(´-`).。oO(可哀相に…)
186 :
戯れ言2:04/04/05 19:21 ID:/V/D3JQo
>>183 ああ、言い方がきつかったか。
んじゃ、
「環境によって生ずる、一定の強制力を持った固定観念」
て言い方はどうよ?
共通認識としての道徳ってのは、「学んだ」物であって、確かに誰に強制されたものではないけれど、
周囲の環境が「そうあるべき」ものであるから、そのように認識するのですよ。
当たり前すぎて自分では気付けないかもしれないが、
ソレには確かに自分以外の意志が介入しているものなんですね。
例えば、
「牛を殺すなんてとんでもない」なんて国もあれば、
人を殺して食う部族もあったりするし、
日常で銃を持ち歩く国もあったりするわけだ。
自分で感じる「正しいこと」ってのは、所詮自分が育った環境の価値観でしかないってこと。
独自の価値観を持ち続けることは大切なことだけれども、
周囲の環境に合わせられなければ、ただの犯罪ってこと。
ま、そんだけ。
振り返って、武士道を見てみようか、
「間違いや汚名を晴らすためには、死な(殺さ)なければならない」
ってのは、強迫観念といっても過言では無いのではなかろうか?
「忠臣蔵」とか見る度に思っちゃうんだよなぁ・・・。
おお、ほんっとに青くせぇや(笑
いやいや、失礼いたしました。
>>186 とりあえず「銀河鉄道999」でも読んでみたら。
188 :
日出づる処の名無し:04/04/14 14:29 ID:QCuUCkoK
道徳、名誉、罪悪感、誇り、全て脅迫観念。
コンプレックスやストレス、逃避、危機感、などが、ぐるぐる回って出来上がる。
それが人間。
武士道精神そのものを最初に正確に定義して、そこから演繹して何の役にたつ
か考えてみても自分には難しすぎる。
けれど現在ただ一国で文化、経済、科学技術において西欧社会とタメをはる
までになった日本という存在から出発して、特に他のアジア諸国には無い
何が今の日本にはあったのか?、と帰納してみてゆくと、その原因の一つが
つまりは武士道精神だったのではないか、と思えてくる。
190 :
戯れ言3:04/04/15 11:53 ID:Y5O3loSn
「ソレら」は、自が身に「課す」モノ。
すなわち、
『脅迫「する」のも「される」のも、他ならぬ「自分自身」である』
191 :
日出づる処の名無し:04/04/15 15:03 ID:FVS/vbUk
その自分自身とは何だろうか?
本能に従うことがそのまま自己保存の方法でもあるような動物と違って、
人間は「現実原則に従う自我と快感原則に従うエスとの対立」あるいは分裂状態にあるところにその根本的原因があります。
人間は、自己の快感原則にそのまま従っていては、まわりとの絶え間ない衝突を生み出して、
自己や種族の保存どころか、自己や種族の破滅に陥る(「人間は本能が壊れている」)ため、
むしろ、それ(快感原則に従うエス)を抑圧し、環境との折り合いをつける、自己や種族を保存をするための「自我」が形成される。
自分自体が脅迫観念から生まれたと言っても過言では無い。
>>189 >何が今の日本にはあったのか?、と帰納してみてゆくと、その原因の一つが
>つまりは武士道精神だったのではないか、と思えてくる。
帰納してないじゃん。
他のアジア諸国にはどうして武士道精神の様なものが産まれなかったのだろうか?
日本に道徳意識が生まれるために必要な何があったのだろうか?
って考えるだろ。
武士道精神があったから日本は西欧社会とタメをはるまでになったという考えは思考停止しているだけだ。
だから、武士道精神は日本をダメにするんだよ。
>日本に道徳意識が生まれるために必要な何があったのだろうか?
武士道と総称される道徳意識、そういう元々の流れも便宜的に総称して
「武士道」と呼んでいる訳だろ?
定義がバラバラの要因に還元されたら各人の好き勝手な解釈になって
議論が成立しなくなるから。
まあ、あったから欧米とタメをはる
というのはダイレクトすぎる結び付けだ。
その素地についての掘り下げは歓迎する。
だが、決して
無いほうが良かった訳でも良い訳でもないな。
思考停止しているというなら掘り下げれば良いだけ。
それも「武士道精神」の掘り下げ、ということになる。
日本に必要なのはサウラビ精神。
武士道精神じゃない。
それならばスレタイのような
武士道精神=日本をダメ
というのも同様に停止していると思う。
>日本に道徳意識が生まれるために必要な何があったのだろうか?
>って考えるだろ。
これは多いにけっこうなこと。
・武士道精神=日本ダメ
・武士道精神=日本ナイス
この2つは両方とも停止してるだろ?
