★保存版★泣ける話@極東板 part2.5

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298日出づる処の名無し
6月9日 産経抄

帰国した陸上自衛隊第一次イラク復興の番匠幸一郎支援群長(一等陸佐)が
本紙のインタビューで語ったが、宿営地近くに迫撃砲弾が落ちた時も「予定通り
任務を完全遂行していた」と。「活動は一日も休まなかった」そうである。 
 
▼情勢が緊迫するや、自衛隊は業務を中断して“穴ごもり”をしたごとく
伝えられていたが、その一部報道は「全く事実に反する」。“籠城(ろうじょう)”
などは一日もしておらず給水活動も続けていた。いくら説明しても誤報が
流れ「心外で、悔しかった」という。だれが誤りを伝えたのか、おかしいことだった。

 ▼番匠群長らは武士道とともにGNNをモットーにして活動したというのが
愉快だ。GNNとは義理と人情と浪花節だとか。『上を向いて歩こう』など
日本の歌をバンドを組んで流し、ユーフラテス川上空に鯉(こい)のぼりの
大群をあげたという。

 ▼そもそも水の中に棲(す)む魚を中空高く泳がせる。日本人の卓抜な奇想は、
イラク人を文字通り仰天させたに違いない。「郷に入れば郷に従え」はもちろん
移住の基本だが、相手も最古の文明を生んだ地の人間である。以心伝心
ということもあるはずだ。

 ▼イラク派遣の当初は「イラク人を敵に回すことになる」などと不安をあおる
マスコミや評論家が少なからずあった。しかし日本人人質事件後の世論調査では、
日本政府の対応を支持する人が68%になり、自衛隊派遣の容認がついに
過半数を占めた。

 ▼五月下旬、サマワがあるムサンナ県のシーア派宗教指導者アルワエリ師ら
要人が来日し、小泉首相と会談して要求したことは「自衛隊の撤退ではなく、
逆に増派してほしい」ということだった。 ごくろうさまでした。

自衛隊の奮闘はみごとにサマワの信頼と友情をかちえたのである。