ロシア・ソ連コピペ集

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109エロい人@空の家 ◆PbEDBwNxYY :04/03/24 20:08 ID:gOYGBwbI
今日はこれまで。
110日出づる処の名無し:04/03/26 20:07 ID:Q9Znsvtb
ほしゅ
111日出づる処の名無し:04/03/28 15:10 ID:lc4aLwe8
ネタふれ、エロい人!!
112日出づる処の名無し:04/03/31 00:11 ID:/v8h4f8o
おもしろいロシアネタ募集中。
113エロい人@空の家 ◆PbEDBwNxYY :04/04/02 20:02 ID:g8KlTc/o
某所よりコピペ
335 :文責・名無しさん :03/02/26 23:50 ID:h+AzqZwm
近年、ソ連側あるいはソ連側と一体となって動く一連の日本人から、
シベリア抑留責任転嫁論が流されている。
そのひとつは、『滿洲に軍隊を駐留し、開拓民を扶植したのは日本政府である。滿洲に日本軍や日本開拓民がいなかったなら、シベリア抑留は無かった。
だから、シベリア抑留の責任はひとえに日本政府にある、』
という人を愚弄する類の主張である。
こういう暴論を擁護しつつ、対ソ協力者してつとに有名な
斉藤六郎・元全国抑留者補償協議会々長は
『世紀の悲劇といわれたシベリア強制労働の発案者が天皇の側近』
(斉藤六郎著 『シベリア捕虜志』1981年 63頁)
などという珍説まででっち上げた。
斉藤は、近衞文麿が特使として派遣されるときに持参することに
なっていたとされる幻の対ソ和平条約案を持ち出し、
これをこじつけて解釈、あたかも天皇がシベリア抑留の責任者であるかのようなことを示唆した。
114エロい人@空の家 ◆PbEDBwNxYY :04/04/02 20:08 ID:g8KlTc/o
336 :文責・名無しさん :03/02/26 23:52 ID:h+AzqZwm
さすがにこんな暴論は誰にも相手にされなかったが、
「天皇責任説」ぶち上げの失敗に懲りず、今度はジャリコボの会談で
ソ連軍最高指導部にシベリア抑留を容認する言質を与えたとする
同工異曲の「関東軍責任論」を持ち出し、これを人口に膾炙させようとした。
(『月刊Asahi』平成5年12月号所載「歴史文書を改竄した昭和の参謀瀬島隆三」)
この妄論は、関東軍の当事者であった草地貞吾元陸軍大佐によって完膚無きまでに粉砕された 。
(『正論』通巻258号 1994年2月号 150〜170頁)
ソ連当局は斉藤のシベリア抑留の補償を日本政府に要求する「国歌補償請求」訴訟などの対ソ協力宣伝工作を高く評価し、1992年4月エリツィン大統領は
彼に日本人としては最初のロシア連邦民族友好勲章を授与した。
115エロい人@空の家 ◆PbEDBwNxYY :04/04/02 20:10 ID:g8KlTc/o
337 :文責・名無しさん :03/02/26 23:55 ID:h+AzqZwm
 さらに、もう一つソ連がシベリア抑留の責任をアメリカに転嫁しようとした情報工作がある。
斉藤六郎が会長であった全国抑留者補償協議会の「終戦史料館出版部」が
1992年に発行したとされる『シベリア抑留秘史』という奇書にその痕跡が記録されている。
これは明らかに翻訳書であるのに訳者の名前が無いという奇態な書物である。
著者というのものも明記されておらず、「著述者」として「ソ連最高軍事検察庁長官補佐官、法務大佐 ボブレニョフ、ウラジミール、アレクサンドロビチ」
と記されている。さらに、「監修 ソ連最高軍事検察庁第一次長 法務中将
ザイカ、レオニード、ミハイロビチ」とあるのも異色である。
印刷所の名前もない。モスクワ製のプロパガンダ本原稿を斉藤六郎が
日本で私家版的に個人出版した疑いが濃い。
 こういう奇書の23頁に「東京ダモイから一転してシベリア強制労働に
狩り立てられることに至った経緯は明らかである。
北海道占領の断念が転じて捕虜の強制抑留に連なったことは歴史の示すところである。
その意味で結果的に日本人捕虜は北海道の本土を自らの労働で償ったものとみてよい」というような破廉恥なプロパガンダが現れるのはむしろ当然であろう。
あるいは、この数行を日本人に読ませるためにこの本がロシア当局の工作員によって日本の本として刊行されたのかもしれない。
116エロい人@空の家 ◆PbEDBwNxYY :04/04/07 17:35 ID:k2qUtX2B
ネタ振るか。
117エロい人@空の家 ◆PbEDBwNxYY :04/04/07 17:42 ID:k2qUtX2B
麻原彰晃奪還計画