>>191
197 :
日出づる処の名無し:04/04/15 16:24 ID:RHSZhDDx
武士道精神が何故日本をダメにするかは
>>114で簡単に説明されている。
社会の構造が激変したんだからしょうがない。
>>197 その説明が正しいと仮定してみても、それは
組織論に武士道を持ち込もうとした場合においての話でしかない。
その話をするならば限定的なテーマにしてスレを分けるべき。
>>197 「日本」=「企業、官僚組織」でそれは本来ゲマインシャフトであるかどうか
から論じなければならなくなるのと、武士道は完全にそれと対立するのか、
そうすると何故ダメなのか、の説明が無い。
ここまで説明されていて「一理ある」と思うが
本スレッドの全体テーマを表現するものではない。
これについて議論思考したければ派生スレッドの作成をお勧め。
200 :
日出づる処の名無し:04/04/15 17:47 ID:dqsnBP5y
「日本」=「国家」=「ゲゼルシャフト(機能集団)」
「企業、官僚組織」=「ゲゼルシャフト(機能集団)」
武士道は神道を中心としたゲマインシャフト(共同体)内の道徳である。
「共同性」は言語・民族・宗教をはじめ、所属における必然性、いかなるものを「共通善」とするか、
というように、ある一定の価値観の共有が前提となる空間であり、
異質のものを排除するという性質を帯びた概念である。
成熟社会においては、個々の価値観=何が幸せか?
何が面白いと感じるか?どのようなライフプランを描くか?はまさしく多種多様。
となれば、得体の知れない他者が跋扈する成熟社会は不可避です。
このような成熟社会において、共同体が縮小化するのも絶対的に不可避である。
「公共性」のそれは、人と人との〈間〉における事柄・関心事への意識に求める。
いいかえれば、「公共性」は「共同性」のように所属の必然性を
アイデンティティに求めるような空間ではなく、
アイデンティティに依拠しない、多様な価値観を持った共同体を超えた
「間共同体的」コミュニケーション空間なです。
こういった近代的な公共の概念が武士道には無い。
武士道の公とは共同体を指すもので現代の日本では通用しない。
武士道の公的道徳観は現代においても多くの部分で通用するから
再評価されているのではないの?
もともと海外向けの近代の著書だし。
>何が面白いと感じるか?どのようなライフプランを描くか?はまさしく多種多様。
>となれば、得体の知れない他者が跋扈する成熟社会は不可避です。
>このような成熟社会において、共同体が縮小化するのも絶対的に不可避である。
このへんは、まあわかるが。
武士道の公的道徳観は現代においても多くの部分で通用するから
再評価されているのではないのか?
再評価のうえ近代の懐古にとどめず
現代的な発展が必要だという事であれば賛同。
>>200 そのゲゼルとゲマインの定義については、異論が出る可能性もあるけど・・
204 :
sage:04/04/15 18:19 ID:PNxfkxHJ
維新以来の東京タコ集団の田舎侍の武士道精神。これが一貫して日本をだめにしてきた。
205 :
日出づる処の名無し:04/04/15 19:13 ID:ZuqgiHYU
>>200 そこで、当然のように定義するのは疑問だな
西洋の企業はゲセルシャフトにすぎなかったのだろうが、
80年代までの日本企業は「家」制度のような、古い体質をもつゲマインシャフトの要素を多分に含んでいた。
それは、西洋の批評家が日本特殊論として良く指摘していたし、その背景として幕藩体制の頃の歴史文化
をよくとりあげられた。
昔は会社を辞めるというのは、裏切り行為のようで肩身のせまい思いだったし、会社の中でも「武士に二言はない」とか
「武士の情け」とかおもわず突っ込みを入れたくなるような言葉が普通に使われていた。w
今でこそ、個人の利益と自由の決断で転職こそ容易になってきたわけではあるが、
その古い日本企業の体質に関して完全否定できるかといえば難しいだろう。
ま、これらが崩壊して、一番喜んでいるのは外資系企業だったりするわけだが。
206 :
戯れ言4:04/04/15 19:42 ID:bg+4MSkJ
当時、「死」は神聖なものであった。
「死」を回避する術は皆無と言えるほどに少なく、
当然として人は「死」と向き合い、「死」に意味を求めた。
そのような時代にあって武士道が「死」を内包するのは、
それほどの覚悟に価値を見出していたからだ。
(それだけ、「死」の価値が高かったとも言える)
しかし、現代。 「死」は、忌避されるものとなった。
人々は狡猾に「死」を避け、「死」から目を背けている。
故に、日常に「死」を知覚せず、突然且つ必然の「死」に驚く。
最早「死」に意味など無く、「死」に価値を見出すことも無い。
そのような現代で語られる武士道とは、
