43 :
日出づる処の名無し:
>>1 >天皇は日本の象徴のはずなのに公式行事とか
>どうしてへんちくりんな西洋の服を着ているのか?
天皇家は、先祖伝来、外国かぶれの一族である。
大化の改新は、古代の一大政治改革だった。645年、中大兄皇子・
中臣鎌足が蘇我入鹿を打倒した、宮中クーデターが始まりである。
皇子・鎌足は中国風先進制度派で、蘇我氏は土着実権派だった。
クーデター成功後の政治改革が目指したのは、中央集権の律令国家
である。これは、中国の律令制度に倣(なら)ったものだった。
改新以前の朝廷は、有力豪族の連合体の性格があった。改新以後、
中国の政治制度のマネによって、「天皇」の号と天皇の制度が
確立されていった。ただし、易姓革命思想などは取り入れなかった
ので、日本の天皇は、中国風の皇帝と異なる種類のものになった。
44 :
日出づる処の名無し:03/09/21 09:35 ID:eBAUg3oP
古事記(712年成立)や日本書紀(720年成立)においては、皇室の
外国かぶれを糊塗するためか、皇祖皇統は日本を産んだ神々の
子孫であると強調している。しかし、実際の天皇家は、先進国
(当時にあっては唐など)の制度文物を取り入れて、権威・権力を
確立したのだった。
なお、日本書紀では中国の辛酉(しんゆう)革命説をマネして、
神武天皇の即位を紀元前660年(辛酉の年)に設定した。そのため、
年代の辻褄が合わなくなり、信用し難い記述が多々発生した。
神武天皇は127歳まで生きたとか(『古事記』によれば137歳)、
実在しない天皇名を創作するとか、外国史書をパクって書くとか
である。
45 :
日出づる処の名無し:03/09/21 09:37 ID:eBAUg3oP
平安京(794〜)以来、長きにわたり京都は我が国の都であった。
それは、唐の都・長安のミニチュア(面積比3分の1)として設計された。
平安京に遷都したのは桓武天皇であるが、その母は百済系の渡来人
の血を引いていた。すでに渡来以来何代も経ていたので、血の比率
を計算すると小さい。つまり、外国からの影響は、生物学的な血
よりも、制度・文物の輸入の方が、いっそう重要で本質的だった。
遷都の宣言は、794年10月辛酉の日を選んで行われた。これもまた、
中国の辛酉革命説の影響であった。
明治維新後速やかに、公的な儀式における天皇・皇后の正装は、
洋装と定められた。当時の西洋の慣例に従い、燕尾服とローブ・
デコルテを採用したのである。それに対し、衣冠束帯は天皇家
の祭祀などで着用された。
また、明治初年、肉食がまだ一般的で無かった時に、皇室は
率先して肉食を始めた。
46 :
日出づる処の名無し:03/09/21 09:40 ID:eBAUg3oP
昭和天皇は、皇太子時代にヨーロッパを歴訪して西洋風の生活
様式に魅了され、歳をとっても諸事洋風を好んだ。
エッフェル塔から「ヤッホー」と身を乗り出す皇太子裕仁
(のちの昭和天皇)
http://www.tanken.com/mokuteki.html 「日本人ならば朝は御飯におみおつけ」 は、昭和天皇には当て
はまらなかった。「オートミールかコーンフレーク、カリカリの
トーストにマーマレード、ミルクティー、オレンジジュース、
ベーコンエッグなど」のイングリッシュ・ブレックファーストが
お好みだった。昭和天皇は刺身をあまり食べなかった。
47 :
日出づる処の名無し:03/09/21 09:42 ID:eBAUg3oP
その長男の明仁(1933〜)は、少年時代、日本の敗戦に直面した。
彼は、子供ながらに革命の恐怖をひしひしと感じたと言われている。
ヨーロッパの古い王家も、アジアの皇帝も、軒並み革命で斃(たお)
れたことを、明仁少年は知っていた。GHQの差し金で、46年から
4年間、アメリカ人のバイニング夫人が明仁の家庭教師についた。
つまり、今上天皇は英語が堪能なのだが、天皇が英語ペラペラで
あると不快に感じる人もいるのか、彼が英語を喋るシーンは
テレビでも巧妙にカットされるようだ。
皇后の美智子はクリスチャンである。皇太子妃雅子と秋篠宮妃紀子
は、帰国子女である。そのような嫁を迎えるところにも、「外国
かぶれの一族」の伝統が生きている。
もちろん、皇室の長い歴史の中には、例外もあった。例えば、幕末
の孝明天皇は開国に反対だった。彼は、公式には天然痘で死んだ
ことになっているが、砒素で毒殺されたという説も有力である。
外国嫌いの天皇は邪魔だったようだ。
48 :
日出づる処の名無し:03/09/21 09:49 ID:eBAUg3oP
天皇・公家よりも、例えば武士の方が、より日本的な存在である
と思われる。前者の衣冠束帯には、中国や朝鮮の影響が感じられ
るが、後者の出で立ちは、ほぼ日本的なものである。
武士という階級は滅んだ。天皇という制度は、洋装をまとって
生き残った。日本国憲法第1〜8条、99条は、「洋装」の一種である。
日本国憲法
http://www.houko.com/00/01/S21/000.HTM 天皇は、日本の古代・中世・近代・現代を一身に兼ね備え、
日本固有であると同時に、外国かぶれの存在でもある。
二股をかけているからこそ、生き残って来れたのだ。