オウム過激派が分裂か

 上祐史浩が出所し、名称をアレフに改称したものの、オウム真理教に対する不安感は拭いさることができない。
現在もなお各地で地域住民によるオウム排斥運動が起きていることは当然と言えば当然のことである。
 上祐出所前のオウムは、6人の正悟師が作る長老部による集団指導体制を敷いていた。
だが上祐は正悟師より位 が高い正大師であり、教祖・麻原の子供たちを除けば最も高い地位 にある。
オウム(アレフ)が上祐を中心としたいわゆる「穏健派主導」に変貌しようとしていることは、
いわば社会の要求に多少なりとも応えようとする教団側の延命策とも受け取れる。
 だが一方では、穏健派・上祐と対立する過激派(武闘派)の存在も忘れてはならない。
とくに注目されるのは、野田成人と二ノ宮耕一の二人の正悟師である。
 野田は正大師の上祐や殺された村井と同様の理系エリート。ホーリーネームは「ヴァジラティクシュナ」。
東大理学部三年在学中に中退して出家。平成6年(1994年)に車両大臣に昇格し、
翌平成7年3月17日、いわゆる地下鉄テロ事件の3日前に正悟師に昇格している。
しかも野田は、この前後から上祐出所の昨年12月まで、教壇の経理担当者、
コンピュータ事業部の責任者として、実質的に教団のカネを掌握していた。理系の過激派エリートと呼ばれる。
118エロい人@空の家 ◆PbEDBwNxYY :04/04/07 17:43 ID:k2qUtX2B
もう一人、二ノ宮耕一は上祐より先に出家した教団最古参幹部で、ホーリーネームは「アッテ−ジ」。
最近の週刊誌報道では「要注意人物」「オウム分裂を画策する武闘派リーダー」「近隣の住民に対し、
オウム幹部だと喧嘩腰で凄んだりヌンチャクを振り回して威嚇する」などと書かれている。
 しかしながら野田と二ノ宮は元来ソリが合わないと見られており、過激派のこの二人が合体することは無いと思われてきた。
それが今年に入り急接近しているのだ。その背後に存在するのがドミトリー・シガチョフを中心とするロシア・オウム過激派である。


