を構築する為には、不完全な人間が持つ人間性を駆逐するという二律背反を
>克服することは不可能だ。

まず、「不完全な人間」なるものを措定することが誤りです。人間社会を構築するのは「人間の価値観」などという
ものではないということです。ヘーゲルはそう考えていたわけですがね。
社会を形成するものは「価値観」などという観念ではありません。そもそも内的統一が不可能な個人の観念なるものが、
全社会を覆うことができないなどということは自明ではあるわけですが、ではなぜ人間が往々にしてそうした誤りに
陥ってしまうのかと言えば、それも階級社会における意識の倒錯以外のなにものでもないと僕達は考えるわけです。

12サヨDEF:04/05/12 15:35 ID:qyOtUCfS

>>981
>二人の人間が出会うと対立が起きる。生命維持の観点からすれば自分の優位性を確立する行動志向は動物である
>人間も免れない。

単に、ヘーゲルの時代においてはそうした考察に立脚することなしに人間の対立一般について説明することが
できなかったと考えるべきでしょう。双方の「生命維持」が物質的に可能ならしむ生産力の発展段階に到達すること
ができれば、そんな問題は消し飛んでしまうという次元の話にすぎませんし。

>方法は二つある。一つは相手を殺すこと、もう一つは相手を屈服させることだ。争いに勝った側は自己の満足を
>満たすために殺さず屈服させることを選んだ。

その論理そのものにまったく異論はありませんよ。ただしそれは人間社会一般について言えるのではなく、階級社会
一般について言える理屈であるにすぎないということです。

>現実の歴史はマルクスが望んだ通りには進まず、高度に発達した技術を手に入れるコトで君を凌駕した民が
>イニシャティブを掴んだ。
>具体的にいえばビル・ゲイツであったり孫正義であったりする人々が実例として挙げられよう。マルクスが考え
>る階級は既に流動化しているんだぜ。

「君」と「民」などという怪し気なタームで現代社会を捉えようとすること自体に無理があるとは思いますが、
ビル・ゲイツや孫さんは単に、企業のCEOであるにすぎず、人格的に社会の「君」となっているわけでは全然ありません
よね。それをもって階級論の無効を証明することには全然ならないということです。先にも述べましたが、現代の
搾取構造は、分かりやすい人格的立場性に由来するものでは全くなくなっているという点に特徴があります。
であるがゆえに戦争というものがかつてないほどの非人間性に至るわけですし。

13サヨDEF:04/05/12 15:35 ID:qyOtUCfS
>イスラエルとパレスチナ関係などが代表しているよ〜に、利害関係だけではなく民族関係が複雑に絡まったものだ。

民族というターム自体がすぐれて階級社会に特有のものであるということです。多様にあらわれる人間集団を束ねる
軸となるものはやはり利害関係であるにすぎないということです。文化の違いや信じる神の違いによって直ちに殺しあい
を始めるほど人間は愚かではありません。
パレスチナ問題の底にあるものはまぎれもなく帝国主義の害悪の現れそのものなのです。