当然の如く「死」の概念が薄められた劣化品でしかなく。
ただの綺麗事を語る理念へと形を変えた。
あえて言おう、「覚悟無き理念なぞ、犬の糞にも劣る」と。
ツッコミ所満載なんで、この辺で止めときます。
死に価値を求めるというのは、
まさに死の瞬間までどう生きたか、という事です。
死んでから自身が死の価値を問う訳ではないからね。
何に懸命に殉じたか。
正直、カッコいい。
現代では個人の持ち得る価値も広く浅くで
(自身含め、簡単にいうとヘタレ)だから
こういう覚悟と実践は難しいな。
あ、道徳観の話とは別ね。
210 :
日出づる処の名無し:04/04/15 20:46 ID:capaPWyl
日本人の90%は百姓の出、武士道を体験した先祖が少なすぎる。
211 :
日出づる処の名無し:04/04/15 20:47 ID:capaPWyl
百姓の精神はやっぱ、七人の侍の百姓ですよ。
212 :
日出づる処の名無し:04/04/15 20:50 ID:okmJS7BK
一言、
朝鮮人精神が日本をダメにする。
終わり
213 :
日出づる処の名無し:04/04/15 20:50 ID:mzIBsSWl
日本人種の血統の純度がいかにも低いように見せかける三国人の工作が
2chには頻繁に見られるが、世界中、純粋な人種などは極めて少ない事など
は当然ある。
問題なのはその純度であり、日本人は、中国人や朝鮮人などと比べて、
極めて純度の高い北方モンゴロイドである事をgm遺伝子が証明している。
日本人種は、純度の高い北方モンゴロイドであり、コーカソイドと
分かれた頃の古モンゴロイド形質を残しているという世界でも珍しい
とても貴重な人種。
世界の宝たる日本人種の血統を絶対に汚してはいけない。
http://www3.mahoroba.ne.jp/~npa/narayaku/image/dna_map.jpg
武士が「死」に殉じる のだとすれば、
百姓は「生」に殉じる のですよ。
215 :
日出づる処の名無し:04/04/15 21:05 ID:IPNE0g1b
>>1 武士道においては命を捧げるほどの心意気で仕える相手は選べるのだよ
勘違いしてないかい?
>日本人の90%は百姓の出、武士道を体験した先祖が少なすぎる。
社会に組み込まれた戦士階級としては、けっこうな数では?
>>215 その通りだよなぁ。
「保険とかめんどくせーから単純労働はフリーターにして労働力を搾り取ろうか」
なんて企業が増えてる今、愛社精神がどうとか言うのがおかしい
>>213 朝鮮人はほんと血統にこだわるね!
朝鮮人にほとんどみられず、日本人の遺伝子の3割くらい占めてるのが
古モンゴロイド遺伝ファクタ。今の朝鮮人が純度が高いと誇りにしてる
北方モンゴロイドというのがモンゴル人なのだから笑えてしまう。
まあコピペだろうけど。
219 :
日出づる処の名無し:04/04/16 04:19 ID:rW3rLzPZ
>>1 アナタが考えてるほど、武士道精神は日本に根ずいてません。
だいたい武士って、日本の人口の1割以下ぐらいでしょ。
だから日本人は‘武士道精神’を理解してないと思う。
220 :
日出づる処の名無し:04/04/16 08:20 ID:14YaMFoa
>>207 >死に価値を求めるというのは、
>まさに死の瞬間までどう生きたか、という事です。
ニーチェは人生に意味や価値をも求めるものを「弱者」として扱っている。
人は望む通りのことが出来るものではない。
望む、生きる、それは別々だ。くよくよするもんじゃない。
肝心な事は、望んだり生きたりすることに飽きない事だ。
【出典】ロマン・ロラン(仏, Romain Rolland)「ジャン・クリストフ」
いまだせいをしらず、いずくんぞしをしらんや
【出典】孔子『論語』
【意味】生の意味も知らないのに、まして死の意味など知ることができようか。孔子が死の問題に関わらぬよう弟子に論した言葉。
【備考】生にも死にも意味はない。生きて居ることに意味があるとすれば、死んでは居ないと云ふだけのことだろう。
>>215 >武士道においては命を捧げるほどの心意気で仕える相手は選べるのだよ
それがどうした。
現代は、命を捧げるほどの心意気で仕える必要も無ければ、
雇う方も能力主義でそんな心意気は必要としない。
武士階級は確かに人口の1割程度だった。だからこそ、武士は百姓町人の模範となるべく、
心身を鍛え、己を律すように心がけた。いばり散らす武士も少なくなかったろうし、
「どサンピン」なんて陰口もあったが、武士は基本的に尊敬され、憧れの対象であり、
模範であった。
「武士道」には完全な定義が確立していなく、色々な解釈もあり、日本人が武士道精神
の「全て」を理解したとは言わないが、250年続いた武家政治における武士の行動が
現代までの日本人の道徳的規範に大きな影響を与えたといえるのではないでしょうか?
