>>308 …
何かと思えば次のコピペに対する非難か。このコピペには指摘のように
日清戦争(1904〜1905)は日清戦争(1894〜1895)の誤りである。
と言うわけで訂正した。で何が問題なのだ。
>>308の文章を見るとまるで
馬鹿としか思えない。紹介文章にねっちこくからみついてどうする。
ここは学問の研究をする場所ではない。雑談の場所だ。一人かりかり
自説を主張するのは見苦しいぞ。アボ−ンが多発していたがそれはお
前だったのか。まるでキチガイだ。以下コピペ。
【日本軍の軍紀は世界一厳正だった】
http://www.senyu-ren.jp/SEN-YU/00104.HTM 日本軍の軍紀に就いては、北清事変(義和団事件)当時にも欧米列強から賞賛され、各国軍隊の模範とされたことがあるが、かつて我々が中国戦線を征
ったとき、その先々で中国民衆から熱烈歓迎を受けたのも、それは故なきことではない。
…中略…
日本軍は日清戦争(1904〜1905)以来大東亜戦争(1941〜1945)に至るまで、変わることなく軍紀厳正であった。中国民衆にとって、いつ襲
って来るかわからない自国の暴徒の如き武装集団に比べ、軍紀厳正な日本軍を信じ熱烈歓迎するのは当然のことで、決して日本軍に阿(おも)ねたり恐れ
てのことではなかったのである。
フランスの国際法学者フォーシーユは、日本軍を賛えて次のように語っている。「日中戦争で日本軍は、敵が国際法を無視したにも拘らず自らはこれを守り、
日本軍人であることに誇りを持っていた。中国兵は卑怯にして残虐極まりない軍隊で、例えば中国軍の捕虜になると、四肢を斬り分けられ、生きながらに火
炙(あぶ)りにされたり、磔(はりつけ)にされたりしたのである。更に日本兵の屍に対しても、酸鼻を極めた蛮行を行っている。即ち死者の首を切り落とし面
皮を剥ぎとり、或は男根を切り落し、胸部を切り開いて石を詰め込み、首は両耳を穿って紐や針金を通し、さながら魚を串刺しにしたように口から喉に紐を
通して持ち運びする等々、それが中国軍の戦争様式であり、日本軍には絶対に見ることのできない支那の戦争文化である」と。