【感動の】心打たれる特攻隊員達の言葉【一節】

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696日出づる処の名無し
「日本の証言」という本に
ハバロフスクでシベリア抑留者の慰霊祭があった時刻、天皇皇后両陛下は
庭に出て、北のほうに向かって長い長い黙祷を捧げていたという話がある。

その話を聞いて「涙が出そうになるのはなぜなんでしょうか」との問に、
瀬島龍三氏はこう答える。

「日本人だから。それは日本人だからね」

特攻隊員の遺書などに涙するのも日本人だからなのだろうと妙に納得
してしまった。
697日出づる処の名無し:04/03/02 16:27 ID:7H6vlSyA
>>696
この話を思い出したよ。
【アッツ島で玉砕した守備隊に宛てた電報】 
 
 太平洋戦争まっ只中のころのお話です。昭和18年、アッツ島の守備に就いていた山崎保代部隊長から、
大本営宛てに、激しい戦闘で玉砕を目前にした悲壮な電報が届きます。電文の内容は、次のようなもの
でありました。

 「自分は、アッツ島守備の大命を拝し守備にあたってまいりましたが、米国海兵隊三個師団が上陸し任務を
まっとうできなくなってしまいました。まことに申し訳ありません。明朝を期して全軍で突入しますが、同時に
一切の通信機を破壊し、暗号書は焼却します。皇国の無窮をお祈りしております」

 天皇陛下は、この報告を静かに聞かれ、そしていくつかの質問をされた後、最後に、「アッツ島の山崎部隊長に
電報を打て」と命ぜられました。「アッツ島部隊は最後まで非常によくやった。そう私が言っていた、と打て」と。

 しかし、その時点ではすでに山崎部隊は玉砕してしまった後で、もうこの世にはいないのです。また、たとえ
電報を打ったとしても、通信機も壊されていますから絶対に届くはずがありません。陛下のお言葉をいぶかった
報告者が、おそれながらもそのように申し上げると、陛下は、こうおっしゃったのです。
 「届かなくてもいいから、電報を打ってやれ」。
698日出づる処の名無し:04/03/02 21:06 ID:G3lJEYnb
>>697
全く意味のない自己満足でしかないな。 オナニー以下の行為だ。
699日出づる処の名無し:04/03/02 21:15 ID:9f9JUOQu
また湧いてきたな
700日出づる処の名無し:04/03/02 21:21 ID:Juj7Vyob
小笠原に墓参りに行くか…
701日出づる処の名無し:04/03/02 21:22 ID:G3lJEYnb
>>699
おまえは敬語というものを知らんのか? 

「また、おでましになられた」、だろうが。 ぼけ。