222 :
日出づる処の名無し:04/04/16 09:17 ID:hN/Ynl4G
東京に巣くう高級官僚にその真髄はと聞くと「もののふ、武士、の心」と返って来るそうだ。
東京タコツボの田舎侍の、特有の視野の狭さ、毅然、粛々の類。維新以来の日本の宿ア(持病)の伝統。
223 :
日出づる処の名無し:04/04/16 10:28 ID:hR503sa6
>250年続いた武家政治における武士の行動が
>現代までの日本人の道徳的規範に大きな影響を与えたといえるのではないでしょうか?
それが根底からひっくり返ってしまったのが現代。
【アノミーの類型学】
■今から百年以上前に活躍したエミール・デュルケームという社会学者は、『自殺論』と
いう有名な書物で、「金持ちが急に貧乏人になって自殺するケース」と「貧乏人が急に金
持ちになって自殺するケース」とを対比させている。
■デュルケームは、自殺の原因は一般的にアノミーすなわち「どうしていいか分からない
状態」に由来すると見なしたが、「金持ちが急に貧乏人になるケース」と「貧乏人が急に
金持ちになるケース」とでは、直面するアノミーの種類が違うと考えた。
■五十年後、社会学者ロバート・K・マートンが、前者を「機会のアノミー」、後者を「目
標のアノミー」と名づけた。機会のアノミーは「手段のアノミー」とも言うが、金持ちが
急に貧乏人になると、今まであった機会(手段)が失われ、追い込まれることに相当する。
■目標のアノミーは「目的のアノミー」とも言うが、こういうことだ。貧乏人はいつも金
持ちになりたいと思い、何か問題があると自分が貧乏だからだと考える癖がある。それが
急に金持ちになると、目標が失われ、問題の帰属先も失われて、追い込まれてしまう──。
■一般に、「物の豊かさ」が達成され、何が幸いなのかが各人で分岐する「近代成熟期」
が到来すると、自分の不幸は貧乏のせいだといった「機会のアノミー」よりも、何をして
いいのか分からない、生きる意味が分からないといった「目標のアノミー」が重大になる。
■「機会のアノミー」が優越する場合には、自分から機会を剥奪しているものを攻撃する
という具合に「外への志向」が際立ち、「目標のアノミー」が優越する場合には、生きる
意味や実感が沸かない自分を責めるという具合に「内への志向」が際立つことになる。
「目標のアノミー」が日本に蔓延したのは歴史上初めての事でしょう。
武士道精神はこれに対応する事が出来ない。
224 :
日出づる処の名無し:04/04/16 12:07 ID:hN/Ynl4G
>>222に追加。桜が、思いっきりぱっと咲いて、これまた思いっきりぱっと散るのを
見るこの季節。つくづく思うのは、その瞬間型の潔さ。桜のようにわれ死なんの侍精神。
「毅然、粛々、、」の政治用語に見る、思考なし、基礎なし、視野なし。ましてや時空的
地平概念なんぞ、夢のまた夢。子鼠の瞬間タッチ断言型。
現実適応競争のポストモダンの時代。まさに東京タコツボ野郎が日本を世界から淘汰させるポ。
時を重ねて幼稚を極める人類。
邂逅の日はさらに遠のく。
226 :
日出づる処の名無し:04/04/16 13:27 ID:VQZp953b
今の日本の情けない状況は、すべて百姓主義が造っているんだろ。
責任回避に責任転嫁に集団主義、公私のけじめがつけられない
くだらない世界。
「祭り」で集団発狂している日本国民を見ていると、
情けなくて涙が出てくるぜ。
武士は維新のときに滅んだが、百姓は滅びなかった。
百姓のまま「国民」になったが、近代国家の「市民」の
意味を学ばなかった。
右や左の煽動を受けてウロウロするばかり。
お上に頼って上手くいかなければ左翼に頼む。
誰も(右も左も)彼等に「自立」を教えなかったし、
要求しなかった、百姓が自分の頭で考え始めると都合が
悪いのは、左翼も右翼も同じ。
その結果が現代日本というわけだ。
227 :
日出づる処の名無し:04/04/16 14:28 ID:hN/Ynl4G
田舎侍が維新政府を作ったことは周知の事実。その後の、周辺国に対する殺伐主義。ヨーロッパの騎士道の
殺伐には、時の為政者が宗教で対応したと聞く。
228 :
日出づる処の名無し:04/04/16 14:35 ID:hN/Ynl4G
序でにいうなら、責任転嫁、責任回避では稲は育ちません。狭い範囲ですが一定の責任感とこまめな工夫。
これは、列島人の土ぐも百姓の、大陸人に対する優れている点と思います。
229 :
日出づる処の名無し:04/04/16 14:43 ID:ZoVv0T/S
はあ?、
「狭い範囲」
のどこにパブリックて思想があるんだよ。
明治から現代まで国民国家の体裁は続いているけど、
百姓が自主的意志に基づいて社会に参加したことなどないぜ。
