★日本は解放戦争をしました!!4★

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第八章 世界は大東亜戦争をいかに評価しているか
自存自衛と大東亜の解放を掲げて戦われた日本の戦争はアジアの諸国民や各国
の識者からどのように受け止められているのだろうか。

イギリス
アーノルド・J・トインビー 歴史学者
「第2次大戦において日本人は日本の為というよりも、むしろ戦争によって利
益を得た国々の為に偉大なる歴史を残したといわねばならない。その国々とは
日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。日
本人が歴史上に残した業績の意義は西洋人以外の人類の面前においてアジアと
アフリカを支配してきた西洋人が過去200年の間に考えられていたような不
敗の半神でないことを明らかに示した点にある。」(1956年10月28日/英紙「オ
ブザーバー」)

アメリカ
ジョイス・C・レブラ コロラド大学歴史学部教授
「日本の敗戦 それは勿論、東南アジア全域の独立運動には決定的な意味を
もっていた。今や真の独立が確固とした可能性となると同時に西洋の植民地
支配の復活も許してはならないもう一つの可能性として浮かび上がってきた
のである。民族主義者は日本占領期間中に身につけた自信、軍事訓練、政治
能力総動員して西洋の植民地支配復帰に対抗した。そして、日本による占領
下で民族主義、独立要求はもはや引き返せないところまで進んでしまったと
いうことをイギリス、オランダは戦後になって思い知ることになるのである。」(「東南アジアの解放と日本の遺産」)
502abc:04/03/12 21:45 ID:sPQYwSeE
ジョージ・S・カナへレ 政治学博士
「日本占領軍がインドネシア民族主義の為に行った種々の仕事の中で最も重
要なものの一つは正規軍及び準軍事組織を創設して、それに訓練を与えたこ
とである。このような機会がなかったならば戦後のインドネシア民族革命の
経過は違ったものになっていたであろう。」(「日本軍政とインドネシア独
立」)

オランダ
サンティン・アムステルダム市長 現内務大臣
「本当に悪いのは侵略して権力を振るっていた西欧人の方です。日本は敗戦
したが、その東亜の解放は実現した。即ち日本軍は戦勝国の全てを東亜から
追放して終わった。その結果、アジア諸民族は各々独立を達成した。日本の
功績は偉大であり、血を流して闘ったあなた方こそ最高の功労者です。自分
をさげすむことを止め、その誇りを取り戻すべきであります。」(1985年日
本側傷痍軍人会代表団がオランダを訪問した時、行われた市長主催の親善パ
ーティの歓迎挨拶)

タイ
ククリット・プラモード 元首相
「日本のお陰でアジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産
して母体をそこなったが生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南
アジア諸国民がアメリカやイギリスと対等に話ができるのは一体誰のお陰で
あるのか。
それは『身を殺して仁をなした』日本というお母さんがあった為である。12
月8日は我々に、この重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重
大決意された日である。更に8月15日は我々の大切なお母さんが病の床に伏
した日である。我々この2つの日を忘れてはならない。」

503abc:04/03/12 21:46 ID:sPQYwSeE
マレーシア
ラジャー・ダト・ノンチック 元上院議員
「私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声をあげました。敗
れて逃げてゆく英軍を見た時に今まで感じたことのない興奮を覚えました。
しかもマレーシアを占領した日本軍は日本の植民地としないで将来のそれぞ
れの国の独立と発展の為に、それぞれの民族の国語を普及させ青少年の教育
をおこなってくれたのです。」

ガザリー・シャフィー 元外務大臣
「日本はどんな悪いこ事をしたと言うのか。大東亜戦争でマレー半島を南下
した時の日本軍は凄かった。わずか3ヶ月でシンガポールを陥落させ、我々
にはとてもかなわないと思っていたイギリスを屈服させたのだ。私はまだ若
かったが、あの時は神の軍隊がやってきたと思っていた。日本は敗れたが英
軍は再び取り返すことができずマレーシアは独立したのだ。」

ザイナル・アビディーン 歴史学者
「日本軍政は東南アジアの中で最も政治的意識が遅れていたマレー人に、そ
の種を播き、成長を促進させ、マラヤにおける民族主義の台頭と発展に大き
な“触媒”の役割を果たした。」

