【第2弾は】菅代表研究第1弾【あるの?】

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316日出づる処の名無し
今週の週刊文春より。
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「創刊45周年 今だから明かす スクープの秘密50」より。
「菅直人愛人醜聞 幻に終わった 『不倫を認めるインタビュー』 」
 追跡五ヶ月。菅直人・民主党代表の愛人との密会、公私混同ぶりを報じたのは1998年11月19日号。
沈黙を続ける菅氏サイドから、小誌にひとつの申し出があった。当時の小誌編集長が、秘話を語る。
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 二回目の記事を掲載した号の販売翌日、金曜の夜11時のこと、ある人物から、私は銀座のホテルに呼び出されました。彼は、
「菅に依頼されて来た訳ではない」と前置きして、
「記事はまだ続くのか。菅のインタビューを『週刊文春』に載せる事は可能か」と持ちかけてきました。私の返事は、
「菅さんがいまのような煮え切らない対応を取る限り、追求は続ける。はっきりと男女関係を認め、公私混同について納得のいく
説明をするのでなければインタビューは載せられない」
「持ち帰って伝える」と言った彼は、
「男女関係を認めれば、インタビューは可能か」と念押しし、私は
「もちろん」と答えました。
 五ヶ月にわたって極秘に取材チームを組み、張り込みや尾行を続けた結果、六本木・全日空ホテルでの度重なる密会や
菅さんの愛車プリウスでのドライブデートなど、我々は数々の証拠を握っていた。この申し出に無条件で飛びつく必要はなかったのです。
その人物から、
「やはり難しい。この話はなかったことにしてほしい」と連絡が入ったのは翌日のことです。同じ日、菅さんは政治部の担当記者に限定して
会見を行い、
「家内に、『あんたは脇が甘いのよ、バカタレ』と叱られました」と話すのみで、男女関係も公私混同疑惑も否定したのでした。
 その後、『週刊朝日』で田原総一郎さんのインタビューを受け、『ニュース23』と『ザ・ワイド』のテレビ出演を決めた。
 田原さんの厳しいツッコミにあった菅さんは、しどろもどろ。まさに致命的なインタビューとなってしまいました。『ザ・ワイド』には奥さんと
並んで出る予定でしたが、草野仁キャスターらの反対によって出演はキャンセル、疑惑を認めるのでなく、言い訳とイメージ回復のために
番組を利用させることは許されないという立派な見識からでした。