外罰的要因、つまり法や村社会、郷党からの圧力で動いている
だけじゃん。
かくすれば
かくなるものと知りながら
止むに止まれぬ大和魂
231 :
日出づる処の名無し:04/04/16 20:06 ID:ozNmbrNr
「3匹の大蛇」 「日本おとぎ話」より
むかしむかし、ある国に、3匹の凶悪な大蛇がいました。
大蛇は人々をさらっては食い殺し、その恐ろしい雄叫びは人々の心を狂わせました。
しかしその国の領主は何もせず、ただうろたえ、その国は廃れて行くばかりでした。
ある時、その国を通りかかったひとりの若武者を見て、領主は言いました。
「若武者よ。どうかあの3匹の大蛇を退治して下さい。そしたら報酬をあげよう。」
この国の惨状を見た若武者はこれを憂い、さっそく大蛇の所へ行く事にしました。
大蛇を見つけると、まず若武者は経を唱えて大蛇の恐ろしい雄叫びをかき消し
ながら、持っていた吉備団子を2つ取り出して、3匹の大蛇の前へ投げました。
すると、3匹の大蛇は吉備団子を取り合って仲たがいをし、争いを始めました。
そのすきに若武者は1匹目の大蛇めがけて剣を振り、退治してしまいました。
ところが2匹目の大蛇は鱗が硬く、剣が通じません。
そこで若武者は腐った鼠の死体を探して見つけだし、大蛇の口に放り込みました。
しばらくすると、大蛇は体内から毒素に侵されて、狂って死んでしまいました。
しかし、3匹目の大蛇は鱗も硬く内臓も丈夫で、剣も鼠の死体も通じません。
そこで若武者は大蛇の周りの動物たちを全て捕まえて、隠してしまいました。
すると大蛇はエサを探し回った挙句、ついに飢えて死んでしまいました。
232 :
日出づる処の名無し:04/04/16 20:07 ID:ozNmbrNr
大蛇を退治した若武者は、うかれて喜ぶ領主に向かって言いました。
「領主よ、私への報酬はいりません。そのかわりに、私の話を聞いてください。
見ての通り、たとえ凶暴な大蛇であっても、鱗が弱ければ簡単な攻撃で死にます。
また、どんなに鱗の硬い大蛇でも、免疫力が弱ければ内部から侵されて死にます。
あるいは、鱗が硬く免疫力があったとしても、エサを得られねば、衰えて死にます。
領主よ、あなたの国もこれと同じです。
だからこの国の防衛力を整え、敵の内部工作を排し、資源の供給先を確保して下さい。
また、国が孤立せぬ様、同盟国どうしを離反させる敵の吉備団子や分断工作を潰し、
人々の心を狂わせる敵の恐ろしいプロパガンダの雄叫びに、反論して下さい。
民がさらわれても見て見ぬふりをする様な、いけにえ政治はもう終わらせなさい。」
そして若武者は去って行きました。平和を取り戻したその国は、3匹の大蛇に
南チョソ、北チョソ、シナと言う名前を付け、後々まで語り伝えたそうな。
おしまい。
234 :
日出づる処の名無し:04/04/16 21:42 ID:hN/Ynl4G
>>223「目標のアノミー」の蔓延は世界的傾向。中国でも順調に行けばいずれそうなる。
ポストモダンの行き詰まりの様相の一つと思う。
235 :
日出づる処の名無し:04/04/17 01:26 ID:Z/LN2f89
すげー。
みんなバラバラな事言って見事に噛み合ってない。
こんなスレ始めて見た。
236 :
日出づる処の名無し:04/04/17 01:38 ID:y5L8xWRz
武士道精神って正直「公務員の心得」だろ
>>236 『自が身「のみ」を振り返れ』
アレ? ナンカチガウ・・・・・・・・・
>>235 それはねぇ、武士道の「定義」つーもんが存在しないからなんだな。
何かを定義づけるためには、「基点」が必要なんだけれども、、、
武士道の基点ってナニよ?
などと、禅問答になるのが目に見えている質問をしてみるテスト
238 :
日出づる処の名無し:04/04/17 17:50 ID:9axVUSKy
武士道ってのは人に仕えるもんで
会社に仕えるものじゃないよ
239 :
日出づる処の名無し:04/04/17 18:36 ID:o1UXRVxq
現代では他人に遣えてる様じゃ通用しないんだろうな。
240 :
日出づる処の名無し:04/04/17 19:19 ID:XHNxg3f0
さて、日本人種の未来についてだが、
現在の日本の国際結婚率が約5%だから、
新生児の約5%が異種との混血児と推測できる。
平均的に約30才で子供を出産したとすると、
30年で5%ずつ日本人の血が異種の血に占められていく訳だから、
このペースで行くと、約300年後には、日本人の血の半分は
異種の血で占められてしまい、現在の日本人とは
全 く 違 っ た 人 種 に な っ て し ま う 。
241 :
日出づる処の名無し:04/04/17 23:11 ID:hqe3dvfp
Pu!
