嘗て、日本はアジアの図書館でした。
http://www.angel.ne.jp/~arrow/insist/ikenjizai/1125.htm 【高山正之の異見自在】発泡酒増税の理由 政治生命は自腹で賭けよう
[2000年11月25日 東京夕刊]
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ノーベル経済学賞を受賞したアマーティア・センが大江健三郎の非常識を噛んで含めるように
さとした一文をこの前、紹介した。
「日本はまだ経済の足腰もしっかりしていないころから教育に力を入れ、諸外国の文献をせっ
せと翻訳し、二十世紀の入り口での出版物の量は米国の二倍にも達していた」と。
欧米の収奪にあえぐアジアの国々にもこの情報は伝わり、中国の変法派、張之洞は「勧学篇」
を著して「アジアで唯一、近代化を成し遂げた日本には中国では得られない世界の文献がそろっ
ている。日本に行き、日本語を学んで、そうした文献すべてを習得するときだ」と呼びかけた。
そして孫文や魯迅、周作人兄弟など約一万人もが明治三十年代の日本にきて勉強した。
朝鮮からはもっと早い時期に数十人が慶応義塾に入ったが、ドロボウ騒動を起こしたりして、
福沢諭吉が怒った記録もある。
ベトナムの潘佩珠(ファン・ボイ・チャウ)も「勧青年遊学」を書き、フランス支配の祖国から三
百人を超える青年が日本に密航してきた。彼らはやがて反仏独立運動のリーダーとなっていく。
ミャンマー(旧ビルマ)から僧ウー・オッタマも密航留学し、竜谷大で教鞭も執るが、帰国後、
英国官憲に捕まり、獄死する。
この時代、日本はアジアの図書館の役割を果たした。
…後略…