119エロい人@空の家 ◆PbEDBwNxYY :04/04/07 17:46 ID:k2qUtX2B
オウムのロシア進出

 オウムとロシアとの接点は、何と言っても早川紀代秀(被告=死刑判決)と上祐史浩の二人が鍵を握る。
ベルリンの壁崩壊から3年後の平成4年(1992年)11月、「ロ日大学」が設立され、
ここからオウムとロシアの関係が密接になっていく。同年、駐日公使経済担当のボリゾフの計画により
ロ日大学のロボフが来日。ここで麻原彰晃(オウム)はロボフに900万ドルを提供している。
ちなみにボリゾフは公使退官後も日本原子力産業の嘱託としてしばらく日本に残っていたが、
彼の住居は南千住の高級マンション、アクロシティだった。國松警察庁長官(現スイス大使)が住み、
狙撃されたマンションである。
 この直後、麻原は訪ロしてルツコイ副大統領やハズブラートフ最高会議議長などロシア政府の大物と会談。
その後は早川・上祐を中心としてオウムはロシアに勢力を拡大していく。
とくに早川は軍事訓練や武器兵器調達に関与していたことが知られている。
後に有名になった「早川メモ」からも明らかにされたが、彼は複数のルートから武器調達を行っていたが、
その1つには医師であるシュミロフを通 してのLSD調達、あるいはマセンコから大量の武器調達などがあった。
マセンコは元KGBで、統一教会との繋がりも噂される人物だった。
 地下鉄テロ事件が起きる直前の3月17日から22日まで、早川はロシアに滞在し、大量 の武器を購入、
貨物機をチャーターして北オセチアからウラジオストックまで飛んでいる。
ただしこの大量 武器のその後は現在も不明のままだ。
120エロい人@空の家 ◆PbEDBwNxYY :04/04/07 17:48 ID:k2qUtX2B
 早川が帰国したのは地下鉄テロ事件の2日後。
そして事件6日後の3月26日にはモスクワのロ日大学で不審火で火災が発生し、機密書類が完全に燃えてしまった。
 その後の日本に於けるオウム真理教糾弾の嵐を受け、ロシア・オウムも変貌していく。
これは大まかに言えば、宗教色を強め修行に生きざまを求める穏健派と、武闘を主目的とする過激派との分裂と捉えることができる。
そして過激派は非合法存在として地下に潜り、その活動状況は殆どわからなくなった。
 オウム過激派の最重要人物と目されているのは、元KGBのドミトリー・シガチョフだが、
このシガチョフが平成12年秋に日本にやってきたことから、週刊誌やTVが「ロシア過激派オウムが麻原彰晃奪還計画を立てている」と騒ぎになったことは記憶に新しい。
121エロい人@空の家 ◆PbEDBwNxYY :04/04/07 17:52 ID:k2qUtX2B
オウムとヨーロッパ

 オウムはロシア以外でも世界中で活動を展開してきた。
地下鉄事件後、教団に捜査の手が伸び麻原彰晃が逮捕された直後に、フランスに「オウム資産管理会社」ができたという情報もある。
事実、フランス国内にはオウム関連組織は今も存在しており、これらはドイツのオウム組織と緊密な連帯を取っていることが明らかにされている。
フランス、ドイツのオウムは当然、宗教的活動はもちろん行ってはきたが、主目的はマネー・ロンダリング(資金浄化)にあったと見なされてきた。
 地下鉄事件直後にTV出演した村井秀夫は、「教団の資産は1千億円」と語り、この口の軽さが村井暗殺に繋がったとも言われている。
事実、その後教団を去った元信者たちによると、ロシアを中心に活動していた早川は資金を潤沢に持ち、
「ティローパ(早川)に言えばカネはいくらでも作れる」と言われていたらしい。
その早川はロシアだけではなくヨーロッパ各所に姿を見せていたが、それはマネー・ロンダリングのためと思われている。
だが一方では「そうではない。早川はヨーロッパで資金調達をしていたのだ」とする見方も存在している。たしかにカネというものは作らない限り生まれてこない。
いったい早川はヨーロッパでどうやって資金を作っていたのだろうか。
 謎を解く鍵として、オウム事情に詳しいY氏はこう語る。「ルーマニアやチェコといった旧東欧圏に資金提供者が存在していた」。
 この言葉と関連があるか否かは不明だが、ルーマニア警察によると、
「地下鉄事件の前後に、日本の捜査当局者からオウム信者と思われる日本人に対して照会があった」という。
これに関しインターネット上の情報の中には「その内偵を続けると日本赤軍にたどり着いた」というものまである。
 ここまで来ると、まさに「オウムの黒い闇」であり、この教団の深奥部に教祖・麻原彰晃の思惑を遙かに超越した外国勢力の存在が感じられてくる。
 こうしたなか、最近(3月)になって驚愕の情報が飛び込んできた。
「オウム真理教プラハ本部設立」のニュースである。しかもプラハ本部には、ロシア・オウム過激派のドミトリー・シガチョフが
参入していることが明らかにされたのだ。
122エロい人@空の家 ◆PbEDBwNxYY :04/04/07 17:53 ID:k2qUtX2B
 ロシア国内で非合法存在となって地下に潜り、半年前には東京に現れて小菅刑務所周辺を探索していた過激派シガチョフが
なぜプラハ本部にいるのか。――さらに衝撃の情報がわが国政府系の諜報機関にもたらされている。
オウム真理教プラハ本部の資金提供者の背後にジョージ・ソロスが関与する団体が存在するというのだ。
この団体は、世界中のさまざまな過激派集団に資金援助をすることで知られ、
日本赤軍もこの資金を得ていると噂されている。
 一方、日本国内の、野田や二ノ宮を中心とする「エリート過激派」は、その実数が23人(一説には26人)とされるが、
野田、二ノ宮以外は氏名年齢はおろか顔もわかっていない者が大多数だとされる。
彼らがプラハ本部に合流するのではないかと、関係当局は危惧している。
 オウム真理教プラハ本部の当面の目標は「麻原彰晃奪還」。
だがそれが、肉体としての教祖奪還計画なのか、彼らが言う「魂の奪還」という意味なのか、現在のところ不明である。
当分、オウムの動きからは目が離せそうにない。

