【(,,゚д゚)】日本が☆☆だ!!【ゴルァ】5th
769 :
船虫Jr ◆.Tg2yBtH66 :
しょうがない。バカばっかなので、科学的客観的認識ではとらえられず、
個人的主観的なものでとらえているものを例示してやろう。
745は、
>科学で自然をとらえると言う事は、「空間、時間、因果律、その他のカテゴリー」で世界をとらえる。
なんて言っているが、科学的客観的認識ってのを簡単に言えば、(広い意味での)言語に
置き換えることだ。科学ってのは、教科書や論文に書いてあるものであり、全て言語化されている。
だからこそ、誰が見ても同じように理解できる(客観的に理解できる)わけだ。
で、このような対象(自然)の言語化ってのは、意識を持たない機械(パソコン)でもできる。
簡単な例は、デジカメ付きのパソコンで景色を撮って、ハードディスクに保存すればいい。
こうすれば、対象(自然)がパソコンの言語として言語化されたわけだ。
こういう画像を指定する言語は、「画像は何ピクセルで出来ていて、どのピクセルは何色だ」
という情報で成り立っている。この情報をディスプレイに表示させれば、(認識された)対象(自然)がそこに生じる。
770 :
船虫Jr ◆.Tg2yBtH66 :03/10/15 21:34 ID:237jHXZU
(つづきだ)
だが、このような認識(言語化)には欠けている決定的なものがある。
それは「色」だ。(「こういう画像はデジタルだが、自然はアナログだ」とういうイチャモンは無視)
何を言っているかというと、言語で指定したものは、本当は波長であって「色」ではない。
「これは赤」というのは、ある波長の光を指示するのであって、色を指示しているのではない。
これを理解するには、赤が青に見えるような色眼鏡を付けて生活することを考えればいい。
当然、最初は戸惑う。赤信号で交差点を突っ切るかもしれない。
だが、慣れてくると、赤を青として扱えるようになる。というよりそうせざるを得なくなる。
この場合、コイツは、赤という言葉で何を言っているのか?
夕焼けや郵便ポストが出す光の波長だ(こいつは「今では郵便ポストは赤い」と喋らされている)。
だが、コイツは今でも、郵便ポストは青く見えているわけだ。
で、ここで注目すべきは、コイツは昔の記憶(ポストは今見える色とは違っていた)があるだけで、
別に生活に支障をきたしているわけではないかもしれないということだ。
だから、生まれつき赤いものが青く見えるヤツがいても不思議ではない(自然淘汰されない)。
生物の機能にとって、重要なのは波長を識別することであって、別々の波長に、
それぞれ何色を指定するかはどうでもいい。区別できればいいわけだ(このヘンは行動主義者の愛に聞け)。
だが、実際に感じる「何か(「赤」や「青」)」がなければ、区別することすらできない。
ゆえに、「赤」や「青」といった言語で表現できないものは存在していなければならない。
このような、「赤」や「青」をクオリアと言う(ググれ)。
良く考えれば、こういった性格のもの(クオリア)はかなり一般的なものであることがわかろう。
表象やら現象と言われるもの、つまり主観一般は、クオリアに満ちている。
とまあ、これが現在、主観をマンセーしてるヤツらが、最後の砦として引き合いに出してる理屈だ。
良く憶えておけ(笑い。