どんな計算してるんだよ。
242 :
日出づる処の名無し:04/04/18 01:58 ID:APVZkNx8
>>235 議論できるほど、昨今では人々の興味・関心を得ていなかったと言う証拠だよな。
まぁ、「武士道」に関心を持たれると都合が悪い連中が世論形成を牛耳っているからね。
ほとんど雰囲気としての言葉だけが残っていたものね。
内容に一歩踏み込んではみたものの、このようなありさまよ。
武士道とは……死ぬことと見つけたり
武士は……食わねど高楊枝
武士道とは……厳しい上下関係?滅私奉公?
武士道とは……卑劣な行為を禁じるフェアプレーの精神
武士道とは……自己犠牲を崇高とする精神 などなど
「武士道」とただ言ったときには、武士の理想の姿、程度の語義的に抽象的な詞であるから
個々人が挙げる事象がばらばらなのは当然。
時代時代によっても変わってきたし統一すべきものでもない。
「徳」の一種みたいなもんだから唱える人によって含蓄は変わってこよう。
しかし、武士道という言葉が絶えることなく日本人に唱え続けられてきた、
ということは武士道という言葉によって日本人(や共鳴する他国人でもいい)には
共通する何かがよびおこされる、ということだ。その何かとは?
日本人が負っている輝かしい歴史あるいは歴史上の英雄たち、祖先への誇りに他ならない。
そこから生まれる人間の理想像が今の「武士道」であり
これは民族的叙情の問題であると思う。
ぶっちゃけ、サムライという名の理想の人間像の一つへの集団幻想といってもいいな。
分からない人にはぜんぜん分からない。そんなもんだろう。
※特定の書物、時代、人物に帰属する「武士道」に関してはちゃんと別の定義がある。
245 :
日出づる処の名無し:04/04/19 12:21 ID:EsX0SY11
それを言うなら歴史や伝統、祖先への誇りというより
自分達が誇りに思う事や輝きをそれらがもっていて欲しいという
願望から産まれた幻想が武士道でしょう。
もちろん事実と重なる部分もあるだろうけど。
名を惜しめ。
247 :
日出づる処の名無し:04/04/19 16:27 ID:ITlkdAsJ
おれ235だけど、
平安期の在地武装集団の「一所懸命」から
戦国期の戦闘請負人の「七度主を変え」を経て、
官僚制度下の「滅私奉公」の江戸時代まで一括りに
「武士道」を語るってのも、なんか違うようナ気がする。
248 :
235:04/04/19 16:28 ID:ITlkdAsJ
そこらへんドウよ?。
249 :
日出づる処の名無し:04/04/19 19:02 ID:pOZyYDB/
でも、一貫して中世の主義主張。現代に引きずるとその視野の狭さが際立つ。東京タコ壷の田舎侍
(維新以来の国の為政者)が日本をダメにした理由はこの視野欠損。
>>247 それが歴史だろ。「武士道」は伝統的な民族意識に裏うちされてるってこと。
新渡戸はそれを海外に紹介しただけ、創作したわけじゃない。
歴史的変遷があって当然。
251 :
日出づる処の名無し:04/04/23 09:28 ID:JUhDo4ij
歴史的変換があって当然という事は今はもう無いといって当然という事。
字面のみに引き摺られる者との乖離は無くならんよ、永遠に。
253 :
日出づる処の名無し:04/04/25 04:25 ID:nqAB8OKd
>>251 君自身にも子供の頃があって、多分これから大人になっていくんだと思うよ。
十年前も十年後も「君」であることは変わらないだろ。精神面では変わっていたとしても。
それと同じことだよ、伝統というのは。
お、定義の話になってきたね。
>字面のみに引き摺られる者との乖離は無くならんよ、永遠に。
それは、否定したい人も肯定したい人もね。
スレタイを見ても、同様に。
>>245 願望でもあるだろうけど
そうあるべきだ、として規範に持つことは
あれもしたい、これもしたい、みたいな
単なる願望とは違うと思う。
幻想、という言葉もあったね。
幻想を理想の規範として持ち、そのようにあろうと
するのは、新渡戸の指摘の通り宗教的な規範に
通ずるかもね。
257 :
235:04/04/25 15:15 ID:rtCgajPm
定義だけの話だと事は簡単で、
「名誉のために時には腹を切る」という一点で、
武士の価値観は、平安から江戸末期まで一定している訳で、
思うに、これは宗教的規範ではなく、美学の問題であると
思考するが、「開拓武装集団」から『官僚制度」までの
社会規範とはまた別のように思う。
上手く言えないが、、、。
だれか上手いこと説明してもらえないかな?。
西洋での宗教による道徳規範の維持の話に絡めていうなら、
幻想は絵空事ではなく現実に影響し、効力も持つことになる。
なにが最も重要で変わらない価値観か、何が枝葉末節で
変わりうるものかは、切り分けが必要かも。
>>258 倫理を見つけ出すって事ね。
果してあるかな?