行政調査新聞社 主幹=松本州弘 埼玉県川越市
著作権は行政調査新聞社またはその情報提供者に属します。
Copyright 2001-2004: Gyousei Chosa Shimbun.
All Right Reserved.

を参考にいたしました。
123エロい人@空の家 ◆PbEDBwNxYY :04/04/07 17:58 ID:k2qUtX2B
つぎは以前紹介したシベリア抑留の責任転嫁論(ソ連製のデマ)の一例を紹介します
>>133-5
124エロい人@空の家 ◆PbEDBwNxYY :04/04/07 18:00 ID:k2qUtX2B
>>133-5
上記参照。

11月22日、シベリア抑留帰還者が国会前で座り込みを敢行
政府はロシア発行の「労働証明書」を認め、賃金を払え!

 来る11月22日の午前11時から午後2時まで、国会議員会館前で老兵士たちが座り込みを行う。
平均年齢が80歳を越えた旧ソ連抑留捕虜の面々である。
 彼らは、昭和20年8月9日に日ソ中立条約を一方的に破棄して宣戦布告し中国東北地区や朝鮮北部、樺太、
千島列島に侵攻したソ連軍に対して果敢に戦い、あるいは上級からの指令により整然と武装解除に応じて軍人としての責務を応分に果たした。
しかしながら、他の戦線で連合国軍に降伏した我が軍将兵とは異なり、「休戦後、可及的すみやかに軍事捕虜を帰国させる」との
国際法上の常識を踏みにじったスターリン共産主義政府による旧ソ連領土への連行と長期抑留、乏しい食料と悪天候等の条件下での酷使という
苦難を負わされる運命を甘受しなければならなかったのである。その結果、多数の同胞が異国の地に果て、家族との再会を果たせなかった。
 帰国後は、我が国政府からも「共産主義国家からの帰還者」として差別扱いを受けた元捕虜の人々は、
半世紀にわたる粘り強い運動の中でロシア政府に非道を謝罪させ、その証として「労働証明書」(抑留期間の労働を証明する)を発行させすらした。
そして、せめてこの証明書に基づく賃金支払いを政府に要求しているが、我が国の外務省、そして厚生労働省は国際的な責務(その理由は後述)である賃金支払いを拒否しつづけている。


125エロい人@空の家 ◆PbEDBwNxYY :04/04/07 18:02 ID:k2qUtX2B
 抑留帰還者の補償を要求する運動のリーダー、斉藤六郎氏が亡くなって以降、仲間が次々に物故する中で、
「我々に残された時間は少ない。このままでは、異国の土になった戦友も浮かばれない」と、
寒空での国会前座り込みに多数の抑留帰還者が挑むことになったのである。
本紙は、こうした人々にこそ、我が国政府は労いと補償の実を与える義務を果たすべきと考え、この気高きたたかいに全面的な賛意を表明する。
 日本と日本人、その歴史を愛し擁護する者はその思想信条を問わず、こぞって支援の手を差し伸べ、共にたたかうべきではないのか。
この記事は、異国の地で理不尽に果てた軍人、軍属の霊と日本人の誇りの回復をもかけて戦いに起った老兵士たちに捧げる。



