韓国人曰く、「スサノオは韓国から日本に渡った」

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163一応指摘を
>>153
そういった、いわゆる言葉から捉えるフィーリング的な面は言語学的な問題とは別個に論じるべきであるでしょう。
言葉から感じるフィールに限らず、例えば音楽等から感じ取るフィールという点では地理的必然性が全く無いドイツ
と日本に類似性が見られたりもするのです。ですからそれを以って言語間の類似性と結び付けるのは非科学
的であるといえます。
余談ですが、日本語朝鮮語同祖説を唱える韓国の言説家あるいはそれに同調する言説家の方々は大抵、同
じような致命的なミスを犯しています。そのミスとは、現代朝鮮語で古代を解釈していることです。基本的な点なの
ですが、なぜかそこは知ってか知らずか無視されています。そもそも現代朝鮮語なるものは、日韓併合後近代
社会に適応させるべく朝鮮総督府が明治日本の言語教育を下敷きに整備したものです。ですからそこを考えれ
ば『日本語と用途的類似性が有る』というのは当然の話であって、そこを考えずに言語比較を行うのは、比較言
語学の基本を完全に無視した極めて陳腐な言説であると言わざるを得ない。
そういった言説は最早検討する価値すらなく、一見にも値しないと言えます。
>>138>>146などはそういった言説ではなく比較的まともな"同祖説"に対する指摘です、念のため)。
また、ここまで言っておいてなんですが、日本語と朝鮮語に於ける『文法の類似性』というのも実は語順くらいの
もので、つまりは文法に於いても類似性などほとんどないと言っていいのです。"文法が似ている"というのは
ポーランド語とチェコ語のような関係を言うのであって、日本語と朝鮮語間に於いては実はそのような類似性など殆ど
無いのです(笑)。シンタックス(―syntax―)つまり文の曖昧な規則のような面が微妙に似ているというだけであって、
つまり結論としては類似語どころか特別な相関性すら無い、と。まあそういうことです。
貴方が挙げられているような歴史的遷移の御話も学問として紐解けばまた一段と面白くなってくると思いますので、
多角的なアプローチで眺めてみることをおすすめします。