260 :
日出づる処の名無し:04/04/26 10:46 ID:zVgF3sOS
武士道は身内に対してどう振る舞うか?どう責任をとるか?
というもので時代、状況によって変わる身内の都合で
変化してしまうもの。
普遍的な倫理なんてない。
261 :
日出づる処の名無し:04/04/26 11:42 ID:a3YCQt3H
武士道って言ってて戦争に負けた。
精神論は自殺行為。
262 :
日出づる処の名無し:04/04/26 12:09 ID:zVgF3sOS
>>253 武士道が社会が幼年期の時の規範というなら同意。
263 :
235:04/04/26 12:49 ID:DaksXF4D
>260
逆でしょう、
「末代までの恥辱」といって腹を切るのは、
外に向かっての美学では?。
264 :
日出づる処の名無し:04/04/26 22:41 ID:pxtKFFUe
ノモンハンの時、日本陸軍は航空戦で優位に立ちながら、「飛行機から地上を攻撃する
のは武士道にもとる」という精神でやらなかったとか。
日本海軍は、敵戦艦を叩くことに熱心で、後方補給路寸断のために敵輸送船団を叩くと
いう発想がまったくなく、逆に自国のそれを防衛する思想もなかった。
日米海戦の明暗を別けた電探(レーダー)も、だいぶ前から日本でも考案されていたのに、
砲術担当者ら、エリート系がそれを載せようとしなかったそうだ。科学より精神に重きを
置いていたから、アホらしいと相手にされず、そんな技術は「卑怯だ」とかいう声まで
あったそうだ。
軟弱系の精神って、けっこう大事なのよ。
>>261 昨今は精神論が曲解されていて、
現場士気が低くなるような上からの無茶な押し付け
論理を「精神論」と呼んで非難する傾向がある。
精神論、というか精神的支柱となる考え方は有効だよ
曲解して押し付ける馬鹿な上役さえ居なければ。
>>264 余談だけどな。。
相手方が共通の美学を同程度に持っている場合にのみ通用するんだよな。
武士道のアホラシさと清らかさ、両方表してるいい例だね。
倫理として、子供を盾にしてる敵に機関銃打てるか?っていうとこと同等と
考えれば、今でも理解可能。
269 :
日出づる処の名無し:04/04/27 10:31 ID:k1RHdMuI
>>263 末代っておもいっきり身内じゃん(w
恥だって相手が共通感覚をもっている内輪の存在だという前提の概念。
270 :
日出づる処の名無し:04/04/27 16:34 ID:cIVYcivN
「明の多勢に、奉行は臆病風にふかれたのか!」と罵った小早川隆景、
「米が無くて戦えぬというなら、砂を食ってやる。」と嘯いた加藤光泰、
彼らは容易に退却に同意しませんでした。
http://www.shirofan.com/mm/018.html “武士道”の欠陥の典型だね。
ガダルカナルでも粘着的にしがみつく東条首相のもとを石原莞爾が訪ね、
「勝負があったところからはさっさと兵を引け!」と忠告したのだった。
アメちゃんなんて、戦死者が多いと兵力がもったいないし、国内の反戦世論も高まるしで、
いかに兵の損害を最小限にとどめるかという思考が中心だった。
そういう軍隊の方がある意味強い。
前線の概念なんだよな。そういうところはある。
最強の軍隊、っていう話だっけ?
アメリカの将軍、ドイツの将校、日本の下士官
見落としてたが、「勝負あったら潔く」っていうのも武士道な気がする罠。
273 :
日出づる処の名無し:04/04/29 01:37 ID:W844XUxN
状況によってコロコロ変わる様なものが規範として成り立つだろうか?
>>270 つーか、そもそも東条英機は武士道で戦争してたのか?