126エロい人@空の家 ◆PbEDBwNxYY :04/04/07 18:04 ID:k2qUtX2B
戦後はじめて日本人がかちとったロシア政府の公式謝罪
 「わが国が長い間、人道主義の原則をなおざりにしてきたことを謝罪します。
今回の措置がロシア、日本両国民の間の友好関係の発展に寄与することを心から願います」
 相次ぐクーデターとソ連邦崩壊という事態をへて混乱のさなかにあったモスクワ市のロシア政府中央公文書館のホールでは、
上述の言葉と共にロシア政府が発行した元日本人捕虜百名分の「労働証明書」がシベリア抑留捕虜代表(故・斉藤六郎氏)に手渡された。
 時は平成4年1月17日。十年前の冬の最中、折からの財政難からスチーム暖房も十分でないホールで、授与式に参列した
ロシア国家保安委員会(KGB)やロシア軍検察庁、最高幹部会(国会)等の代表幹部、それに元日本人捕虜の処遇の是正を求めて支援してきた
ロシア人関係者たちは足を落ちつかせていられない寒さにこらえていたが、ロシア中央公文書委員会議長ルドリフ・ゲルマーノビッチ・ピホーヤ氏(歴史学博士)が
述べたシベリア抑留日本人捕虜に対する政府を代表しての謝罪の言葉に胸を熱くしていた。
 参列していたのは、数年にわたる全国抑留者補償協議会の斉藤会長による熱心な活動に共感し、
奔走したロシア軍人や議会、政府関係者、それに歴史研究者や学生グループである。
80年近く続いた全体主義的・共産主義体制の結末により未曾有の国難を抱えるもとでも、過去の政府の誤りを訂正して
国の正義を復活させることに自らの希望をつなぐようになった人々だ。
127エロい人@空の家 ◆PbEDBwNxYY :04/04/07 18:07 ID:k2qUtX2B
後に、ロシア側で「労働証明書」発行の実現のために尽力した人物のうちの一人*は、この日を思い起こして次のように述べている。
 「私が元日本人捕虜の問題に出会って、すぐにとりつかれた思いは、『これらの人々に関わる歴史的公正さを何としても回復すべきだ。
それこそ、スターリン体制によって行われた人権侵害を否定し、日本人に対する国際的責務を果たすことで我が国の権威を高めることになる』
ということでした。スターリン時代からつらなるソ連邦の歴史は、残念ながら内外の人々の間に大きな脅威と不安、
そして憎悪を蓄積する過程だったといわざるを得ません。だから、私の人生において、政府代表が斉藤氏に最初の百名分の『労働証明書』を手渡した日ほど
晴れやかで誇らしい日はありませんでした。ロシア国民の一人として、自分の国に大きな誇りを持つことができたと同時に、労働証明書を手にした日本の友人たちと
大きな喜びを共有できたことは本当に嬉しい出来事だったのです」