インドネシア
モハメッド・ナチール 元首相
「アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。大東亜戦争は私たちアジア人の
戦争を日本が代表して敢行したものです。」
504abc:04/03/12 21:46 ID:sPQYwSeE
アラムシャ 元第3副首相
「我々インドネシア人はオランダの鉄鎖を断ち切って独立すべく、350年
間に亘り幾度か屍山血河の闘争を試みたがオランダの狡知なスパイ網と強靱
な武力と苛酷な法律によって圧倒され壊滅されてしまった。それを日本軍が
到来するや、たちまちにしてオランダの鉄鎖を断ち切ってくれた。インドネ
シア人が歓喜雀躍し感謝感激したのは当然である。」

サンパス 元復員軍人省長官
「特にインドネシアが感謝することは戦争が終わってから日本軍人約100
0人が帰国せず、インドネシア国軍と共にオランダと戦い、独立に貢献して
くれたことである。日本の戦死者は国軍墓地に祀り、功績を讃えて殊勲章を
贈っているが、それだけですむものではない。」

ブン・トモ 元情報相
「日本軍が米・蘭・仏を我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。我々は
白人の弱体と醜態ぶりをみてアジア人全部が自信をもち、独立は近いと知っ
た。一度持った自信は決して崩壊しない。そもそも大東亜戦争は我々の戦争
であり、我々がやらねばならなかった。そして実は我々の力でやりたかった。」
(昭和32年の来日の際の発言)

インド
ラダ・クリシュナン 大統領
「インドでは当時、イギリスの不沈戦艦を沈めるなどということは想像も出
来なかった。それを我々と同じ東洋人である日本が見事に撃沈した。驚きも
したが、この快挙によって東洋人でもやれるという気持ちが起きた。」(昭
和44年日本経済新聞)

ハビブル ・ラーマン 元インド国民軍大佐
「ビルマ、インドネシア、フィリピンなどの東アジア諸国の植民地支配は一
掃され、次々と独立し得たのは日本が育んだ自由への炎によるものであるこ
とを特に記さなければならない。」
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グラバイ・デサイ インド弁護士会会長
「インドは程なく独立する。その独立の契機を与えたのは日本である。イン
ドの独立は日本のおかげで30年早まった。これはインドだけではない。イ
ンドネシア、ベトナムをはじめ東南アジア諸民族すべ共通である。インド4
億の国民は深くこれを銘記している。」(1946年の軍事裁判に出廷した
藤原岩市氏らに)

スリランカ
J・R・ジャヤワルダナ 大統領
「往時、アジア諸民族の中で日本のみが強力且つ自由であってアジア諸民族
は日本を守護者且つ友邦として仰ぎ見た。当時、アジア共栄のスローガンは
従属諸民族に強く訴えるものがあり、ビルマ、インド、インドネシアの指導
者たちの中には最愛の祖国が解放されることを希望して日本に協力した者が
いたのである。」(1951年、サンフランシスコ対日講和会議演説)

506abc:04/03/12 21:48 ID:sPQYwSeE
ビルマ
バー・モウ 元首相
「歴史的に見るならば日本ほどアジアを白人支配から離脱させることに貢献
した国はない。しかしまたの解放を助けたり、あるいは多くの事柄に対して
範を示してやったりした諸国民そのものから日本ほど誤解を受けている国は
ない。もし日本が武断的独断と自惚れを退け、開戦当時の初一念を忘れず、
大東亜宣言の精神を一貫し、南機関や鈴木大佐らの解放の真心が軍人の間に
もっと広がっていたら、いかなる軍事的敗北もアジアの半分、否、過半数の
人々からの信頼と感謝とを日本から奪い去ることはできなかったであろう。
日本の為に惜しむのである。」

シンガポール
ゴー・チョクトン 首相
「日本軍の占領は残酷なものであった。しかし日本軍の緒戦の勝利により欧
米のアジア支配は粉砕され、アジア人は自分たちも欧米人に負けないという
自信を持った。日本の敗戦後15年以内にアジアの植民地は全て解放された。
」(「諸君!」平成5年7月号)

終戦50周年をむかえて

「アジアと日本の大東亜戦争」

発行所 日本を守る国民会議

発行日 平成6年6月12日