あれはもっと別物のような……。
275 :
日出づる処の名無し:04/04/29 12:37 ID:mSzfDHe5
私が抱きついてゆくと三島さんは急に体の向きを変えて抱き返してきて
小さな声でささやいた。
「しばらくぶりだったね、会いたかったよ。」
、、、、懸命に三島さんの首から、胸、腹に、強いキスを浴びせかけていった。
、、、三島さんはこちらが驚くほどの、甘えた子供のような声をほとばしらせた。
1966年、昭和41年8月27日、熊本、ホテル・キャッスル。
三島由紀夫42歳、福島次郎36歳、中年男が汗まみれで抱き合う昭和武士道のメルクマール。
力強い生活の日常を伴う女性との愛の排除によって男性集団のひ弱な結束の緊密性を確保し、
礼と義の関係を築くという笑止で情けない未熟な出立が武士道を貫いている。
武士道にはキリスト教のような大きな「愛」が欠けていると新渡戸稲造は書いているがどっちもどっちであろう。
義として浮気を堅く戒め、命を捨てる覚悟(葉隠)などという戯画的な男たちの心性。
これは二君にま見えずという思想=主君への恋心と情けない被支配に通じた。
それゆえ武士道の美意識は、「刀」という不健全で幼稚な小道具に行きつく。
桜の下、白い着物をつけた美少年、切腹による赤い血とはまさにその文脈に受け継がれたイメージである。
江戸、明治、昭和と死を賭した精液同士の恋として、仇討ち、殉死が頻発した。(赤穂浪士、乃木希典、天皇万歳切腹等々)
遂に自立することの出来なかったひ弱で情けない男達の自慰の歴史である。
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/00/9/0017960.html
276 :
日出づる処の名無し:04/05/04 01:55 ID:tYn9V9Gx
命をかけてやりとげる様な事なんて現代には無い。
それ故に命をかけて何かをやりとげた人間に憧れる
武士道とは退屈な日常から逃避するためのロマンチシズムである。
鍋島藩主もそうだったであろう。
てーか、レーダーに武士道は関係ないだろ。
むしろ、それなりに研究されていたがゆえに「闇夜の提灯論」(電波探知機を使用した場合、レーダー
の探知距離の五割増程度で探知されてしまうので、「闇夜に提灯を照らすようなものだ」と言われた)
が幅を利かせたのだと思うが。
ついでに言えば、初期のレーダーと、職人芸に達していた夜間見張り員の探知距離はほぼ同格だった、
らしい。それを考えたら、完全に電波を発しない探知システムである夜間見張り員>レーダーと判断を
下しても不思議ではないだろう、と。
実のところ、こういう曲解が日本という像をゆがめてるんじゃないかな、と思う。
特に歴史については。
278 :
日出づる処の名無し:04/05/24 06:10 ID:tcfyqHXt
軍人勅諭に「朕は汝等軍人の大元帥なるぞ」といい、
だから今後は朕が親ら兵馬の権を取る、
そうして「再び中世以降の如き失態なからんことを望むなり」とあります。
「軍人勅諭」によれば、武家政治は中世以来七百年の"失態"なのです。
大元帥陛下として天皇が兵馬の大権を取って、その上に明治国家が築かれる。
だから、「武士」のエートスと「軍人勅諭」を基礎とする
近代日本の――文武"官僚制"の一翼をになう――軍人精神とは非連続なのです。
後者の、国家による武装の立場から批判すれば、
「自己武装」の原則に立った武士の存在は、七百年にわたる「失態」にほかなりません。
のっぺらぼうの「武士道」の連続的伝統を説く論者は、新渡戸稲造から三島由紀夫まで、
その辺をまったく混同しているように思われます。
丸山真男「「文明論之概略」を読む」より
279 :
正義の見方:04/05/24 11:48 ID:MeO0S9hH
武士道精神が滅私奉公とは初耳ですね。武士道とは二つの選択肢があるばあい自己の利害で判断
しないということでしょう?なにも死ぬことが武士道じゃないんです。平たくいえば名を惜しむ
ということでしょう。名より実をとるのは戦国時代も現在も同じなんです。だから精神論として
武士道に憧れるのです。
国家のために命を捨てるとか、上官の命令に従うという規律ではないののです。人間としての規
範なのです。
280 :
日出づる処の名無し:04/05/24 11:53 ID:sfwD1AWR
| / / |_|/|/|/|/|勝った〜ぁ♪勝った〜ぁ♪また勝った〜ぁ♪
| / / |朝|/ // /∧_∧ ∧_∧ ∧_∧
|/ /. _.| ̄|/|/|/ <`∀´∩ ∩`∀´ > <ヽ`∀´∩
/|\/ / / |/ / ( つ ノ ヽ と ) (つ ノ
/| / / /ヽ ( ヽ ノ (⌒) ( ) (_)
| | ̄| | |ヽ/| し(_)  ̄(__) (__)
| | |/| |__|/ よーわいチョッパリにまた勝った〜ぁ♪
| |/| |/ ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧
| | |/ <ヽ`∀´>∩ ∩`∀´ > <ヽ`∀´∩
| |/ ( つ ノ ヽ と ) (つ ノ
| / ( ヽ ノ (⌒) ( ) (_)
|/ し(_)  ̄(__) (__)チョッパリはさっさと♪米よこせ〜♪
281 :
日出づる処の名無し:04/06/21 23:50 ID:K08ASU2X
保田與重郎とか日本ロマン主義とかそっちの人達って賢くって
伝統的共同体を生きる人間は日々生きるのに用いる作法が伝統そのもので
伝統と言う概念は近代化を通して見い出せる物だと良くわかってた。
近代を徹底する事によってしか日本が日本である事は観念化出来ないって事。
こういう事を無視して近代化より武士道が大切と言うのは反日と同じ。
ラストサムライでは武士は終わってるって事だ。
アルグレンだラストって事だ。
だから奴は武士じゃ無い。
解ったか?
解ったらもう寝ろ。
だから。
この中でちゃんと新渡戸稲造読んだ人いるの?
何人かはいるだろ。最終章引用してる人もいたし。