(*引用者;注 KGB関係者?)
128エロい人@空の家 ◆PbEDBwNxYY :04/04/07 18:08 ID:k2qUtX2B
太平洋戦争終結前後の混乱期、ソ連軍による満州、南樺太、千島列島への侵攻作戦により「軍事捕虜」になった日本軍人・軍属は、
ソ連政府発表によれば約65万人にのぼる。彼らは、ドイツ及びそのヨーロッパにおける同盟国軍との戦いで大きく傷つけられ、
失われたソ連の労働力を補填して「第二シベリア鉄道」や道路、大規模建物の建設工事に酷使された日本人捕虜は、最低約7万人が異国の地で死亡することとなった。
 帰国した抑留者にとって、ソ連に対する補償請求を放棄した日本政府がこうした被害の手当てを行い、同時に旧ソ連政府も含めて元捕虜に名誉ある取扱を行うよう要求することは、
望郷の念を抱きながら異国の土になった戦友たちの無念をはらすための執念のたたかいであった。そして、このたたかいは「加害者」たるロシアでも共感する人々の輪を広げ、
ソ連崩壊直後の混乱期に「戦勝国」が初めて日本人に謝罪し、「現状回復措置」として「労働証明書」を発行するに至ったのである。実にスターリン・ソ連政府の不法な連行、
抑留いらい半世紀を経ての勝利であった。
 シベリアに抑留された日本人元捕虜たちの要求に、最も早くから共感してロシア政府との橋渡し役をつとめたのは、親日家のロシア外交官で現駐日大使アレクサンドル・パノフ氏である。
そして、自らこの問題を精査し、故・斉藤氏に直接面会して政府を動かす決意をしたのは、当時エリツィン大統領の片腕だったルツコイ副大統領である。
アフガニスタン戦線で搭乗していたヘリコプターをイスラム・ゲリラに撃墜され、二度にわたり捕虜の身になった元ソ連軍中佐のルツコイ氏は、自らの体験から日本人元捕虜の問題を身近にうけとめ
「労働証明書」発行の政府決定を出させるため、奔走したのである。他にも、大勢のロシア政府・軍当局者たちが、斉藤氏と彼を支援するロシア人たちの訴えに動かされて、
ロシア民族の矜持として伝統的に保持されてきた「内なる良心の命令」に従って行動し、なかには政府の職を降格されたり免職される者すら出ていた。
129エロい人@空の家 ◆PbEDBwNxYY :04/04/07 18:12 ID:k2qUtX2B
 もちろん、斉藤氏をロシアに何度も送りだす上で、日本国内で多数の元捕虜を含めた人々が支援していたことは言うまでもない。
とかく日本の「謝罪外交」が国民の意気を消沈させる中、毅然とたたかいを継続した老軍人がかちとった「戦勝国」の謝罪に至るエピソードは、
記者を感動させるものであった。そして、その心情に共感し自らの国の痛みでありながらも、
「日本人に対する国際的責務を果たすことが我が国の権威を高める」との信念をもって行動した多くのロシア人たちの矜持にも、
深い尊敬の念を持たざるを得なかった。これは日露戦争以来、二十世紀を通じて敵対と紛争の歴史を刻んだ日ロ両国民が、
真の和解と共存の道を手さぐりする共通の基盤に立ちえたことをも意味するものともいえる。
 こうした経過とうらはらに、誠に遺憾だったのは、モスクワでの「労働証明書」授与式に日本政府代表は誰一人として参加していなかったことである。
この問題の解決には、ただ一人の外交官を除いて日本外務省、政府は協力してこなかった。
そのたった一人の外交官は、現在拘留中の佐藤優元分析官である。彼は当時、在モスクワ大使館員として要人工作を取り仕切っていた。
「シベリア問題」は当然、彼の着目することとなり後の日ロ会談に先立ってのエリツィン大統領の「公式謝罪」につながったのである。
 斉藤六郎氏は、高齢にもかかわらずその後もロシアと日本の間を頻繁に往来し、次々に名乗りをあげる希望者への「労働証明書」発行を実現するために奔走した。
しかし、当然その活動は心身に多大な負担をかけることとなり、平成7年12月27日、モスクワから帰国直後に脳溢血で亡くなったのである。
この斉藤氏の余生をかけた奮闘で、今日までにロシア政府から「労働証明書」の発行を受けた元捕虜は、約4万人にのぼっている。
 ルツコイ副大統領は、措置が開始された翌年四月に「日本政府は、我が国が発行した労働証明書の法的地位を認めてほしい」と表明し、
ロシア外務省が在モスクワ日本大使館を通じてシベリア抑留者に対する「労働証明書」発行の覚書を正式に伝達した。にもかかわらず、
日本政府は「これは正式の外交文書ではない。労働証明書にもとづく賃金支払いは問題にならない」と門前払いの態度を今日まで続けている。
130エロい人@空の家 ◆PbEDBwNxYY :04/04/07 18:14 ID:k2qUtX2B
>>129
>佐藤優元分析官
こいつの名前が出てきました。
面白いことになりそうです。
姜はネタ振りをこれで終わりにします。
131日出づる処の名無し:04/04/10 18:44 ID:le/ztr6j
期待上げ
132日出づる処の名無し:04/04/12 09:59 ID:8aNjnuTM
hohoui
133日出づる処の名無し:04/04/12 21:04 ID:hBc+z7DA
プロ市民、志ね。
134日出づる処の名無し:04/04/16 15:16 ID:KZRGCftc
135日出づる処の名無し:04/04/22 15:08 ID:q00dYKzf
通勤快速
136日出づる処の名無し:04/04/28 13:58 ID:yuaKYu1/
保守
137日出づる処の名無し:04/05/03 23:53 ID:4Y0L/+gt
瀧澤一カ氏、最高
138日出づる処の名無し:04/05/03 23:56 ID:pMsolXYv
    |┃三     , -.―――--.、
    |┃三    ,イ,,i、リ,,リ,,ノノ,,;;;;;;;;ヽ
    |┃    .i;}'       "ミ;;;;:}
    |┃    |} ,,..、_、  , _,,,..、  |;;;:|
    |┃ ≡  |} ,_tュ,〈  ヒ''tュ_  i;;;;|
    |┃    |  ー' | ` -     ト'{
    |┃   .「|   イ_i _ >、     }〉}     _________
    |┃三  `{| _;;iill|||;|||llii;;,>、 .!-'   /
    |┃     |    ='"     |    <   話は全部聞かせて貰ったぞ!
    |┃      i゙ 、_  ゙,,,  ,, ' {     \  お前ら全員シベリア送りだ!
    |┃    丿\  ̄ ̄  _,,-"ヽ     \
    |┃ ≡'"~ヽ  \、_;;,..-" _ ,i`ー-     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    |┃     ヽ、oヽ/ \  /o/  |    ガラッ
139日出づる処の名無し:04/05/14 15:56 ID:24+sDCH2
保守
140日出づる処の名無し:04/05/23 19:19 ID:zg6cXNuA
近いうちにカキコするから
141日出づる処の名無し:04/05/24 17:06 ID:dvdEIucW
保守
142日出づる処の名無し:04/05/27 00:50 ID:vQpGs4HW
良スレアゲ
143 ◆eV/jb/RAFs :04/05/30 18:20 ID:eztQzVTn
テスト
144 ◆PbEDBwNxYY :04/05/30 18:28 ID:eztQzVTn
tesuto
145日出づる処の名無し:04/06/04 19:01 ID:mK/CN096
盧溝橋事件後一週間以内にコミュンテルンによって出された祕密指令は次の通りである。

1、あくまで局地解決を避け、日支全面的衝突に導かねばならない。
2、右目的の貫徹のため、あらゆる手段を利用すべく、局地解決や日本への譲歩によって支那の解放運動を裏切る要人は抹殺してよい。
3、下層民衆階級に工作し、彼等に行動を起こさせ、國民政府として戰爭開始のやむなきにたち至らしめねばならない。
4、黨は對日ボイコットを全支那に擴大し、日本を援助する第三國に對してはボイコットをもって威嚇せよ。
5、黨は党は国民政府軍下級幹部、下士官、兵並びに大衆を獲得し、國民黨を凌駕する統制に達せねばならない。』
(興亞院政務部/コミュンテルンの對支那政策指令)
146日出づる処の名無し:04/06/11 20:09 ID:8qostr7I
83 :日本@名無史さん :03/10/17 23:53
大戦当時、米露ともに「田中上奏文」が本物だと思いこんでたのだが、
米が捏造だと東京裁判の証拠収集の時点で気付いたのに対し、
ソ連=ロシアは今日ですら、研究者のほとんどが今だに本物だと信じ込んでるらしい。

●謀略文書・田中上奏文  http://drhnakai.hp.infoseek.co.jp/sub1-44-4.html

スターリンらは、忠臣蔵のイメージなのか、日本人というのは復讐心に富んだ民族であり、
大戦時の不法行為への復讐を復興後やるに違いないと偏見を持っており、
日本軍人を大量に捕虜にして強制労働させ、衰弱死させて、その力を決定的に割こうと
いう国際法にも人道にも反する野蛮な計画を立てていた。だから、米よ、お前等もなぜ
そうしないのか?という見当違いのソ連の疑問につながっている。
この田舎者・鬼畜民族の発想は常軌を逸しているね。ドイツや満州での鬼畜強姦作戦も
同じ発想に基づくサディスティックな衝動だった。

“スターリンが対日参戦を決意した日”
  ―ソ連の戦後対日政策はここから始まった
日露関係疎遠の遠因・スターリンの歪んだ日本観は、三冊の本から形作られた
横手慎二  『中央公論』03・10月号 http://www.chuko.co.jp/koron/back/200310.html


147日出づる処の名無し:04/06/26 01:06 ID:Jl4b9uJ+
ロシア最高峰のジャーナリスト、アンドレイ・イーレシュ。
著作一覽


ブラック・ボックスの謎―イズベスチヤ編「大韓航空機撃墜の真実」
アンドレイ・イーレシュ (著), その他 単行本 (1992/12) 文芸春秋


核に汚染された国―隠されたソ連核事故の実態
A・イーレシュ (著), その他 単行本 (1992/08) 文芸春秋



KGB極秘文書は語る―暴かれた国際事件史の真相
アンドレイ・イーレシュ (著), 滝沢 一郎 単行本 (1993/04) 文芸春秋


148日出づる処の名無し:04/06/26 21:27 ID:JfbpwWzd
ロシア人ってどうよ、
北海道で迷惑掛けまくってたみたいだけど、最近は聞きませんね。
149日出づる処の名無し:04/06/26 21:34 ID:S0CwowO2
>>148
オホーツク海沿岸の方々に聞きたい所だが、まちBBSでも現れてくそうにもない・・・
150日出づる処の名無し:04/06/26 21:59 ID:oyyZoFCd
引用
『バイクを盗んだ、走り出した、行く先不明 仲間と家出in Japan』
尾崎豊 1983年(?)
151日出づる処の名無し:04/06/30 21:41 ID:XI4PYYA6
KGBの書籍、ポリーズ
152日出づる処の名無し:04/06/30 22:09 ID:M4+Ma/b1
ダモイ
153日出づる処の名無し:04/06/30 22:40 ID:j4+JqrZy
イクラ
154日出づる処の名無し:04/06/30 22:48 ID:6/P8Vj4D
ウォッカ
155名無し:04/07/01 14:12 ID:UjUtRc4W
大東亜戦争はソ連が中米に代理攻撃させ最後に自分が出て日本に止めを刺した
戦争だ。ソ連は西部のドイツに対向するため、東部の日本軍を南下させることを
考えた。支那の軍閥を日本にぶつける工作が1936.12の西安事件だった。これで
蒋介石を捕虜として降伏させ、対日攻撃を約束させた。その代わり莫大な
軍事援助を約束した。半年準備して1937.7から蒋介石はやつぎ早に対日攻撃を
開始した。それが盧溝橋事件、廊坊事件、通州日本人大虐殺だ。そして8月
13日に30万ともいう大軍で迫害を逃れて逃げてきた日本人居留民二万人を
上海に襲った。上海事変だ。近代戦は補給戦だ。事前に相当の準備期間があった。
そこでソ連は3億ドルの巨額の軍事援助をおこなった。米国ルーズベルト政権
にはソ連スパイが深く食い込んだ。あのハルノートがKGB製であったこと
は1995元ソ連のスパイがモスクワで発表したのでよく知られている。
参考書:ルーズベルト秘録 扶桑文庫
156日出づる処の名無し:04/07/03 23:33 ID:/efj9zFH
 ソ連       2,000万人
 中国      6,500万人
 ベトナム      100万人
 北朝鮮       200万人
 カンボジア     200万人
 東欧         100万人
 ラテンアメリカ    15万人
 アフリカ       170万人
 アフガニスタン  150万人
 コミンテルンと権力を握っていない共産党 約1万人
----------------------------------
 総計         約1億人
共産主義による犠牲者は、8,000万人から1億人にのぼるとされます。
この数字は、ヒトラー・ナチズムによる犠牲者数とされる2,500万人を軽く上回ります。

157日出づる処の名無し:04/07/04 01:10 ID:B0f+Q47l
>>156
軽くと書くより大きくと書いたほうがしっくりくるかも
158日出づる処の名無し
昨日の読売だったかに
ロシアの監督が昭和天皇をテーマにした映画を
撮るそうだけど…